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ひふみお香アカデミー椎名まさえです。連日、猛暑が続いていますが昔から日本人は夏を少しでも涼しく過ごそうと、工夫をしてきました。その1つが風鈴です。夏には、風鈴の音色が心地よいですが今日は明珍火箸風鈴の癒しの音色をお届けします♪高く澄んだ音色と深い余韻が特徴で、スティービー・ワンダーも「東洋の神秘」と絶賛したほどです。明珍火箸風鈴明珍とは・・・明珍(みょうちん)とは、平安時代より続いた甲冑師(かっちゅうし)の家名。明珍家は、
元治元年(1864)五月、野々村勘九郎は幕府への陳情の使者として下関を発ちましたが、当然ながら旅の途中で京に立ち寄ることになります。いや、立ち寄るというより、当時の情勢を考えれば、むしろ京において様々な立場の人々と折衝することこそが、もっとも重要な役目だったのかも知れません。ちなみに、グーグルマップで調べたところ、下関から京都までは徒歩で4日と7時間かかると出ましたが、これはあくまでずっと歩き続けたとしての計算であって、実際には日が暮れる頃には宿に入って翌朝まで宿泊したし、道中、日に何度か
野々村勘九郎が江戸で剣術修行に励んでいる間に、日本を取り巻く情況は大きく変わっていました。嘉永七年(1854)、ペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊が神奈川沖に来航し、武力を背景に日本に開国を迫ります。この圧力に屈した幕府は日米和親条約を締結、鎖国政策は終わりを告げるのです。その後、ロシア・イギリス・フランス・オランダと相次いで和親条約を結び、日本の海には日本人がそれまで見たこともないような巨大な軍艦が我がもの顔で行き来するようになります。西日本有数の貿易港下関を領地とする長府の人々
むかし、テレビ番組である心理学者が言っていました。「人はあるものに詳しくなると、そのものを嫌いになれなくなる」と。それを聞いたからではありませんが、幕末諸藩の中でも長州に関しては、意識してあまりタッチしないようにしていました。長州は「敵役」ということでいいかな、という考えが頭のどこかにあったのだと思います。それに、あまりに色んなものに手を出してしまっては、ブログとしてまとまりがなくなってしまうのではないかという懸念もありました。ただ、やはりそれではなかなか見えて来ないものがあるのも事
いやぁようやく最終回です(桶町千葉のさな子)竜馬になり切って日本橋から八重洲桶町千葉から重太郎さんと勝先生の赤坂氷川坂下邸宅まで歩き(晩年の勝先生)さらにはそこから「竜馬がゆく」には出てこないのに今度は勝手に勝先生になり切り赤坂から別荘洗足軒に向かって歩いています奥に入っていくと旗の台なのかなひたすら中原街道を西に向かってますってもう日が沈んじゃうこれは東急大井町線の高架?だからもうす
東京大学史料編纂所のデータベースに『勤王殉国事蹟』という史料があります。幕末維新期に志半ばで倒れた人々の事蹟をまとめた全六十二巻に及ぶ史料なのですが、その最後の六十二巻めに100名あまりの対馬藩の人々の履歴が収められています。残念ながら阿比留鋭三郎に関する記載はありません。が誰かつながりのありそうな人物はいないかと探してみたところ、2名いや厳密に言えば3名の「関わりありそうな人」がいました。言うまでもなく全員「阿比留」さんです。3人の阿比留さんを紹介する前に幕末期の対馬藩について少し
阿比留鋭三郎(あびるえいさぶろう)は浪士組に参加し、江戸帰東には従わず芹沢鴨、近藤勇らと京に残留した壬生浪士組結成メンバーの一人です。残念ながら間もなく大病を患い、文久三年(1863)四月六日、京に到着(同年二月二十三日)してからわずか一ヶ月半ほどで死んでしまいました。天保十三年(1842)生まれとする説があり、享年は二十二歳とされています。さて、その阿比留鋭三郎に関して、実は二つばかり気になることがあります。・・・あくまで「気になったこと」なので、あまり期待せずに読ん
