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芹乃は首を振った「いや、私は丈おじのおかげで今日まで生きてこられた。何かできることがあれば、何でもしたい。大悟とは幼なじみだし、兵衛様とも・・・」そこまで言って、芹乃は悲しい顔をした。「芹乃、兄上のことだが、芹乃を騙そうとしたわけではないのだ。考えてみれば、兄上はあの伯父に育てられたのだ。俺たちのように自由な生活ではなかったはずだ。実の父ではないし、遠慮もあっただろう。まして、葵殿とのことは生まれた時から決まっていたことなのだ。兄の気持ちなどおかまいなしに」そこまで言って、
「それにても、伯父上はかたくなすぎるのではないか」大悟も洸綱の態度に、ひどすぎるのではないかと感じていた。「あの方は昔からそういう方なのだ」丈之介はぽつりと言った。「親父、俺は母上に対する物言いも不愉快だ。昼間は初対面だったし、菊之介が食ってかかるのを止めたが、実のところは俺も菊之介と同じ思いだった。それに桐紗殿にしても、あれほど熱があるのに、家に置いておけぬとは、了見が狭すぎる」「大悟、言いすぎだ。あの方は涼原の殿様で、我らは家来。我が主筋の方に、何を言われても何をされても
「それにても、伯父上はかたくなすぎるのではないか」大悟も洸綱の態度に、ひどすぎるのではないかと感じていた。「あの方は昔からそういう方なのだ」丈之介はぽつりと言った。「親父、俺は母上に対する物言いも不愉快だ。昼間は初対面だったし、菊之介が食ってかかるのを止めたが、実のところは俺も菊之介と同じ思いだった。それに桐紗殿にしても、あれほど熱があるのに、家に置いておけぬとは、了見が狭すぎる」「大悟、言いすぎだ。あの方は涼原の殿様で、我らは家来。我が主筋の方に、何を言われても何をされても、我
兵衛も同調し、大悟も覚悟を決めた。大悟は龍車に向かって、弓を引き絞った。「南無八幡大菩薩!」大悟は矢に思いを込めると、菊之介、兵衛も飛び上がった。今だ!と心の声が叫んだ。大悟が矢を放つと、一閃の光が龍車に向かって飛んでゆき、それと時を同じくして、菊之介と兵衛も太刀を振り上げた。光の矢が龍車の額に突き刺さる寸前、菊之介と兵衛の太刀も同じ場所に切りかかった。三人の力が一つになって、龍車の額は大きく割れた。「おのれ、噂通りの三つ・・・巴の龍め・・・」龍車が苦しみだして上昇し
兵衛も同調し、大悟も覚悟を決めた。大悟は龍車に向かって、弓を引き絞った。「南無八幡大菩薩!」大悟は矢に思いを込めると、菊之介、兵衛も飛び上がった。今だ!と心の声が叫んだ。大悟が矢を放つと、一閃の光が龍車に向かって飛んでゆき、それと時を同じくして、菊之介と兵衛も太刀を振り上げた。光の矢が龍車の額に突き刺さる寸前、菊之介と兵衛の太刀も同じ場所に切りかかった。三人の力が一つになって、龍車の額は大きく割れた。「おのれ、噂通りの三つ・・・巴の龍め・・・」龍車が苦しみだして上昇しよう
「兵衛兄上、お願いがあります」菊之介は改めて兵衛を見つめた。「芹乃殿ときちんと話し合ってください。たとえ答えがひとつしかなくとも、ちゃんと話をするのが、男のけじめではないでしょうか」「そうだな。菊之介の言うとおりだ。芹乃とは明日会って話をする。男の責任として」菊之介はふてくされている大悟にも言った。「これでいいですか、大悟兄上」大悟はしぶしぶ頷いた。菊之介、大悟、兵衛が家の中に戻ろうとした時のことであった。夜だというのに、屋根の上を数千羽鳥の大群
「兵衛兄上、お願いがあります」菊之介は改めて兵衛を見つめた。「芹乃殿ときちんと話し合ってください。たとえ答えがひとつしかなくとも、ちゃんと話をするのが、男のけじめではないでしょうか」「そうだな。菊之介の言うとおりだ。芹乃とは明日会って話をする。男の責任として」菊之介はふてくされている大悟にも言った。「これでいいですか、大悟兄上」大悟はしぶしぶ頷いた。菊之介、大悟、兵衛が家の中に戻ろうとした時のことであった。夜だというのに、屋根の上を数千羽鳥の大群が飛び回っている
