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というわけで、最近、世代の「枠」を超えて、、とある刃ブームに足を踏み入れつつある今日この頃、、ちょびちょびと動画を見つつ、、全集中!!という言葉があることを知り、、思わず、おおお!!と思いました、、まだよくわかりませんが、、何やら、話の中では呼吸法?のような感じですが、、この言葉自体は勝手ながら、、禅的「即今目前」に通じる意識の閃きを呼び覚ます上でとても良いキーになり得るものだ思います、、禅は当然ながら、「今ここ」に何が現れようとも「それ以外」
皆さんは「前後際断」という言葉をご存じでしょうか?これは「前後裁断」とも記されますが、曹洞宗の開祖である道元禅師の「正法眼蔵」や、江戸時代に活躍した臨済宗の名僧である沢庵禅師の言葉にも引用されています。ひとことでいうと、過去も未来も断ち切り、今にすべてを集中すること。私たちはとかく過去を引きずり未来を心配することで、そこから悩みや不安が生じ自分のエネルギーが分散され、「今ここ」目の前に集中できず思うような結果を出せない、ということがあるのではないで
☆ご訪問ありがとうございます☆今日は、イチジクが高かったので、キーウィにしました。果物を頂くと気が上がります↑暑い中、一日本当にお疲れ様。前後際断(ぜんごさいだん)昨夜、阪神VSヤクルトの野球中継を観ている時、解説の下柳剛さん(現役時代から続く力の抜け感がとても良い感じ♪)の好きな言葉が紹介される一幕がありました。それは、、☆「前後際断」☆(ぜんごさいだん)「前後際断」とは、禅の言葉で、「前際」(過去)と「後際」(未来)が、断ち切れていること。ただ
おはようございます今日の一枚希望の光勇気を出して一歩踏み出しましょう7月31日禅語いまに集中すれば、過去は離れていく前後際断ぜんごさいだん過去、現在、未来と時間はつながっているように思えるが、それぞれの際(あいだ)は断ち切られている。過去、未来にとらわれることなく、現在(いま)に集中することが大事。人生には人に裏切られたことで人間不信に陥ることがあるかもしれません。しかし裏切られた自分は過去の自分であって今の自分ではありません。大事なのはもちろん今の自分。後ろなんか振り向かない
みんなの回答を見る自分の中にたくさんいる自分が日替わりや週替わりで表に出てくることは実感している人が多いだろう。それが無意識的に交代したり制御しきれない状態でいる限りきっと想定外は減らない。どんな人生を想定してその人生に対してどんな脚本を描くか変えられないことも多いように感じるだろう。でも主役である自分が日々どんな自分を登場させるかは"自分次第だ!”7月はこのブログを書く余裕を作ることが出来なかった。
みんなの回答を見る確実にこの2年前と比較するとストレッチ頻度が減りながらも体調がよくなることを更新し続けている。自分の場合には何かプラスアルファの事をするよりもこの記事のように自分にとってのマイナスは要因を丁寧に探求し排除していく方がコンディションを上げる上では有効だったよう。その精度が上がるたびに不調で困る頻度が減り集中力も持続しやすくエネルギーも高い状態で過ごすことができるようになってきた。
1年前の記事で考えていたこと。今考えてみても重要なことだと思う。臭いものに蓋をする習慣がついてしまうと片付けでも目に見えないところに移動するだけで後回し。面倒はタスクはまた明日。こういった感じに都合の悪い事象から目を背ける習慣がついてしまうのではないかと思う。確かに自分の都合の悪い事象から目を背けることは自然とそうなりがちである。しかし1年前のブログでも触れているようにそれがチームスポーツであれば
自分自身の行動は、何が自分のための行動で、何が誰かのための行動なのだろう。ふとそんな事を考えた。自分のために、自分のために、という思いが強くなりすぎると周りが見えなくなる。あと、自分本意だからモチベーションが続かないこともある。誰かのために、誰かのために、という思いが強くなりすぎると自己犠牲の方が大きくなる気がする。そして、自分の心身が責任感などで疲弊する。バランスが大事なんだと思う。自分のためであり、誰かのためでもある。そんな心持ちで
なんの因果だろうかほぼ同じ時期に今年も1年前とよく似た事象を経験した。しかももっと核心を突くように直接的に言われた。大事にしている言葉だからこそできていないと指摘されるとかなりズシンと響く。でも凸凹で伸び代があると認識しているのでどちらかというと有難いという思いの方が強く出る。1年後には同じ思いをしないように日々実直に向き合っていこうと思う。dawn名詞(時代などの)始まり;夜明けdig他動詞
一年前にこのように感じて自分なりに全力で歩んできた1年。その時々で足りないと唇を噛む出来事はたくさんあった。でも結果的には習慣の継続や発信の量インプットのペースなど半年前と比較すると確実に前に進めていると感じる。そして選手に対して全力を出せるのにあえて出していないように感じる瞬間は確実に減った。気づいたら一緒に必死になってやっていることも増えたと思う。全力を出す事でしか、その先を見れないとしたら選