前回ブログの続編篠原と服部の説得にも関わらずそれを振り切って出かけて行った高台寺首領・伊東甲子太郎伊東は水戸の金子健四郎の門で神道無念流。さらに江戸では北辰一刀流の伊東精一に入門。北辰一刀流でもかなり腕をあげ伊東精一が病死すると遺言によって娘うめを娶り伊東姓を名乗り道場主になったのだ❗師
長屋門稽古で有形文化財(建造物)の「根岸家長屋門」は江戸後期の寛政年間に建てられて正面門を入り左側が嘗て友山さんが剣術を教授した幅13間、奥行き3間に含まれる「振武所」といわれる剣術道場です(流派は北辰一刀流・他、甲源一刀流)の免許皆伝を持ていたそうです。根岸家ご当主から「北辰一刀流の目録」を見せていただく豊島区巣鴨の「本妙寺」にある「千葉周作の墓」1820年(文政3年)~廻国剣術修行の旅に出て各地
最後に更新したのが1月27日いやぁすっかり季節が変わりしかもその間に新型コロナ騒ぎがあり。。。ご無沙汰でございます(両写真とも拾い物でコナンが接した風景ではありません、、、)ここ数か月新型コロナ影響で余計な仕事がたくさん増え大変でした中国から部品が入ってこないわ中国がよくなったと思ったらマレーシアだのフィリピンだのインドだのがロックダウンだわおまけに物流がめちゃくちゃになってしまい中国が動き出しても航空
今回は「時代の変化に対応するには、どうしたらいいか?」について書いていきたいと思います。主題に対する内容として、坂本龍馬の有名な逸話が分かりやすいので、例に挙げて書いていきたいと思います。明治時代に活躍した教育者、千頭清臣(ちかみきよおみ)が書き記した「坂本龍馬」という本があります。(本稿に沿うように、一部省略・改訂・意訳(超訳?)して書きます。)そこには土佐藩士・檜垣清治が太刀を帯びて坂本龍馬を訪ねると、彼はこれからは太刀よりも小刀の方が役に立つと言いまし
昨日の真夜中の劇場中継(生ではないけど)…何でこの時間?とは思いますが、しっかり録画したのでやはり宝塚は「幕末物」だわね、新撰組のダンダラ羽織と明治の軍服、鹿鳴館スタイルのドレスと芸者衆…全部揃ってますね。原作を読んでないので脚本の事は言えないけど、明治の「思い出語り」いるのかなぁ〰。それにしても、美しい武士(もののふ)だわ、殺陣も凄い…舞台でみたらどんなんだろう?さすがNHKさんだから、カメラワーク(?)素晴らしいよ、スカステも楽しみにしてよう。そう言えば、ゴールデンウィークの1日目
今日も良い天気でした家にいる時間が増え、出かけなくても勉強するためにZOOMなど新しい方法の学習に参加する人も多くなりましたねZOOM,、レッスン、春期講習、その他和風の言い方では「稽古」ですね「古事記」は太安万侶(おおのやすまろ)がメモした古代の歴史書です「稽古」という言葉はこの「古(いにしえ)に稽(かんがへて)に基づいていますなんでも新しいものを求めるのでなく新しいことを始めるときにも古いことを思い起こして参考に
3.11から9年目の昨日午後、黙とうをしました午前中は「現代日本の礎をつくった偉人たち」の動画の撮影でした幕末維新のサムライたちが「明日はいったい、どうなることか」と毎日を必死に駆け抜けてきたころは現代と似ているように思えますなかなか私のラジオ番組「魁TOPインタビュー」のなかでお返事できないのですがこの動画をご覧になっていただく質問が「どのような筆で書いていますか?」ときかれています私用にオーダーメイドで作っても