「芹乃は何も言いません。俺はあいつと幼なじみです。十四年間いっしょに育ってきました。芹乃の悲しみは俺の悲しみです」兵衛は苦しそうに、口を開いた。「愛していた。本気だった。逃げようと誘ったが、芹乃の方から断られてあきらめた。もう会わないと思っていたが、今日たまたま義父上と葵が出かけることになり、我慢できず会いに行ってしまった。だがもう会わない。何もかもわかってしまい、芹乃を傷つけた」「当たり前だ!」大悟は言うが早いか兵衛を殴りつけた。兵衛はふいをつかれて転んだ。菊之介は驚い
「芹乃は何も言いません。俺はあいつと幼なじみです。十四年間いっしょに育ってきました。芹乃の悲しみは俺の悲しみです」兵衛は苦しそうに、口を開いた。「愛していた。本気だった。逃げようと誘ったが、芹乃の方から断られてあきらめた。もう会わないと思っていたが、今日たまたま義父上と葵が出かけることになり、我慢できず会いに行ってしまった。だがもう会わない。何もかもわかってしまい、芹乃を傷つけた」「当たり前だ!」大悟は言うが早いか兵衛を殴りつけた。兵衛はふいをつかれて転んだ。菊之介は驚いて兵
すっと丈之介が、菊之介の腕を取った。「もう、やめるのだ、菊之介」「しかし、父上。父上も母上を・・・」「わかっている。桔梗のことは信じている。だが菊之介、失礼なことを言ってはならん」丈之介はそう言うと、また洸綱に手をついた。「洸綱様、申し訳ございませぬ。この菊之介は姫様育ちゆえ、武人のことはまだよくわかりませぬ。これから、しっかり息子として育て直しますゆえ、お許しください。菊之介、頭を下げるのだ。」そう言って丈之介は、洸綱に頭を下げた。大悟も一緒に頭を下げていた。菊之介は
すっと丈之介が、菊之介の腕を取った。「もう、やめるのだ、菊之介」「しかし、父上。父上も母上を・・・」「わかっている。桔梗のことは信じている。だが菊之介、失礼なことを言ってはならん」丈之介はそう言うと、また洸綱に手をついた。「洸綱様、申し訳ございませぬ。この菊之介は姫様育ちゆえ、武人のことはまだよくわかりませぬ。これから、しっかり息子として育て直しますゆえ、お許しください。菊之介、頭を下げるのだ。」そう言って丈之介は、洸綱に頭を下げた。大悟も一緒に頭を下げていた。菊之介は不服
「母の家は新城を治めていた涼原家です。母の兄は涼原洸綱、その娘は葵殿と申すはず」兵衛はやっと、自分も腰をついた。「疑ってすまなかった。我々は追われている身。つい警戒してしまったのだ。わたしは涼原兵衛。幼名は丈丸だ。まさか、生きて会えるとは思っていなかったぞ。伯父の洸綱も葵も健在だ」そこまで言って、兵衛は後ろを振り返った。あまりの衝撃的な出来事に、一瞬芹乃のことを忘れていた。芹乃は駆け寄って来た。「兵衛様、どうしたのだ」大悟は驚いて立ち上がった。「芹乃、芹乃ではないか。父上
丈之介の家では、珍しい客が訪れていた。洸綱が鍔をたどって、丈之介を見つけたのだ。丈之介は洸綱の前に手をついていた。「丈之介、もうよい。顔を上げるのじゃ。わしはおまえが生きていてくれて、嬉しいぞ。おまえと桔梗の子、丈丸も成人して兵衛と名乗り、我が娘葵と夫婦になった。すぐにもひき逢わせたい」丈之介が顔を上げると「丈おじ、良い知らせだ。大悟が生きておったぞ」という声とともに、芹乃が帰ってきた。「では、桔梗は生きておると言うのだな」洸綱が額にしわを寄せて言った。菊之介と大悟は、
「いいや、芹乃のせいではない。わたしが悪い。すべてわたしが悪いのだ」その時兵衛の胸の中の、母桔梗の形見の柄がカタカタ鳴り出した。驚いて芹乃から離れると、兵衛の背中から光が放たれた。兵衛は甘露を過ぎたところで、同じことが起こったことを思い出した。兵衛が振り返ると少し離れたところで、二人の若者がやはり体から光を放っていた。さらに柄が兵衛の胸から飛び出し、二人の方へ飛んだ。ひとりの若者の懐からは鍔が、もうひとりの若者からは太刀が飛び出し、三つの道具はぶつかってカランと音をたてて落ち
