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78年、岐阜県の鈴蘭高原(スキー場。7月26日)、東京・大田区の、田園コロシアム(10月8日)で行われた2大屋外ライヴの音源を2枚組に編集した3枚目のライヴアルバムです(78年12月発売)。このときのメンバーは財津和夫さん(Key,G,Vo)、吉田彰さん(B,Vo)、安部俊幸さん(G,Vo)、上田雅利さん(Dr,Vo)、姫野達也さん(Key,G,Vo)。セットリストがほぼ全く異なる二つのライヴではありましたが、収録されている曲は、数曲を除いてほぼすべて、
兄の影響で好きになったチューリップの話の後編。1977年6月5日シングル「ブルー・スカイ」発売。11月5日ベスト・アルバム「チューリップ・ガーデン」発売。チューリップ・ガーデン[チューリップ]楽天市場3,352円このアルバムが家にはあった。(もちろん、兄が買ったもの)これが素晴らしいベスト・アルバムで、レコード2枚組の全24曲。チューリップを知るには、このアルバムさえ聞いとけばだいたい掴みはOKというシロモノだった。いや~聴いた聞いた。兄には内緒で。
ニューミュージックにおいて、オフコースと双璧をなすのがチューリップ。チューリップ(TULIP)1970年に結成。1971年2月自主製作シングル「柱時計が10時半」2000枚発売。6月5日シングル「私の小さな人生」発売。1972年6月5日メジャー・デビュー・シングル「魔法の黄色い靴」、アルバム「魔法の黄色い靴」発売。魔法の黄色い靴[チューリップ]楽天市場1,655円財津和夫:キーボード、ギター吉田彰:ベース安部俊幸:ギター上田雅利:ド
「前年「ブルー・スカイ」(77年6月発売)がひさびさのスマッシュヒット、アルバム「WELCOMETOMYHOUSE」(77年8月発売)も高い評価を受けたことで新たなファンも増え、安定した活動をしていた頃に発売されたアルバム(78年9月発売)。メンバーは財津和夫(Key,G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,B,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,B,Vo)。この年は、リーダーの財津和夫がソロ活動を行うようになったり、夏には岐阜の鈴蘭高原
「シングル「風のメロディ」(76年9月発売)「ブルー・スカイ」(77年6月発売)がスマッシュヒット、安定期を迎えていたころのチューリップ8枚目のオリジナルアルバム(77年8月発売)。メンバーは財津和夫(Key,G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,Vo)。英語詞で、軽快なタイトル曲「WELCOMETOMYHOUSE」で始まり、さらに軽快でコミカルな「僕はライオン」、そしてイントロのアコースティックギタ
↑この記事で触れた若き日の・メジャーデビュー前のチューリップがほんの少し出演した映画↓戦争を知らない子供たち|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル1970年代を代表するフォークソング「戦争を知らない子供たち」を主題歌にした青春映画。学生運動終焉後の若者たちのしらけムード漂う70年代の雰囲気が満載。www.nihon-eiga.comもう既に1回放映済みだったんですね。次は来週8/21(土)朝7:20からです。トラックの荷台で歌唱するシーンですか
「心の旅」(73年4月発売)の大ヒットから続いていた、アイドルグループとしての扱いからほぼ完全に脱却し、自分たちのペースで、レコーディングとライヴ活動とに集中することができるようになっていたころの、76年8月11日、札幌・真駒内アイスアリーナと同じく8月28日、福岡・九電記念体育館でのライヴ音源を編集した、2枚組のライヴアルバム(76年12月発売)。メンバーは、財津和夫(G,KeyVo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫
作詞:安部俊幸作曲:姫野達也編曲:THEALWAYS「ステージ・ドア」1989年6月21日発表『HEN』8曲目ステージに続く扉に向かって時を見つめる生きている響き確かに受け止めベルが鳴りだす君の心を濡らす涙かわくまで夏空の陽射しにまけない輝きで歌おうWe'llSingasongいまつたえよう心にただ愛だけそれだけを君にWe'llSingasongいま抱きしめて届けようステージを飾る最後の音符(メロディー
財津和夫さんのオフィシャルサイトとライヴ会場で販売している、チューリップの正式なデビュー曲とされている「魔法の黄色い靴」(72年6月発売)以前に録音された5曲の音源を収録したCD(2018年発売)。曲目は1.柱時計が十時半作詞:末広信幸/作曲:財津和夫2.ええとこの子のバラード作詞:財津和夫/作曲:宗田慎二3.鼻毛の唄作詞・作曲:財津和夫4.ママがパパを愛したように作詞・作曲:財津和夫5.ちぃほあき森梟のうた作詞・作曲:財津和夫この当時の
チューリップ8枚目のアルバム(76年9月発売)。アルバム「日本」(75年12月発売)、ビートルズのカヴァーアルバム「すべて君たちのせいさ~AllBecauseofYouGuys」(76年6月発売)と、約1年の間に3枚のアルバムを出していることからもわかるように、レコーディングとライヴ活動とに集中していた時期で、このアルバムの収録曲にもさまざまな曲調やアレンジがかなり実験的に施されていて、彼らの音楽的な広がりがしっかり記録されている名盤といっていいと思いま
