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ちゃんしげブログにお越し頂きありがとうございます😃🙏今日は【日本の至るところに潜んでいる一神教】に繋がるお話になります🙇幕末〜明治時代の歴史について恥ずかしいくらい勉強不足だった自分学校の授業でも習っているはずなんですが全く記憶にないのです寝てたのかな?w倒幕して政権を握った新政府軍をスーパーヒーロー扱いする本も出ていますしテレビドラマや映画でも新政府軍を華々しく🌸扱っているものも多々あります逆に明治維新は間違いだった。あれは侵略テロリスト集団であった。という本やブログもあ
こんにちはsaoriです^^昨日の続き『①論語と算盤と道徳と経済』こんにちはsaoriです^^自由なお姉さんのヒミツのレッスンです♪最近やっと重い腰をあげて、勉強もするようにしています(笑)しかし学びとは言っても、私は…https://ameblo.jp/kireinohinto/entry-12602930141.htmlを失礼致します♪さて、前回もご紹介したように成功者と言われているおじいさまとのお話・あっちゃんのYouTube大学での渋沢栄一さんの
象徴的形式的王と実質的実力的王と実質的に鎌倉幕府を打倒したのは武士団の力によるわけだがこれが彼には理解できない皇室の権威ありきから抜け出せない彼が武士団の労を労い、意を汲めば違った日本史となっていただろう自ら武士団を持つことを厭い皇族無二の征夷大将軍護良親王すら、遠ざけてしまった武士に倒幕を命じながらその武士を意味嫌う何やら、自衛隊を思い出してしまう🍀自分の代わり❗に命を懸け、血を流したものに報いる思いを持たなければ続く
今回は読んでた本のことなど磯田先生の龍馬史を読み終えましたこちらも前回と同じで、最初に司馬遼太郎さんの竜馬がゆくを読んでいてもおかしくないとこなんですが、そこはほれ新選組が好きだから官軍寄りの人物の話は読んでません!(笑)なので、磯田先生が書かれた龍馬を読んでみることにしました物語としてでなく、実物大の龍馬はどんな人だったのかとしてΣd(・∀・´)磯田先生の本を読んでいて書かれていたのは、龍馬がいたから薩摩藩と長州藩が共同戦線を組めることが出来たということや、どちらかと言うと政治家とし
『明治という国家』ー司馬遼太郎●江戸日本の無形遺産”多様性”-⑦✪べつの見方でいえば、--長州藩は、書生たちが藩を牛耳って、やること為すことが目茶苦茶だった。四カ国艦隊を相手に一藩だけで戦争をしたり、幕府に両度にわたって攻められたり、あのままでゆけば潰れていたろう。ということが言えます。たしかに長州藩は潰れていたでしょう。薩摩藩が、政略として長州藩に手を差し伸べたから、長州藩は明治維新までこぎ着けることが出来たといえます。手を差し伸べたのは、長州藩は右のように藩内革命をやったものの、
『明治という国家』ー司馬遼太郎●江戸日本の無形遺産”多様性”-➅✪その上、産業立国主義でした。江戸体制は、古来の水田の上に、あぐらをかいています。長州藩は、なにしろ十七世紀初頭に三分の一になったものですから、財政をよくするために積極的に産業に心がけ、たとえば、富農や富商に請け負わせて瀬戸内海岸の干拓をして水田面積を拡大したり、また他の物産の生産にも力を入れ続けていました。幕末において長州藩は、表高は三十六万九千石ながら、実収入は百万石以上あるといわれるようになったのです。またこの藩は、自領の
奉行職や近習家老の役職には、家老の身分の人しか就けません。仕置役は3~4人の複数の人が就き、合議制で政治を行います。中老、馬廻りの家が選ばれます。その他にも多数の役職があり、其々対応する上級武士身分の人が役職に就いて、藩の政治を支えています。下級武士の白札や郷士は上級武士の下に配され、仕事を行う人もいました。留守居組以上が上級武士(上士)。白札以下が下級武士。藩の重要な役職には身分の高い家柄の人が選ばれ、下級武士が政治に参加する事はできませんでした幕末には下級武士から倒幕思想が盛
