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皆の者、息災か。加藤清正である。今日は信長様、秀吉様、太助、なつと共に江戸に出陣して参った。徳川様が作りし名古屋より江戸に参る。まこと面白き時代であるな。我らが拠って立つ名古屋の素晴らしき所、面白き所を伝えて参る情報戦。幾ばくかその心が客人に伝わり足を運んでもらえれば嬉しい。名古屋城にて、我ら名古屋おもてなし武将隊は待っておる。さて江戸へ参ること、いわば東下りと申せば伊勢物語が思い浮かぶ。今の儂の心持ちに当てはまる歌を見つけたが故ここに記そう。「月やあらぬ春や昔の春な
私はその日、表参道のニールズヤードレメディーに行く予定でした。さあ、少し早くついたから、と原宿でも久しぶりに行って、可愛いカフェにでも、入ろうかしら?なーんて、電車の中では、わくわくしていたのです。が、、、千代田線で表参道で降りて、と思っていたら、なぜか、明治神宮前でおり、なんだか緑の方へ足が向いてしまいます。そして、明治神宮へ向かいました。やはり、落ち着く。んー、緑の香りはいいなあ、と安心していたら明治御苑に足が向いていました。素晴らしい菖蒲の花に感動です。東京はやはり、すご
楽しかったね(⌒‐⌒)また行けるといいな!コンクールの応援て言うよりほぼ観光でした(笑)
熊本在住の次男の息子(私の孫)の「初誕生祝い」をする為に11日・12日に1泊2日で熊本へ行きました。お祝いをする場所は、12日の朝に熊本市内の息子宅から車で更に1時間40分の「南小国」で行う予定でしたので、今回は「熊本城」などに寄る予定もありませんでした。宇土櫓と天守群11日の夜は息子宅で泊まりました。夜中に、何度かグズって泣く孫の声が聞こえてきたので、あまり泣かないと聞いていたから「おかしいなー」と思っていたら、翌朝、熱があるとか。これでは、車で2時間弱も揺られて行くの
皆の者、息災か。加藤清正である。今日は踊舞と共にメ〜テレおもてなし隊なごやの撮影戦へと出陣して参った。戦さ場は「名古屋海洋博物館」と「南極観測船ふじ」じゃ。子どもたちの夏休みの自由研究とやらにうってつけの施設であったぞ。放送は七月二日。皆の者、刮目せよ。しかしながら儂は南極というものを初めて知り実に驚いた。雪と氷に覆われた極寒の大地。これほど白く、雄大で、美しき景色が他にあろうか。氷点下百度にも迫る気温であるが故、現地では景色を楽しむ余裕もなかろう。それでも儂はこの歌を思い
久しぶりになりました学校が忙しくなって、趣味に没頭する時間と体力が減ってしまいましたネットで見つけた加藤清正の兜を作りました歴史好きにはたまらないついでにどんな名札を作ろうか試行錯誤した残骸も…これだけを見たお母さんに、「うちの子、いつの間に名前変わったの!?」と突っ込まれてしまいました
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」などと揶揄された石田治部少輔三成が主人公?の映画「関が原」を観た、原作が司馬遼太郎という事なので少し期待して・・・感想は、悪くはないけど少し残念な感じでしたね。。。。。。。司馬遼太郎の小説【関が原】は死ぬほど面白かったのに、司馬遼太郎感がなかったナレーションは司馬遼太郎の小説のくだりを読むのだけど・・誰かは不明ですけどヘタでした家康役は役所広司ですが、悪くは無いんだけど・・・・・なんか違う気が・・・・・悪くは無