“桜田門外の変”‥は、江戸幕府の大老だった“井伊直弼”‥が江戸城の桜田門外で、その“直弼”‥が主導した外交政策や反体制勢力を弾圧した“安政の大獄”‥に恨みと義憤を抱いた“水戸藩士”‥達によって襲撃を受け命を落とした事件の事を指します。その実行犯は総勢18名でしたが、その中にたった1人だけ“水戸藩士”‥で無い人物が居ました。その人物の名は“有村次左衛門(じざえもん)”‥といい、“薩摩藩”‥を脱藩した“元薩摩藩士”‥でした。“有村次左衛門”‥は、1838(天保9)年、“薩摩
かとう歯科のブログをご覧いただきありがとうございます。皆様にとって、ほんの少しだけ、いいねと思って頂ける話を書いて行きたいと思っています。さて、長男さんのお名前が「道之助」になりました。ちょっとレトロなお名前。「進之助」も候補だったようですね。昔々、赤胴鈴之助というアニメがありました。北辰一刀流で有名な千葉周作の道場に通う少年剣士のお話です。北辰一刀流は千葉周作道場で教えられていた実在の流派です。幕末の江戸で有名な
岩崎弥太郎が、江戸出立前に「吾れ志を得ずんば、再び帰りてこの山に登らじ」と宣言したことでおなじみの妙見山に元旦に登ってみた。室戸岬から桂浜へ移動中に何となく気になり立ち寄ることにしたのだ。妙見信仰とは、インドの菩薩信仰と中国の北極星信仰が集合して生まれたものである。中国では北極星は北辰と呼ばれ、天帝として崇められている。ここに仏教思想が流入して、北極星は菩薩の名を冠されることとなり、妙見菩薩の名を得るに至った。妙見とは、優れた視力の意味であり、「善悪や真理を見通すもの」ということであ
昨日の続きです回天神社に隣接の常盤共有墓地。安積澹泊之墓明暦2年(1656)~元文2年(1738)「大日本史」を編纂。水戸黄門漫遊記の「格さん」小澤寅吉政方之墓北辰一刀流東武館祖だそうです。弘道館剣術方関鐡之介之墓文政7年(1824)~文久2年(1862)「桜田十八士」「桜田門外の変」参謀伝馬町の獄で斬首藤田東湖之墓文化3年(1806)~安政2年(1855)彰考館編集、彰考館総裁代役。藤田幽谷之墓東湖の父。彰考館総裁。藤
祖父江先生、真武館主催の古武道大会に参加してきました。試合には出ないで、北辰一刀流剣術の演武です。子供達からは本物の侍を見た‼️とかなんとか😅少しでも参加できてよかったです。
前回はなぜかキャンディーズ(スーちゃん)の話になってしまい面目ないであります。。。しかしいい表情してるなぁ3人の繋がりが仕事だけでないって感じ伝わるね(っていうかランがやたら幼くない?)ですみません日本橋に戻しますまぁしかし首都高が上を通ってるって高度経済成長の頃ならともかく今なら景観や歴史的建造物の保護の観点からさすがにやらなかったかも知れませんねそう言えば撮るの忘れちゃいましたが橋の欄干にある銘板
アップ出来てなかった2020初稽古!時代劇です寂しかったよーっwww京都で買った和柄イヤリング後から豪華なの爆買いしたから中々機会がありません…白も買ってるのに….wしかもブラウンメイクで顔が薄すぎる…稽古場。皆とりあえず明けおめ言いたい病でしたw寂しかったよーww(2回目)久々赤袴生徒さん達が褒めてくれましたよ所作稽古だったので時間的に殺陣廻りは手付けのみ柳生新陰流VS北辰一刀流珍しい女子ペア!3年後輩?やすこさんと!ジャンケンでどっちが勝つか決めるのですが…負け
あけましておめでとうございます正月だというのに相変わらず会社に追われているコナンです毎日役員ほか上長各位からのTELやメールに対応しております(ここまでくるといっそ早く牢屋に入れてくれという気持ちです)とはいえまた都内を歩いてきたので一瞬(?←先に自分で言っちゃった)ブログ復活です今回は竜馬と勝先生編です少しばかり(本当に少しか?まただらだらと。。。)またお付合いください(って前回南千住小塚原から世田谷若林まで松陰先
