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古写真風に加工した相棒。顔出しはNGだが、笑顔ではない。手がちょっと大きい。背も高く見える。この風景は今はない。
これまで大丈夫だった花粉症の症状がで始めて体調が芳しくない家人がいるので、これまでのように好き勝手に外出できなくなった今日この頃です。なので整理(断捨離)するつもりで旧い写真帖など繰ってみるのですが、古いものには古いものなりに趣があってなかなか踏み切れずにいます。きょうはわが家に残る写真帖から一枚、昔の広島市街地の眺めを現在の姿と比較してみたいと思います。三滝の丘の上から望む広島市街地。(昭和38年(1963)10月撮影)60年前の広島です。手前には国鉄可部線の鉄橋が見え
広島県立図書館のHPで見つけた「筏流し」の写真に興味が湧き、いろいろ調べてみました。きょうはその続きです。まずは筏流しの歴史を紐解いてみたいと思います。友呼ばふ声もひまなし山川にくだすいかだや暮いそぐらむ則政はやせ川くだすいかだしいかばかりいとまも浪に袖ぬらすらん夭爾筏流しの始まりはいつなのかはっきりしないそうですが、江戸時代にはすでに存在したことは、明和5年(1768年)に加計の鑪師が著した『松落葉集』に「筏」と題する歌と絵が載っていることから確かなことだと思います
名古屋の代表的観光地の大須その中心の大須観音の本堂の移り変わりをまとめてみました昔、東向きだったのは名古屋のメイン通りだった本町通に向いていたためらしいですが今は南向きになってます五重塔は名古屋空襲の戦災で焼けたものと以前思ってましたが明治25年の大須大火で焼け落ちたそうです。
暖かくなったせいもあり、人出が急激に増えていますね。好天に釣られて、横浜の開港資料館で開催中の「幻の写真家チャールズ・ウィード」展を見てきました。今まで古写真と言えば、ベアトか日下部金兵衛と思っていたので、興味が湧いてきたのです。展示されている写真の点数はさほど多くないのですが、同じような被写体でも当然ですがイメージが異なり、現在の浜離宮で撮影した勝海舟の姿も見ることができました。もう一つ見たかったのは、横浜元町の百段公園という高台から撮影した外国人居留地の写真です。居留地は現
愛輪塾バイク図書館では、戦前の古写真なども収集しています。日本の産業史として何かに役立てばと思っています。欧米に比べて何かと遅れていたと言われる、我が国の工業技術ですが、資源量を除けば対等でした。客観的資料がそれを語っています。しかし、零戦の運搬を牛車でやったりとソフト面で劣っていたのも事実。多くの軍需工場が家庭内手工業的であり、それが東京大空襲の要因にもなりました。戦前のそうした技術があったからこそ、戦後の復興が可能だったのです。https://you
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考えるのはあなたです!パート1
↑12/19初氷の大仏池↑12/20うっすら氷の朝焼け鏡池↑12/23薄雪の鏡池ここ最近、寒い日が続いて、池にうっすらと氷がはりました。12/23には、奈良にも雪が降りました。白く積もるほどではなかったけれど、2時間ほど散策して写真をたくさん撮ってので後日紹介します。遅生まれの子鹿さんと遭遇、とっても可愛くて人懐こい。警戒心なくて、ぐんぐん接近してきます。冬毛の色でなく心配ですが、無事に越冬してほしいなぁ。12/21に巡った展覧会をご紹介。2つは新年にもやってますので、い
☆有田市辰ヶ浜漁港とスーパー松源が共同運営する、浜のうたせは大人気の海鮮市場じゃよ♪漁港で獲れた魚や地元の野菜など盛り沢山の品揃えで、京阪神からのお客さんが多いのう♪この小魚はヒメチと申しまして、拙者が童の頃は良く食べたものじゃが小骨が多くて食べ辛くいつも亡姉が身をしてくれたものじゃ♪ゲゲゲ!何じゃこの気味の悪い魚は(^_^;)マツカサウオはかなり鱗が硬いようで、しっかり蒸せば皮ごと剥けるようじゃな。ウチワエビは喰う身があまりござらぬが、まぁそこそこ甘味はござりまするぞ(^_^;)
今日の俳句輝けど冬天星の瞬かず木曽三川川面を埋む冬銀河宙(そら)の果て一際大きオリオン座冬星座遍路に同じ八十八冬昴(すばる)天空高き六連星冬北斗七星天をこぼさざる今日の短歌十一月二十七日「家内」冬の夜熱き茶飲みて語り合う思い出の写真横に並べて「私」古写真眺めて妹と思い出の話をすれば尽きることなし「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理
