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そして、本番その日はやってきました。10月18.19日(金、土)2回の公演です。今回、照明光田卓郎さん、音響大貫誉さん小林由尚さんが初参加下さいました。音楽面では、紫竹芳之さん(尺八笛鳴り物)が初参加、語りでも飄々とした魅力を存分に発揮くださり好評でした。語り:舞台俳優新井純高橋和久石井ひとみ演奏:常磐津文重太夫紫竹芳之森反ナナ子作曲:(ピアノパート)岩間麻里於本郷求道会館導入石井ひとみ山女の歌語る紫竹さんオシラ祭文浄瑠璃語り「オシラサマ」「狼は北へ走る
遠野物語台本を書くにあたり、さまざまな書籍や資料に目を通します。まずは地形について。遠野の輪郭を描いてそこに物語が生まれた当時の村の名前や丸木立、来内、大洞、厚楽、糠前、山口、栃内といった地名を書いてみる。河川、支流、遠野三山はじめ片羽山、物見山白身山といった山々、笛吹峠、界木峠など駄賃付けが越えていった峠。さらに連なる街道筋、そこかしこにある金山、鉄鉱脈などをおとしこんでいく。ざっくりと俯瞰できたら、話の舞台に、サムトの婆やら、鳥御前、神々の遊び、喜善の生家などと書き込んでみる。これは、一番
2019年8月25日、26日と遠野を訪れる事が出来ました。わたしは2018年12月以来3度目の遠野です。なにせ東京23区より遠野は広し、という訳で到着後の動線を考え車で早朝東京を発ちました。25日は、午後3時すぎに到着、まず伝承園を訪れ佐々木喜善に関する展示を見てから、オシラ堂へ。それから、のどかな農道を歩くと遠野一の古刹常堅寺(曹洞宗)はすぐ近くです。今回は特別に本堂内覧の許可をいただき見学、古い時代のオシラ様、それから隠れキリシタンのマリア像と言われる、頭部に十字が彫られた小さな仏像を見せ
遠野には石碑が多い土淵町山口の水車小屋薄日がさしてくる気温マイナス6度くらい厳冬期にはマイナス20度近くなる日もあるという森の音舎では2019年は「遠野物語」を10月18日(金)~19日(土)本郷の求道会館で上演しました。前年5月頃より「神々の国の首都・牡丹燈籠」の上演準備と並行し、柳田國男のこの作品にどういうアプローチが可能なのか、「物語」といえど、起承転結がある訳ではない、エピソードの集積をどのように2時間弱の上演作品としてまとめることが出来るのか、考えて続けていました。実際に、台
遠野に来て感じることは、まず四方を山に囲まれた典型的な盆地地形であること。現在は、道がしっかり整備されているので特に車移動では、地形の厳しさをあまり感じないが柳田国男氏の遠野物語を読むんだ後で、改めて地形と向き合うといかにこの地が大変なところかが判る。駅前周辺以外は、今でも高い建物がほとんど無いので、盆地地形の全容山の麓まで見渡せる感じだ。小雨交じりの早朝、爽やかな空気感の中山口部落に向かう途中、車を停め大きく深呼吸をした。また遠野に来たなあ・・・・と感じるうれしい時間だ。燻した様な
佐々木喜善記念館柳田國男の『遠野物語』の物語は、佐々木喜善が収集したものが元になっている。佐々木喜善は民話の収集のみならず座敷童やオシラサマなどの調査・研究も続け、作家活動もしており、宮沢賢治とも親交があった。伝承園の中には他にも、内装も再現された曲がり家が建っている。こちらで語り部による昔話を拝聴した。おしら堂。オシラサマ信仰は悲恋譚が元になっている。昔、ある農家に美しい娘がおりました。娘はその家で飼っている馬に恋をしており、年頃
向かうは奥州市江刺区米里人首地区『菊慶旅館』さんへ賢治さん(宮沢賢治)がこの旅館に2度お泊まりしたというマニアにはたまらない旅館でございますこれが賢治さんがお泊まりした当時の姿写真は大正六年に県知事がお泊まりした時のもの※写り込んでいるのは見学に来ていたよそのお父さん笑春と修羅第二集にある『人首町』はここの旅館からの眺めをみて書いたんですよ~これがその詩です【丘のはざまのいっぽん町は…】これがその眺め(*´∀`)でこれが現在(*゚▽゚)ノ昔も今も。+ฺ・。ฺ・丘のは
伝承園遠野のカッパ淵を見学した後座敷わらしさんがいると言われている伝承園を見学してきました遠野地方の農家の生活の様子を再現伝承行事、昔話、民芸品の製作・実演などの体験可能園内には国の重要文化財に指定されている曲り家『菊池家住宅』遠野物語の話者『佐々木喜善記念館』千体のオシラサマを展示している『御蚕神堂(おしらどう)』があるカッパのクゥ可愛い❤️座敷わらしさんたくさんいたかもしれないけどでも、ひょっとしたら土の中に入ってしまわれたかも(笑)こんな可愛いカッパちゃん
