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四国遍路の旅は、時代と共に変わってきました。古くからは、自らの修行のため。さまざまな苦しみから救いを求めるため。亡くなった家族の供養のため。お遍路さん、それぞれの思いを胸に・・・時には・・・犯罪を犯した者。苦しすぎる、病に疲れ果てた方。そのような、自分の居場所を失った人々が、お大師様に救いを求めて、四国遍路を歩いた歴史もあるそうです。同行二人。遍路の旅に出ている間は、いつも、お大師
明治時代には、神仏分離令によって、廃寺となった札所が多くありました。神仏分離令とは、簡単に言えば神社とお寺を完全に分離させるということです。かつて日本国の神社と寺院は、「神仏習合」という考えの中で同じ境内に一体となって、多く存在していました。神宮寺が神社の近くに建てられ、読経が行われる一方、寺院が守護神として神様をお祀りするという形が形成されていました。四国霊場にも、このような寺院が多くあって、明治の「神仏分離令」によって分割されたのです。この
ちなみに、四国霊場はなぜに、88カ所なんでしょうか!?(笑)「日本人の主食である、米の字をバラバラに分解して88。」「男の厄年、42歳。女の厄年、33歳。子供の厄年13歳の合計が88。」等々、諸説あります。が、四国八十八カ所霊場会では、お釈迦様が説いた「四諦(したい)」の法で、「見惑八十八使」が説かれていることが88の由来であるという説をとっています。「見惑(けんわく)」とは、「煩悩」のことです。弘法大師空海
江戸時代になり、高野山の修行僧「真念」により四国遍路初めてとなる案内書(ガイドブック)が作られました。(1687年)この本を「四国遍路道指南」(しこくへんろみちしるべ)と言います。真念は、20回以上も四国遍路を回った人で、迷いやすい場所に道標を建てたり、宿泊所を建てるなど、遍路道を整備した先達さん(お遍路さんの先導者)でもあります。四国遍路道指南では、初めて1番から88番までの札所番号が付けられました。さらに、各札所のご本尊の姿絵や、納札の書き
お大師様は四国での修行の時、四国四県各地に、お寺を開いていかれました。その数、なんと39カ寺にも及びます。お大師様が高野山の地で、62歳の時に入定(即身仏になること)されると、お大師さんの弟子、行者、修行僧が数多く四国の地を訪ねるようになりました。彼らはお大師様が修行した土地や、お大師様が開いた寺など、その足跡を追いかけるようになったことが、四国巡礼の原型だと言われています。四国巡礼の修行は当時、行者や修行僧だけが行うものでした。
四国遍路の歴史の中では、お大師様の存在は絶大です。四国遍路の旅は、「同行二人(どうぎょうににん)」といって、まさにお大師様と自分の二人で歩いていく道です。四国遍路とは、すなわち・・・「弘法大師信仰の道」です。お大師様は、今の香川県に誕生されて幼名は「真魚(まお)」と名乗られていました。京都の大学で高級官吏(役人)になるため勉学に励んでおられましたが、お大師様の心は「仏教」へと移っていきました。大学を辞めて、唐(中国)に渡り密教を学んだ
四国遍路の起源は、「邊地の信仰(へちのしんこう)」に行き当たります。「邊地の信仰」とは、日本国、古代からある思想で大自然の中に己を置いて、山野や海のほとりをめぐって、修行を行うことです。同じく、日本国古来の思想である「常世の国」(とこよのくに)(不老不死の国)への信仰にも通ずるものであります。飛鳥時代から奈良時代には、「行者」と呼ばれる人々が、吉野(奈良県)や熊野(和歌山)の邊地に入って過酷な修行をしていました。やがて、行者たちは海
生涯、一度は四国八十八カ所へ巡礼したい。お大師様と共に、遍路旅に出たい。しかし・・・さまざまな事情によって、(四国から遠い、ご高齢、お体が不自由等)諦めているあなた様に代わりまして、私、橋本克己(香川県丸亀市)が、代理参拝させていただきます。正直に・・・誠実に・・・今のような、閉塞的な時代だからこそ・・・わたしは、行動します。詳しくはこちらへ。
一昨日の日曜日に、お大師さんが自ら「空海」と名乗った場所。高知県室戸岬の少し東にある、「御厨人窟(みろくど)」に行ってきました。海水に侵食されてできた、奥行き約10ⅿくらいの洞窟です。お大師さんは19歳の時に、ここ「御厨人窟」にこもり、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行をされました。この時、空の明星がお大師さんの口に飛び込み求聞持法を成就したと悟りました。その時に、御厨人窟から見えた景色が「空と海」だったことから、自ら「空海」と名
2019年9月15日(日)12月28日(土)。高野山奥の院にて、満願成就させていただきました。読経の途中から、涙が溢れてきたことを思い出します。写真は、奥の院への入り口。「一の橋」です。奥の院へと続く参道です。両サイドには杉の巨木と、墓石、石標が立ち並びます。代理参拝人として、依頼主様の御心と共にこの参道を歩く時が来るかもしれません。奥の院への最後の橋、「御廟橋」のたもとに並んでいる「
