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ご訪問ありがとうございます!NPO法人京田辺音楽家協会理事長、ピアニスト竿下和美です2023年2月末にステージ4肺腺癌、余命一年半と診断されましたが、がん細胞と共存しながら長生きを目指し、治療と音楽活動を行っています。がんサバイバー1年生になれました2023年3月から抗がん剤+免疫チェックポイント阻害薬、2023年11月からCBDCA+PEM療法+ベバシズマブBS併用という治療を受けています私が受けている抗がん剤治療はアリムタ・ベバシズマブの2種類使用中ご訪問ありがとうございます
週末隣の県に住む実家へ。実家は今、余命宣告された母と母を献身的に介護している90歳の父の2人暮らしです。実家に着くとイヤ〜な空気を感じ。。母は台所のイスに座ったままずっと動こうとしないらしい。楽なソファ🛋に行こう!と誘い出すも触らんでほっといてといつもの穏やかな感じではなく、まるで別人のように10日程お風呂嫌がって入っていないという母を今日はなんとか髪の毛まで洗ってあげようと張り切ってきたのに。これはハードル高いなー午後からは美容師の甥っ子がカットしにきてくれる予定なのにな
読んでくれてありがとうございます元気な障害者のタケヒトです障害の話も時々交えながら、元気な日々の毎日を豊かにする、多種多彩な話を紹介していきますしばしの間お付き合いくださいこんにちは。誤嚥性肺炎で入院している家の父ですが、余命宣告されました。半年から一年らしいです。身体がかなり弱ってきているのでまさかの事も覚悟していたのでそれほどショックはありませんでした。食事が口から摂れないので、
2023年5月15日に食道胃接合部癌のステージ3と診断された父(当時66歳)の闘病の様子を娘目線で綴っていきます。私の弟たち弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。3月26日予定通り、父は緩和ケア病院に入院しました。付き添った長男から電話をもらって、どんな様子だっ
ご訪問ありがとうございますm(__)mテレビ大好き人間(てれずき)です。テレビの情報をブログで書いています。X(旧ツイッター)でテレビ情報をつぶやいています⇒X「生きとし生けるもの」妻夫木聡×渡辺謙2024年5月6日(土)20時からは、テレビ東京開局60周年特別企画ドラマスペシャル「生きとし生けるもの」を放送します。人生に悩む医者と余命宣告された患者の2人が、人は何のために生き、何を残すのかという永遠の問いの答えを求めながら各地を巡るヒューマンドラマです。人生に悩む内科医・佐倉陸
余命宣告され闘病中のタマを応援してくれてありがとうございます→続きはこちら容態急変タマの母より報告いつもブログを読んで下さりありがとうございます↑1コでも押して応援頂けると励みになります//ブログ読者の皆様、いつも娘が大変お世話になっております。本日も母の私が代筆させて頂いております。娘が救急搬送されたあとの容態のご報告となりcapable1.netあまりのショックに涙が止まりません。。
つらいご報告です…→続きを読む心肺停止タマの母より報告いつもブログを読んで下さりありがとうございます↑1コでも押して応援頂けると励みになります//ブログ読者の皆様、いつも娘が大変お世話になっております。本日も母の私が代筆させて頂いております。娘の現在の容態についてご報告です。文字にすcapable1.net命が尽きていく娘にショックで涙が止まりません。。心肺停止タマの母より報告いつもブログを読んで下さりありがとうございます↑1コでも押して応援頂けると励みになり
こんにちは心の居場所グリーフカウンセラーかたはらみえです今日もお越し頂きありがとうございます課題や不安・苦しみを客観的にとらえる悩みや抱えている苦しみ言葉にして話すうちにその苦しみや不安を客観的にとらえられるようになる自分ひとりで主観的に考えていた事柄一歩別の客観的な視点でみることも欠かせない大切な人をを失った物語あちらこちらで大きくほころびどこから手を付けてよいのかわからなくなり「転落人生の序章」としか思え
ミミポポさんのブログhttps://ameblo.jp/mimipopo-note/entry-12849213645.htmlミミポポ『【検査結果④】肝臓には効かなかった抗がん剤』最初からっミミポポ『【検査結果①】1ヶ月抗がん剤休んでた体の状態は...?!』34歳で余命宣告された私ってこんなんミミポポ『改めまして!ミミポポですっ①』…ameblo.jp辛くても前向きに頑張ってます。fight❣です。
こんにちは🌞🤍訪問ありがとうございます。↓初めましての方へご挨拶↓我が家のにゃん達𓃠紹介↑Click↑このブログの主人公、SKYくんのこと↑Click↑よろしければ読んでくださいブログの最後にSKYくんの病気発覚時のことを綴ったページのリンクを貼ってるのでお時間があればそちらも読んでみてくださいね2024年4月29日(月)本日【344回目の自宅点滴】3月末から4月前半はベラカツしなかった日が合計3回もあったけど、その後は毎日ベラカツする!と言ってくれて
→前回の続きです『目覚めと出会い』私がおかしいなってことに気がついたのは三男がお腹にいる時。切迫早産で動けず、動画を見漁っているときにたまたまTikTokで見つけた参政党の切り抜き動画でした。…ameblo.jpこの天液を開発したのは「もあたん」なんだか可愛らしい、ふざけてる?って思ってしまうようなお名前ですが、19歳から起業し、現在会社を102社経営する敏腕経営者!!!開発者である【もあたん】が、天液開発に至った経緯や、今開発しているもの、考えていることなどをインスタライブ
