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今年初の書き込みですね。もう8月のお盆前ですが。6日から仕事始めで、字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置お世話様になりました。1月7日町内にて
【まとめ】船王後が埋葬されたのは戊辰年(668)12月と記されているので、墓誌が日本書紀完成後に追葬されたのでなければ、乎婆陁宮治天下天皇、等由羅宮治天下天皇、阿須迦宮治天下天皇などの表記があるので、船王後が妻と共に埋葬された7世紀半ばごろには上記天皇号が通用していたことが考えられる。乎婆陁宮治天下天皇(書紀では敏達天皇)の記述から、早ければ6世紀頃から「天皇」号が近畿王朝で使用されていたことになり、日本書紀の記述を見て時期を合わせて書いたとは言えなくなる。墓誌に記されている
【船王後墓誌:拙訳】これは船氏の由来王後首は船氏中興の祖王智仁首の孫那沛故首の子である乎婆陁宮治天下天皇の世に生まれ、等由羅宮治天下天皇の朝庭から阿須迦宮治天下天皇の朝庭に出仕した阿須迦宮天皇は照見して王後の異才を知り功勲を認めて冠位十二階第三位の大仁品の官位を勅賜した。阿須迦天皇の末年である歳次辛丑十二月三日庚寅に死去し、戊辰年十二月に松岳山上に夫人安理故能刀自と同じ墓に殯葬。大兄の刀羅古首の墓に並べて墓を造った。ここは万代之霊を安んじて保つ牢固永劫の宝地である
今回ご紹介する施工事例は、古い霊標を撤去し、新しい霊標を設置するという工事です。新規の工事ですね、ありがたいことです。場所は十輪寺さんというお寺の墓地です。奈良市から東山を越えて、田原という地域の大野町に位置するお寺さんです。お寺に隣接した広い敷地に、いくつも区画が並んでいる大きな墓地です。では早速現場をご案内しましょう。写真は、古い霊標を撤去し、その基礎を毀ったところです。ここでバラバラになっているコンクリガラなどをきれいに片付けて、その上に新しく基礎を施して、新規の霊標
本日確認母の墓誌。西区西野の優石さんに依頼しました。綺麗な刻印で大満足です。
『井真成墓誌』(藤井寺市アイセルシュラホール博物館)藤井寺市の博物館立派で、、、無料。小さな植物園も付属。
最近、映画を観に行っている暇がありません。観に行きたいのにな……。床屋も行きたいのにな……。★こんな話ありかな?昔々、A、B、C、Dの4人兄弟がいました。Aが長男です。4人の家には先祖からのお墓がありました。そのお墓の墓誌には、表面と裏面がありました。表面には、代々の長男夫婦の名が彫られていました。その家系の本家筋の夫婦です。裏面には、戸籍を出ることなく、亡くなった一族の者の名が刻まれていました。ところが、Cは、結婚していたにもかかわらず、将来は両親が眠るその墓に入りたいと、兄
昨日のことです。朝、起きてから、やる気、元気が出ません。午前中にいつもウォーキングをするので、歩いていれば、そのうち元気も湧いてくるだろうと思い実行しました。足取り重く、とぼとぼとした感じで、とてもウォーキングに見えません。Uターンして、自宅に戻りました。午後からの勤務、この状態では、怪我をするか、失敗をしでかすのが関の山です。欠勤の連絡を入れました。心が病んでいる原因は何か。その前夜の親族間での墓に関する争いです。疲れとともに、墓誌への記名を問題視する私は、意地が悪い人間では
葛井寺は、聖武天皇の勅願で、行基上人の開山。井真成墓誌で著名な井真成は藤井寺に所縁がある人物と推測されている。※第10回遣唐使団の準判官相当と考えられている(私見では正使の多治比広成の関係者または本人)葛井寺遣唐留学生井真成記念碑西国第二番札所葛井寺西国五番観音霊場第一番那智山青岸渡寺第二番紀三井山金剛宝寺第八番長谷寺第七番東光山岡寺第四番第十六番音羽山清水寺参考https://spc.jst.go.jp/.../change_1912.h
全国に75000もの寺が存在しております。これはコンビニエンスストアの数75000よりも多いことになります。しかし、無住や他の寺の兼務寺になっているのはおよそ20000くらいだそうです。これから先、寺院の後継者の不在や経済的基盤の縮小からこの数はさらに増えるようです。寺院の存続や建物の維持するためには当然のことながら経営的な安定が求められます。寺離れ、宗教離れが加速する背景はやはり景気の動向もあるでしょうが、寺を維持するという住職の熱意と、もっとお寺に足を運んでもらうための工夫が
名古屋のシンゾウです。無謀な漢検1級に挑戦しようとしている私です。今年は、ともかく対象となる漢字をPCに保存する作業を続けています。漢検1級に比べれば京都検定1級は......勉強が楽しいです。記憶するにもストーリーがありますから。京都検定ならなんとかなるのではと思えるから不思議です。相対性理論?ですかね。今年は、割り切って入力作業に勤しんでいます。でも、四文字熟語で”尸位素餐、豁然大悟、竹苞松茂、扇枕温衾、得魚忘筌、風声鶴唳、落穽下石、危言覈論”....こんな漢字が並ぶと心が折れます。
平成16年に着任したころ、檀家さんに挨拶をしに回っていた時のことです。ぼ~っとしていて一時停止違反で、交通切符を切られてしまいました!総代に話すと、''いつもパトカーが隠れているようだ‘’とのことでした。地元のかたは知っているようで、捕まりませんが、新しく通るかたはもれなく‘’餌食‘’になります。私もその一人となってしまいましたね〜最近は池端町の道路事情も変わり、別の場所での交通取締が行われております。事情通になることは地域の仲間入りをしたようでうれしいことですね!【天明寺ホー