外出自粛のご時世、楽しかった過去のお出かけ日記を掘り起こして再掲しています。2年前の正月三箇日・・・・。この日はブロ友のくさせんりさん、horizenさんと久留米水天宮に初詣。九州最大の河川・筑後川の畔に建つ久留米水天宮は、全国の水天宮の本宮です。祭神は安徳天皇・建礼門院・二位の尼。境内にある空母千歳(水上機母艦から改装)の記念碑。千歳の名は、筑後川の別名である千歳川から名づけられています。幕末の水天宮の神官・真木和泉(1813~1864年)の銅像。水
やっと政治家の歳費についての意見がちらちらと出てきました。日本国民の特徴として、一回目は反対するけど二回目からは、知らん顔です。消費税がそうでしたよね。2・26事件の失敗や、小泉純一郎が自民党をブッ潰さなかったり、自民党時代の小沢一郎が失速して失脚したりで、シラケて野党の駄目さに選択肢無し・・・何度も言ってますが、人口減っているのに、政治家は減らない、相変わらずの高給で何故?クーデターが起こらないのか不思議で仕方ないです。幕府が政府に、年貢か税金に言い方が変わっただけです。とりあえ
昨夜、NHK総合「歴史秘話ヒストリア」にて、大楠公を題材とし放送されました。軍学の目指すべき勝利とは、小が大を制する勝利である。その最たるものが、鎌倉幕府打倒の気運を全国に行き渡らせる事となる千早城籠城戦である。後醍醐天皇の日本中興の崇高なる理念に心を打たれた正成は、天皇の元に馳せ参じ、倒幕の狼煙を挙げる事となり、彗星の如く歴史の表舞台に登場していく。何万もの大軍によって、小さな山城は即座に陥落すると思いきや、事態はまったく逆に…。軍神・大楠公に見る兵法の真髄とは。NHKがど
石川県を代表する公人の失言、迷言がマスコミを賑わせています。何考えてんだか…と思いでしょうが、確かにそう。ただ、ここ石川は、明治維新の時も全国で倒幕だ!攘夷だ!っていうのに、ノンビリしてて取り残された県だということをお忘れなく。さて、いよいよ緊急事態宣言が発動される感じですが、経営者の皆さん備えは大丈夫でしょうか?私今日、「雇用調整助成金」について厚労省に問い合わせしたのですが、こういったものも準備しておいたほうがいいと思います(使いかっても悪くなさそうです)コロナに係る融資制度と併せ急
楠木正成の戦いは、ここ上赤坂ではなく、下赤坂の城から始まる。もっとも、下赤坂城は、急ごしらえだったため、兵糧の用意がなく、あっという間に落ちるのだがこのとき、正成と楠木一門は、自害を装い、自ら城に火を放って姿を消す。身を潜めた半年の間、次の戦に備えて、コツコツと二つの城を築き、兵糧を運び込み、諸国を巡って、有力な反幕勢力との最後の連携をはかった。そして翌年、飄然と姿を現し、幕府軍が再築していた下赤坂城を奪還、さらには住吉・天王寺に打って出て、鎌倉幕府の軍勢を、打ち散らした。楠木正成が暴
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。H君からの質問です。近現代・政治史討幕の発想幕末、尊王攘夷から討幕になっていく流れがありますが、尊王という考え方には討幕の発想があったのでしょうか考えているうちにわからなくなりました。よろしくお願いいたします。論理の転回H君、こんにちは。尊王論とはもともと、武士なら誰もが学んだ朱子学の教えの1つで、幕府を擁護する性格をもっていました。具体的には、日本における「王」たる天皇を敬う(尊王論)なら、「王」から政治を任されている幕府
新選組のドラマ、見たことある?ほぼ見ていません。何かを見たような気がしますが覚えていない…新撰組といえば、私的には蒲田行進曲の階段落ちです。歴史時代劇はどちら側の視点で書かれたものかによって、まったく内容が違ってきます。新撰組は特にそうですよね。治安を守る英雄という面と倒幕の敵という面、そして厳しい規律と粛清、内部抗争…そのへんの整理がつかなくなることが面倒なのかもしれませんね。好んでは見ません。本当は比較して見ると面白いのだと思いますが…そんな私には蒲田行進曲くら