2019年(令和元年)8月16日(金)。1巡目の四国遍路結願成就。2019年(令和元年)12月22日(日)。2巡目の四国遍路結願成就。ほとんどが日帰りでの巡礼でした。通し打ち(一気に巡礼すること)でしたら約1,400㎞の道のりですが、僕の場合は、「3,224㎞」走りました(笑)八十八番、大窪寺のお大師さんです。二天門です。大窪寺に向かう、歩き遍路道です。いつかはココを・・・歩きます!秋には、紅葉狩りで賑わ
昨年(2019年)僕は、バイクで四国遍路を2巡しましたが生涯のうちに1回は「歩き遍路旅」に、出てみたいものです!バイク遍路旅とは、また違った景色と感情。心の持ち方が変わるのでしょうね!?かなりの年配の歩きお遍路さんを、多く見かけました。感服いたします。どうしても、(諸事情があって)四国遍路旅に出られない方達に代わって、代理での四国巡礼遍路旅の準備をしています。正直に、誠実に・・・。71番札所、
一昨日の日曜日に、愛媛県松山市へ、HP製作の打ち合わせにいきました。「四国遍路代理参拝」。一度は回りたいけど、ご高齢、四国までが遠い、仕事が忙しい、時間がない、お体が不自由等々。どうしても、ご自身でお参りできない皆さんの代理として、ウソ、偽りのない精神で巡礼します。昨年(2019年)の巡礼では、バイクとはいえ、お四国参りには体力と精神力がかなり必要であることがわかりました。(当然ですが!)実際に自分で体験して、改めて「お大師さん」
急ピッチで進めている、「四国お遍路、代理参拝」。明日、愛媛県松山市でSE、HP制作をしている、僕の子分(イヤイヤ!お友達です!!)(笑)の所へ行って、新しいHPの打ち合わせをしてきます。僕のHPを見てくれた方が、わかりやすくてウソ偽りのない、正直なHPにしたいなーと、考えています!本来なら、1か月ほど時間が必要なHP制作ですけど・・・・・・・・・・・・・・・3日で作らせます!!!(笑)がんばれー!!^^松山市、石手
四国お遍路、代理参拝。急ピッチで、作業進めています。どんな仕事でもそうですが、「信用」が一番で、一番「難しい」ですよね!「信用」いただけるように、努力します。「四国遍路代理参拝」ネットで調べてみたら、住所も記載していない(携帯番号のみ)???っていう、お方(業者?)もいましたね。中には、結構古そうなものもありました。どんな世界でも、怪しげな輩がいるもんです。僕は、すべてオープンで!!!お大師さんの怒
前回の投稿で、四国遍路に出たいけど事情があって出られない方の代理で、僕が代わりにお遍路しようか?という投稿に、嬉しいことに賛同してくれるメッセージを複数頂きました。やりましょう!!!(笑)人様の前で言い切った限りは、前進あるのみです!!しかし、これも気になっていたことなんですが、「お大師さんでお仕事してもいいもんだろうか?」なんか、お大師さんに叱られそうな気もしてましたがよくよく考えれば、札所、高野山のお坊さん職員さん先達の方旅行
実は、今年の正月明けからぼんやりとですが、考えていることがあります。それは、昨年2巡のお四国さんの道中で、札所の駐車場とか、階段の下で年配の方や車いすの方が、般若心経を唱えているんですね(ご家族の方と)一人や二人ではありませんでした。すぐに理解できました。それは、お歳体が不自由でご本尊、お大師さんのところまで行けなかったんですね。中には涙ながらに読経されている方もおいでました。その時僕は、勝手ながら「自分があなた様の代わり
四国八十八か所、高野山奥の院への巡礼。令和元年(2019年)は、僕にとって人生の節目になった年でした。55年もお大師さんの隣町に住みながら、ご縁を持てなかった自分に反省しつつ今年も回れる限り、遍路旅に出ます。無言のお大師さんに引っ張られ、無知のまんま走り出した、初遍路。道中、自分の小さな心。自分の卑屈な心。人様には言えない・・・悪事。(犯罪者ではございません)(笑)等々、そんな、自分を見つめ直せたお四国さんです。
僕にとっては初めての四国お遍路。過去記事では、バイクの話よりも札所の紹介をメインに書いてきました。実は、2019年中に2巡(ほとんど日帰りで)四国霊場結願、高野山満願させていただきましたが、1巡目の行程と2巡目の御朱印を紹介していこうと思います。御朱印マニアの方には、喜んでもらえますかね!?(笑)室戸岬夫婦岩。1巡目のお遍路記録。2019年3月31日(日)一番札所霊山寺~10番札所切幡寺。走行距離230,9㎞。