『宮沢賢治全集5』(ちくま文庫)「貝の火」「よだかの星」「カイロ団長」などの童話を収録。賢治の童話を読み直しています。どれもこれも面白いです。どれかの童話に(「さるのこしかけ」の最後の場面でした)、脈絡もなく山男が出てきますが、佐々木喜善とも2回会っているし、手紙のやり取りもしているし、同じ文化的地域性を共有していることの表れだろうなと思います。残り3巻もゆっくり読んでいこうと思います。追記:賢治の童話のあまりに高く厳しい倫理性と、この現実の政治的状況の酷さとの落差に、茫然自失となって
カッパ淵のすぐ近くに伝承園があります。遠野地方の昔の生活を伝える施設ですが、何と言っても「むかしあったずもな」で始まる「遠野物語」の話者、佐々木喜善記念館があります。「遠野ふるさと村」には以前行ったことがあるので、今回はこちらを訪ねました。馬と共存するための独特の「曲がり家」やはり馬が大切な存在だったのでしょうか、オシラ伝説とオシラ堂内部オシラサマ1000体が奉られています(なぜかピントがぼけます)座敷わらしが出て来そうないろり端。遠野物語が流れてきます。是非、カッパ淵と同時にまた
互いに脈絡のない、それぞれの話にしっかりした起承転結があるでもない、因果応報が語られるわけでもない短い話の集合体である「遠野物語」をオペラに?そんな不安は何処かへ消し飛び、濃密な2時間50分を過ごした。遠野物語の話者である佐々木喜善を中心に物語は進み、随時誰かが遠野物語の一節を語る体をとる。登場人物が劇中劇の人物となり二重で話が進むこんにゃく座お得意の入れ子式構成である。佐々木喜善が遠野的なモノの象徴として現れる闇と座敷童子を嫌い東京へと旅立つ場面から始まるが、この短い場ですでに
2月13日(水)、六本木にある、俳優座劇場で、オペラシアターこんにゃく座による、『遠野物語』を見ました。オペラシアターこんにゃく座は、「『新しい日本のオペラの創造と普及』を、目的に掲げ、1971年に創立されました。(中略)自国語のオペラ作品をレパートリーとし、恒常的にオペラを上演する専門のオペラ劇団としてオペラシアターこんにゃく座は設立され、巡回公演を開始しました。」と、そのホームページにあります。昨年は、9月に、吉祥寺シアターで、井上ひさしの『イヌの仇討あるいは吉良の決断』を、台本・作曲
岩手ぶらり旅、本日は遠野に行きました。中学生の頃から民俗学に傾倒していた私にとって、遠野は「聖地」。柳田國男氏の「遠野物語」を何回読み返したことか。ダンナも、岩手旅行にあたり「遠野物語」を読んで予習し、満を持して「はまゆり号」で出かけました。「はまゆり号」は盛岡から釜石まで向かう特急で、途中花巻駅までは東北本線、花巻から釜石までは釜石線を走ります。柳田國男氏が頻繁に遠野を訪れていたとき、やはり釜石線を使っていたはずです。そう思うだけでワクワクします。遠野はそこそこ大きな街で、印象と
こんにちは!ルビーです。今回は座敷わらしについてお話したいと思います。住み着いている家に富みをもたらす座敷わらし。福をもたらす小さな童子の神様や精霊というイメージなのですが、その座敷わらしの起源としてとても哀しい話もあります。座敷わらしが登場する「遠野物語」を著した柳田國男に、遠野の伝承を語ったのは佐々木喜善という人ですが、その後、座敷わらしについての研究を行います。そのなかで彼は、座敷わらしは家の中に埋葬された幼い子供の霊なのではないか、という説を出しています。家や村の生け贄と
ごきげんよう!Dr.やすこです。最近、好きになると、ラブレターを出したり、ナンパしたり、動き出してしまうのであります。今回夢中になったお相手はこの方、大平悦子さん❣️大平悦子さんは川崎在住。遠野生まれの遠野育ち。何をされているのかと言いますと、『昔ばなし』を語っています。その『語る』をしている人を『語り部』と言います。読み聞かせとも本読みとも違います。(わたしは読み聞かせも大好きですよ)また、お伝えをしているのは何かというと、『昔ばなし』が主です。本来昔ば
本日は、「MSI=みつまめスケプティック委員会」からの活動報告です。古今東西あまた世上をにぎわせた、フェイク科学系の話題を総ざらいし、信頼に足る真相に迫ります。今回は、「河童(かっぱ)」を特集します。言うまでもなく、日本でもっとも知名度と親しみを持つ妖怪。緑色の肌とアタマにお皿、手は水かき、キュウリが好きで子どもと相撲を取って遊ぶなど愛嬌があるのかと思いきや、馬を川に引きずり込み、オトナの男の尻小玉を抜き、村の女性には夜這いをかけるなど、極悪な習性を持ち