アナウンサーとして、スポーツの実況中継は10種目以上を担当しました。野球、サッカー、ゴルフ、バスケットボール、バレーボール、ボクシング、柔道、弓道、相撲、駅伝、モトクロスなどなど。中には私自身、一度も体験したことのない種目もありました。そんな苦労話は、またあらためて・・・。そうそう、こんなこともありました。息子が小1か小2の頃、ともだち数人が遊びに来て、それぞれ父親の自慢話をしていたんです。やっぱりスポーツ上手のお父さんはポイント高いんですね。「うちのお父さん
記憶は曖昧でもそれを顕在化できることで記し残すことが増えリマインドしてもらえる機能にも助けてもらいながら過去と行ったり来たりしている。脳の奥の方に置きっぱなしにしていた記憶も取り出すヒントや手法を手に入れれば人の記憶の素晴らしさを痛感する日々を送っている。そう感じるほどに忘れたくない日々を送っているとも感じてる。FBの機能やこのアメブロのリブログそして最近はグーグルフォトも利用して数年前の今日何をして
色について調べていた1年前。色を調べると光のことを調べることになり、それを認識する目や脳のことにつながる。そして今はオンラインでのやりとりが非常に増えてきて、目の疲労が1年前よりも身近なものになってきている。光や目について知識があるおかげで、私は目が疲労したと感じる前に対処できたり、たとえ疲労がたまってしまっても対処しやすい。このような経験をすると、本当に何がどこでつながるかわからないと実感する。かの有名なApple創設者、スティーブ・ジョブズは、
1年前の自分から2年前の自分へのメッセージ。それを1年後の今読んで。。。時を重ねる、想いを記す事の重要性を日増しに感じています。勉強嫌いな自分を認められ前に向けていた2年前から"学び”という表現、形に変えることでさらに加速化してできた1年前。そして1年が経ち、いま。明らかに学びが習慣になり継続できている。あとはこれが1年2年そして10年20年と継続できるかどうかが焦点。気張らずに継続できるように
"知行合一”この言葉を知ってからいくらかは知ったかぶりは減ったと思う。知識として頭にあっても行動や行為に活かせていなければ知っているうちには入らない。そのように自分の中で知っているということの捉え方が変わったからだ。そうなると変わってきたことがある。なんでも知っているわけではないと自分が知っているので分からないと素直に聞くことができる。また聞かれた時にあやふやに答えずに分からないと言えるようになっ
なかなか習慣とは継続できないものだ1年前のブログで書いていることを現在まで継続できていない事実を受けてそう感じる。しかし最大限前向きにこの事象を捉えるとするならば・このリブログによって習慣が継続できていない自分を認識できてよかった・9月の世界大会で他チームのトレーナーと積極的にコミュニケーションが取れたとはお世辞にも言いがたいが次へのチャンスをもらえている今、早めに再度気づけてよかった・今年の世界大会はコロナの影響で厳しいので次に世界へ挑戦する舞台まで時間
私は一人っ子で、両親も共働きだったので小さいころから一人でいる時間が長かったこともあり、一人の時間がとても好きです。その性格も影響して、勉強やトレーニングも一人でやることが普通で誰かを誘って勉強をした記憶はほとんどありません。(というか誰かといるとすぐにおしゃべりをしてしまって勉強にならない笑)しかし最近は一人ではできないこと、一人でない方がより良い結果になることをたくさん経験しています。このことは私にとってとても大きな気付きで、一人では限界があることを知れただけ
間違いなく祖父の存在は今の自分を形成する上で大きな存在だ。それはかつて健在だった時にそうだったのではなく現在進行形で大きな存在だ。怠け者の自分にとって常に誰かに見られているかもしれない。しかも尊敬する家族に。これは本当に大きな自分にとっての"設定”になっている。正直時々忘れそうになるが実家に帰る時には必ず仏壇に手を合わせている。ここ数年で実家に帰っているのにそれを忘れることは
無駄なことなんて一つもない。全てが何かにつながっている。よく聞く言葉ですが、本当でしょうか。自分の最近の伸びしろはやる気の波があることです。単純作業の繰り返しや、やらなければならないような雑務に対して「時間がもったいない」と思ってしまいます。目の前のことに対して雑念が入った状態では当然仕事の効率も下がってしまいます。これでは本末転倒で結局一番時間を無駄にしてしまっていることに気付きました。行住坐臥を忘れず、どんなことも鍛錬だと思えば一