☆Yahoo!ブログの頃はよくやりました海南市の昔と今の写真を見比べる今昔物語を、久しぶりにやってみようかと思いましてのう♪こちらは過去の大きな台風による水害で、欄干が破壊されてしもうた井松原橋でござる。右上の建物の形に見覚えがござりまして、何とか撮影位置を特定出来ましたぞ(^o^)/こちらは同じ水害での東橋の古写真じゃが、位置はもはや想像するしかござりませぬ。もしかしたら画面中央の白い建物側から撮られた可能性も、捨てきれませぬのう(^_^;)こちらは拙者が通うた日方小学校の正門前の
今回は、最近買った本のことです今回は特に歴史関係が多かったです(^^ゞまずは気になって久しぶりに新書で買った雑誌です時空旅人古代倭と加耶加耶というのは、古代朝鮮半島の南部にあった連合国家のことだそうです古代日本(倭)とも関係が深かったそうで、現在千葉県にある国立歴史民俗博物館で展示会が行われているそうですその展示会と関連しての特集のようです古代日本と東アジアの文化は切っても切れない関係だけに、近くの国の古代のことを知ることは古代の日本をも知ることになるということと言えるそうです
こんにちは三連休初日の松江は風は強かったけれど良いお天気でしたまちかど博物館たくさんの方に来ていただきありがとうございましたさて展示中の古写真に葡萄酒の看板とこの店が写っているものがありますでっかーい看板!左の人と比べると大きさがわかるかと!古いポストもありますねこのモデルの女性はなかなか濃ゆいお顔です(笑)古い古い葡萄酒のびんと一緒に飾ってみましたステキなびんなのでまちかど博物館最終回の「硝子」の時にも展示します明日も頑張ろう今日も読んでいただいて
こんにちは松江は今日は曇天雨が降りそうですテレビでニュースを聞いて朝から心配ばかり・・北海道にも青森にも知り合いやよく読ませていただくブロガーさんもおられる穏やかな毎日が続くことをひたすら祈るばかりですさてまちかど博物館「焼き物と古写真」の回小さく小さくホントに小さく(笑)家人がこだわった所はさるかに合戦うさぎかめ誰か気づいてくれるだろうか昔話をくっつけて展示しただけですが(^^;)そして焼き物はわかる範囲で調べたもののひとつだけどこの焼き
こんにちは今日も暑い一日でした週末はたくさんの方にまちかど博物館の見学をしていただきましたありがとうございました遠い街からリピーターのお客様もあり本当に嬉しかったですさてさてまちかど博物館の展示物を週末あっちにやったりこっちにやったりやっと落ち着きました古写真前回の「紙」の回の物も少し残しました焼き物長浜焼松江焼布志名焼楽山焼などなどうさぎと亀島根県の焼き物いろいろこのセットなんとこの店の絵が描いてあるんですよ昔はホントに羽振りが良かった
こんにちは松江は良いお天気です10月に入りましたまちかど博物館も「紙」の回の物も若干残しつつ展示替えしました「古写真と焼き物」片付けして見つけた古い古いこの店に関係する写真と店にある江戸から明治時代に浜田の長浜で作られた長浜焼を展示します数はそれほどありませんがどれも興味深い物です10月は松江京店界隈もいろいろイベントがあるようですお近くに来られましたらよかったらお立ち寄りください11月の中頃まで展示の予定です途中で展示品も増えたり減ったり(笑)突然お休み
こんにちは昼間は暑い暑い松江でしたさてまちかど博物館「古写真と焼き物」の回の準備に励んでおります松江市の史料編纂課さんにパネルを作っていただいて感謝感激その中の一枚を眺めていたら・・これは明治時代のこの店の入り口で集合して写しているものですいろいろ気になります例えば女の人はいないように見えるのですがよーく見ると格子の後ろにこっそり覗いてたまたまか写っているのがわかりますご興味のある方拡大して見て下さいね〜で特に気になったのは・・このハッピ❗️裾の柄は
古写真ですけど、最近お気に入りなのがこの写真です。※.画像はお借りしました。若い夫婦なのか、それとも芸者と客なのか分かりませんが、ちょっとヘンな写真ですよね。何がヘンなのかといったら男性の左手です。中途半端に開いていて何かを掴もうとしているように見えますが、この状況で何かを掴もうとしているとしたら、それはもう刀しかありません。しかし、その刀は女性がしっかりと抱え込んでしまっています。「ねえねえ、僕が持った方がかっこいいから刀ちょうだ
日光田母沢御用邸造営当時の写真や、旧日光市の古写真を期間限定で展示するそうです。皆様もぜひこの機会に、当時の日光の様子をご覧になってみてはいかがでしょうか。開催日令和4(2022)年9月15日(木)~10月31日(月)※火曜日休園(祝日の場合は翌日)10/15~11/14は無休。会場日光田母沢御用邸記念公園見学順路内※会場は見学コースの後半だそうです。料金通常の入園料が必要だそうです≪入園料≫大人600円小・中学生300円幼児以下
