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サザンってあまり聞いてなかったけど、聞くとずしっとくるね。恋心、甘くて切ない。先輩は相変わらず、にやにや?とにこにこ?と構ってくれる。私はなまずちゃんのおかげでご機嫌。目に見えるものに安心する。好きだとかかわいいとかにとらわれて愚かなのかもね。根っからの恋愛中毒の私は、恋愛がなければ多分出家してもいいくらい俗世に興味はない。全ての欲の原点。多分、小さい頃からずっと変わらない。そうしてこのまま死ぬのだと思う。
BEAUPAYSAGE/orbe前略三層の風景/奥岳屋久島の奥岳から眺める風景には、空と海と山しか存在しない。俗世が届かぬ場所。ただそれだけで、穏やかな心持ちになれるのは、何故だろうか?草々
わりと…気にしたら多くの神社にあるなぁと実感。「橋」!!これは、伊勢神宮の最初の橋。本物の川にかかる橋ですけど、伊勢神宮にも「あれ?小さな橋だなぁ」と思うようなわざわざかけた橋があるんです。私は「ああ、橋がある」くらいにしか思ってなかったのですが、先日、長男のところに行ったとき長男が教えてくれました。なんで、わざわざ人工的に橋を作る必要があったか…それは…あちらの世界(神世)とこちらの世界(俗世)を分けるためだったようです。そう思って神社にいくと、あれ?こんな小さな
この軸は、6年ほど前に書家でありお茶の大切な仲間でもある方から贈られました。時どき寄付に掛けていたので、社中の方のなかにはご記憶の方もいらっしゃると思います。町の中にいながら山中にいるような気分が味わえる草庵風の茶室を市中の山居(しちゅうのさんきょ)と呼びます。この言葉が見られるようになるのは室町末期から安土桃山のころで、わび茶とともに京や堺の町衆の間で流行しました。家業を放り出して茶の湯一筋の暮らしをするわけにいかない町衆は、一日
開会式、陛下の出席見送りを五輪開催「国論二分」―国民・玉木氏時事通信社国民民主党の玉木雄一郎代表は8日、天皇陛下の東京五輪開会式への出席が調整されていることに関して「個人的な意見を申し上げれば、お出ましいただくべきではない」と述べた。国会内で記者団の質問に答えた。玉木氏は、新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、「国論を二分するような場に出席し、陛下の立場や存在に傷が付くようなことをさせてはならない」と指摘。「陛下にお出ましいただくのであれば、安心して参加できるような環境を整えるのが行
おはよう御座います。まだエアコンつけて寝てます?私、暑がりだから、まだまだつけて寝てます。「ジャッジしない」って、ほんっとーに難しいわっ!気づいたらしてるわ。寛容に、寛大に、気にせず、人のことはほっとけ。だけど、ね。私の周りで祭りが起きてる。私は見てる。私からわざわざ入っていかない。出家してる人よりも、俗世の中でもみくちゃになりながらも自己を高めようとするほうが難しいんだよ。だからあなたは素晴らしい。だからあなたは生きてるだけで素晴らしいんだよ!ってば!ね、聴いてる
もう14年前の写真かな。宮城県に両親が遊びに来てくれて、みんなで松島観光して、楽しかったな💕元気な頃の両親のツーショット❤️みんないつかは光の道を通って還って行くけれど、生きている限りいろんな事を経験して楽しみたい。楽しそうなこの写真を見ながら、まだ俗世を観光しているであろう父の事を考える。
深川三流亭の開演中、本日の感染者が発表。本日の東京都の感染者数は4,058人。→とうとう4000人の大台直近7日間移動平均は2,920.0人。→今週の平均も3000人近く対前週比は217.0%。→3倍増全国で、専門家の想定を大きく上回る感染者。何か、数字にマヒしてしまっている気がします。・・・それよりも、今は、落語会が佳境に入っているところ。俗世を忘れて、とりあえず落語会に専念です。
