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カレンダーは三連休です。夏休みを合わせて10連休って方もいるようで羨ましい限りですw前回ご紹介した三十三間堂から京都国立博物館を挟んだところに、方広寺という天台宗のお寺があります。ここは豊臣家の運命を決めた釣鐘があるお寺です。そう、徳川家康がいちゃもんつけた「国家安康」と「君臣豊楽」の銘が打ってある釣鐘です。重要文化財なので鐘楼の中に入ることはできませんが、下の御朱印いただいたときは、鐘の下まで入って中も見れたような気がしますが・・・記憶違いかもw
豊国神社にある鐘に彫り込まれている有名な一文。豊臣家に対して徳川家康が文句を付けた一文ですね。ちゃんとマーキングされているのがありがたいです。
7月26日の歴史方広寺鐘銘事件!!1614年7月26日徳川家康が豊臣秀頼が作った京都・方広寺の大仏の鐘にある「国家安康」の文字に対し家康の名前を分けて呪っていると言いがかりをつけ落慶法要を延期させる大坂冬の陣のきっかけに!!徳川家康の承認を得て、開眼供養の日を待つところが家康は同年7月26日に開眼供養の延期を命じる秀頼が奉納した鐘の銘「国家安康」に対し徳川家康から言いがかりをつけられる!!大坂の陣の原因にもなったとされる方広寺鐘銘事件!!「国家安康」「君臣
京都国立博物館裏手から路地に入っていくここの先に目的地はある普通の路地で、まっすぐ行ったら行止りだった( ̄▽ ̄)ちょいともどって回り道そして、目的地に到着大仏殿跡地緑地かつて、ここに奈良東大寺の大仏より大きなものを作ろうとこの地にたてたのであるいまは、跡地大仏殿を想像することすらできないくらい普通の住宅地の中にある説明看板は写メしたが周りを撮るの忘れたとりあえず、ここが大仏殿だったという痕跡は説明看板がここに建ってたという語りだけ当時のものは、発掘されたが埋め
脳梗塞をしてから、階段がしんどいので長らく秀吉さんのところへ行ってませんでした。「行かなあかんなあ。」と思いながら、行けてなかったです。ところが❗なんと秀吉さんが豊国神社で神様修行をしてる。ということでとよくにじんじゃに平成のお礼参りに行って来ました。ほうこくじんじゃではありませんよ。ナビに入れる時はとよくにじんじゃです。国宝唐門です。唐門に掛けられた「豊国大明神」の扁額修学旅行の子達が次々と参拝してました。お酒と赤飯のおにぎりをお供えして、識子さんCDを演奏させて頂きました。Yo
今日は火曜日今日は朝から雨降ったり、また晴れたりといった不安定な天気だった静岡市内建築屋は工事現場での仕事の日は雨が降ると作業がしづらく、仮に夏で暑い日であっても快晴の日の方が有難いといった職業だったりしますと今宵のブログは、ここ最近のニュースでは4月1日に発表されるという『新しい元号が何になるか』という話題が連日報じられてますが、仕事の事務用品などで「平成表記」のものなどは全て替えないとならないので皆々様注目してる事でしょうネところで、元号って何を参考にして
豊国神社の続きです。素敵な建物…京都国立博物館の前を通り豊国神社→方広寺へ行きます⛩豊臣秀吉公を祀り、全国に点在する豊国神社の総本社。豊国神社(とよくにじんじや)豊国神社のとなりには、鐘銘事件【しょうめいじけん】の鐘で有名な方広寺があります。実際に鐘を見て、あまりにも大きくて驚きました。東大寺、知恩院の鐘とともに日本三大名鐘といわれるこの鐘は、高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tもあるそうです。国家安康の梵鐘(重要文化財)国家安泰・君臣豊楽の文字が
おはようございます。昨日はお休み。Oさん♂に付き合ってもらって耳塚の芸能人の名前読み取りに出かけた。いちおう書き写し第2弾が出来るくらいまでしつこく見て来たけどまだ、メモが正確でないところや分からないところも結構残ってる。朝はそれなりに起きてたけど昼過ぎ集合なので朝はのんびりしてCOOPに榊を買いに行ったりしてた。11時10分の直Qバスで京都へ。12時少し前に先生と会ってピザでワイン一杯と提案したがうどんの方が良いという事でつくもうどんに行ったが満員であきらめ
おはようございます。今日は1月23日123の日です。123と言えば「1、2、3、ダー!」「アン.ドゥ.トロア.」なんだかとんとん拍子で、物事が進みそうな印象です。リズムに乗ってすごしましょう。今日は羅山忌江戸時代の儒学者・林羅山(はやしらざん)の1657(明暦3)年の忌日。出典Wikipedia林羅山は江戸前期の儒者・朱子学者。京都生。名は信勝、字は子信、通称は又三郎、別号に道春・羅浮子・浮山・羅洞等。藤原惺窩に学び、徳川家康以下四代の将軍に歴仕して封建教学・