おはようございます☀️アメブロで早速更新してみましょ✒いゃー昨夜はヘロンヘロンで🍾四時に帰宅からの爆睡💤からの朝から千住🏍寒いけどスカッとしとる陽気👍たまたま千住の4号線を走っていたら🏍偶然通りかかりん???なんじゃ?早速Uターンかましおぉぉぉ!!!崇拝する坂本龍馬先生の許婚やったとされる北辰一刀流の千葉さな子さんの晩年暮らした地へ偶然、導かれたやないか!!知らんかった💧ここで暮らしてらっしゃったのですか😲しっかりしっかり想いを馳せてみ
12月10日北辰一刀流の稽古が見たいという事で、出村先生たち生徒さんが本道場にお越し頂きました。出村先生にお会いしたいという事で、真武館の祖父江利久館長、元太郎副館長順道館誠塾の関根美子先生名古屋からは國際空手道松濤南空會の神原先生が当館に来館されました‼️すご…💦しかも元太郎先生は一緒に稽古〜‼️出村先生の生徒さんとともに汗を流されていました。最後はみんなで記念撮影〜皆さん、とても楽しんで頂けました。😆
これまで「四神」のうち、春には東の青龍、夏には南の朱雀、秋には西の白虎を取り上げましたが、仕上げとしてこの冬は北の「玄武」について書きます。「玄」は玄米や玄人という言葉もある通り「黒」のことです。「武」とは亀と蛇が一体となった架空の動物ですが、こちらは馴染みが薄いだけでなく、率直に言うとややグロテスクで、あまり神という印象は受けません。ところで、四神をいろどる青、赤、白、黒の四色は古代の日本人にとっての原色でもあったと考えられます。この四色だけが下に「い」を付けると、「青い」「赤い」などとそ
そして先週の日曜日には、同じ師をもつ、恵比寿のS子先生の発表会へ伺いました。先生も生徒さんもお疲れ様でした。先月の台風で延期になってしまったのでより感慨深い会だったでしょうね。次は12月7日のコンペですね。応援に行きま〜す!頑張ってくださいっ!!ということで、香代さんと勝手に決起会。カンパ〜イ!は安定のウーロン茶で。恵比寿のS子先生のスタジオの隣の隣の隣?67餃子に行きました〜。まずはきゅうりから食べましょう。少し前に流行ったきゅうりダイエットです。食前にきゅうりを食べ
劇団岬一家キャベツ寛太郎さんの記事です。時代劇ファンにはありがたい豆知識です。剣術の流派たくさんありますが、殺陣でその流派を名乗る時は、きちんとその流派で学んでやっているんですかね?大衆演劇でそこまでこだわってやっている劇団どのくらいあるのかしら。
今日も読んでいただきありがとうございます。感謝しています^^今日一日みなさんが少しでも笑顔でありますように^^こんにちは。。。キャベツ寛太郎です^^時代劇と言えばやはり殺陣(たて)、立ち回りをイメージされる方も少なくないのではないでしょうか^_^一言で立ち回りと言えば簡単ですが、殺陣剣術には様々な流派が存在します。今回はこの剣術の流派について記事にしてみたいと思います^_^剣術流派○○系まず剣術
みなさま、こんにちは~~~西暦2019年11月10日(日)、午後2時過ぎからのブログアップです舞台稽古も拍車がかかってきました、幕末時代劇公演『坂本龍馬』、12月3日(火)、4日(水)、会場渋谷区立文化総合センター大和田6階伝承ホール、11月22日(金)までは、抜き稽古中心となっております。さて、今日は舞台『坂本龍馬』の風景(その5)として、わずか31歳11ヶ月でこの世を去った、坂本龍馬の最期、京、近江屋でのシーンを検証していきたいと思います。
みなさま、こんにちは~~~晴天の日となった三重県北部地方、西暦2019年10月22日(火)、記念すべき日となりました。「天皇の即位の日」の5月1日に続き、「即位礼正殿の儀の行われる日」の10月22日、本日は本年に限り「国民の祝日」になるとのこと。雨の東京では、粛々と様々な儀式が行われているそうです。さて、今日から、12月3日(火)、4日(水)都内渋谷伝承ホールでの幕末時代劇『坂本龍馬』舞台公演について、断片的ですが、その歴史的背景を検証する記事をアップさせて