今日は、朝からばぁちゃんの畑のジャガイモ掘り第二ラウンド🤛からの、車のお掃除してーのからの、榊交換と、神棚のお掃除に、神仏の間のお掃除からの・・・よし、モルカーの映画にいこうというこでひたちなかへ(´ω`)ついでに、御山で歩き回るズボンがボロくなったのでお買い物です(´ω`)ということで、俗世の休日を満喫してきます
2020年12月から始まった物語。そのなかで三部作になったものがある。今完結編となる三部目を書いているワタシの物語。1作目から合わせると原稿用紙換算でざっと750枚位の物語。隣接する三国に暮らす王族とそこに関わる人々の物語。この3部の中で7人もの僧侶が登場する。主要に活躍するのはこの内の4人。多いな(笑)もう25年ぐらい前に僧侶になりたいと思った時期があった。たぶんその頃名のある作家さんが出家する。という事が続いた。その影響もある。ワタシ自身ただ現
今週の土曜日は休みかなぁ?今週は俗世のお行を頑張らされ・・・った(笑)ので、思い切り御法楽にお出かけしたいっす(´ω`)いろんな人とお話したりしたいっす(´ω`)待ち遠しいな週末(´ω`)なかなか、ワガママですね。でも、そんなワガママな自分嫌いじゃないな(笑)
・・・それは、音がかきけされること(´ω`)いつもよりだけ少し大きな声で読経したり、錫杖振ってのお行ができることが嬉しいです。さて、修験の日常のお行(未だに講にさない自由な感じですが)を始めた頃は母親に「お葬式でお坊さんが来てると思われるから止めなさい」といわれていましたが今では「話したいことがあったけど、読経を中断させちゃ悪いと思って部屋には入らなかった」と、肯定とまではいかないのかも知れませんね。ただ、一応理解はしていただけたんでしょう。それはさておき、神仏分離後の俗
みなさんこんにちは。とある公園の駐車場があります。縁石で包囲された花壇のようなエリアのなかに岩が数個あります。Uターンする車たちは、公園の駐車場に入り、縁石の岩をくるっと回り、方向転換して出ていきます。俗世の人に言わせれば、ターンしやすいからで片付きそうな気がしますがね・・・実はもっと深い次元なところで、俗世では、無意識の境地のなかでお参りしてるのではないのかなと思うのですが。もしそれが、そうだとして、神仏様のなのか、魔であるかも謎ですがなんかそんな気がしました
さて、俗世のお行は今日も続く。明日も続くわけですが、上司に正直に内心打ち明けてみると、意外にも俗世に伏しながらも、人を育てる大志を持ち合わせている大将なことが知れました。上層部の口から出任せな欲の戯れ事に構ってる暇はない。少しでも大将を助けしながら自身が成長し、何れは志ある者を、俗世の穢れから守りながも、育てられる俗世の山伏になれるように頑張ってみようか絶対的成功法はまだ分からないけど、方向はしっかり見えてきたみたいです。今日という日に感謝です。
風に乗ってふっと香りが漂い光となって慈悲を感じる***今日はアッキーが俗世に居たなら22歳の誕生日。私は、『慈悲』という言葉の捉え方を苦しみや悲しみを取り去り楽しさや喜びなどの幸せに導く、、、といったふうに感じていてそのようにアッキーは見守ってくれているんだなぁ、、、と感じる。そのように感じることができて私は、幸せやね(^^)
霊的真理を知ったあなた方は、その分を物的なもので差し引いて計算してみたことがありますか。つまり、あなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という、かけがえのない高価なものを持っている。自分が霊的に神と直結していることを悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神の使者の働きかけを受けとめる、心掛けも会得された。そうしたことに比べれば、俗世的な宝はガラクタも同然です。あなた方は、これから先も永遠に生き続けるのです。すると、この地上で学んだ知識、体
