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浄土宗大本山光明寺。その境内の中心に、本堂!ただ、残念ながら、現在は補修工事中で入れず。この本堂、江戸時代中期の元禄11年(1698年)の再建で、鎌倉では最大だとか。本堂に安置されていた本尊は、一時的に隣の開山堂に移動されている。左が開山堂。↓★在庫あり★マスク50枚50+1枚入りマスク激安不織布マスク三層フィルター三層マスクプリーツマスクレギュラー大人用使い捨てマスク立体3層不織布高密度フィルターノーズワイヤー花粉症花
東京メトロ日比谷線築地駅1番出口から徒歩4分、築地本願寺の裏手にあります。住宅地の中に決して目立つことのなく、ひっそとりと佇んでいます。落ち着いた感じの入口は高級料亭を思わせる雰囲気です。恐る恐る入口の戸を開けると...店主に丁寧に迎えていただきました。明るい雰囲気の店内、左側にカウンター席、右側にテーブル席があります。カウンター側一面に大きな冷蔵庫があり、多くの日本酒が並んでいます。せいろそば粉の香りが高く、程よいコシの強さがあります。キリッとしたカエシのつゆで、より締
2020年10月京都文化博物館松竹映画100周年21日13時30分18時30分24日13時30分17時『元禄忠臣蔵前篇』1941年興亜・松竹作品22日13時30分18時30分24日13時30分17時『元禄忠臣蔵後篇』1942年松竹下加茂作品溝口健二監督の超大作です。真山青果作の同名戯曲の大部分を精密に映画化しています。松の大廊下における浅野内匠頭の刃傷事件から、内蔵助が切腹の座に従容と歩む場までを重厚に語ります。ドラマの見せ場はかな
本日、久しぶりに涼しく、過ごしやすいので、外出予定を変更して、荷物部屋の片付けに着手~とはいえ、一度に片付けができるはずもなくですが(^^;で、引っ越して片付けていた最後の段ボール半箱(ほとんど本と辞書)に5年前に亡くなった父方の伯父の遺品に、過去帳の写しが挟まっていました。過去帳の初代は本家から別れたところからなんですが、時代は【元禄】から…(^^;【元禄】って江戸時代…西暦1688年から1704年第5代将軍徳川綱吉の時代なんですよね💦それから数えると、伯父の代が12代目…約330
元禄開珎一分形態:丸形穴あき銭分類:試鋳銭サイズ:直径25mm、厚さ1.8mm量目:7.9g材質:銅お宝度:◎◎◎作銭度:中元禄太珎一匁形態:丸形穴あき銭分類:試鋳銭サイズ:直径33mm、厚さ2.5mm量目:15.4g材質:銅お宝度:◎◎◎作銭度:中今回紹介するのは和同開珎を意識したとしか思えない元禄銭と称ばれる2手の丸形穴あき銭です元禄銭には元禄
築地にあるお店蕎麦と日本酒の専門店に行ってきましたコロナ禍で長男たちと私たちともう1組だけ日本橋元禄隠居に行ってきました。本当に久しぶりの外食です。お店に入ったらずらりと日本酒ほとんど日本酒は頂きませんが、美味しいものとのお酒の勉強会につられて行ってきました。色々のお酒を店主自ら説明をしてくださいました。数種類のお酒を器を変えて飲み比べたりお酒の色々なお話し例えばグラスで飲むとスッキリ、酸味を感じる薄い酒器は唇に当たる部分が薄く、味わいを感じやすい備前焼で
社会人になってから、日本国内では関東圏を転々としていますが、30歳を過ぎた頃から、必ず近所にお気に入りの蕎麦屋を作ります。一時帰国扱いだったこの時も、一度しか行かれなかったけど徒歩3分の所にお気に入りを見つけました。9年ぶりに足利市に住むことになり、当時通っていた蕎麦屋へ行こうとしたら、無くなっていた。理由は分からないけど、無くなっていた。この地は美味しい蕎麦屋が多いから新しい店を開拓しようとしていたのですが、友達が頻繁にインスタに投稿していた蕎麦屋が気になっていたので、そこへ。当時も
金堂2018.7.29今日(投稿日)は、雨が降ったかと思うと晴れ上がったりの繰り返しという、なんとも言えないお天気。昔痛めた腰がツラい…さて、唐招提寺さんも久しくお参りしていません。蓮はまだ咲いているのかな?※※※今日のもう1枚鬼瓦。側面に、「金堂鬼」「元禄」などが刻まれています。
【ヤットデタマン】第3話「江戸の長屋の銀の犬?」〔#タイムボカンシリーズ#ヤットデタマン#タイムボカン〕1981年(昭和56年)の作品舞台は1694年(元禄7年)の江戸。綱吉は7年前に生類憐みの令を出し、この年、特に犬を大切にするようお触れを出していた。〔午前9:06·2020年7月21日〕〔#ヤットデタマン〕1694年(元禄7年)から7年前は1687年(貞享4年)。カレン姫は「1694年」を「1964年」と誤っていっていた。しかしワタル、コヨミたちは16
