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【インドと東北の意外な繋がり】随分前から東北の湯治宿に行く予定でした。帰国してから日本の外気が身体と合わなかったらしく、また半分インドに魂を残して来たらしく体調優れず。同行の仲間たちに迷惑かけるかもと、前日まで行くかどうか迷いました。が、湯治ってそもそも健康の回復を意図するものじゃないかと(気がつくの遅い)行くことに。そしてここは宮沢賢治や高村光太郎がよく来ていた湯治場。10代の頃から、このお湯に浸かりたいと思い描いていた場所です。ただの観光では無く、おふたりの精神、文学性を感じ深
柳田国男と民俗の旅松本三喜夫著吉川弘文館発行平成四年九月二十日第一刷発行Ⅰ柳田国男の小さな旅一野火止・清戸への旅野火止は現在の埼玉県新座市、清戸は東京都清瀬市野火止では次の三つのテーマに話が及んだのでは?・産業組合の問題・土地改良の問題・土地と小作の問題柳田が清戸の強清水伝説(泉の水が酒だった伝説)に関心を寄せていった理由・武蔵野の歴史究明への関心・伝説研究への関心二内郷村への旅大正七年(1918)、柳田国男が中心となって郷土会の会員と実
天の蛇ニコライ・ネフスキーの生涯加藤九祚著河出書房新社発行昭和54年10月15日5版発行柳田国男の文章にもよく出てくるロシア人ニコライ・ネフスキーの波乱の人生を叙述した本です。悲劇的な最期を迎えますが、流暢な日本語で元気よくフィールドワークしていて、生を全うしたんだなということを知ることができ、救われたようなような気持ちになりました。第一章ヴォルガの岸辺で1892年、ヤロスラヴリに生まれたネフスキー一家庭の幸福に恵まれなかった幼少年時代二東洋語に対
昨日土曜日はお世話になっている図書館のイベントがありました私もボランティアの一員として絵本の読み聞かせを担当しました隣町の図書館は柳田國男の生誕の地で民話の語りをされてる方もおられます町の亀鶴で遠野から語りべの方を呼ばれるイベントもあったりするので私も少しはなんちゃってで遠野物語を知っていましたが今回のイベントで遠野の民話を聞いて遠野物語を知りたくなりユーチューブで遠野物語の講演を聞いてみました(笑)遠野物語=柳田國男だったのですが柳田國男に民話
いよいよ旅も終盤。最後のお宿に着いて早速部屋の露天風呂に入り夕食の時間までまったりしているところだ。長旅の時は最後の日だけ頑張って良いホテルに泊まる。夫は大浴場にはあまり入らないので、年に一回の贅沢で露天風呂付きの部屋をとる。今年はリタイア特別年ということで3回も泊まってしまった!花巻温泉郷の鉛温泉。今日は久慈から三陸鉄道に沿って海岸線を走り、北山崎展望台で364段の階段を上り降りして絶景を楽しんだ後、日本三大鍾乳洞のひとつ、龍泉洞を見学、遠野を経由して花巻に来た。北山崎第二展望台
本日のおすすめはこちら。柳田国男の「遠野物語」を水木しげるが漫画化した物です。「水木しげるの遠野物語」柳田国男の遠野物語をほぼ漫画化。(一部、漫画化されてない話もありますが、この漫画一冊で「遠野物語を読んだ」と言っても大丈夫なくらい良書だと思います。)更には、所々に挟まれるコラムや解説、水木しげるによるあとがきのような漫画もあり読みごたえもあり遠野物語への理解も深まるお得な内容。詳しくは動画で。↓他にもYouTubeで色々やってます。水色赤山口敏太郎タートルカンパニー所属に
遠野の昔話佐々木喜善著山田野理夫編・散文詩宝文館出版発行・写真昭和63年5月20日初版第1刷発行岩手郡昔話陸中国岩手郡の昔噺(童話)や口碑伝説遠野郷の旅びとへの挨拶は猿が石川の早瀬だ。水野葉舟、柳田国男、N.ネフスキー、折口信夫、桑原武夫も挨拶をうけた筈だ。和賀郡昔話佐々木の家内の幼時の記憶と、東奥古伝(一名吾妻昔物語)のうちから、和賀地方に縁のある話だけを採ったもの胆沢郡昔話鳥虫木石伝岩手県紫波郡の口碑遠野手帖一片(ペニイ)ばかりの智慧独逸の未知の