みなさんに遅れること一週間…。今日から私の三連休です。長野の家に行こうと思っていましたが、長野県北部の天気予報はここへ来て雪マーク。信越地方はけっこう降っているようで、国道や高速道路のライブカメラを見るとかなり積もっているようです。せっかく行っても毎日雪ではつまらないので今回はやめておきました。明日あたり水戸の偕楽園にでも行こうか、それとも北関東の渡良瀬渓谷、あるいは湯檜曽あたりに出かけてみようか思案中です。新選組のドラマ、見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプ
兄弟の志士「塾生」薩長連合・・・さて、長州藩の主導権を倒幕を目指す正義派が握ったことで、幕府との関係が再び悪化してきた。幕府は広島に使者を送り、長州藩に対して藩主毛利敬親と世継ぎ定広を差し出すようにと命じてきた。藩主親子を江戸に置き、人質にするためである。和作は、使者の話を聞くために、副使として赴いた。しかし、長州藩は、その命令を拒否。また、幕府は「長州藩は、朝廷の敵ではないことを認めて欲しい」という嘆願書を突き返してきた。この頃、坂本龍馬が、薩長連合設立のために動いて
下記の表題をクリックしますと記事が表示されます薩長同盟「それほどじゃなかった」坂本龍馬と中岡慎太郎が仲介し、薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允が薩長同盟を締結。江戸幕府の倒幕に向けた出発点とされています。しかし、現在では薩長同盟は「倒幕に向けた軍事同盟ではなかった」との見方も出ているようです。たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
毎日の献立はどうやって決める?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようほかの記念日ライバルが手を結ぶ日1866(慶応2)年のこの日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ。料理番組の日1937年のこの日、イギリスのBBCテレビで、料理番組の元祖と言われる番組『夕べの料理』の放送が開始された。第1回目は「オムレツの作り方」で、この日の担当のマルセル・ブールスタンは、世界で初めてテレ
各界のインスパイアリーダーの皆さま✨おはようございます😃☀✨1月21日火曜日✨☆料理番組の日1937(昭和12)年1月21日に、料理番組の元祖と言われる番組夕べの料理の放送がイギリスBBCテレビで開始されたことを受けて記念日を制定。第1回目となる料理はオムレツの作り方だったそう。この番組を担当した料理人、マルセル・ブールスタン氏は、世界で初めてテレビ出演した料理人となり、以後類似番組が多数制作されていく中で、料理人の世界からも多くのスターが誕生していくこととなりました。ちな
おはようございます!!!!!え!?なに!?なんか意味あった??さあ今日から1週間の始まり!!月曜日がやって参りました~!!!!本日もスタッフ一同元気と笑顔でお出迎えします~さて本日はというと・・・ライバルが手を結ぶ日1866(慶応2)年のこの日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ。おお~!なんかすごい日ですなライバルが手を結ぶとめっちゃ強そうですな!!ぱちんこス
ご来訪ありがとうございます。こういうビジネスもいいですね。「不落」米で合格祈願楠木正成にあやかって1/11(土)7:42Yahoo!ニュース1受験生に人気の「正成公御兵糧米不落千早城」=2019年12月24日午後0時58分、大阪府南河内郡千早赤阪村千早、関宏美撮影「楠公(なんこう)さん」の愛称で知られる南北朝時代の武将・楠木正成ゆかりの地、千早赤阪村で販売されている米「正成公御兵糧米(まさしげこうおんひょうろうまい)不落(おちない)千早城」が、縁起がいいと受験生やその