皆の者、息災か。加藤清正である。本日は秀吉様、利家様、太助、なつと共に豊臣家の布陣にて名古屋城に出陣して参った。されども生憎の雨。午前午後共に演武は中止と相成った。演武を楽しみに城に参った者共は残念であったのう。さりながら儂は、この恵の雨のもと登城して参った多くの者とより深く交流を図ることが出来た。まことに充実した日であったとしみじみ思うておる。日輪の如き秀吉様のもとに笑顔で駆け寄る童。軒下にて家臣に囲まれ、月の如き静謐さを以って天を見上げる利家様。雨が降ったからこそ観ること
皆の者、息災か。加藤清正である。本日はなつと共に名古屋城に出陣して参った。滝のように激しき雨であったが、多くの客人も登城してくれておったな。名古屋城の魅力を再確認する佳き日と相成り嬉しい限りじゃ。聞くところによると今日より梅雨入りだそうな。これから寒暖差のある雨の多い季節となって参るが、皆々体調を崩さぬようにな。さてさて今日も歌集を繰るうち、儂の気持ちをぴたりと言い表してくれる歌を見つけたぞ。橘千蔭、「うけらが花」より『わが宿に雨つつみせよさみだれのふりにしことも
こんばんは!のお疲れ様です!!今朝は静岡辺りから、新幹線からの車窓は大雨で視界が厳しい状態!!到着した名古屋も靴がチャプチャプ(ㆀ˘・з・˘)久しぶりにどないしよう、聞いていないよ〜というような仕事…どうにか逆転!でもヘトヘト(*´Д`*)残念天気で、残念観光(笑)二人で仲良くお昼寝するんだよ。にポチッとヨロシクお願いします♪にほんブログ村今朝、ご飯よ〜と二人に声をかけると、何やら…ジィ〜(´⊙ω⊙`)開けてくれ!網戸が開いていると思って、サッシにのったも
ライブ前に寄り道名古屋城に行きました武家の忍者ショーをやってました。忍者はもちろん服部半蔵でした生シャチホコに圧倒されました天守閣は工事のため入れずでも天守閣や周りのお堀は加藤清正が作ったものとして有名です清正の石もありましたこれを機に熊本城も行ってみたくなりました
皆の者、息災か。加藤清正である。本日は麗らかな日差しの中燕の飛び交う、佳き一日であったのう。新緑の中、初夏の風を感じられる日はそう多くはない。特にここ数日は夏最中のような暑さとなって参ったが故、移りゆく四季を楽しむこともかなわぬ。今日のような日々からゆるりゆるりと夏に向かって行って欲しいものじゃ。さて、今日は朝から名古屋市の塵拾いに。のちはなつと共に名古屋城に出陣して参った。我らが拠って立つこの名古屋を手ずから清掃できること、まことに嬉しく思う。多くの民が共に手を取り合い、自ら
令和元年博多祇園山笠の標題が発表されました。改元および新天皇即位ということで日本の神話を題材としたものが多い中、戦国武将好きとしては舁き山の一番山笠千代流『忠勇無双慶雲輝』加藤清正七番山笠西流『道一筋不謁二君』立花宗茂この辺はどんな人形になるのか気になるところです。先鋒を加藤清正殿を立花宗茂ということで戦を挑むには最強の布陣です。ちなみに、西流は追い山後は完全に崩すのでいっぱい写真を撮ろうと思います。P.S.飾り山には、
皆の者、息災か。加藤清正である。今日は利家様、慶次殿、凛太郎、なつの布陣で出陣して参った。所謂三英槍での出陣は久々であるが故、長物同士の打ち合い、また傾奇御免状の披露は心が震え申した。さらに丁度一月前、共に蘇って参った凛太郎との打ち合いも心持ち好い愉快なひとときと相成った。髷姿の利家様は、じつに凛々しくあらせられる。儂も早く髷を結えるようになりたいものじゃ…。しかしながら利家様、慶次殿の仲はまことに羨むべきものがあるのう。互いに自由の気風を愛する御仁。ぶつかり合いながらも強き絆
2019年(令和元年)5月21日熊本城へ‥‥天守閣が見えてきました♪これ以上は、中へ進めません。残念‥‥‥‥ズームインしてみました。黒塗りのイメージでしたがちょっと違う感じかな?いやぁ、何はともあれ近くで熊本城を拝めて良かったです🎵🎵🎵外堀も広いし~~スケールの大きなお城ですね~~~🏯💓さすが加藤清正(笑)立ち去るのがなんだか名残惜しい立派なお城でした~♪また来るね~~バイバイ~~~➰👋😃💓ちょっとテンションが上がってしまいました(^^;怪しいオヤジと