今回の遠野行きを全面サポート、さまざまなご縁を繋いで下さったのは大平悦子さん御夫妻でした。大平悦子さんは、遠野青笹のお生まれ。大学進学を期に上京、教職をつとめ、ご結婚子育てを経て退職後、現在は川崎と遠野を行き来され、遠野物語、昔話の語りの活動をなさっています。定期的には(コロナ以前)、川崎民家園で語りの会を持たれ、関西や関東、東北でも語られていました。2年近くに及ぶコロナ禍の影響がありましたが、悦子さんは、この10月、立命館大学国際言語研究所のシンポジウムで「遠野物語99話」と、
11月8日から晩秋の遠野へ、聞き取り調査のため訪れました。遠野と川崎に居を構え、遠野物語や昔話の語り部をされている大平悦子さん御夫妻のご尽力で、女性の駄賃付けであった瀬川マサエさんのご親族にお話をいただけること、さらに15話オクナイサマの安倍家、99話三陸大津波に登場する福二さんの生家北川家のご親族にお目にかかれる事になりました。今回は、新幹線で新花巻下車、釜石線(かつての岩手軽便鉄道)で、遠野駅に降り立ちました。河童池のそばの銀杏が黄葉し、紅葉が風に舞って池に降り積もっています。今回も
【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】5-2-5遠野を手際よく体感曲り家菊池家住宅・庭・湯殿・井戸若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ!ひとり旅】をしてきました。旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。何を思って撮影したのだ
【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】5-2-2伝承園遠野を手際よく体感佐々木記念館・板倉・染工房若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ!ひとり旅】をしてきました。旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。何を思って撮影したの
我らが京極先生が新たに語り直した二百九十九の譚。オリジナルは八十年以上前であり執筆者も違う人ですが、それを新たに綴るはいつもの慣れ親しんだ京極先生の筆致。もはや実家のような安心感を覚えます。狐に化かされたり、山男を畏れたり、神仏を蔑ろにして罰が当たったり。蛇に狼、天狗に河童。そして座敷童衆。この手の譚を聞くのは、何処か懐かしくて郷愁去来するものがありますし、胸の高鳴りも覚えます。そんな巷に残った怪しい二百九十九の譚。中には玄妙不思議のカケラもない与太っぽい話もあって、それがまたちょっと愉快で
東北の旅4日目の7月24日は、午前中に胆沢城跡に行った後、柳田國男の『遠野物語』で有名な遠野に行って来ました。(胆沢城跡に関する記事はこちらです↓)松葉杖で行く東北の旅④胆沢城跡へ!〜蝦夷のリーダー阿弖流爲を偲んで〜|ヨシベエの観劇感激日記↑遠野に伝わる伝承や生活文化などを展示・紹介してくれる「伝承園」(そういえば『河童のクゥと夏休み』ってアニメ映画、あったなぁ…観てないけど!^^;)↑中にはこの辺りの農家の造りである「曲り家」(人と馬が隣り合って暮らせるようにL字型構造になっ
あけましておめでとうございます。2021年が穏やかにスタートしました。とはいえ、東京はじめ先の読めない感染状況が続いております。どうか皆様、ご自愛専一にお過ごしください。作年末の「遠野物語2020」横浜公演では横浜演劇鑑賞協会作成の、このパンフレットが会員の方々に配られました。冒頭には遠野物語について、柳田國男について、丁寧に記述されています。朝倉寿賀子さんの「オシラサマ」の絵も掲載されています。公演会場で壁面に遠野物語に因んだ絵が飾られていた事を思い出します。出演者からのメッセージと
第7章農政学者農政学を専攻した国男が農商務省に入るのは自然の道筋だが、世間的にみて、これは官僚としてのエリートコースではなかった。しかも国男たちは、帝国大学を出ればすぐに、文学部なら中等学校長に、法学部なら高等官になれた時代に、すすんで属官として入ったのである。「最新産業組合通解」は「抒情詩」を別にすれば、国男の最初の著作である。極めて明快な、機能がそのまま骨組みと化しているような美しい文章。(カエサルの「ガリア戦記」みたいなものか?)明治35年、国男は農商務省を去って法制局に移り、