続きです。和菓子作り体験の部屋に飾られていた梅と鶯。お菓子でできているそうです。この牡丹も、砂糖菓子だそうで。このお菓子の花は京都の和菓子屋さんではよくある物あるらしいです。お菓子で作られた器だって❗💗そして貝合わせ噂に聞く和菓子「貝合わせ」後ろには行器(ほかい)がある(行器は「外居」とも書きます。身分の高い人やお金持ちのお弁当箱です。)買って帰りました(。-∀-)ニヤリ🎶ついでに豊国神社へ。車をこちらに停めていたので、お詣りもさせていただくこ
国家安康、君臣豊楽という銘文は、意図的なものである、という意味なら、そうです。まさかこんなナイスな並びが偶然出来上がるはずがないのは、誰が見たって明らかです。これを書いた東福寺の僧・清韓(大河ドラマで植本純米さんがやった役)は、充分、学識のある人物です。うっかりこんなものを作るはずがないんで、本人もこれは和歌によくある「隠し題」だと言っています。つまり、これは「悪戯」みたいなもので、家康と豊臣の文字をもぐり込ませて「お、これ書いたヤツ、ウマいな」と思われたかった、って程度の話なんです。しか
方広寺天台宗方広寺山号:なし宗派:天台宗本尊:盧舎那仏創建年:1595年(文禄4年)開山:古渓宗陳開基:豊臣秀吉別称:大仏殿所在地:京都府京都市東山区茶屋町527-4京都市東山区茶屋町にある天台宗の寺。通称大仏殿、京都大仏とよばれ、山号はない。1586年(天正14)豊臣秀吉の発願によって着工、1589年完成。開山は木食応其。漆を塗り金箔を置いて彩色された木造毘盧舎那仏(大仏)が大仏殿に安置されたが、
三十三間堂の1,000躯の千手観音立像を見るために自宅を車で出発したのは10月20日(土)19時頃。他にも気になる場所を訪れます。給油してから京都へ。19:23東関道:谷津IC20:07本牧JCT20:30横浜町田IC20:41海老名SA着夕食21:35海老名SA発道路順調、渋滞は特になし。22:10御殿場JCT23:23浜松SA着休憩。23:34浜松SA発順調。00:13豊田東JCT00:41四日市JCT00:54亀山JCT日が変わり
今日の銘柄2372アイロム3655ブレインパッド4592サンバイオ___________今日の損益+64,448円今月の累計+491,613円本能寺をあとにして漢字博物館に行きました。その年の世相を表す漢字がたくさんありました。今年の漢字にも応募してきた。親子連れで行くのがお勧めです。悪縁を断つので有名な安井金毘羅宮に行きました。縁切りたい人・・・いるけど職場だし無理そうなので諦めてw、素敵な女性との良縁を祈ってきました。悪
鶴見店の岩倉です!実は神社とかお寺とか歴史建造物は好きなんです!京都に行ったら1日では周りきれないくらい行きたい場所が沢山あるんです!笑その中でも思い出のある場所を紹介します!ここです!これだけではわかりませんが、京都の方広寺というお寺です!歴史が好きな人は知っていると思いますがここの鐘に刻まれている言葉がある事件を巻き起こしたんです!国家安康君臣豊楽これは江戸時代に入ったばかりの時に家康が豊臣に対して文句をつけたんです!徳川家康に対して名前を分断し身を切断すると言って不吉な言葉
方広寺鐘銘事件が、大坂の陣が起こったきっかけ、と言われています。たかが鐘の話で、ってひともいますけどね。「国家安康、君臣豊楽」なんてお見事な並びが偶然できるわけがないんで、これは豊臣方が意図的にやった「イタズラ」です(原文を書いた植本純米さん演じる僧が「真田丸」でハッキリそう言ってます)。日本国の常識として、家康という「諱」を呼んだり書いたりしていいのは天皇だけです。それを勝手に使って、あろうことか真ん中で分けるとは、まあ呪詛とまではいわないまでも、豊臣は家康をものすごく軽く見ている、まだ
桂離宮からタクシーで五条までその途中にある方広寺(ほうこうじ)へ全く聞いたこともないお寺ですが、これが有名な場所ですって知らなくてごめんなさいね国家安康の鐘、方広寺鐘銘事件高さ4.2メートルの大きな梵鐘の銘文の一部に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていたのが家康すなわち徳川が分離し豊臣が繁栄するととらえて、家康の怒りに触れ、大阪冬の陣夏の陣が起こり結果的に豊臣家滅亡へと続くのである。(国家安康君臣豊楽の文字は方広寺の梵鐘(鐘)に書かれてい
三十三間堂に参拝した後、北に向かってぶらぶら散歩。まずは豊国神社に到着。国宝の唐門。伏見城から移築しました。絵馬が瓢箪。草履の絵馬もありました。考えてるね。隣にあるのが、方広寺。大きな鐘が鎮座します。これが大坂冬の陣の原因となった、有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれた鐘。こんな歴史的な鐘が生で見られるというのは、結構驚きですよ。次に訪問したのは、六波羅蜜寺。有名な空也上人像を見たかったのですが、時間が遅くてみられませんでした。顔や身体が