皆の者、息災か。加藤清正である。今日は一日雲と涼やかな風の吹く、過ごしやすい気候であった。やっと五月らしゅうなって参ったと思うたが、明日からははや六月。光陰矢の如しとはこのことじゃ。夕刻からのにわか雨、お主らは降られなんだか?名古屋城におった者は傘をさしておらぬ者も多く気がかりじゃ。名古屋城に参ったが故風邪をひいたなどとならぬよう、よくよく身体を温めて眠るがよい。「うちしめり菖蒲ぞかをるほととぎす鳴くや五月の雨の夕暮れ」新古今和歌集に収められし一首、藤原良経卿の詠まれた
宮島では、厳島神社の他大願寺にも行きました。での帰り、豊臣秀吉が戦で亡くなった兵の供養の為にと「千畳閣」なる建物を宮島に・・・お経堂の目的だったそう。しかし建設半ばにして、秀吉が亡くなってしまったので、未完の建造物になりました・・・とさ。天井の梁が丸見えだけで、これはこれで良い感じ。それなりに広いし、未完だから眺めも良い。寺として建てた筈が、秀吉を神として神社扱い。加藤清正も祀られているそうな。んーーんと、唸るのみ。神様って、そこ?みたいな唸りです(笑)宮島を後にして新幹線で
つづきです。さてさて、結構大きな神様の島ロープウェイに乗ってバスに乗ってとか色々と妄想?構想?想定?していたのですが全却下🤣島に着くのが遅すぎました。✈️の時間もあるので今回は本殿とその周辺のみと言う事にして見上げたところにありましたジャジャーンこちらは⛩豊国神社⛩千畳閣とっても、守られてる感満載のこちら豊臣秀吉公・加藤清正などなど武将の方々のお名前豊臣秀吉が作り始めて建築途中で亡くなっちゃったので建築も途中で終わってしまっているって書いてありました
以前、記事にした「黄泉がえり」と言う本の続編が出たと、コメントが入っていたので、早速、取り寄せて読みました。(以前の記事はコチラ)これが、読んでいるうちに不思議な世界の入り口が開いて行ったのでした。今回の舞台も、2016年4月14日と16日に実際に起きた、熊本地震後の熊本市を中心に繰り広げられます。この地震は、大分、熊本を連続で襲った最大震度7の巨大地震でした。私達の記憶にまだ生々しく残っていますね。20年前にヒットした前作は、これも、熊本で起きる
「ママとなりのおうち加藤清正の末裔らしい」どんな噂やねん!「となりの奥さん聞いてみようか?」「あのニタニタしとる奥さんやろ?あの人ママの格好がダサすぎてニタニタしとるんやない」「たしかにニタニタしとるよね」もはやなんの焦点で話してるかわからない我々。加藤清正なのか奥さんのニタニタか。この辺では浮くくらいすごく綺麗な方ででも私会うといつもニタニタされるんですよ。聞いてみようかな「私、ダサすぎますか?」wikiよりリリーグラス☎
泉大津助松町だんじり平成9年新調制作・池内工務店彫り師・木下賢治🔼正面姿見懸魚には波の間を覗くように龍がのぞいています!虹梁には波では無く船などの彫り物が彫り込まれていました、後ろ虹梁の内側にも彫り物が彫られています、田治米のだんじりも同じように入っています!賢治さんらしい素晴らしい作品ですね〜🔼賢治さんの作品は最高ですね!🔼素晴らしいです😊🔼最近のだんじりだとこの細工は珍しいものですね〜大北町・大森にもこの細工が入っています!🔼車板にも組物が入っています細工が凄いですね〜🔼