5/14(火):4日目YH----------伝承園徒歩:伝承園----------常堅寺徒歩:常堅寺----------早池峰古道跡徒歩:早池峰古道跡-------水車小屋徒歩:水車小屋----------YH徒歩:YH----------似田貝BS徒歩:似田貝BS------
🏥Dr.CoC夫のひとこと🏥カルチャーラジオ文学の世界カルチャーラジオ文学の世界-NHK毎日テーマの異なる文化番組をお届けしています。www4.nhk.or.jp4月から放送されてきた「『遠野物語』を読みとく」もいよいよ最終回全く知らないことばかりで驚きの連続日本に対する見方がガラリと変わってしまいますそして来月の“NHK100分de名著”吉本隆明『共同幻想論』もまた『遠野物語』を題材にしていますいま『遠
『遠野物語』について語ってみよう、ついに最終日。最後は、ちょっとほんわかする話で締めたいと思います。昭和2年1月24日の朝9時頃、この地方を初めて飛行機が飛んだ。村人たちは飛行機を見たことも聞いたこともなかったので、プロペラ音を聞いて動転した。佐々木喜善は飛行機を知っていたので、村の道を飛行機だと叫んで走ると、家々から嫁娘らが飛び出して、どこかと慌てて走り歩いた。飛行機はやがて見えなくなったが、爆音はしばらく聞こえ、人々は気が抜けたようになって物を言わなかった。同じ年の8月5日にも飛
『遠野物語』について語ってみよう、7日目。人外の者の話が続きましたが、今日はまた少し違うお話です。母と息子の孫四郎の家に嫁が来たが、姑との中が悪く、しばしば実家に行っては帰ってこないことがあった。その日、嫁は家で伏せっていたが、昼頃になって突然、孫四郎が、「ガガ(母)はとても生かしてはおかれぬ、今日はきっと殺さなくては」と言って大きな草刈り鎌を出し、研ぎ始めた。母の謝罪にも嫁の諫めにも耳をかさず、母が逃れないよう家中の戸を閉ざし、用を足したいと言えば便器を持って来る始末だった。夕方にな
『遠野物語』について語ってみよう、6日目。今日もまた、幽霊の話を紹介します。土淵村の助役北川清の弟・福二は、海岸の家に婿入りしたが、先年の大津波で妻と子を失い、残った二人の子と暮らしていた。一年後の初夏の月夜、福二は渚を歩く男女を見かけた。霧の中近寄ってみれば、女は福二の妻で、男はやはり先年の津波で亡くなった者だった。思わず声をかけると、女は笑って、自分は今、福二の婿入り前に心を通わせていたこの男と夫婦になっているという。福二が、子どもは可愛くないのかと言うと、女は少し顔色を変えて泣
『遠野物語』について語ってみよう、5日目。今日は、話者である佐々木喜善の親族の体験談を紹介します。今さらっと「体験談」と書きましたが、これまでにも書いてきたように、『遠野物語』は、佐々木喜善と同時代、あるいは少し前の出来事も収録されています。ですので、佐々木喜善関係者の話もいくつかあるのです。佐々木喜善の曾祖母が亡くなった時、親族が集まって、座敷に寝ていた。その中には、精神的な病(原文では「乱心のため」)で離縁された、曾祖母の娘もいた。喜善の祖母と母は、喪の間火を絶やさないという風習
今日からは、遠野三大話から離れたお話を紹介します。『遠野物語』は、自分たちの日常の延長にある出来事として語られている…と、初日の記事で書きました。「カッパ」や「ザシキワラシ」や「オシラサマ」では、まだ人智の及ばない超自然的な存在の話のような気がしますが、もっと人々の生活に身近な、誰の身にも起こりうる「事件」も、『遠野物語』では多く収録されています。今回紹介するのは、「寒戸の婆」です。「寒戸の婆」をざっくりまとめると、こんな話。ある日、梨の木の下に脱ぎ揃えた草履だけを残して、若い娘が行方
