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まず、目的によって行く場所も、費用も変わってきます!その中で、自分の目的に沿って話したいと思います!まず、自分の留学への目的は、英語を喋る事そこをファーカスしています、あと、自分は大学生であってかつ初めての海外に行くので短期留学をオススメします!夏休み、春休みはとても長いのでそこに一ヶ月くらい、にしようと思います!そこで、費用面や、勉学面で1番良かったのは、フィリピンです!そこで、何か手応えや、海外への不安さがなければその翌年に、1年留学、ワーキングホリデーでいこうと思
さぁ海に潜れる日が目前となってきました!!久しぶりに入る海はとっても緊張感あり!器材の準備は?ログブックの記入法は?体調は?バディとのコミュニケーションは?確認することが山ほどあります。でも嬉しいこの感覚。初めての海ダイビング講習を迎える時のドキドキ感初ツアーに参加する時には先輩ダイバーの間に入って何をしたら良いのかわからない緊迫感そして最も緊張したのは初めての海外ダイブトリップ!見るもの全てが知らないことだらけで本当に右も左も分からない、とは
こんばんは🌇僕は古着のバイヤーになる為に田舎から上京した30歳の男です。僕が住む東京も先日緊急事態宣言が解除されました。そんな中僕は10日後にアメリカへ行く事になりました。今回の渡米は仕事の出張です。古着の買い付けです。自分がアメリカに行く事になり、ちょっとアメリカの現状について調べてみました。アメリカと言えば新型コロナの影響を最も受けた国です。っていうか今も?コロナによる死亡者数は10万に達する勢いです。5月25日時点でも1日での感染者数は18,586人と発表されていま
高校のクラスメートの数人が、同じ市の在住者で、彼女たちは姉妹都市へのホームステイ経験者でした。彼女たちはアメリカのTVドラマシリーズを見ていたし、洋楽が好きで、知識もたくさんありました。入学した時点からのスタートラインが全く違う私…でも、そんな彼女たちの話を聞いているうちに、海外に興味がわいてきたのも事実。姉妹都市。。。そして私が住む市にもアメリカに姉妹都市があり、姉妹都市提携を結ぶアメリカのその年との交流事業で夏季ホームステイ体験をやっていましたある日母
思春期の頃はだれもがいろんな意味で生きづらさを感じる時期だろう。ここでこんな風に私は生きるのではなく、きっとどこかに私が私らしく生きる場所があるはず・・・。そんなことを思うのは私だけではないだろう。そんな気持ちで悶々としていた私が外の世界に目を向けたのは自然なことだった。そしてはまったのが洋楽。イギリスのおしゃれなポップ音楽やアメリカのロック、そして歌っている彼らは中学生の私にはとにかくカッコ良すぎた。ここだ!ここが私の生きるところ!と信じたことが、私の英語人生のスタートだったと思う。
私「これ、大丈夫ですか?」と、言うと店の人はごく普通に「大丈夫ですよ。」と答えた。思えば、あの事件からも毎日、大韓航空は飛んでおり、事件も事故も聞かなかったので、店の人も特に何も思わなかったのであろう。パスポートは準備できていたが、ビザが必要で、大阪まで行かなければならなかった。店が代行していたのだが、お金が掛かるので自分で取ることにしたのである。そして、ビザを取るには、航空券の提示が必要ということであった。店の人は「航空券の発行はまだできませんが、コピーでも行けます。」と
成田空港、行ったことある?ありますよぉ~✌成田空港出来たのが1978年でしょ?私が初めて利用したのは2年後の1980年、当時は北ウイングしかなかったのよね?今はなきPANNAMの直行便でニューヨークに行きました。初めての海外で一人旅よ😅と言ってもニューヨークには大学時代からの仲良しが居たから、着いたら一人旅ではなかったのだけどね。オープンチケットで行ったから、居られるぎりぎり居て、チケット予約した時にはなんと値上げしていて、差額を払ったら数百円しか残らず!大学時代の仲良しは私が
