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10月8日の誕生日の花は、サラシナショウマです。花言葉は「雰囲気の良い人」です。1932国立公園の候補地が決まる1968阪神の江夏豊がシーズン奪三振記録1974佐藤栄作がノーべル平和賞2012山中伸弥のノーべル生理学・医学賞受賞決定2002小柴昌俊がノーべル物理学賞2008下村脩がノーべル化学賞1931満州事変1946教育勅語の拝読廃止1986横綱千代の富士が渡仏2005パキスタン地震2017白井選手、村上選手金メダル
1964(昭和39)年の東京五輪を白黒テレビで手に汗握りながら観戦していた私は当時5歳、その60年近く前のオリンピックでは多くの日本選手が金メダルを獲得しましたが、中でも注目を集めたのが〝東洋の魔女〟と謳われた女子バレーボール。「オレについてこい」という名文句で有名だった鬼の大松監督(↓)の猛練習に耐え抜いた選手たちが悲願の金メダルを獲得したテレビ中継は、視聴率66.8%(瞬間最高で85%!)という現在では有り得ない数字を叩き出し、日本中が熱狂しました。『鬼監督』嘗てはどのスポーツ種
【決定版】自民党の全てこの動画は、恐れ多くも中田敦彦さんの自民党解説動画が素晴らしすぎて、そのままアニメ表現で作成しております。👉https://youtu.be/YelrDiTSVoc-------この動画の構成📘-------0:00オープニング①エリート官僚時代2:04吉田茂vs鳩山一郎7:33岸信介vs佐藤栄作15:06...m.youtube.com自民党の全て
CGS(CenterofGrandStrategy)は参政党が関係するネット配信チャンネルだと思う。そこで、伊藤貫氏は、日本が独立国としての地位を維持するには核武装が不可欠であるとする持論を披露している。今回は、伊藤貫さんの解説シリーズの4回目である。この動画では、何故日本は独自防衛できないのかについてを考える為のヒントと、米国と日本の軍事同盟の本質について対談方式で短く解説している。日本が今成すべきこと【混乱する国際政治と日本④】|伊藤貫-YouTubeそこ
全世界を席捲するロックグループ、ビートルズ。その当時、彼らのコンサート会場では、どの国でも暴動が起きた。それらはありのままに、或いは誇張されたニュースとして、この極東の国にまで続々と届いていた。たとえばこんな新聞見出し。「ビートルズ公演、観客全員失神で途中中止」全員は失神しない、いくらなんでも。「リンゴスター、観客に歌が下手だとしてトマトを投げられる」真相はわからないが、明らかなでっちあげネタと思われる。しかし、どの国でもエンターテイメント史上か
毎月13日は、みほちゃんの日です。今日のお祭り広場は、何時もと違って各国代表や万博関係者があつまって閉会式が行われています。閉会式は、会期最終日の9月13日午前10時から11時までお祭り広場において皇太子同妃両殿下ご臨席のもと約5,500人の内外貴賓および抽選による1,000人の一般観客が参加し挙行された。佐藤総理、石坂会長のあいさつのあと、各国代表に記念メダルの贈呈が行なわれ、参加国を代表してパトリック・リード・カナダ政府代表のあいさつがあった。次いで、皇太子殿下の閉会のおこと
【地元の男性が選ぶ】優秀な生徒が多いと思う「山口県の公立高校」ランキング!2位は「下関西高校」、1位は?9/12(火)17:30ねとらぼ配信より【地元の男性が選ぶ】優秀な生徒が多いと思う「山口県の公立高校」ランキング!2位は「下関西高校」、1位は?(ねとらぼ)-Yahoo!ニュース画像:PIXTAねとらぼ調査隊では、アンケートサイト「ボイスノート」の協力のもと、山口県在住の男性を対象に「優秀な生徒が多いと思う山口県の公立高校は?」というテーマでアンケート
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎに放送。8月19日の「今日は何の日」です。【記念日ほか】●バイクの日総務庁交通対策本部が1989(平成元)年に制定。バイクの安全を考え、バイクによる交通事故の増加を防止するための日。●俳句の日正岡子規研究家の坪内稔典らが提唱し、1991(平成3)年に制定。正岡子規の故郷、愛媛県松山市では毎年この日にコンテストを開催。夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日。ちなみに、俳句は5-7
55年前の今ごろ高級避暑地として名高い軽井沢に行っていました🚗ザ・タイガースを見に❗毎年、8月の頭あたりに、ワタナベプロが軽井沢の千ケ滝で「真夏の夜の夢」なるイベントを開催していました❣️ナベプロのタレントさんが集結する夏祭り🎆元々、ザ・ピーナッツが好きでピーナッツが出るテレビを見ていたら、「ザ・ヒットパレード」という番組の新人紹介コーナーに1966年11月22日ザ・タイガースがテレビ初出演🎵そのとき、出会ってしまい、一目惚れした縁❤運命❤宿命不治の病の前兆です❣️