「アルバムタイトルをシンボライズしたジャケットデザインが印象的な、チューリップの70年代の傑作のひとつといわれている7枚目のアルバム(75年12月発売)。当時のメンバーは財津和夫(Vo.Key,G)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,Vo,G)。ライヴでもよく歌われた、軽快な「せめて最終電車まで」「あのバスを停めて」「あこがれ花の東京」絵本の世界のような「ぼくのお話」「木馬」、歌詞も曲も美しいバラード「都会」、そして
「チューリップ6枚目のアルバム(75年4月発売)。メンバーは財津和夫(Key,G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,Vo)。このころ、財津和夫が歌うシングルはヒットしないというジンクスがあり、例にもれず、先行発売の最新シングル「サボテンの花」(75年2月発売)は、ファンの間では人気が高かったものの商業的なヒットには結びつくことがなく、そのおかげで(かどうか)コンサートとレコーディングに十分な時間
「年少の姫野達也をリードヴォーカルにした3枚目のシングル「心の旅」(73年4月発売)が大ヒット、続く「夏色のおもいで」(73年10月発売)もスマッシュヒットし、アイドル並みにテレビやラジオに大忙しだったころ、先行シングル「銀の指環」(74年1月発売)に引き続いて出された4枚目のアルバム(74年4月発売)。メンバーは財津和夫、吉田彰、安部俊幸、上田雅利、姫野達也。裏面に歌詞を印刷した、スナップ満載の6つ折りの大型ポスターが楽しく、内容も、グループ内では自作の曲以
「リードヴォーカルをもっとも若い姫野達也に任せた「心の旅」(73年4月発売)が大ヒット、一躍人気グループとなって行われた、渋谷公会堂における、73年9月23日の、初の本格的ワンマンコンサートの実況盤(73年12月発売)。メンバーは財津和夫(Key,G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,Vo)。テンポアップした、ライヴの定番曲「夢中さ君に」で幕を開け、各メンバーのヴォーカル曲をちりばめながら、ディキシー
「心の旅」(73年4月発売)の大ヒットにより、おそらく急いでまとめることになった3枚目のアルバム(73年6月発売)。ジャケットには大きく「TULIPBEST」と書かれていますが、内容は、ヒット曲「心の旅」とそのB面の「夢中さ君に」のほか、それまでのシングルとアルバム各2枚から8曲、そして、このアルバムのための新曲が4曲、全12曲で構成されていますので、ハーフベストというかセミベストアルバムというかたちになっています。曲目です。A1.心の旅(3枚目のシ
「チューリップのセカンドアルバム(72年12月発売)です。メンバーは財津和夫(G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,Vo)。彼らの自信作でもあったデビューシングル「魔法の黄色い靴」および、同時発売のデビューアルバム「魔法の黄色い靴」(72年6月発売)は、一部では高い評価を得ながらも、一般的なヒットには結びつきませんでした。そこで、おそらくアマチュア時代を含めた多くの自信作のストックのなかから、さらに厳
https://ameblo.jp/2222picnic0213/entry-12288324220.html『『SomedaySomewhere』チューリップ1979年7月20日リリース』SomedaySomewhere2,654円Amazonチューリップ通算10作目にして2枚組のオリジナルアルバム。吉田…ameblo.jp1979年とは…・1月20日オフコースシングル「愛を止めないで」発表・3月25日サザンオールスターズシングル「いとしのエリー」発
「地元福岡での人気を後ろ盾にプロデビューを試みたものの、将来に不安を感じたメンバー2人が脱退、アマチュアバンドから3人を補強し上京、本格的に活動を開始したチューリップのデビュー盤(72年6月発売)。メンバーは財津和夫(G,Vo)、吉田彰(B,Vo)、安部俊幸(G,Vo)、上田雅利(Dr,Vo)、姫野達也(Key,G,Vo)。おもにアマチュア時代からの自信作から厳選しているようで、さまざまな曲調の楽曲が混在しており、そんなこともあってか、当時は明確なジャンルわけがされず、
41年前の今日は大阪に行ってました人生初の野外LIVEはTULIPの万博記念公園最後列で全くステージが見えなかったけど💦太陽の塔が私達に元気をくれました。甲子園の近くにある同級生の親戚の家に泊めて頂き8畳ほどの和室に雑魚寝という6人でワイワイガヤガヤと修学旅行みたいで楽しかったな~チケットを見ると次の日には名古屋公演を見に行ってたの?!うーんそちらは全く記憶なしこの頃は2日連チャンも当たり前な時代だったんだね名古屋城でも沢山のアーティストのライブが
↑3年前の6月5日の記事。「」:シングル(斜字)『』:アルバム↓↑スマホは改行が見辛くてごめんなさいです。パソコン推奨であります。1972年『魔法の黄色い靴』『君のために生まれかわろう』1973年「心の旅」1974年納得の名盤『TAKEOFF離陸』「青春の影」明盤『ぼくがつくった愛のうた』1975年「サボテンの花」名盤『無限軌道』名盤『日本』1976年ビートルズ楽曲・カバーアルバム『すべて君たちのせいさ』味盤『MELODY』