成田空港、行ったことある?一度だけ利用したことがありますあれはパスポート取って、初めての海外出張でした。羽田からリムジンバスに乗り、ディズニーランドを横目に緊張と不安でテンパっていた事を思い出します空港には十人十色。色んな人の思い出が詰まった場所ですね。また、パスポート取得して、アメリカに行ってみたくなりましたさて、今日は運良く、鶴見線の電車が前を通りました5、6分に1本程度運行しているから、いつでも撮影出来るんだけど、目の前に現れたのは初でした通路の高さは約170センチ(対岸のそれ
成田空港、行ったことある?5月20日の「今日は何の日?」は、「成田空港開港記念日」で、予想が的中🎯です。成田空港の反対運動な過激派が絡んだ闘争がありました。成田空港は、1978年5月20日に開港しました。当時は、新東京国際空港と呼ばれてました。検問その他、羽田空港との警備の違いに驚きました。初めての海外は、海外の大学に助教授として赴任するためでした。成田空港から出国しました。
・・・・・・・っということで、TGが会社更生手続きを申請したんだって。TGはタイ(国際)航空の呼び名で、タイのフラッグキャリアーです。ショックだなぁ~~。何故ショックかというと、ぼくが初めて乗った国際線がTGだったからです。1977年4月、羽田からバンコク乗り換えでバグダッドまで利用しました。飛行機による初めての海外で、そりゃぁ緊張しましたよ。(初めての海外は船舶で。)ぼくの英語がスチュワーデスに通じなかったり、たくさんの思い出があります。その後も何度か利用しましたが、TGだと安心
海外生活が始まったら「現地のママorパパ」を探せ?・常に味方・遊びに誘ってくれる・現地に詳しい・下手な英語を聞いてくれるこの4つを持った「ママorパパ」を1人見つけたら確実に成長する「マレーシア時代のパパ」・リゾート地で勤務中、車がないと買い出しも行けない状態で、いつもお世話になった・彼のオススメで街を案内してもらって、街の皆と知り合いだった・初めての海外滞在で英語が下手な僕の話を聞いてくれてリゾートならではのアクティビティにも無料で参加させてもらった
こんにちはかなこです先日25歳になりたくさんの方々からお祝いの言葉をいただき幸せ者です未知先生と店長のあっこさんからもプレゼントが届きサンタさんからプレゼントをもらった時の様な気持ちになりました家族では焼肉を食べにいって大好きなフルーツケーキをもらって家族みんなでお祝いしてもらえるのが久しぶりだったのですごい嬉しかったですつくづく愛されてるなと💕24歳で出会う人や初めての海外で刺激をたくさんいただいた年なので今年は逆に私がいい意味での刺激を
自粛休暇中で断捨離されている方も多いかと存じます。懐かしいフォトも沢山出てきますよね。そんな中若さキラキラ輝くフォトが出てまいりました。音高、音大と仲良しだった友人たちと卒業3年後くらいでしょうか、初めての海外に降りたった🌴嬉しそうな写真✨この頃は到着後レイを首にかけてくれたんですよ。今はそのようなサービスはなかったですが。このメンバーでは芸術祭で二台ピアノを組んで発表したり、時々旅行したりと、楽しい思い出いっぱいです。今は学校の先生をしている方、先生を引退した方
一昨日、ステキなDVDが届きました(╹◡╹)💛佐久間一行SHOW2017BOHOL〜ボホール〜私にとって、佐久間さんの初DVD📀ようこそいらっしゃいました〜笑笑(*^ω^*)💜Welcometomyhouse.表(front)裏(back)GUSH!が最初にゲットするDVD(厳密にはMカード?)になるかと思ったんですが、ずーっと気になっていたBOHOLの話題を、ちょいちょいブログやYouTube等で目にすることにより、こんなに気になってるならGUSH!を待たずして買