『遠野物語』について語ってみよう、3日目。本日は遠野三大話の一つ、「オシラサマ」です。その他の三大話「カッパ」「ザシキワラシ」については、一昨日と昨日の記事をお読みください。さて、カッパやザシキワラシに比べると、オシラサマは少し知名度が落ちる…のでしょうか?そうじゃなかったらすみません。オシラサマは二体一対の神様で、桑の木を削って作り上げた神像に、布を被せたものが祀られています。一つは娘の顔、もう一つは男性または馬の顔をしています。『遠野物語拾遺』第75話、第76話では、それ以外の
『遠野物語』について語ってみよう2日目。今日は遠野三大話の一つ、「ザシキワラシ」について語ってみたいと思います。復習しておきますが、遠野三大話の残り二つは「カッパ」と「オシラサマ」です。さて、ザシキワラシも割と全国区で有名な話だと思いますが、子どもの姿をした神様?ですね。あえて「?」をつけたのは、祀られていたり、『遠野物語』でも「神」と紹介されていたりしますが、「妖怪」のように考える方もいるので、ここでは断定を避けることにしました。ザシキワラシと言えば、よく聞く話は「ザシキワラシがいる
『遠野物語』発刊110周年、おめでとうございま〜す!というわけで、明日は『遠野物語』が発刊された記念日だそうです。「『遠野物語』とは何ぞや?」という方のために念のため説明しておくと、今の岩手県遠野市の土淵地区出身である佐々木喜善が語る話を、柳田国男がまとめたもの。民俗学が誕生するきっかけとなった本であり、これによって遠野は「民話のふるさと」として知られることになりました。『遠野物語』が発刊されたのは、明治も終わり間近の明治43年(1910)、つまり今年で110周年となるわけです。どうで
2017年7月1日遠野駅から徒歩5分ほどの場所に、明治元年創業の老舗・まつだ松林堂があります。店内この店の名物は「明がらす」です。餅と落雁の中間のような食感で、クルミとゴマが入っており、クルミの切り口がカラスの飛ぶ姿に見えることから「明がらす」と名付けられました。なおゴマはスズメをイメージしています。松林堂から3~4分でとおの物語の館です。入口館入口館内とおの物語の館はこの地にあった造り酒屋の蔵を改装し、遠野地方に古くから伝わる昔話を紹介しています。豆っこの話座敷童天さ
3月から続く自粛~緊急事態宣言、明日14日に39県で解除される動きがあるようですが、これから平穏な日常が戻るというよりは、徐々に新しい生活のスタイルが生まれてくるのだと思えます。稽古は集団での創作ですので、現状見合せておりますが、その時間はまた、作品への理解や可能性をみつめる機会をあたえてもくれました。「遠野物語」はひとつの大切なタ―ニングポイントとなる作品です。*2019年8月地元の方のご案内で夜の早池峰神社を訪れる静まりかえった境内空には満天の星が*短編の集積である「遠
こちらは今日も良い天気です。良く晴れていて、日差しもきつくなってきました。もう初夏ではないかと思われる一日になりそう。2年前の6月初旬、岩手県の盛岡で「東北絆まつり」というのがあって、それを見た後、花巻で乗り換え、遠野まで行ったことがありました。(今年の絆まつりは延期)遠野は、「遠野物語」の舞台です。恥ずかしながら、まだこの「遠野物語」という、柳田國男さんが編纂された、日本の民俗学の先駆けとも評されている説話集を読んだことがありませんでしたが、以前から興味はあ
前回のブログの続きとなりますNHKラジオのアプリでらじるらじるの「聞き流し」からひろってきたカルチャーラジオ「文学の世界」にありました<柳田國男と遠野物語>という民俗学者の新谷尚紀先生の講義を聞いて興奮してノートをとったんですってことでしたしかも「やなぎだ」と長年お呼びしていたのが実は「やなぎた」だったっちゅう驚きで終わっておりました濁るか濁らないかでこれだけ名前のもたらす印象が変わるものかと音ってやはりすごいことですしお名前ですものねそれで改めていま
2019年10月19日(土)本編公演後16時より特別対談「遠野物語が拓く未来」が行われました。赤坂憲雄先生/遠野文化研究センター所長学習院大学生教授民俗学東北学著書に・遠野/物語考・漂泊の精神史・山の精神史・東北学へ・岡本太郎の見た日本・ナウシカ考など三浦佑之先生/遠野文化研究センター顧問千葉大学名誉教授古代文学伝承文学著書に・口語訳古事記完全版・浦島太郎の研究・村落伝承論・風土記の世界・日本