2017年の秋にひょんなタイミングで想定外の事象が自分を成長させてくれると気づいて本当に心躍った。あれから2年半確実に想定外は減っている。厳密に言うとネガティブ方向の想定外は減っている。嬉しい方の想定外はあった方が良いしそれは逆に増えているような感覚すらある。日々意識の数を増やすことはなかなか一気にはいかないけれどどんな時に増やせてどんな時に減ってしまうかを整理する事ができたので。20
この記事を書いたのが2年前か。。。この2年は本当に長く感じる。そしてたったまだ2年程度しか再び日々にワクワクして過ごしていないのか。そんな風にも捉えられる。特に今の状況それは様々な社会情勢含めてだが心にゆとりがない方にはこの2年前のブログを是非読んでいただきたい。自分を知れば知るほどにこの世界は可能性に広がっていてリアル人生ゲームはいつからだってスタートできるそのように感じる日々を過ごしている。
複数人が集まって輪になって話になると。皆が内側をむいている。外側がみえにくい視線の方向になる。これはチームのミーティングやその輪を強固にする際には非常に有用だと思う。でもずっとその輪の中にいて内側しかみていないと周囲のどんな危険が迫っていて周囲にどんな情報があって周囲に自分の背後にどんな良縁があるかはみえてこない。そんな時には時々視線を外して輪の外側をみることも大事。そんな事を2年
石頭と言われることや頑固者と言われることは随分と減ったなあ。ほぼ皆無と言ってもいいと思う。もちろんそれは自分自身が活動するフィールドが変わればまたそのように痛感する事があるかもしれないけど。2年前のブログで記しているように顕在的に認識して行動に移して2年がたつと音だけでなく意見も頭に入ってきやすく。硬い意志で不必要に誰かとぶつかることもかなり減ってきた。でもこの数日は自分の身体の硬
ただ歩くことにフォーカスしている1年前のブログ。良く似た感覚を違う移動手段でここ数日感じていた。通勤が自転車で行けずに車で行ってしまっていた数週間を挟んで久しぶりに9日に自転車で行った。自転車で行くと車とは通る道も違えば止まる位置も違う。そして今回一番に気になったのが路面の凸凹だ。車だともちろん整備されている車道を走るので段差が気になることはほとんどない。しかし自転車だと段差がきついとお尻にも負担がかかるのでな
最近は出すことが増えたから思い出すことも増えたような気がする。脳のほとんどは使っていないと言われているけど。それだけ伸び代があると思ったら。もっともっと自分の奥にある引き出しをだしてみたいとも思う。整理整頓は正直苦手だった。でも1年前のブログのようなことを考えるようになってこの1年は自主的に掃除をした頻度は人生最高に多かったと思う。まだまだタンスの中身が脳だとすると整理ができていない事象も多々あるので今少
先日所属している団体のスポーツトレーナー向けセミナーで講師を2日間してきた。団体では開設当初から関わらさせてもらいセミナーの内容などを一緒に考えることも多く何が求められているか、現場に必要かなどを議論しながらもう7年近くになる。医療やスポーツの領域で7年といったらトレンドも何もかも変わってくる。幸い団体の方針で最良のものに2年に一度程度大幅に内容を改定しアップデートしている。昨年も大きく改定してコンディショニ
私たちには、「過去」のことを思い出したり、「未来」のことを思い描いたりする機能が性質上プログラムされているわけで、、必要に応じて、意識的にそうした機能上の思考活動を行うという点においては実に効果的に社会活動を送る一助になり得るものだとは思いつつ、、それでも忘れてはならないのは、、実際に、「過去」や「未来」があるということはない、という絶対的な認識であり、、私たちの前にあるのは、どんなときでも、「今」という明白さなのです、、ですから、無意識に起き続ける
みんなの回答を見る誕生日が近くなると自分の人生について振り返ることが多くなるのだろうか1年前の自分の書いた記事は確実に今の自分にとって重要なことだった。そしてこの1年間止まり方を模索し続けたことを物語ってもいると思う。実は赤山実家のすぐそばにある(徒歩5分くらい)赤山古墳に昨年秋に初めて行って(その歳で初めてかよってね)そこに昔住んでいた豪族の”赤山氏”の由来は火山(ひやま)という山が戦死した方々が埋没されていて山が血
笑ぃ龍あけちゃんです❣️笑ぃ龍あけちゃんです❣️❪前後際断❫「前後際断」とは、過去にとらわれず、未来を憂うことなく今を生きよという禅の教え。やり直せない過去を引きずるのも、起こるか起こらないかわからない先のことを憂うのもすべて心を惑わせる雑念。今を生きることに専念せよという考え方です。笑ぃ龍と、いろはにほへとも言霊、音霊、で描いてみました。
電気の消し忘れ出張の忘れ物大事な要件が抜けてしまう冷蔵庫の古いおかずを見逃して新しいものを食べてしまう。以前と比べて減ってはいるが目下、私自身の伸び代として記憶の濃淡が激しいことがある。数年前に顕在化してから大事なことを忘れないようにとその日感じた感情や気づきなどを本ブログでも綴ってきた。ありのままに書いているので読みにくいと指摘を受ける事も多い。読みにくさも含めてその時の自分のありのままであり