・・・・・・・っということで、今じゃ考えられんけど、高校2年のとき立川基地(当時は米軍の飛行場でした)で航空祭がありました。アメリカ兵がハンバーガーとか、バーベキューとかの店を出していましたが、その中にアイスクリーム屋がありました。そこのアイスクリームはアメリカ直送で、日本のものとは比較にならないほど脂肪分の高いものでした。美味しくて美味しくて、飛ぶように売れていました。カップで家族にも買ってきて、かなり溶けていたにも関わらず、こんなアイスクリーム食べたことないと口々に言いました。まだ
16年前のエジプト旅行の品が出てきた‼️先月末の大掃除でダンボール箱整理中での事。若かったあの頃は出向で台場のテレコムセンター通勤してたなぁ。あ〜懐かしい。猛烈に忙しい毎日だったけど仕事やる時はやり休む時はしっかり休む、メリハリ付けて頑張ってた自分を思い出す。そんな時の初めての海外エジプト旅行。6泊8日予算お土産込で30万。もう行く事は無いと思うけどしっかり記憶として残ってる。ちょっとだけ写真で紹介。ギザ3大ピラミッドの付近の砂漠の砂です。きめ細かい砂です。ラクダに乗るも立ち上がる際、落馬で
【収録曲】01.もう笑うしかない02.あくびがしたい03.ModeratoHeart04.少年のまま05.想い出のOldnumber06.チャピタンサスの木07.マイセレナーデ08.女もつらいよ09.あの日の忘れ物10.CrescentMoonshine緊急事態宣言が5月31日まで延長されるようですねぇ。その先のこともわからないんですが、一体どうなっていくのかという不安はありますよね。少しずつ終息に向かってはいるんでしょうが、急激にと
初めまして。前から書きたいと思ってはいましたが、忙しい日々に追われて、、最近は、そんなに追われていないので、このタイミングで何かやろうと、ブログを始めさせて頂きました。ワイン、シネマとIDに入れながら、写真は初めての海外Tripの1枚。海外渡航歴は、だいたい60ヶ国。政治情勢など諸々考えてだいたいです。諸事情により英語を勉強する気が起きず、受験は点数を取るテクニックで乗り切りましたが、大学2年の時にロンドンに行きたい気持ちが抑えられずに文化祭を無視してTripに。1
みなさん!こんにちは!ツチヤマリナです!とうとう最終話です〜!楽しくてあっという間の7日間それではアメリカ旅行7日目!let'sGo!最終日は!マジックキングダム・パーク!シンデレラ城が輝く、東京ディズニーに最も似ているパークですなので同じアトラクションも多く、ゆっくり最後のウォルトディズニーワールドを楽しみました♪コーディネートはうさ耳がアクセントだったけど、アトラクション乗車に邪魔ですぐとっちゃった笑1番初めに乗った『七人の小人のマイントレイン』の時にとっ
先日のブログがアメトピに選ばれ、ビックリと光栄で手につきません。昔話が多いですが、引き続き楽しんで頂けたらうれしいです。長女の留学留学ばなしは、本来なら本人の感動や失敗を自ら綴るのが普通で、海外に行ってもいない親父が、聞いた話をつらつらと書くのもおかしいですが、親目線で書かせてください。娘は、高校2年生の時にアメリカのコロラド州デンバーの高校に留学しました。たぶん20数年前の1997年だったと思います。ブログのホストファミリーと留学にも書きましたが、普通の留学機関ではなく個人
2020.4.17(金)この時があるから今がある2014年10月IFBB世界マスターズ&ジュニア選手権大会初めての海外遠征帯同コーチとしてメキシコへ行かせて頂いた年です。2014年は、まだメンズフィジークもビキニフィットネスも国内大会が始まったばかりで海外派遣は無く、日本代表選手5名、帯同役員2名での海外遠征でした。この時のコーチとして指名頂いた有り難い気持ちと、とてつも無く大きな不安でいっぱいだったのは今でも忘れません。その不安が的中と言うのか、本当に色々と予想外の展開ばかりが押し寄