今日7月20日(日本では21日)は人類初の月面着陸の日です。詳しくは私に訊いてください。私が小学生だった半世紀上前の1969年、白黒テレビでアポロ11号のアームストロング船長が月面へ降り立つ瞬間の模様を見てました。確か夏休みに入ったばかりのお昼頃でした。私はアメリカヒューストンの管制官達をありがたく思いました。なぜなら、このような今世紀の大イベントを夏休みに行ってくれたからです。1日早ければ学校に行ってて観れなかったと思います。あれから半世紀以上の月日が経ちま
佐藤栄作とケネディ大統領の会談について」今から60年も前の話ですが、当時の政治家が倫理道徳観をベースに持っていたことを示すお話を紹介します。(下記作品の原作著者は評論家の伊藤肇氏(1926-1980年)です。)佐藤栄作がまだ総理の座についていない昭和37(1962)年10月、アメリカへ表敬訪問に行った。時のアメリカ大統領はケネディである。ところがそのタイミングが良くなかった。後に「キューバ危機」と言われ、核戦争を回避するために米国内が大騒ぎしている真っ只中の訪問だった。ホワイト・
TBSのサンデー・ジャポンで今日閉館する中野サンプラザをサンプラザ中野くんとやす子が案内しクイズも出していました。難問でした。田舎者の私としては爆風スランプのサンプラザ中野くんを最初に知り、その後中野サンプラザを知ったので中野サンプラザがパクり?と思いましたが(笑)これは、佐藤B作を知ってて、後に総理大臣でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作を知り、佐藤栄作がパクりと思うのと同じ心境でしたが(笑)#TBS#サンデー・ジャポン#爆笑問題#爆風スランプ#中野サンプラザ#サンプラザ中野
今から58年前の今日・1965(昭和40)年6月22日、我が国にとっては実に忌まわしいというか、現在に至るまで禍根を残している日韓基本条約(正式名称:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)の署名が東京で行われました。佐藤栄作総理大臣と朴正煕大統領との間で締結され、同年12月18日に発効した同条約の締結までには、実に14年の歳月を要しました。日韓の国交回復交渉は、1951年・・・吉田内閣と李承晩政権時代から開始されましたが、1910年の日韓併合無効を主張し謝罪を求め
大分のアメカジショップANCHORS(アンカーズ)のアキラです。ランキング参加中。6月開始いたしましたー。湿度の高い季節の気分転換にイベント開催いたしますー。今回のドレスコードは白Tにジーパンのお手軽スタイルです。かなり気軽に参加できるかと思います。料理はハンバーガーでなくビュッフェ形式でこんな雰囲気かと思います。白Tは無地でもプリントでもオーケー。Tシャツもジーパンもウチのモノでなく他のモノでも問題ありません。こんな感じでドレスコードがあって集まるので絵面が
2019/07/08配信<第63代佐藤栄作(後編)>(1970.1.14~1972.7.7)(第3次佐藤内閣)角福戦争
2019/07/07配信<第63代佐藤栄作(前編)>(1970.1.14~1972.7.7)(第3次佐藤内閣)1970年大阪万博〔太陽の塔・岡本太郎「芸術は爆発だ!」〕1971年沖縄返還協定1970年三島由紀夫・自決
2019/07/06配信<第62代佐藤栄作>(1967.2.17~1970.1.14)(第2次佐藤内閣)公害対策基本法1968年小笠原諸島・日本返還琉球政府主席初公選〔屋良朝苗〕川端康成・ノーベル文学賞受賞
2019/07/05配信<第61代佐藤栄作>(1964.11.9~1967.2.17)(第1次佐藤内閣)1965年日韓基本条約1966年建国記念の日〔2月11日と答申〕敬老の日体育の日いざなぎ景気竹内睦泰・生誕〔12月17日〕
下北沢スズナリで流山児★事務所の沖縄に関する二本建て上演を一挙に観劇。終戦直前、米軍の上陸により修羅場と化した沖縄で最後まで盾となり戦った日本兵たち、その最前線にいたのがアイヌ語で「山の民」という意味のキムンウタリ、つまり北海道から配属されたアイヌ民族、そして地元沖縄出身の兵士たちだった。ヤマトンチュ(本土)の軍人に使われ最前線に送られたアイヌとウチナンチュ(沖縄の人々)という暗黙のヒエラルキー構造を、知念正真の戯曲、1903年に大阪万博で展示された人類館事件↓人類館事件-W
子どもの頃から大学まで山口にいたのに、今回初めて知った菜香亭。明治10年から山口の迎賓館としてたくさんの歴史に残る人たちをもてなした料亭です。建物やお庭、見所がつまっていました。その中でも扁額は驚くばかりの内容でした。明治以降の歴史好きな方だったら見逃せないと思います。井上馨・伊藤博文から始まり安倍元首相まで29枚の書が飾られていました。気になったものだけ撮ってみました。また山口に行くことがあれば全部撮してきます。