稜線の強風の吹き荒れる緑の森の中帽子が飛ばないようにおさえながら歩いていた前方は、そそくさと森をさぐり後方では、ゆるりと森を浴びてヘンゼルとグレーテル?チルチルミチル?ふたりっきりこの道が俗世に繋がっているなんて到底思えない森の小径緑の深まる森の小径
クリック募金にご協力をお願いしますsumaboクリックで救える命がある。|dff.jpdff.jpは、日本最大の「クリック募金」サイトです。募金ボタンをワンクリックするだけで無料で1円募金できる「クリック募金」にご協力ください。東日本大震災復興などを支援する「アンケート募金」も実施中です。www.dff.jp私の座右の書「シルバーバーチの霊訓」の抜粋ブログです。ぜひ読んでみて下さい。シルバーバーチ一魂に感動を一シルバーバーチー魂に感動をー霊訓中の霊訓cutehear
さて、GWが終わり、お仕事初日。お客様からの差し入れを頂戴しました。差し入れを頂戴することは、よくある話なのですがとっても嬉しく、ふと涙が流れ、心からお客様の気遣いに感動しました。自分でも初めての出来事で、今更ながら素晴らしい感情だなぁと思いました。そんな感情を与えていただいた神仏様に感謝です変に俗世に染まることなく、この純粋な気持ちは大切にいていきたいなぁと思う今日頃ごろ
その後の藤棚あんなに綺麗に咲き始めていた藤棚の花が、その1週間後行ってみたら、1枚目の集合写真のように、ほぼ………終わっていました。今年は異例の速さで咲き始めて、家の近所で見れる満開を、とても楽しみにしていました。でも、異例な速さだっただけに、やっぱりその終わりも早かったわけね。昨日の藤棚の風景…、なんとも寂しい限りです。足元に散って落ちていたであろう花びらたちも、神社の方に掃き清められていました。もう、そこに咲いていた形跡さえ、まだ少し残って咲いている花以外には、見ることもなか
彼は、女子パウロ会では聖人のようにおもわれていました。いつも笑顔を絶やさず、ひとりひとりのシスターを気遣う彼は、いつか修道士か神父様になるひとと嘱望されていました。小田信一という彼は、女子パウロ会にとって宝でした。そして彼は、そのような態度でわたしに近づいてきたのでした。でも女子パウロ会内でのうわさはまるで逆のことを広めていました。わたしが、純粋な彼に近づき堕落させ、俗世に引きずり下ろしてしまったというものだったのです。
自分の心を観察していると、どうも傲慢さが消えていない。はっきり傲慢な感覚が生まれているのかわからないが、自分の考えを高く評価する癖があるような気がする。他人の意見を聞いている時に、「くだらない」と感じてしまう事がある。自分が正しいという事は、世の中では全く重要ではない。ただし、行動としての無駄はあるため、効率という点では正しいこと、正しくないことはあるのかも知れない。必要ないのは、「自分」という感覚。そこを高く評価しすぎる。他人を責めたくなったり、怒る時は、自分は正しいと高く評価し
明日、父が退院するのである。ひとまず区切り、ヨカッタのである。明日の退院に向けて、今日は実家へ戻るのである。父の送迎というか、会っておきたいのである。三途の川を渡りかけ、脚でもつって戻ってきたのか、溺れそうになって帰ってきたのか、閻魔様が裁くには口応えしそうで返されたのか、、、ヨカッタのである。必死に生きなさい、という思し召しかもしれないのである。御導きの光が眩しいと目を背けたのか、天使が持ち上げるには重すぎたのか、神様の前で行儀が悪くて天界から転げ落ちたのか、、、俗世で苦行を積むと
自分というのが自分というままじゃこの世界は生きづら過ぎるなと思い思い思い詰める。というか思いに思ったとき、思いに思い切ったときとでもいうのか、思い尽き果てたときとでもいうのか、でも、それは物理的に消えてなくなるしか現実として取れる方法はないのかなと冷静に思うことがあったし、今でも思うことはあるなんというかそれがダメなこととか、そういう次元ではなく、取れる方法として冷静に考えたときに自分自身提示できるのはそういうことだったという意味で、それがあまり好ましくないというなら、