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とにかく家族として(パターンとしての『買い物』以外で)の『お出掛け』というモノが極端に少なかった我が家。故に、逆にそういう事があった時には「細かいことを一々覚えている」…ような事が起こってくれる。(逆に「モト」は「楽しかった~!」の一言で終わりだろう)それが私としては親として以前に子供の気持ちとして切ない。そう、それはもちろん私自身が似たような体験の中で育ち、自分の子供にはそういう事はさせたくない、夫には「父
『子育て』を「男女」以前、金銭的負担以前に「父親」と「母親」の共同作業……として考えると、「モト」という人は本当に「子供がもう一人」……というレベルの人だったと思う。(だから「過去形」ではないって……ヾ(--;)ええ、よく言う「長男=父、次男=息子」ですよ。……と、思いたいけれども「マオ」や「タオ」が小学生に入った頃から少なくとも家族的基本常識は彼等の方
今はお相手はパリピさんオンリーで割と濃い日々を送っていますパリピさん、自分では、とにかく素直で思っていることをすぐに話してしまうそうです。本当にそうなら分かりやすいかもですね一回、経済観念の話をした時に、パリピさんが感情的になりました。もう会うのはやめようとも言われました私的にはビックリと同時に、そっかそっか、と納得の気持ちでした。でも、そこまでになるなんて、私の言い方も悪かったのかもしれないです結局は何でだか収まり、パリピさんは「自分にはこうゆうところがある」(感情的になると極
ここで、こんな風に考えた方も多いと思う。「別に、ベビーカーに乗せて行けばイイんじゃないの?」はい、「普通」の家はそうでしょうね~。しかし、当時の我が家に「未だ」ベビーカーというモノは無かったのです。「歩く無駄遣い」で、毎月本当に「ゼロになるまで」使い切るのがアタリマエ(使い切ったら「我慢」が始まる)の人だったので、そうしたものを『買えるだけのオカネ』すら貯まっていなかったのです。「モ
さて、お待たせ(?)の前回の答えから。「どうして?ボクは行きたくないよ!」…でした。いや、別にアンタが動物園に行きたがっているなんて、誰も思いませんけどね……!とにかくそんな感じで自分の身の回りのあらゆる事を「ボクちゃん」…のその場の都合と気分と見栄と世間体で決める人でしたが、特に『父親』
「下らないこと」で思い出したけれども、考えてみれば「モト」という人はあらゆる事を二極化していたというか自分が興味がある・やりたいこと=「高尚なこと」自分が興味が無い・やりたくないこと=「下らないこと」…という「無意識の意識」でハッキリ境界線が分かれている人だった。もちろん?「モト」にとって『家事』というものは「下らないこと」の最たるもので、本来は自分が知らないうちに「まま」か「小人さん」がやっ
無謀と思われるだろうが、そんな「モト」に子供二人を任せて一泊した事が一度だけある。30年来の親友である『ミヤちゃん(仮名)』が文字通り「はるばる」我が家にやって来てくれた時、二人だけで一泊観光に出掛けた時だった。「マオ」は大抵の事は一人で出来る年齢になっていたし、「タオ」は赤ん坊と言っても既に二才前後だった。自分のアタマの中では常に『自分は知性と教養に溢れた理想的な父親』…という意識があり、何よりも且つ
この世には、「実際にやったことは無いけれども、頭ではやり方を何となく知っている」…という事は多いと思う。卑近な所では料理や掃除方法だってそうだと私は思う。誰だって「最初にやる」時は上手く行かなくてもアタリマエだし、上手く行かなければ周りに聞いたり調べるなりして「練習」するうちに上手になって行くものだと思っている。何より、自信が無かったら事前に調べたり、知っている人に教えを乞うたりするだろう。
私の父と「モト」の最大の共通点と言えるのが「子供」=子育てというものに『本音では』全く興味が無い…ということだ。なんでって?そりゃ簡単だ。「自分が永遠の子供(で居たい)!」…人間だから。もっと言えば、自分のケツも始末だって誰かにやって欲しいってのに、ヒトのケツの始末なんてやってられるか!…という『無
前回書いたように「モト」がクリエイト(!?)したネタは「無限」と言えるくらいある。それでも結局その最終的な内容は「似たようなこと」なんだけど、つまりはそれだけ「同じような(嫌な)こと」…をヒト、特に「家族」、それも一番身近であるべき「妻」と「子供」に対して何度でも展開してくれる人=悪い事をしているという意識が全くない人、だということ。それは父も同じで一見の「外ズラ」は異常に良かったものの、根は気分屋なので日常
・・・( ̄_ ̄|||)え?「また」×何回目?????というか、こちらから「面接」の予定があるとか、「面接」して来たとかいう話が無い時は、毎回出して来ないか?その『履歴書の書き方講座』を受講しろ、という話題を!いや、それが『義務』だと言うのなら仕方がない。しかし『ラージ』の言動は常に本当に全く「初めて言って『やる』けど…」…という態度なのだ……!だったら一回くらい受けてや
・・・( ̄_____ ̄)ほんっとにコノ人は『自分の言ったことを覚えようという気が無い』どころか、「自分の言ったことをその場で忘れている」…んじゃないか?……と心の底から思った。(若しかしたら「桜田義孝氏」の姉妹なんだろうか???)「遠い」(=向こうが相手にしない)という理由で私が渋い顔したのに、「交通費出るわよ~!」と無視して話を進めてしまったのは誰だっけ???