密約外務省機密漏洩事件:clubエンター1971年、沖縄返還協定時に、土地の復元費を日本が肩代わりしたとされる密約問題。これをスクープした当時毎日新聞記者の西山太吉氏は、外交機密文書の漏えいに関与しwww.kyoto-minpo.net西山さん、蓮見さん忘れません。舞台ドラマ、も観ました。佐藤栄作の極悪ぶり、ノーベル賞の欺瞞にあきれ果てます。さすがあれの親せき引用です。「日本人は敗戦でも反省しない堕落した民族」との評価が定着しているようだが、その一つが1972年
岸信夫前防衛大臣の後継として、自民党山口県連は、衆院山口2区の補欠選挙に、岸信夫氏の長男・岸信千代氏を、自民党公認候補として擁立する事に決定しました。今、話題になっているのは、その信千代氏のホームページです。信千代氏のHPには、親族の歴代国会議員入りの家系図が掲載されていたのです。父・前防衛大臣/岸信夫。伯父・元総理大臣/安倍晋三。祖父・元衆議院議員/阿倍晋太郎。曾祖父・元総理大臣/岸信夫。曾祖叔父・元総理大臣/佐藤栄作。確かに、これ程の家系を持った世襲議員は他には
ヒョンなことから、こんな著書の存在を識るに及び・・・!(画像は、Amazonより拝借)著者のお名前を視れば、お好きな方とそうで無い方に依って、評価が二分される、或る意味、『悪名(=印象)高きお方・・・』(=97歳の今も、世界No.1の部数を誇る『読売新聞社の主筆』とは・・・驚)で有られるだろうが、政治好きなこのジジイは、『昭和(=戦後)政治の生き字引・・・』として、案外、好感を持って向き合わせて頂いて居る大先輩(=Anti巨人では有るが・・・汗)で居らっしゃるのだが
日本人は名家・名族がお好き血統の素晴らしさしか誇る処がない岸信千代さんしかも、女系はなんだか無視されてるこれじゃ、愛子皇太子なんて夢のまた夢だいね岸家・佐藤家・安倍家養子縁組の多い事と言ったら岸(旧姓佐藤)信介元総理と佐藤栄作元総理は実兄弟話しはややこしい岸信介の弟佐藤栄作元総理は本家佐藤某家の養子なんですけど??あぁ~ややこしくて分からなくなってきたので興味のある方はググって下さい許嫁の従姉妹佐藤某子様と結婚したんだってさ佐藤某子さんちもこれまた大昔からの名家
国は暴対法だの、暴排条例だの、所謂反社勢力の排除を進めていっていますが、戦後ずーっと、日本社会の重鎮たちが裏社会と繋がっていたのには目をつぶるんですかね。野村証券トップと戦後の黒幕・児玉誉士夫の関係野村証券の社長を務めた瀬川美能留氏はかつて、野村證券を世界的金融機関に導き、戦後の証券業界の発展をデザインしたと言われる。いわば凄腕の経営者だったが、同時に戦後最大の黒幕ともいわれる児玉誉士夫との深い関係があり「児玉先生に年間1000万円以上の顧問料を支払い、ゴタゴタをすべて片付けてもらっている。
新年になったばかりの1月4日付の『朝日新聞』朝刊に、こんな記事がいきなり報道されていた。私は、『朝日新聞』はデジタル版しか購読していない。この新聞は、記念に紙バージョンを買っておいてもよかったのだが、買いそこなった。このニュースは、ネットでも報道されていた。このニュース、他の新聞にも掲載されているのかと思って(多少)調べてみたが、見つかっていない。そもそも、ここで書かれているニュースは、『新たに判明した事実』とは言い難い。というのは、今回、リブログする2013年1
今回は、明治大学和泉キャンパスの隣にあります築地本願寺和田堀廟所に有名人の墓参りです。まずは、第61ー63代内閣総理大臣佐藤栄作元総理の墓参りです。佐藤栄作とは政治家。岸信介の実弟。明治34年3月27日山口県生まれ。1924年(大正13)東京帝国大学法学部卒業後鉄道省に入り、1946年(昭和21)鉄道総局長官、1947年運輸次官となる。その間吉田茂の知遇を受け、1948年退官して自由党に入り、同年10月第二次吉田内閣の官房長官に就任した。1949年山口2区より衆議院議員に初当
正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)●旅のプラン基本的に、旅のプランは①夜(夕食前)到着②翌日午前中から昼過ぎまで見学③午後は次の目的地へ移動、というパターンを重ねて行くとよい。これが逆になり、午前中移動、午後見学、翌朝すぐに別の目的地へ移動、というパターンになると、どこの町でもどこの観光地でも、話し相手に全く会わないことになってしまう。旅の楽しさのひとつは「人との出会いや事件」なのである。その楽しさを期待していい。もっとも、疲れた心をひきずっての旅、人と口
日本の歴史を通史で見て行くと、日本人の特性がわかります。日本人の特性とは全く異なる時代が2度ほどあったように思います。それは何かというと、室町時代の初期と太平洋戦争後の現代です。前者は非常に好戦的で、ネジがひとつ飛んだ感じのハイテンション。ガンガン行ったレ!という感じのイケイケ状態です。例を言いますと、後醍醐天皇が逝去され、神社を建立しましたが、建立費用を出すのが嫌なので、大陸の明を恐喝して、金を巻き上げ、その費用にあてたという今では考えられないことを平気でやっていました。それが普通で、庶民に