兄弟の志士「塾生」再び志士の道へ・・・さて、四月二十三日、杉蔵を含む長州藩など諸藩の志士たちが京で密議を持ち、島津公が京に入ったので、この機会に一気に朝廷に加担し倒幕に動こう、という話になった。しかし島津公は、まず薩摩藩内で大きな勢力を持つ志士たちを討ち、自分を政治舞台の中心に据えようと考えていた。いきなり、倒幕という過激な手段を取るつもりはなかったのである。そのことを知った杉蔵ら長州藩の志士たちは、愕然とし薩摩藩に不信感を抱いた。その頃、杉蔵は、山県小輔「有朋」
山口サビエル記念聖堂は亀山の中腹にありました正確な標高はわかりませんが気軽に登れる高さで市内の中心近くにある丘ですいいところにある丘だなぁと思っていたらここは、毛利秀元が慶長元年(1596年)から築城しようとしたが、途中で断念した長山城跡とか毛利秀元という人は、従兄弟である毛利輝元の養子になりましたが、輝元に実子が生まれたため、長門長府藩の初代藩主となった人です亀山の頂上中央には、毛利敬親の銅像がありました幕末に攘夷実行、禁門の変、下関戦争(米仏蘭英)、長州征伐、討幕とめまぐるし
会津藩主・松平容保(「八重の桜」では綾野剛)は「京都守護職」として赴任し、幕府と天皇を守るため、徹底的に不穏勢力と戦ってきました。一貫して「不穏・倒幕勢力」だったのが長州藩であり、「禁門の変(蛤御門の変)」で長州を京都から駆逐したのも会津と薩摩の軍勢です。長州は過激派の中級公卿(三条実美とか)を通じて天皇を操ろうとしましたが、その野望をくじいたのが薩摩と会津です。これ以来、長州藩士のあいだでは「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」が合言葉になりました。薩摩と会津だけは何があっても許さん、という意味
萩の明倫館と松下村塾は対立していました明倫館は武家のお坊ちゃまが通う保守派の学校🏫松下村塾は校舎も教科書もなく身分を問わず誰でも学べた場所📚しかも倒幕論を広めていました明倫館から睨まれ松下村塾の存続が危うくなってきましたそこで松陰は月性に相談をしますすると月性は和解という形で見事に問題を解決しました松下村塾が存続しなければ長州ファイブも存在していませんさあいよいよその時がやってきましたつづく…
大久保と西郷は、協力して新しい日本を作り上げようとしました。江戸時代まで、日本は「幕藩体制」の国でした。つまり、日本は中央政府(幕府)のはかに三百いくつの半独立国(藩)に分かれていて、それぞれが頑張っていこう、という仕組みだった。日本の外から外国が攻めてくる心配がなく、外国と商売する必要もないなら、これがいちばん平和でいい仕組みだった。全国の「武士」は、それぞれの「藩」のことだけを考えて働いていればよかった。しかし、そうはいかなくなったので「倒幕運動」がおこり「明治維新」が起こり、日本は天皇
eみんなが感動する夏光景、どこの○○でもOK、全て宝物も・・・紛失する(笑)意外な某有名人がした行動の場所にも感動話。イチロー斎藤佑樹と猫ブログ自著ドラマ化侍作家のイチロー斎藤佑と猫&どこでもOK宝物は心が決める。意外!某がした行動。激神曲https://ameblo.jp/psukelove/entry-12546926893.htmlなんか切なく厳しさを感じた、桑田真澄田中将大イチロー草野球について語る&イチロー草野球試合前からの画像善放出&クリスマスツリーの出し方、直し方で幸運
月性との出会いで吉田松陰の思考は180度変わりました松陰が月性に興味をもったのは獄中で読んだ″藩政改革意見封事”の原稿でした編集されていない原稿というのがポイントです☝実は月性さん「仏法護国論」の著者なのですが元となった原稿は”仏教が堕落している!””民衆救済の任務を果たしていない!”など僧侶批判が多く含まれていました西本願寺は当然それを認めるわけにはいきません僧侶批判の部分はキレ〜イ✨に削除して刊行し全国に配布されました松陰は月性と頻繁に手紙をやり取りし松