『やっぱり』コノ人は面接する相手、つまり「ヒトの話」なんてマトモに聞いていないんだな~、と納得しつつ、「いえ、『最低6か月働ける人』ですよ……」…と言い返したのだが、目の前であっても興奮している『ラージ』の耳には全く届かなかったらしく「だからぁ!週に2~3日でイイのよっ!!」…知っているよ、アホ。それで、というかそれを「誰かさん」
「で、アレはどうなったの!?」…と、いきなり高飛車に迫って来るような『ラージ』ですが、私にとっては当然「想定内」。「あれから二度ほどメールしましたけど、返事はありませんね」落ち着いた声で返すと、これも「想定内」の質問をして来た。「アナタ、電話番号聞いてないの!?何で電話しないのっ!!」…( ̄ー ̄)「電話したところで、向こうがどう『言い訳』をして来るか判りますよね?
そんな感じで、紅茶一杯でも「妻」や「小人さん」が自分が欲しい時に、自分が思った通りに差し出して(&いつの間にか片づけて)くれるモノ、であった「モト」。それでも平日は飲むのが朝とお昼くらいでだったので「マシ」ですが、休日、尚且つ一日中家に居る、となると微妙な「神経戦」開始。そんな時の「モト」としては、「自分が飲みたい時」に、「私の方から」「お茶にしない?」…と声を掛け、「ああ、それもいいね」…とニコ
「料理編1」の中で、「モト」が自分で作る食事は「トーストとピーナッツバターと果物」に」「飲み物は牛乳」…となっていたのには、ちょっとした「裏」がある。それは「モト」が単に「牛乳が好きで、飲みたいから」…ということではなく(まあ嫌いではなかったけど)「(自分で)紅茶を入れるのは面倒臭い」という理由(とは口が裂けても言わないけど)だったから。いや、もし「モト」がコノ
思いっ切りポジティブな言い方をすれば「シンプルな人参チャーハン」…と言えたかもしれない。が、何故かあちらこちら焦げている上に全てが油でギラギラした状態で皿に盛られていたソレは、「何かの間違いで油を大量に掛けてしまった土砂」…みたいだ、と思った記憶しかない。それでも「出されたモノは食べる」というワザ?が身に付いていた私。更に言えば妊婦としての「空腹感」が、とっくに限界を超えていた
そんな「モト」であったけれども、実はトーストやスクランブルエッグ以外の「料理」を作ってくれた時が(やっぱり)一度だけあった。新婚時代……と言っても既に「マオ」がお腹に居る時だったのだけど、まだ一般的日本人が考える「ステレオタイプの欧米人男性像」…が私のアタマの隅に残っていた頃。時間の経過具合からして「モト」が休日の日だったのだろうと記憶しているのだけれども、私の具合がまた少し悪くなり、食事を用意する時間になってお腹は空い
パン・バター(マーガリン)・ピーナッツバター・果物・卵・牛乳。あと紅茶。…これだけあれば、特にこれらの品に「美味しい」という前置詞が付けば、「モト」は簡単にサバイバル出来たんじゃあないだろうか?と本気で思う。他の好物は「外食」か、「小人さん」に作ってもらえば良かったのだから。今なら「コノ国なら普通」と簡単に言えるけれども、「モト」の「トースト三点セット」だったパン・マーガリン・ピーナッツバターの消費量は凄
何回も書いているように、コノ国の『自称ベジタリアン』の一人だった「モト」は、当然のように料理=食事に対しても一家言も二十家言もある人でした(過去形にあらず)。でも「モト」の食事に対する基本、真のポリシーと言える事はただ一つ。「何で『ボクの嫌いなモノ』を作るんだ?」=ボクが食べるモノは常に正しい。…例えそれが世に言う「ジャンクフード」であろうと、『ボクはベジタリン』が食べる「フィッシュ&チップス」であろうと、「
15年以上の同居生活の中で、その時の状況ばかりでなく回数まで記憶しているほどインパクトが強い(?)「モト」によるアイロン掛け。もちろん自分から「やってやる」と言い出したからと言って、自分からサッサと支度してやり出す人ではなかったし、そこでもし私が「やっぱりいいよ、後で私がやるから」…とでも言えばもうそこで全て丸投げ!という態度ではあった。だから「自分がやる」とは言え、その前には私が自分のやっている仕事の手を止め、
例によってリプログです。…もう、特にコメントする事はありません。この話に出て来る彼女に対して「頑張って!」「大丈夫だよ!」…という気持ちだけです……!