昭和の時代に造られた復興天守はゼネコンのハザマ組が請け負ったのですがこの時代は全国各地で復興天守の再建ブームが起こっていました。太平洋戦争で焼失した名古屋城の天守閣も同じくハザマ組によって再建されました。名古屋城の復興天守閣は戦前に作成された実測図を元に計画されましたが、鶴ヶ城の復興天守は古写真を元に作成されたのですが、古写真には鯱が乗っている写真が無く、実際に鯱があったのかどうかが判明しませんでした。そのため当時名古屋城と鶴ヶ城の再建を請け
この写真は、フランス語で「Portraitd'unegeishatenantunéventail,Japon,circa1880(扇子を持つ芸者の肖像。日本。1880年頃)」というタイトルがついています。1880年というと明治十三年ですが、この写真をよく見て下さい。何か気づきませんか?そう、左手の中指に指輪らしきものをつけています。これが何か楽器を弾いていたり、あるいは裁縫など家事でもしている写真だったら、何か指にはめて使う道具である可能性もあると思
随分前から、私は鉄道の廃線跡を巡るのが好きなのである。最近は殆ど行っていないが、直近ではせいぜい旧信越本線くらいかな。廃線好きの究極としては、個人的には何と言っても旧士幌線が一番。北海道の帯広から十勝三股間の遺構。とりわけ有名なのが、タウシュベツ川橋梁で、こちらへは3度ほど足を運んでいる。最近の状態は、ネットなどで気軽にみられるのだが、当時の写真が見当たらない。思えばこの橋梁、森の真ん中掛かっていたのだろうから、写真など撮れないし、第一戦前の話しであるから。しかし唯一、橋
いつもご訪問いただきありがとうございますそしていつも、いいね♪フォロー、ありがとうございます。前回の更新はコチラから明治時代に歴史は改変された!その1・2・3・4・5『明治時代に歴史は改変された!その1.2.3.4.5』いつもご訪問いただきありがとうございますそしていつも、いいね♪フォロー、ありがとうございます。今日、この動画サイトと出会いました。巨…ameblo.jpMチャンネル「不思議考察」
以前記事にしました「鼓を打つ芸妓」とともに、名前のわからない古写真の美女としてネットでたびたび取り上げられている一人の女声がいます。この人。この女性、「鼓を打つ芸妓」と違って、少なくともどこの人なのかはわかっています。というのも、この写真は6人で撮影した写真の彼女の部分だけをカットしたものであって、その元の写真には「長崎の芸妓たち」というタイトルがついているからです。つまり彼女は長崎の芸妓さんだったわけです。そして元の写真はあることで有名です。それが何かは、見れば一目
昭和8年生まれの母がお稚児行列に参加した時の祖母との白黒写真。名古屋市東区の新出来町あたり。(カラー写真はソフトで着色してみたものです)
明治村にはもう何度も行っているのに、今回初めて知った場所がここ。小熊写真館です。となりのトトロの、サツキとメイの家のような可愛い外観。中に入ると、一階は和室。いかにも日本家屋という感じなのですが、これが2階に向かうと、洋館風になってきます。そして、2階のスタジオ。外から見た時に、太陽光パネルのように見えたのは、この明かり取りの窓だったのですね。写真撮影可だったので、撮ったのがこの写真。意識して昔風のポーズを決めてます。このままでも良いんですが、さらに昔風にしたくて、カメラアプ
昭和38年生まれの僕の世代がギリギリ記憶にある世代だと思うが呉にも1967年(昭和42年)まで呉市電の路面電車が走っていた。呉市電の路面電車は1927年(昭和2年)に本通9丁目~呉越間その後、呉越から広交差点を経て長浜まで路線が延長され1935年(昭和10年)には川原石~長浜間11、6キロまで延長され多年にわたり市民の交通手段として親しまれていた。長浜は東の終点で、長浜まで来た電車は折り返して広交差点を経て呉方面へと向かった。1942年(昭和17年)に大日本帝国海軍の要請
“カフェの間”通信便り【地域の歴史】古写真を見て古写真にキャプションを付ける作業が終わりました。以前から分かっていたこともあるのですが、この古写真を見て改めて感じることがあります。昔は今に比べて環境が煩雑していたり、清潔感がなかったり、不便であったりして大変なことだったと思いますが、私が思うに時の流れが緩やかだったのかなぁ‥と感じます。古写真の中では、すでに消失して不明確なものとなっているものもあり