五月雨や鮓の重しもなめくじり上島鬼貫今朝も雲が暑い。部屋の湿度は64%、むしむししている。早く梅雨が明ければいいのに、という気分である。長野県に住む俳文学者、玉城司さんたちによって、『元禄名歌句集略注』(上嶋鬼貫篇)が出た。『元禄名歌句集』は荻野清が信徳、素堂、来山、言水、才麿、鬼貫の発句を集めた一冊(昭和29年6月、創元社刊)。この本にある鬼貫の871句について略注というかたちで玉城さんたちは読みを示してくれた。今日の句については「降り続く五月雨の長雨、すしの上に置いた重しの石
おはようございます気温24.0℃最高気温予報は28℃です蒸し暑いです湿度高いんでしょう昨日は息子夜勤行くの遅かったんで今朝は眠いです駅の仕事は終電終わってからなので家出たのは11時前でした帰って来るのは何時かな散歩してないですリハビリのストレッチしてますが暑くて少ししか出来ないです今度リハビリ行くの3週間後です海の日とスポーツの日連休なので・・・7月11日土曜日☂「ラーメンの日」2017年〈平成29年〉に日本ラーメン協会が定めた。7月11日の、
高浜虚子(85)/俳句はかく解しかく味う「松尾芭蕉、炭太祇、与謝蕪村、高井几董、大島蓼太、正岡子規、渡辺水巴(65)、小林一茶、黒柳召波」《大岡信(86)》(1刷・1989/10/16)(岩波文庫)360円-岩波書店202p1953/(角川文庫)1937/(新潮文庫)俳句は斯く解し斯く味ふ1918/4/(新潮社)俳句はかく解しかく味う(岩波文庫)/高浜虚子¥1前橋
午前中のオフを活用して後楽園を散策。後楽園を訪れたのは、何十年前に一回。後楽園とお隣りに有る岡山城の共通券を購入。値段は580円。三大名園のひとつ後楽園。残り二ヶ所は(石川県の兼六園と茨城県の偕楽園)。岡山後楽園は、岡山城藩主、池田綱政公が家老の津田永忠に命じて、貞享4年(1687年)に着工、元禄13年(1700年)には一応の完成を見ました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられています。平日の午前中、人影はまばら。
元禄の道標元禄九年に在原業平ゆかりの八橋無量寺への道標として建てられた。藤田屋知立名物大あんまきで有名です。長傘派?折り畳み傘派?ビニール傘派?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
岡山県には多くの離島があり、その島ごとに違った魅力があるために、多くの島巡りファンがいるようです。特に、芸術に特化した直島や、鉱山の遺構が完全に残されている犬島なんかの風景は素晴らしく、自分が選んだ(My)日本の風景10選に入っています。その多くの離島の中でも、行ってみたいところがありました。そこは、大多府島(おおたぶじま)です。特に見みてみたい目的物は、江戸時代の元禄年間に造られた土木遺産である石積の防波堤です。大多府島へ渡るには、日生(ひなせ)から小型フェリーに乗る方法しか無いよ
家族でお寿司を🍣ネタも美しく赤酢が効いたシャリの元禄さん😆お店の雰囲気もいつも最高‼️いるだけも美味いお店😋
ありのままの姿で、堂々と人前に出ていけばいい。西城秀樹過去に行って良かったと思う旅行先は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう日本旅のペンクラブ(旅ペン)が1988年に制定。元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ旅立った。せわしない現代生活の中で「旅の心」を大切にし、旅のあり方を考え直す日。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と言って松
5/11三山ひろしリサイタル傑作選⑤「感謝」2019年新歌舞伎座座長公演第2部歌謡ショーみやままつり2019昨年の9月を思い出しますね。楽しい、面白いステージでしたね。笑い転げた時もありました。「勝手にしやがれ」の歌とダンスは格好良かったですね。長編歌謡浪曲「元禄桜吹雪決闘高田の馬場」は素晴らしかったですね。クラマチックハーモニカ南理沙さんとのコラボ。優しく癒されました。三山さんが毎日ブログ更新してくれ、ブロ
北村透谷に「徳川氏時代の平民的理想」という評論があります。近松や芭蕉の元禄の文学を、わが国最初の平民的文学として評価した長めの力作です。その中で、「三絃の発明ありてより、凡(すべ)ての趣味の調(ととの)ふに於いて大(おおい)に平民社界を翼(たす)け、種々の俗曲なるもの発達し来れり。」という一節があります。昨日、男伊達を話題にしましたが、三味線のリズムに乗った小唄は、初の平民(庶民)の音曲だったんですね。20歳代の芭蕉はまさに時代の子でした。さて、「貝おほひ」です。13番目は蚊やり対決です。