洗濯もアイロンも「ママ」或いは「小人さん」が「自分の思った通り」…に『いつの間にか』やってくれるモノ、という感覚が染み付いていて、自分の日常生活の中でそれなりに機能していれば『アタリマエ』として受け止め、何も言わないのが「モト」。(注;「モト」の「何も言わない」は「文句も感謝も言わない」と同意)そんな「モト」ではあったが自分のお気に入りで尚且つ、その日か次の日にはどうしても着たい!……という「ボクのシャツ」がある場合などに
「モト」の場合、自分が絶対使うような「肝心なモノ」は自分で買いもせず人のモノを毎度横取りしたりするのに(←もっとも、「こういうヒト」も普通なのだ、ということもコノ国で学んだのだけど)自分が決めた「ボク(だけ)のモノ」…特に「ボクのシャツ」に対する執着と保有量はハンパでは無く、「モト」専用のパイプハンガーがその重みで何度も壊れて終いには歪んでしまうほどだった。(そして何度「同じ災難」に遭ってもその『原因』に真摯に向き合おうとはせず、全く同じパタ
「ボクのシャツ」大事!……で判るように、出会った頃の「モト」は常に『ちょっとカジュアルなサラリーマン』…という恰好をしていた。当時彼は某大手英語学校に勤めていて仕事にはネクタイ着用が義務付けられていたこともある。でもジャケットは強制ではなく、仕事以外でも上は俗にいう「柄ワイシャツ」のようなものが殆ど、そして下はコーデュロイかウール(又はそれに準ずるモノ)のズボンというスタイルがそれこそ制服のようになっていたのだが、
流石の「モト」も自分が『綺麗好き』…と言われては下手に文句は返せない。シブシブと同時に全身から「やってやる」オーラ満載に『講習』に臨んで来た。と、言っても基本は洗濯物を洗濯機に入れて水を入れ、洗剤を入れて回すだけ、何ていうのは誰でも判る事……のハズだった、「普通」なら。その日の洗濯物カゴには「ボクのシャツ」以外にも「モト」の下着や靴下、ハンカチなど細々したモノが数日分溜まっていた。
洗濯機を購入してから私の負担が激減したのは当然なのだけど、何度も言うようにそれでも「モト」自身が洗濯機を回したと言えるのは数えるほどだった。いつの間にか毎日洗濯機が回り、いつの間にか「ボクのシャツ」がアイロンが掛かった状態に戻っていたとしても、「モト」が言っていた言葉で思い出すのは「洗濯機がウルサイ!」「ボクが居る時に洗濯機を回すな!」…であり、その理由は「ママは家族みんなの服を
結局そのアパートに住んだのは3か月ほど、直ぐに「移住」まで10年以上過ごすことになったアパートに引っ越した。そこも古くて広いとは言えない所だったのだけど、良い意味での古さがあったというか一部屋が大きめであったこと、日当たりが良かったこと、そして何より『室内に洗濯機を設置できるようになっている場所』…があったのが当時の私には高得点だった。それでも「さあ、これで洗濯機が買えるね!」…と私
「モト」の生活スタイルというか『家事(雑事)』に対する感覚というのは全て『自分』が気にするか、否か…というのが大前提であり第一基準であり、『自分』が不自由がなく『自分』の思い通りに快適に過ごす事さえ出来れば笑顔で「Don'tWorry!『I』Don'tmind!」…の一言で終わり。つまりは他の家族(=妻と子供)がどれだけ不愉快であろうと、不自由を強いられようと「自分
「モト」による『トイレ掃除』は後にも先にもその一回切りだったのだけど、良かった事はそれ以後「トイレの水アカ」で文句を言うことが無くなったことだった。「文句を言ったらやらされる」と無自覚であろうと自覚したからだろう。そんな「モト」でも『オフロ掃除』をしてくれたことが一回だけある。正確に言えば本当はその時も「モト」としては不本意の事だったとは思うのだけれども。結婚して間もない頃、「モト」が「風呂の天