桂離宮から昼食の予約時間まで時間があるのでタクシーの運転手さんが寄ってくれたのが、歴史的に有名な梵鐘がある方広寺方広寺高さ4.2メートルの大きな梵鐘の銘文の一部に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていたのが家康の怒りに触れ「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の名を引き裂いて呪詛するもの」といいがかりをつけられて、その後の方広寺と豊臣家の数奇な運命が始まるのはあまりにも有名な歴史の出来事です。それが大坂冬の陣へとつながりました。こ
うっちーこと宇都宮芳綱です先日、こんな合成にトライしました昌幸さんに君臣豊楽が付いた時は(詳しくはこちら)、防御力40%アップはなかなか優秀だったので、発動率がイマイチではありましたが、このまま使い続けていくものと思っていたのです偶然ではありますが器にも対応してたので、最近では器防部隊の要としても活躍していましたですが、スキルインフレで流石に見劣りしてきたので、入れ替えようと思った次第です花椿も悪
方広寺はあの秀吉が両親の菩提を弔うために建立されました高さ約19メートルにも及ぶ大仏があり大仏殿と呼ばれていたそうで奈良の大仏よりも一回り大きかったとか…その後慶長元年(1596)伏見大地震で大仏は崩壊1798年の落雷により大仏大仏殿共に消失現在方広寺には慶長19年(1614)に完成した4メートルの梵鐘のみ残されています「国家安泰」「君臣豊楽」の文字が刻まれたことで家康の文字を切
15時から予約してある和菓子づくり体験それまで1時間ほど時間があるから近くの神社に豊国神社隣接する方広寺のこれを見るのだ想像以上に大きい鐘にはびっくりだけど文字が見えないじゃん国家安康君臣豊楽ちゃんと白字で枠まで付けてくれてるけど違う角度からからでも無理かそしてちょっと早いけど予約の和菓子屋さんへあむろん3時から予約しているあむろんです店員甘春堂さんと違いますか?あむろんえっ店員豊国神社の前ですよ店の看板は確かに
さて、2回目の秋の奈良今年の紅葉は🍁奈良三昧!11月11日の奈良公園です。そして、この日の1番の御目当ては…歌舞伎です‼️市川海老蔵さんの古典への誘い奈良百年会館で見てきました。私の勝手な思い込みなのですが、毎日海老蔵さんのブログを見ているので、まるで親しい知り合いが舞台に出てるような錯覚を覚えました。(笑)こんな風に感じてる人が、いっぱいいるのでしょうね!ふふふ😄これは伊達男の役!迫り来る悪者をちぎっては投げみえをきり、ちぎっては投げみえをきり…男前でした!こちらは身替
ちょっと日にちがあいてしまいました。すいません。さてさて、今回は東福寺の紅葉を見だ後にお次は京都国立博物館に向かいました。そう、リアルタイムでブログにも載せました。国立博物館で、国宝展を見に行ったんです。その時の様子がこれ。前売り券は買ってたので、すぐにスッとは入れたものの•••ナント50分待ちと言われ、一瞬ひるむ。←長蛇の列で並ぶのが嫌いな人。でも、教科書にも載ってる源頼朝の絵がどーしても見たくて並んだわ。結局は35分程で入場出来たけど、まーーー人、人、人だらけ
かって、京都の大仏で有名だった方広寺の鐘の「国家安康君臣豊楽」という語句の部分なのですが、歴史の教科書で分かりやすいように画像を加工して囲んでいるとばかり、勝手に思っていましたが、現物を囲んでいたのですね。勉強になりました。日々勉強です。これからも、二歩進んで、三歩さがっていきます。
若宮町から五条大橋を経て若宮八幡宮と方広寺まで歩きました。五条大橋西詰の中央分離帯にある牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の石像です。御影堂扇(みえいどうおおぎ)で有名な御影堂(新善光寺)の跡地付近にある扇塚です。五条大橋から見た鴨川と比叡山です。清水坂にある現在の若宮八幡宮です。清水焼発祥の地なので若宮八幡宮は陶器神社とも言われています。若宮八幡宮の駒札です。ついでに訪れた方広寺です。ここに来たのは15年ぶりぐらいです。方広寺の鐘です。有名な「国家安
京都国立博物館を右手に大和大路通を上がっていくと豊国神社がある。日本ばんざーい的な名前の神社だが、豊臣秀吉が祀ってある。実はいろいろな場所に同じ名前の豊国神社があるようだ。立派な感じ。脇にはひょうたんの形をした絵馬に願い事が書いてある。ひょうたんは秀吉の馬印だ。と、友人が教えてくれた。友人が有名な釣り鐘を見たいと言うので、方広寺へ。あれっ?通り過ぎた。豊国神社のすぐ脇か。道路に出ないで豊国神社を通っていけたかも。あったあった。誰もいない。。。ファ~。立派