私が、小学三年生に進級する年の春、父の仕事の転勤で、転校することになりました。転校先は、熊本県熊本市。今から四十年以上も前の熊本は、誰もが皆、熊本弁だけで会話をし、どこからと漂ってくる、馴染みのない熊本ラーメンの香り、東京都・早稲田界隈で生まれ育った、幼い私には、まさに異国の地でした。それでも、家の近所には、趣がある水前寺公園、少し歩けば、熊本城、名水百選に指定される白川、市内を走る路面電車、そんな風情溢れる街並みと、都会から転校してきた自分を、優しく受け入れてく
今日も快晴。熊本の最高気温も本日32度の真夏日。クラクラするのでひたすら休憩と水分補給。熊本市のマンホールです。加藤清正の銅像。熊本県庁の前にルフィの像。そして熊本県庁。中に入ったら係りの人がおられたので写真を撮って良いですかとお聞きして中で何枚か。くまもん。金栗三四という人が熊本出身らしいです。今日は熊本市内に泊まり、明日は長崎予定であります。
いろんなカブリモノを作ってきましたが日本の武将が被っていた兜も面白い!特に変わり兜は、それぞれの武将の趣味や個性が立ている!そこで、1枚の紙で簡単にかぶれる兜を作りました!伊達政宗の兜!加藤清正をイメージした兜!兜じゃないけど、歴史物には忍者に変身したいよね!^^全部、連なった1枚の紙を1〜2か所差し込むだけで、こんな風に立体的に組み立てられ、かぶれて楽しめます!!量産もできるので、ぜひ!外国人の方にも被って楽しんでいただきたい!オファーお待ちしております
5月18日明治神宮を参拝した後明治神宮御苑を散歩しました。500円かかります。隔雲亭綺麗に整えられた庭可憐な花どんどん進みます。目的のパワースポット💕清正井(きよまさのいど)待ち受け画面にすると運気がアップ⤴️するかもとても透き通っていて心が浄化されますね❗️午前中に行くといいみたいです!テレビで放送された後、ブームになりとても混んでいたそうですが、今は落ち着いています。清正井でパワーをもらい、来た道を戻ります。睡蓮黄色やピンクが可愛い💕明治神宮御苑は季節に
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡で地域活性する活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。昨日、テレビで何だこれミステリーという番組で加藤清正の鎧や軍旗の事をやっているのを見て、本日は久々に「歴史の裏側教えます!!」をお送りしようと思いました。内容は、加藤清正についてです。関ケ原の戦いの時、加藤清正が何をしていたか。これを紹介したいと思います。その前に、昨日のブログで新しいプロジェクトを考えて準備している旨を、お知らせいたしましたが
鰻屋さんに座敷わらし出現?深夜調査で異変連発!揺れる千羽鶴&謎の影▽伝説の猛将・加藤清正が秀吉から譲り受けた鎧兜?▽卵じゃない?ペットのウズラが産んだ奇妙なモノ原田龍二の座敷わらし調査〜岐阜編〜「まさかという所に、座敷わらしがいるらしい」という情報を、原田龍二が聞きつけ、調査へ!向かった先は、岐阜県にある、うなぎ屋さん。実際にお邪魔すると、おもちゃ・お菓子などがたくさん…座敷わらしを目撃し、幸せになったという方々からの礼品なんだとか。いつにも増して、目を輝かせる原田。特別に
潮見坂近く、東海道の宿場町だった白須賀宿の外れに建つ神社です。詳しい地図で見る民家の間にある細い入り口。社標や看板などはない。集落背後の高台が境内となっています。傍らに皇紀二千六百年(昭和十五、1940)の石段改築記念の碑が見えた。清正公大神社2019年現在の姿…。パッと見で社殿が崩れかかっているのが分かると思いますが、正面からの見た目はまだマシな方で後ろの屋根は落ちており、いつ全体が倒れてもおかしくないような状態です。納められていた太鼓などもそのまま埋