バイクでお遍路の旅も、いよいよ高野山へ!高野山は、和歌山県、奈良県、大阪府との県境にあり、標高900ⅿの盆地にある和歌山県高野町全域が聖地となっています。お大師さんが御年62歳の時に入定して以来、今なお人々の救済をお祈りしてくれている場所です。四国からは、徳島港から南海フェリーで和歌山港へ渡ります。約2時間の船旅です。乗船を待つ、一番乗りの銀さん。和歌山港から、国道24号線和歌山県道371号線を東へ約2時間半で、高野山の「大門」まで到着し
八十七番から、香川県道3号線、377号線を南へ約20分。四国遍路の旅結願寺である、香川県さぬき市の大窪寺に到着です。ついにここまでやってまいりました!お大師さんを思い、自分の過去を思い、縁を持たせていただいている方々を思い、ちびちゃいバイク「銀さん」と共に走ってきた、四国巡礼遍路旅も最後の札所となります。高さ12ⅿの四国霊場最大級の「仁王門」です。山王門とも呼ばれていて、四国霊場結願寺にふさわしい、威風堂々とした仁王門でした。本堂です。
丸亀城の石垣復旧工事の現場です。きょうも、解体工事が進んでいます。2020年3月2日現在。丸亀市民として、1日も早い復旧を願っています。
高知2つ目は25番札所津照寺「地蔵菩薩」完成\(^o^)/今回も、深〜い色合い。途中、熱中しすぎて、気がつけば肩がちぎれるかと思いました( ̄▽ ̄;)詳しい制作過程はこちらから↓http://blog.livedoor.jp/sui_soleil/archives/23637424.html2月も後わずか。はや〜い、早すぎる😅💦
八十六番から、香川県道3号線を南へ約15分。さぬき市の八十七番札所、長尾寺に到着です。源義経の側室、静御前が出家した寺としても有名です。平坦でゆったりとした空間が広がる札所でした。大きなわらじが特徴の仁王門です。地元の皆さんからの寄贈品だそうです。梵鐘を吊るしてある、数少ない仁王門となっています。非常にゆったりとしています。左が本堂で、右が大師堂です。本堂です。お大師さんがこの地を訪れた際、正月7日間にわたって護
八十五番からケーブルカーで五剣山を下り、国道11号線を南東へ約10分で、志度湾に面したさぬき市の八十六番札所、志度寺に到着です。志度寺の歴史は、讃岐の札所では最も古く、飛鳥時代に尼僧が建てた小さな御堂が始まりです。遠景からの仁王門です。同じく仁王門です。左手は五重塔です。同じく仁王門です。仁王様は、あの有名な「運慶」作です。表の大きな藁草履が印象的でした。本尊や脇侍も含め、国の重要文化財になっている本堂です。志度寺は
八十四番、屋島スカイウェイを南に下り、国道11号線、高松市道を東へ約20分。八十五番札所、高松市五剣山の8合目にある八栗寺に到着します。五剣山です。もともとは、5つの峰がありましたが宝永の大地震(1706年)によって崩落し、今現在の4峰になっています。八栗寺へはケーブルカーでトコトコ上がっていきました。料金は往復で930円(大人)です。線路は1本のために、こちらで交差します。山門です。ケーブルカーの山上駅から、広い参
八十三番から、香川県道193号線、国道11号線、無料になった屋島スカイウェイを北東に約40分で、源平合戦で有名な高松市屋島にある八十四番札所、屋島寺に到着です。源平合戦、壇ノ浦の戦いで敗れ去った平家の最後の地であり、何か因縁が感じられる札所でした。山門です。駐車場からは一番遠いところにあります。東大門からいったん境内に入って、改めて山門をくぐりなおして合掌、一礼して入りなおしました。朱の鮮やかな、東大門です。駐車場からまっすぐ歩くと、こちらの
八十二番から、五色台の山道を東へ下り香川県道16,176,12号線を南東へ約30分。高松市郊外にある八十三番札所、一宮寺に到着です。もともとは讃岐の国、一の宮「田村神社」の別当寺でした。が、明治の神仏分離令よりも200年も前、江戸時代高松藩主松平頼常によって、田村神社の別当寺としての任を解かれたという珍しいケースの札所となっています。山門です。駐車場からは一番遠いところにあります。駐車場前にある裏手の門です。初めての参拝でしたので、
八十一番から、同じ五色台にありながら高松市に入り約15分で、八十二番札所根香寺に到着します。根香寺は、お大師さんが建立した「花蔵院(けぞういん)」と、お大師さんの甥にあたる、智証大師が建立した「千手院(せんじゅいん)」の2院の総称となっています。山門です。駐車場の真ん前にあります。山門を入ってすぐに下りの石段を下りて大師堂。大師堂から上りの石段の上に本堂があります。本堂です。本堂の中は入ってすぐに左回りで、「万体観音の回廊(多くの小さい観音様
八十番から国道11号線、香川県道16号線を五色台の登り坂道を走ること約20分。八十一番札所、白峯寺に到着です。五色台とは、赤嶺、青峰、黒峰、黄峯、白峰という土色の違う5山の総称で、台形の形をした香川県特有の山です。瀬戸内海国立公園に含まれてもいます。山門です。五色台山中の、こじんまりとした山門でした。手前の橋の下には、お大師さんが眠られています。金剛杖を持ってお参りされる方は、橋を渡るときは絶対に杖をつかないでくださいね!お大師さんが、目を覚