昨日は文京区、新宿区付近の史跡をブラブラしました。佐々木喜善旧居跡佐々木は柳田國男の遠野物語の話者だそうです。旧居は現在、凸版印刷の敷地内にあります。その後、国産飛行機発祥の地に行きました。その後、新宿区白銀公園に行きました。白銀公園は旧中山上屋敷だったそうです。http://www.shinjuku-hojinkai.or.jp/07yomoyama/yomo75.php(=^x^=)
5月8日火曜日みちのく瓦版のお時間ですエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?石碑群に気をとられながら、向かったのはこちらダンノハナ(。+・`ω・´)キリッダンノハナってなじゃらほい花ではなく、場所です壇の塙と書くようで、館があった時代は刑場だったようですね。今は共同墓地となっていて、遠野物語の話者佐々木喜善さんのお墓もこちらにあります。喜善さんはこちらです伝承園に記念館があります前回チラッとしか見てこなかったので、今度またゆっくり見学してきます喜善さんのお墓は、遠野物語の著者柳田國男さ
旅の続き花巻の次は遠野宮沢賢治とも親交のあった佐々木喜善という人が収拾した昔話を柳田國男が聞き取りをしてできた「遠野物語」その佐々木喜善記念館勉強になったここはガイドブックに載ってる「伝承園」伝承園定食他に食事するところが近くにないから…ここにオシラ堂もありますがちょっと怖い雰囲気なので写真はやめておいた…オシラ様の昔話も怖い…かっぱ淵観光地だから整備されていた宿には語り部さんがいてかっぱ、座敷わらし、オシラ様、津波の話をしてくれた観光地巡りより語り部が一番遠野らし
カッパ淵から駐車場方向へ戻り、遠野伝承園へ。昔の遠野地方の農家の生活を見ることができる施設です。入口には大きな木彫りの河童。安全太郎という名前で賽銭箱が置いてありました。行った当時、この場所が大人気だと売店の人が仰っていました。由緒正しい像なのか、それとも御利益があるのかと思い伺ってみると、ポケモンGo!のポケストップで、珍しいポケモンが出るのだとか…今はもうプレイしている人を見かけませんが、2年前の秋はポケモンGo!ブーム全盛期。河童の里へ来て
おはようございます江戸散歩です岩手県遠野市伝承園遠野の古民家や農機具などを展示しています伝承館MAP乗込長屋から入って、菊池家曲り屋でオシラサマに圧倒されて園内を見学します1850年頃に建てられた農家の納屋を移築したもので、物置や作業場として使われた建物です。かつては、玄関や門の役割も担っていました。水車小屋水路には紅葉が浮かんでいます水がきれいです水車
遠乃物語藤崎慎吾を読む📖👓37「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」遠野物語の序文であるが多分に演劇的ではないでしょうか?遠野物語本文の素朴で故郷の囲炉裏の匂いがする民話のテイストからは微妙にそぐわないような気がしていたのですが、こちらを読んで、すとんと物語が繋がったような気がします。台湾の調査から帰国した民俗学者伊能嘉矩は遠野の神社で地元の作家佐々木喜善とともに、別の世界に迷い混みます。そこは遠野によく似ていながら、どこか作り物めいて、奇妙な事象が頻繁する遠乃という村でした。
SL銀河の旅を終え、遠野につきました柳田國男の遠野物語のもととなった遠野市河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」で知られるとおり、街は昔話の世界に迷い込んだような雰囲気を漂わせています早池峰山、福泉寺白衣観音像、巡礼の笠、鍚杖柳田國男日本における民俗学の開拓者遠野出身の小説家で民話研究家の佐々木喜善が語った遠野地方の民話を記録し
およそ、文学の世界とは縁がない私ですが、今回の旅は心や日常を描くその世界に興味を惹かれているようです。今日、訪れたのは岩手県遠野市。言わずと知れた「遠野物語」の舞台となっている地方です。知らぬとは恐ろしいかな……著者の柳田国男さんは存じていましたが、これは聞き取ったものを文に起こしたものだと……単なる研究資料ではなく人の血が通った物語なんだなと思いました。語り方は佐々木喜善さん。この地方の出身です。この方の交友関係も恵まれたもので北原白秋や、同じくこの地方近