こんにちはカラーアナリストのちえです。旅ブログです。時は、1996年9の月。日本から遥か離れた西の国、英国の首都ロンドンにて事件は起こりました。初めての海外がロンドン語学留学の私。滞在も2週目になり学校や生活、ロンドンの街にも慣れた頃、ロンドン中心部にあったハーゲン◯ッツで日本人のクラスメイトたちと一緒にアイスクリームを食べながら、語学学校で出された宿題をしていました。食べながら、おしゃべりと宿題をしていたので、テーブルにアイスクリームをこぼしてしまい、ベタつくので
私が初めて海外に行ったのは1985年、9歳の時。商社に勤めていた父の転勤で台湾の高雄市に行くことになったのだ。当時母はNHK特集のシルクロードやなるほど!ザワールドと言うクイズ番組が好きで、私もよく一緒に見ていた。見たことのない人々、珍しい食べ物、砂漠の暮らし・・・もしかしたら、この頃から私も外国に興味を持ち始めていたのかもしれない。台湾って一体どんな所なんだろう?台湾に引っ越すよ、と聞いて私が想像していたのは、赤い中国っぽい建物がいっ
親友に、私の仕事が『なぜ英語なの?』と聞かれ、私の原点を思い出してみました。初めての海外。それは、高校生の時に行ったアメリカ、カリフォルニア州。まだ、当時新しかった関西国際空港からノースウエスト航空で飛び立ったのを覚えています。初めての飛行機、初めての海外。英語科の担任だった山下先生の隣の座席で未知の世界へ向かうことに緊張しながらもただただワクワクしていました。シアトルを経由して、
さあなヒストリー初の海外で舞台に挑戦した日々と、フリーハグの思い出。その1はこちらその2はこちらでは、続きです!どうぞ!語学学校を卒業した後も、毎日絶対英語の勉強は続ける、と決めていて、家で勉強したり、図書館で勉強したり、どうしてもやる気が出ない時は英語の歌を練習する、ということを課題にしていました。歌詞の意味を調べて、覚えて、歌う…これでも何もしないよりはマシだ、と思って。この時に何度も公園で練習したリトルマーメイドの「パートオブユアワールド」は、この後帰国し
ほんとはゴールデンウィークに日本に来る予定だった彼。ビザが取れたのが嬉し過ぎたのか早く行きたくてたまらなくなったのか、急に来週行く!と言い出した。いやいやいやいや。こんな時期に?!と私の周りの人にもめちゃくちゃ言われました。でも、どうしても行くと。コロナになるのも怖くないと。結局ちゃっちゃと自分で航空券も取って。3月中旬、ビザを取ってから10日足らずでプノンペン→成田ANA直行便でやってきました。初めての飛行機で。初めての海外で。日本に来てどう思うのか、こんな寒いとこ来て
モード誌編集者歴35年の平工京子です。1984年12月6日とスタンプが入った写真。スリランカで。(↓初めましての方は、こちらへ)プロローグモードな乞食ルックを追いかけてからの続ききょうは、私のブログの原点でもある『流行通信』物語の第7話をリブログします。入社試験の結果が補欠で、約8か月間の自宅待機の後に1983年1月に『流行通信』編集部に入った私こと、ヒラク。別にこの編集部に入りたくて入ったわけじゃないと、不満た
3月8日から28日までカナダのビクトリアに留学してきました!🇨🇦初めての海外で緊張半分、楽しさ半分…でもなんかもっと心配してたのは親とか弟だった気がします笑いざ、現地について、ホームステイ先まで留学エージェントの方に送ってもらって、その家のルールとかを一通り確認。でもエージェントの方とホストマザーが喋ってるスピードが速くてうまくやっていけるかな…と結構不安になりました。さらに、シャワーのお湯を使っていい時間が10分って決められてたり、洗濯が週に一回だったり、カルチャーショックもありました。