岩国市周東町のr144を走っていると、椙杜八幡宮があり停まって撮影したときの写真がありました。●1691元禄4年、石鳥居、周東町の椙杜八幡宮、●1706宝永3年、手洗鉢、●1745延享2年、灯籠行程記にもあります。資料によると延宝九年(1681)に再建されて、宝物に元禄二年(1689)九月、高森市を中心とした有力者達寄進の「板絵著色三十六歌仙図」があるそうです。岩国市周東町のr144を走っていると、わかりにくいですが、この右側に鳥居があります
元禄3年(1690)の開設の定期市を起源とする高知市の朝市。中でも最も大規模な日曜の朝市。素朴な農産物、自宅で作った野菜をネタにした田舎寿司など、庶民が作りやすいもの販売するという市本来のあり方を現在でも残す貴重な場所です。*ブログでは画像が大きすぎて掲載できないので、当方のTwitterに掲載しておきましたのでご覧下さいませ。https://twitter.com/takeshitane/status/1255643745132744704このご時勢ゆえ、現在は営業規制中のよ
こんな時間に、ちょっとひとやすみ。。。昨日は雪もちらつき、今日もまた寒い北の大地。お家にこもって、作り続けている「ゆびぬき」作品としての難易度が5段階のうちの「4」とお高め、難しい模様だという「元禄」。。。…という言い訳()はしてみるものの、やっぱり例によって失敗作だよぉ~どこが失敗であったか、自分で反省点のメモだけはしておこう…っとその昨日できあがった失敗作が、こちら。。。前回のものと、並べて。。。配色は、アノ「本」の主人公から。。。
いろいろ落ち着かない日々が続きますね。平日は相変わらず出勤ですが、習い事の教室も土日はほぼほぼ休講が続いております。外出自粛で家ごもりの中、ひたすら苦手な開き刺しの練習していました。が、どうにもこうにもまだまだ汚いですねー💦😅お見せするのも恥ずかしいです🤪どうしたら綺麗に開き刺しできるのでしょう😭誰かアドバイスをくださいー😖くじけるので普通に並刺し練習しよう😸
のんびりな一日某有名な爆音センチュリーがいました魯肉飯ランボルギーニ横浜へ虎ノ門元禄💡https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13198565/穴子白焼き2色つけそばどこも閑散としてます#IORESTOACASA”私は家にいます”
前回はこちら大井社元禄二年社号標です。大井社元禄二年社号標の説明板です。拝殿です。拝殿をバックに自撮りをしました。大井神社の御神徳と清め祓いの神井戸の説明板です。祭儀殿です。神牛です。末社の春日神社です。末社の大井天満宮です。末社の大井天満宮の説明板です。本殿です。静霊神社の本殿です。続きはこちら
<マチムラの記憶>宝満川・筑後川江戸時代の境界論争佐賀新聞鳥栖市域では江戸時代、宝満川を加利川、筑後川を大川・境川とも呼んでいました。元禄11(1698)年10月、宝満川に関連した対馬藩田代領と久留米藩荒瀬村.東西南北大分合同新聞藩では元キリシタンを類族として、幕末までその動静を監視している。マレガ文書には多くの名前が登場し、具体的に藩のキリシタン禁制政策を探るうえで、全国的...磯田道史・評『甲賀忍者の真実末裔が明かすその姿とは』=渡辺俊経・著毎日新聞尾張藩は
[盛和塾]4(平成5年冬号)から実業社会の大人(たいじん)たるべし福澤諭吉は次のように書いております。思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術のの高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに小俗吏の才能をもってし土百姓の体をもってしはじめて実業社会の大人(たいじん)なるべし頑強な身体をもって、才能があり、商才があって、ばりばり仕事ができても、決して一人前ではない。哲学者のような素晴らしい思想、哲学、元禄武士のような素晴らしい心根を持たねばならない。ややもすれ
健康大好き❤️『ダイエット・アドバイザー』癒しの姫です😊訪問ありがとうございます😊皆さん、本当にお腹が空いてごはんを食べていますか?時間になったから食べていませんか?江戸時代・元禄(1688~1704年)頃から日本人は一日2食から3食に変わったって言われているの朝早くから起きて、ひと仕事終えたあとに朝飯を食べ、仕事の合間(4時くらい)に遅い昼飯を食べていました。昔の人は、お腹が空いたから食べている感じですね。ところが、、一説によると、1657年に江戸を襲った「明暦の大火」の後、町