「母の家は新城を治めていた涼原家です。母の兄は涼原洸綱、その娘は葵殿と申すはず」兵衛はやっと、自分も腰をついた。「疑ってすまなかった。我々は追われている身。つい警戒してしまったのだ。わたしは涼原兵衛。幼名は丈丸だ。まさか、生きて会えるとは思っていなかったぞ。伯父の洸綱も葵も健在だ」そこまで言って、兵衛は後ろを振り返った。あまりの衝撃的な出来事に、一瞬芹乃のことを忘れていた。芹乃は駆け寄って来た。「兵衛様、どうしたのだ」大悟は驚いて立ち上がった。「芹乃、芹乃ではないか。父上は、
洸綱は鍛冶屋町で、自分の太刀に付いていた新しい鍔について調べていた。その鍔には見覚えがあった。かつて、妹・桔梗の夫である草彅丈之介が作ったものとよく似ていたのだ。先のいくさの時、桔梗が嬉しそうに見せてくれた丈之介の鍔。今はその鍔の付いていた太刀の柄を、桔梗の形見として兵衛が持っている。今の洸綱の持つ太刀の鍔は、まるきり同じではないが、洸綱の記憶の丈之介の鍔に違いなかった。洸綱は鍛冶屋町で、鍔を作った職人の家を聞き出し、その家に向かっていた。兵衛は鍛冶屋町にやって来た。いった
「いいや、芹乃のせいではない。わたしが悪い。すべてわたしが悪いのだ」その時兵衛の胸の中の、母桔梗の形見の柄がカタカタ鳴り出した。驚いて芹乃から離れると、兵衛の背中から光が放たれた。兵衛は甘露を過ぎたところで、同じことが起こったことを思い出した。兵衛が振り返ると少し離れたところで、二人の若者がやはり体から光を放っていた。さらに柄が兵衛の胸から飛び出し、二人の方へ飛んだ。ひとりの若者の懐からは鍔が、もうひとりの若者からは太刀が飛び出し、三つの道具はぶつかってカランと音をたてて落ちた。
洸綱は鍛冶屋町で、自分の太刀に付いていた新しい鍔について調べていた。その鍔には見覚えがあった。かつて、妹・桔梗の夫である草彅丈之介が作ったものとよく似ていたのだ。先のいくさの時、桔梗が嬉しそうに見せてくれた丈之介の鍔。今はその鍔の付いていた太刀の柄を、桔梗の形見として兵衛が持っている。今の洸綱の持つ太刀の鍔は、まるきり同じではないが、洸綱の記憶の丈之介の鍔に違いなかった。洸綱は鍛冶屋町で、鍔を作った職人の家を聞き出し、その家に向かっていた。兵衛は鍛冶屋町にやって来た
「義姉上が美しすぎるからいけないんです。子供の頃から、どれほど眩しかったか。今のわたしには眩しくて目を開けていられない。恥ずかしくて、言葉を交わすこともできない。子供の時のように素直に、手をつないだり抱きしめあったりしたいけど、それはもう妹としてではなく、男と女のこと。義姉上の気持ちもわからないし、聞く勇気もないのに、どうして自然に話せるんだ。わたしは義姉上が・・・義姉上が、好きなんです。ずっと前から。義姉上・・・」菊之介は座り込んだまま頭を抱え込んだ。する
「義姉上が美しすぎるからいけないんです。子供の頃から、どれほど眩しかったか。今のわたしには眩しくて目を開けていられない。恥ずかしくて、言葉を交わすこともできない。子供の時のように素直に、手をつないだり抱きしめあったりしたいけど、それはもう妹としてではなく、男と女のこと。義姉上の気持ちもわからないし、聞く勇気もないのに、どうして自然に話せるんだ。わたしは義姉上が・・・義姉上が、好きなんです。ずっと前から。義姉上・・・」菊之介は座り込んだまま頭を抱え込んだ。すると涼
「このまま二人でどこかに行こう」「何を言い出す。そんなことしなくても、いつか丈おじに会わせるさ」会わせる、と言われて兵衛は一瞬たじろいだ。そんなことできるはずがない。妻のいる身では、逃げる以外に方法はない。「いっしょに逃げてくれないか。芹乃と二人ならどこで暮らしたってかまわない」兵衛の視線の真剣さに、今度は芹乃がたじろいだ。そして兵衛の腕を振りほどいた。「どうかしている。どうかしているぞ、兵衛様」「あぁ、どうかしているさ。芹乃といっしょになるためなら、何だってする」「いっし
「このまま二人でどこかに行こう」「何を言い出す。そんなことしなくても、いつか丈おじに会わせるさ」会わせる、と言われて兵衛は一瞬たじろいだ。そんなことできるはずがない。妻のいる身では、逃げる以外に方法はない。「いっしょに逃げてくれないか。芹乃と二人ならどこで暮らしたってかまわない」兵衛の視線の真剣さに、今度は芹乃がたじろいだ。そして兵衛の腕を振りほどいた。「どうかしている。どうかしているぞ、兵衛様」「あぁ、どうかしているさ。芹乃といっしょになるためなら、何だってする」「いっしょに
