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桜が間もなく満開を迎えます。読者の皆様の中には、こんな自然のエネルギーが満ち溢れているときに、何故縁起でもない「死」を取り上げるのだろうと、いぶかしく思われる方もいらっしゃるかもしれません。人間は絶頂の時ほど、最悪の事を考えるものである。と言う言葉がありますように、今の時期って、私たちの意識が最も『死』に近いところにあるような気がするのです。私だけかもしれませんが・・・。さて、「死につつある人」と言うタイトルですが、皆様は「死につつある人」ってどういう人をイメージされますか?余命いくば
お正月ですもの晴れやかな小紋❓を着ちゃいました派手?ちゃぁ―、派手かも?お正月ですもの節制は今週末からでイイわよねMax.体重維持し続けてます最後に:正月は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし~←ポチお願いしますにほんブログ村
一休さんの歌「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」当時は新年になると一斉に歳を重ねたので、お正月になるとまたお迎えが近くなったという事なのでしょう。門松はありませんが、本日「冥土の旅の一里塚」を迎えてしまいました。うーーむ、あまり嬉しくない。実父は早死にしたので、もう既に実父の享年を超しています。親父が亡くなったときには、随分と歳を取ったなぁと感じたものでしたが、自分がその年齢を過ぎてしまっている現実に戸惑っております。今年は、ち
今日は私の誕生日です。もうこの歳になると、誰からも祝ってもらえないし、そもそも自分でも、そんなに嬉しくはありません。「あぁ、何とか1年生き延びて、この歳の一里塚に辿り着けたなぁ・・」ぐらいでしょう。自分の、いつ来るかは分かりませんが、余生のカウントダウンをするようになりました。正月と誕生日が近いから、まさに「冥土の旅の一里塚」です。今まで何をして来たんだろう・・。「夢を削りながら年老いて行く」という歌の文句のままの余生。ささやかでもいいから、何か生きていた証を見つけたいとは思ってい
新年を迎えて数日が経つ。正月と言ったって、年寄りにとっては「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくも無し」って所で、それほど格別なものではなくなるな。ただ、新年って、カレンダーが変わるだけなのかも知れんけど、ちょっとした節目ではあるな。毎年この時期には今年はどんな年になるか、どんな年にしたい、って思いを馳せる。さて、どんな年になるんでしょうか?ロシアの戦争が終わらない限り、世の中の安寧は来ないんでしょうね。引き続き物価は高騰し、経済が低迷する、ってか、暮らしがキツク
長かった、、愛するSHOHEIの20連戦、、、お疲れ様でした!この20連戦で、エンジェルスが移動したのはびっくりの9000キロ!?東京からフランスまで行ける距離、、その中で毎日毎日、、、投げて打って走って!SHOHEIだけでなくMLBPlayer全員がね!そのダイナミズムには!ほとほと驚愕と敬意を!で、、今日はSHOTIMEはお休み俺には冥土の旅の、、、残り少ない一里塚の日振り返れば、、虚を打ち、空を撃った闘い、の、中で遊び呆け、、酒浴び続け、薔薇の
正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなしとは一休禅師の狂歌だが、今年の正月一里塚には「すぐそこ」と、新型コロナウイルスの落書きがされているような気がする。☆おまけ【いいねおみくじ】//////////////////////////////・この記事を御覧になった時点の「いいね」の回数0~9:大吉吉方偶数:東10~29:吉奇数:西30~59:中吉60~99:小吉100~:末吉※今年も宜しくです。
一休さん、一休宗純、の有名な歌にこんなのがありますよね。門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし【画像出展:WikipediaFile:PortraitofIkkyūbyBokusai.jpg】6月1日が就活の面接解禁日で、内定が続出という”明るい“ニュースが飛び交っていますが、それを聞いて私の頭に浮かんだのが、件の一句です。若い人たちは、大企業への就職が決まったと喜ぶのですが、しかし終身雇用というのは、転職の自由を自ら放棄するということなんです
22才の頃です嵐山で戻りたいけど戻れないってか戻りたいとも思わないかな正月🎍は冥土の旅の一里塚日本酒飲んで昼寝してほなのー
メデタクモナシ忘れてた誕生日冥土の旅の一里塚年数的にはカウントダウンが始まったかな憎まれてもいいや長く生きてやる!!憎まれ子世にはばかるってね!!201918・・・・早過ぎるか302928・・・・これくらいが丁度いいかな??
あけましておめでとうございます。年末年始、実家に帰省しました。両親の暮らしは、老人の人生の旅そのものです。何がよいも悪いもなく。生きてきたからこうなった。わがままでも気配りの末でもなく。生きていけるようだからこうしていく。納得できるか、不満を持つか、それだけのこと。希望を楽しみに待ちながら、楽しく過ごすこともできる。見えない明日を思うことにも疲れて、嘆いて過ごすこともできる。思うに任せないのが人生。「またおいで」と私にかけられた言葉は、親の子としての私にだけでな
メメント・モリ1:忘れじの行末より。「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」一休禅師がよんだとされている歌で、正しくこのような歌であったかはあやしいが、骸骨を杖の先に付け、正月に「ご用心、ご用心」と触れ歩いたのは確かなようだ。これぞ日本版「メメント・モリ」であろう。この時代、死は現代と比べ物にならないほど身近にあった。直視せざるを得ないものであった。だから、日本人にとっては、死後の世界は、すぐそこにあるものだった。死への境界は、すぐそこに迫ってきているもの