天明寺は私が着任するまで、兼務寺として総代がたに任された運営でした。過去帳や寺の重要書類は総代さんが管理をしてくださっておりました。過去帳や重要書類は昭和初期に寺が火事になったときも総代さんの家に保管されていたために残されておりました。年に一回くらいしか顔を合わせない総代さんとも何度も顔を合わせるようになりました。今まではすでに掃除をしてくださったあとにお経を拝みにうかがうだけでしたが、総代さんと一緒になって掃除をするうちに少しずつ関係性が近くなっていくようになりましたね。一緒に行動す
「こんなところに来てどうやって食っていくんだい」「お布施の額、上げるんだったら檀家やめる」「寄付とるんかい」好意的に迎えて下さる方がいる一方で、歓迎されていない空気も漂っていました。檀徒の方に納得をしてもらうためには負担をかけないことを約束すること、その上で信頼関係を構築していくことの大切さを改めて認識いたしましたね。【天明寺ホームページ】【天明寺YouTubeチャンネル】太子山天明寺当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと
大学1年の夏、初めて長谷寺の朝のお勤めに参加したときのこと、読経の時間は四十分くらいでした。一生懸命、習ったお経を声を出していましたし、節回しや経の高い低いなど自分なりに集中していたのでしょう。読経が終わり、周りの皆さんが立とうとするので自分も一緒に足を踏ん張りましたが、足の甲が寝たままで足の指はしびれ、どうにもこうにも立てません!これはやばいっ、、、前の人の背中にダイブする??、アタックしてしまう!となった瞬間に両脇の方に支えてもらい、なんとか引き上げていただきました
中には生前葬まで遣っちゃって、結構な長生きして、生きる目標を失う人までいる、ま、生きるに目標何ぞ要らんが。我が郷里の小さな町は、派手に栄えた事は一回も無い風だが、少なくとも5~600年以上前から今ある集落の大部分には人が住んで居たらしい。町で一番古い寺、名前が○○寺と言うが、旧村名と同じ漢字、通常はその音読み。その墓所に行くと、もう百年もそれ以上も墓誌に何も追記が無いものが結構ある。田舎の事なので、近隣の人がついでに世話をしているので、草木に埋もれている所は無いが
何年祭という儀式でよく霊園に出向くが、五輪塔や墓誌だけでなく水子地蔵を建立してある墓が見受けられるが、五輪塔や墓誌、また水子地蔵はぜったいに立ててはいけない。建立者は何も起きないが、子供や孫たちがもがき苦しんでしまう。後の代になるとまず結婚の縁が無い、子が出来ない、うつ病や自閉症、アスペルガー症候群やゼンソク、ありとあらゆる方法で先祖が訴えている。昔から墓に念を入れずと言われていて、墓を尊重するよりも、家族の立場と順序を重んずることが、幸せに子々孫々する。家柄が良か
朝から降り続く雪はいつまで続くのでしょうか?寒いですが、どこにも出かけることが出来ない中でちょっと景色が変化するのは風情があって良いですね。勝手ですが、あまり降らないで適度に積もって楽しめる、そんな雪との付き合い方が出来ると、疲弊した気持ちが溶けていくような気がしますね。【天明寺ホームページ】【天明寺YouTubeチャンネル】太子山天明寺当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと伝えられておりますが、実際には歴代住職の墓誌に「恵弁貞享三
一月三十日父が亡くなってちょうど一年です。昨日はねーちゃんも私も休みだったので、レンタカー借りてお墓参りに行ってきました。(めっちゃ道に迷った(T_T))何回か行ってるのに覚えないという(笑)車の運転も5年振りくらいのんですが無事に帰ってきました。お墓には昨年母が亡くなって納骨以来。墓誌にも名前が掘ってあって一安心。父と母の名前が二人並んでいるのを見た時はちょっと涙が出ましたね…「また来るよ」と声をかけて帰ってきました。もっと頻繁に行きたいけど…次はRくんが中学入学したら
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置お世話様になりました。12月20日盛岡墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。納品お寂しい事と存じます。12月2日東村町にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。初めてのコースですお寂しい事と存じます。11月4日持光寺様墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置お寂しい事と存じます。11月1日妙皇寺様墓地にて
新たな墓誌の納品(設置)を行いました。こちらも旧家になられ近世の墓誌はおありですが、初代から7代さんまでの新たな墓誌の作成になられました。搬入下地の清掃設置裏表を使い彫らせていただきました。ありがとうございました。9月16日昌源寺様墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。写真はピンボケ少しブーム足りずお世話様になりました。9月9日持光寺様墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。1件目2件目共に同じ墓地での納品になりました。お寂しい事と存じます。8月23日内田墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置ご生前中はお世話様になりました。7月27日持光寺様墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置お世話様になりました。6月21日妙蔵寺様墓地にて
字彫りの出来た墓誌の納品を行いました。設置続いて2件目これから設置今回墓地が隣のお方で墓誌を2枚重ねで搬入しました。お寂しい事と存じます。6月14日昌源寺様墓地にて