「だめ、汗かいてるから離して」芹乃がもがきながらそう言うと「平気だ」と兵衛が言って、さらに腕に力を込めてきた。「いや、私、仕事の後はすごく汗臭いもの。自分でわかってるから。お願い離して」「平気だ。平気だから、もう少しこうしていたい」兵衛は芹乃を前に向き直させると、さらに抱きしめた。「だめ、だめ」芹乃は子供のように何度も同じ言葉を繰り返す。「少し黙って。少しだけ静かにして」芹乃はやっと抵抗をやめて、兵衛の胸に顔をうずめた。生まれた時から葵と夫婦になると決まっていた兵
「妹御は十六か。私と同い年だ」芹乃が言うと、兵衛は葵を妹と言ったことに後ろめたさを感じた。まさか同い年とは考えてもいなかった。だが、その後ろめたさは葵に対してなのか、芹乃に対してなのか、今の兵衛にはわからなかった。話は妹の歳のことになり、兵衛と芹乃は少しだけ打ち解けた話し方ができるようになった。兵衛は芹乃を家まで送っていった。家の前で別れると、丈之介が待っていたように出てきた。「芹乃、いつもより遅いではないか。心配したぞ」丈之介は男の後姿を見つけた。「あれは誰だ?」「客だ。
「だめ、汗かいてるから離して」芹乃がもがきながらそう言うと「平気だ」と兵衛が言って、さらに腕に力を込めてきた。「いや、私、仕事の後はすごく汗臭いもの。自分でわかってるから。お願い離して」「平気だ。平気だから、もう少しこうしていたい」兵衛は芹乃を前に向き直させると、さらに抱きしめた。「だめ、だめ」芹乃は子供のように何度も同じ言葉を繰り返す。「少し黙って。少しだけ静かにして」芹乃はやっと抵抗をやめて、兵衛の胸に顔をうずめた。生まれた時から葵と夫婦になると決まっていた兵衛と
「というわけで、それから通ってきているのさ。もう半年になるかねぇ。まぁ、源佐といえばわしらにとっても、神様みたいな人だったからな。その孫ともなれば、女とはいえ親方も育ててみたくなったわけだ」「それで、ものになりそうなんですか」兵衛は芹乃の仕事ぶりを覗き込むように見ていた。「まだ海のものとも山のものとも。ただやめるなら、もうとっくにやめているだろうから、根性はありそうですがね」兵衛はじっと芹乃を見続けた。不思議といつまで見ていても飽きなかった。日が暮れて一日の仕事が終わ
「妹御は十六か。私と同い年だ」芹乃が言うと、兵衛は葵を妹と言ったことに後ろめたさを感じた。まさか同い年とは考えてもいなかった。だが、その後ろめたさは葵に対してなのか、芹乃に対してなのか、今の兵衛にはわからなかった。話は妹の歳のことになり、兵衛と芹乃は少しだけ打ち解けた話し方ができるようになった。兵衛は芹乃を家まで送っていった。家の前で別れると、丈之介が待っていたように出てきた。「芹乃、いつもより遅いではないか。心配したぞ」丈之介は男の後姿を見つけた。「あれは誰だ?」「客だ。たま
芹乃は粛清に来てから市場で野菜売りの手伝いをしていたが、丈之介が鍔を作っていることもあって、鍛冶屋町に用事を頼まれることがあった。鍛冶屋町は独特の匂いがあった。刀鍛冶の源じいの孫である芹乃は、若くして亡くなった父も刀鍛冶で、生まれた時からこの懐かしい匂いの中で育ったのだ。何度か鍛冶屋町に足を運ぶうちに、芹乃は自分で打ってみたい、と思うようになった。そして、ある日ついに刀鍛冶の弟子入りをしたいと申し出た。もちろん、誰も相手をしなかった。女に刀鍛冶が勤まるとは思わなかったからだ
時は少しばかり遡る。兵衛・葵・洸綱が粛清(しゅくせい)にたどり着いた時、もう桜が咲き始めていた。洸綱は町外れに手ごろな家を借りて、子供を集めて算術などを教え始めた。来良(らいら)にいた時も、同じことをして生計を立てていた。また兵衛はその手伝いをしながら、時々望む者に太刀の手ほどきをしていた。葵もお針子の仕事を少しもらえるようになった。それぞれができることをしながら、機をうかがっていた。「兵衛、わしの太刀もおまえの太刀も、打ち直してはどうだろうか」「太刀をですか」洸綱は自