まずは前置き◆癌発症について家内が医者から癌だと言われたのは、丁度、4年半前だった。家内も私も多忙を極めていたこともあったと思います。大腸癌になり術後、1年間の抗がん剤治療を行いました。その後、普通の生活をしてました。しかし、2022年11月ごろ、肺に転移したことが判明。再び、抗がん剤治療を行うと共に、新たな取り組みとして三朝温泉に湯治に通いはじめました。◆現状いろいろなことをしすぎて、どれが効いているのかは、わかりませんが、現在は家内の調子はとても良いです。⭕️三朝温泉の湯治
日影ちゃんですご覧いただき、ありがとうございます❣️肺線癌を患い、余命宣告をされても、自分らしい生き方を選択しよう!!と、今まで通り何も変わらずに、ありのままの姿を見せてくださっている日向さん。そんな日向さんの近況や、想い、ここだけの裏話などを発信しています。ある日の日向さん2024年4月26日(金)またまた別の友達とランチ🍽️お誕生日をお祝いしてもらいました本当にありがたいです😭とてもレトロなお店でした✨お料理は、ウェイトレスさんが台車
最近になって再び黒ニンニクを食べるようにしている以前にも食べていたが何となく食べるのを止めていた2週間ほど前から食べるようにしている黒ニンニクは食べる量が難しく食べすぎも良くないといわれている薬などは他人の方より私は少なめの量が自分には合っているようなので普通の小さめの黒ニンニクを朝と夜に一片ずつ食べている有名な大きな黒ニンニクとは違い粒片が揃っていないので小さな一片の場合には二片を食べている
大切な人が、たとえ、病気になっても…、世の中は、何もなかったかのように、いつもと同じ、時間が過ぎていく。その病気が、あとわずかしか生きられないような病気だとしても…、自分たち以外には、何も関係ない。世の中は、いつもの日常を過ごしている。それは…、死をもっても…変わらない。自分にとって、大切な人が亡くなろうが…、時は流れる。当たり前なことだけれど…自分たち以外にとっては、いつもと変わらぬその日が終わり、またいつもの朝が訪れるんだ。誰かは絶望を感じる日で
病院ラジオサンドウィッチマンが、病院に出張ラジオ局を開設!患者や家族の日ごろ言えない気持ちをリクエスト曲とともに聞いていく。ラジオを通じてさまざまな思いが交錯する、笑いと涙の新感覚ドキュメンタリー。www.nhk.jpサンドイッチさんの『病院ラジオ』知ったのはブロ友さんが出演された時。私の長女と同じ病気で闘病をされている。長女は亡くなってしまったけれどもいつも、頑張って!!と応援している。今も頑張っていらっしゃる。amebloでも闘病をされている方に『いいね』は応援して
58歳結婚2年目心の時間の使い方。フラッとどこかへ行きたいがGWはどこも人が多そう。なんかたまに『イラッ』としてしまうことがあります。『何それ?』『どうして⁉︎』とか痛みを堪えている時もたまにできればイラッとしたくないのですがまだまだ人間が未熟でこんなんだと今世の修行も終わらずまだまだ痛みに制圧されるのでしょうか。神様に懺悔なんて考えてしまいます。昔、一緒の職場にいた女子が
教育テレビ「バズ英語」で知った言葉。BUCKETLISTBUCKETLISTとは死ぬ前にやっておきたいことや達成したいことを書き出したリスト。死ぬ前という訳ではなく、前は国内なら北海道と沖縄に行ってみたいなぁとの思いはあった。海外旅行はヨーロッパとインドと韓国に言った事がある。癌になり、余命宣告を受け、延命治療が奇跡的に上手くいってくれて今がある。胃ろう生活の現在、遠い所へのある程度の期間の旅行となれば、半固形ラコ
こんにちはゴールデンウィークになり、姉が帰省しており少し余裕が出来たので母の現状報告です。母は先日余命宣告を受けました。余命宣告は私だけこっそり呼ばれました。腹膜播種がある胃がんステージⅣは平均の余命が1年。母は予定よりも体調が悪くそれよりも早く亡くなるかもしれない。しかし腹水を抜いて食べれるようになれば抗がん剤治療も出来、余命が伸びるかもと。私は先生に余命3ヶ月を切っているという事ですか?と質問しましたが、これも腹水を抜いたその後の体調によると言われました。先生ははっ
こんにちは!にぎやか合同会社にぎやか合同会社–豊かな経験と、つながりで、にぎやかな人生をnigiyaka.infoくめいゆうこです。最愛の父が、天寿を全うしました。享年87歳でした。優しい優しい大好きな父でした。今思うと、虫の知らせだったのかもしれない。一月に出産した長女が、まだ1ヶ月も経たないというのに、おじいちゃん、おばあちゃんに会いたいと言い出した。2月の北茨城はとても寒いので、心配した夫が3月になってからでもと提案したけれど、長女は、「赤ちゃんは、認知
こんにちは、あいですここ最近仕事が忙しくて、お疲れモードな今日この頃ですが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。そんな中でも毎日懲りずにレイキだけは続けていて、セルフヒーリングと、眠っている時の旦那様と夜に両親に、というか実家そのものにレイキを送っています。レイキが及ぼす影響まず、旦那様は、実は過去に家族関係でとても辛い目に遭っていて今は全てを水に流し(流そうと努力中)仲良くはしていますが深いところではやはり裏切り
4/28(日)午前中に聞いた訃報すぐに弟に伝える…ビックリしてなくて、?後で聞いたらご本人から余命宣告をされたことを聞いていて「LINEも解約してるの~」と言ってたよ。と。その会話から、ひと月半。お疲れさまでした。写真はお祭り。好きだったでしょ?
85歳ですが病気になるまでは一人暮らし毎日近所へ出掛けて買い物や友達とのおしゃべりを楽しんでいた方ですリンパ腫が頭蓋内に広がりふらつきがひどくなり歩けなくなりました退院はご本人の強い希望です離れたところから手伝っていたご家族が同居してお世話をすることになりました初めて訪問診療に行った時患者さんは大変喜ばれ家で過ごすこと使い慣れた布団で眠れることをニコニコしながら話してくださいました病院の主治医は退院をしぶり「動けないんだから入院してていいよ」と言い続けたそう
病院を出禁になりました闘病中の嫁の夫→続きを読む病院を出禁になりましたタマからのお願いランキングボタン押して応援して下さいみんな、いつもありがとうね//どうも、こんにちは珠美の夫です。どうして俺はいつも、こうなんでしょうかさすがに反省して、本気で、へこんでます//全ては珠美のため、...capable1.net嫁の闘病で俺はおかしくなってしまったのでしょうか。。病院を出禁になりましたタマからのお願いランキングボタン押して応援して下さいみんな、いつもありがとうね
つらいご報告です…→続きを読む危篤タマの母より報告いつもブログを読んで下さりありがとうございます↑1コでも押して応援頂けると励みになります//ブログ読者の皆様、いつも娘が大変お世話になっております。本日も母の私が代筆させて頂いております。娘の現在の容態ですが、その文字を打つ手が震capable1.net命が尽きつつある娘にショックで涙が止まりません。。危篤タマの母より報告いつもブログを読んで下さりありがとうございます↑1コでも押して応援頂けると励みになります//
こんにちは心の居場所グリーフカウンセラーかたはらみえです今日もお越し頂きありがとうございます『パワーダウン⤵️で・・』と友人談この言葉どうとらえますか⁇自分自身の捉え方で相手の心情も環境も(空気感)変化言葉ひとつの捉え方でその先の行動も更なる思考へも影響パワーダウンむしろ大歓迎パワーダウン⤵️できるからこそアップ⤴️もできるパワーダウン⤵️な友人
本日4月28日夜の10時40分オスカルさん旅立ちました。最後は痙攣起こし、しんどそうに見えましたが、すでに意識はなかったのかなと思います。私の仕事の帰りまで待ってくれていて、私の顔を見てからぐったりしだし、きっと最後に私に会えて安心してくれたのかなと思います。誕生日が命日なんてオスカルさんらしいなと思います。最後の最後まで親分のために親分が最後にオスカルさんとしたいこと、後悔なく最後の時間を受け入れられるように、誕生日まで頑張ってくれて、私の帰りも待ってくれて…一つ残らず私の願いを全て
「シャンティ・フーラ」よりの転載森永卓郎氏「(老後資産を新NISAに頼るのは)絶対にやってはいけない」「だから今は、日本経済は恐慌前夜だと思います」~日本経済を生き抜くための「3つの提言」/過去にこの食料やエネルギー問題に向き合わなかったツケを、今の国民が払わされているshanti-phula.net転載はじめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー森永卓郎氏「(老後資産を新NISAに頼るのは)絶対にやってはいけない」「だから今は、日本経済は
看護助手も悪くはなかったが私が働いていた病院では、1週間に1人は必ず知っている患者さんが亡くなっていた。退院=「死」という環境だった。そして看護師が、危篤状態の患者さんを前に「私が夜勤の時だけは大変だから死なないでね〜」と笑いながら言っていたり、長く病院に入院している患者さんに「この人昔こうだったらしいよ〜。娘さん可哀想にね〜」などと、毎日の様に本人の前で言うから驚きだ。耳が聞こえているが、話せない人に自分が話せる事をいい事に、そんな話をするのも胃に穴が開きそうな位