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東京都中央区月島にある、住吉神社に参拝してきました暑すぎない、いいお天気で🌈の光で出迎えていただきました御本殿でお祀りされておられますのは住吉三神である底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命神功皇后である息長足姫命徳川家康公である東照御親命一カ月ほど前に、神功皇后と繋がらせていただきお言葉をちょうだいしました『時代をひらく、女性』今朝シャワーをしているとニギハヤヒさんの存在を感じその後、神功皇后に繋がっていきましたどうやらニギハヤヒさんが仲介してくれた模様神功皇后は第十四代仲
九州の宮崎に住んでいる友人を別の友人と一緒に訪問してきました昔、勤めていたときの同僚3人組です羽田空港搭乗口宮崎到着後にランチを食べに行ったシーガイアのシェラトンホテルランチを食べてから宮崎市阿波岐原塩路の住吉神社に行きました住吉三神(上筒男命・中筒男命・底筒男命)が祀られています住吉神社鳥居昔から海の神、航海の安全の神として信仰される古社として知られている住吉神社は、日向灘を望む沿岸に位置する歴史ある神社です創建は、2400年前の考安天皇年間(紀
住吉三神と神功皇后の関わりは深い。住吉信仰は神功皇后から始まったといって過言はないだろう。神功皇后は新羅に遠征する際に、依網男垂見(よさみのおたるみ)を神主に選んで祀らせた。(福岡県福岡市の住吉神社はこれが創祀とも言われる)。新羅から帰還した際、住吉三神は皇后に三神の荒魂を穴門の山田邑に祀るよう告げた。そして田裳見宿禰(たもみのすくね)と践立(ほんたち)が神の欲する地を定めるべきことを皇后に言上したので、皇后は践立を神主として祠を穴門の山田邑に立てた。また住吉三神が「渟中椋(ぬなく
甲斐国一宮浅間神社に続いて、気になってお参りに行ってきましたこちらの住吉神社さんは初めてお参りしました嫁が大阪出身なので、その辺のご縁もあるのか分かりませんが…知らずに行ったんですが、境内に稲荷社が四社ありました🦊ここではご挨拶すると、風が強く吹いてきましたが、嫌な風ではありませんでした社務所で御朱印をお願いしている間に、最初は素通りした七社へお参りに行きました稲荷社と八幡社にお賽銭を納め、お参りさせて頂きましたお稲荷さんの御朱印もあったので、併せて頂きましたどれかのお社の狐さ
ブログでお知り合いになったrikaさんhttps://ameblo.jp/kyylove99/スピリチュアルと雑記rikaさんのブログです。最近の記事は「9月1日✩Y子の誕生日プレゼントでシンクロ。【追記あり】(画像あり)」です。ameblo.jpとコメントやメッセージでやりとりをしていく中で「鹿児島にご縁のある方に、住吉大社さんの誕生石を教えてあげてください」というミッションをいただいた住吉大社の誕生石とは源頼朝の寵愛を受けた丹後局(たんごのつぼね)が
2023年8月14日現人神社現人神社全国に二千余社ある住吉三神をお祀りする神社〜!!季節ごとにさまざまな飾りがつけられる本殿前の回廊に、7月上旬~9月上旬までの期間限定で数百個の風鈴が吊るされます〜!!風鈴の音色は癒やされますねぇ~!!夜間はライトアップされ幻想的、昼とは違った風鈴回廊も楽しめますよ〜!!
つまにいはくはしきのえのみすひとひすみのえのきしはくはいにまつ(端に巌美しきの枝の見す一日住吉の岸白梅に松)解説端(つま)は「はし。へり。」、巌(いわ/いは)は「地殻を構成するかたい物質。岩石。岩体。」「石の大きいもの。盤石。」、美し(くわし/くはし)は「うるわしい。細やかで美しい。」、枝(え)は「えだ。」、見す(みす)は「ごらんになる。」、一日(ひとひ)は「いちにち。」「いちにちじゅう。終日。ひねもす。」、住吉(すみのえ)の岸は「摂津国墨江郡の海岸。」、白梅(はくばい
本日8月4日は、最強開運日どんな凶も打ち消す最強の日「天赦日」と、一粒のもみが万倍にも実る意味の「一粒万倍日」が重なるだけでなくさらに、大安、神吉日、母倉日、天一天上が重なり8月で最も縁起がいい日。いや、むしろ、天赦日と一粒万倍日が重なること自体が、一年に4~5日くらいしかないんだけどこんなに重なっちゃうなんて、めったにないくらいめちゃくちゃ縁起が良い日。今年は、もうこんなに縁起の良い日はありません。お財布を買ったり、入籍したり、何かを始めるのに最適なのは
ヒーラーHARUHI~春陽~です★はじめましての方★こちらのプロフィールをどうぞ--------------------------------------------みなさん、こんにちはHARUHI(春陽)です。先日、佃島の住吉神社へ参拝に上がりました今日は住吉神社さんのことを少しご紹介しますね。天正十八年徳川家康の命により、大阪佃の人々が江戸へ下る際、田蓑神社の分神霊を奉載し、正保三年(1646年)現在の地に遷座。これが佃住吉神社の起源です。
一之宮巡りの記事の整理の都合上、FC2ブログの記事の一部をアメブロにアップします。2019年4月の記事のリメイクです。4月10日に摂津国一之宮住吉大社に参拝しました。摂津国は、現在の大阪府の北西部と兵庫県の一部地域です。摂津と難波の関係がよく分かっていないので、調べてみました。かつてこの辺りは淀川、大和川の河口で難波津と呼ばれ、津國と称していた。現在の大阪市の中心部に難波宮があったといわれている。飛鳥浄御原宮や平城京の頃も副都として存在していた。当時、律令体制下の国司を派遣
【住吉神社(すみよしじんじゃ)】(福岡市博多区)@art.mochida.daisuke筑前の国一宮である「住吉神社」。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、筑前国那珂郡に「住吉神社三座並名神大」と記載され、「名神大社」であり、戦前の旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社に列し、創建は1800年以上前とされる由緒ある神社です。この神社は、大阪の住吉大社(大阪市住吉区)・下関の住吉神社(山口県下関市)と共に「三大住吉」の1つに数えられていて、博多駅から歩いて10分ほどの福
【仲哀記前半】チェンバレンは古事記の物語進行にたびたび出てくる飛躍や矛盾に素直に違和感を表明している。ヤマトタケが死去した後、実質的にはヤマトタケの段である景行記は終わる。次になぜか「近淡海之志賀高穴穗宮」で即位する成務天皇については、何も語らないが、「空白」であると述べている。次の仲哀記が突然南西の島である九州を皇居にした説話となることに強い違和感があっただけではなく、既に古事記には出てきている「朝鮮半島」のことを仲哀天皇が全く知らない展開となっていることに驚いている。
○前に、「日本書紀」神功皇后紀に、「日本書紀」編纂当時、卑弥呼を神功皇后になぞらえていた節があると書いた。そのことは「日本書紀」割註に、次のように記してある。【(神功皇后)三十九年。是年也。太歳己未。】魏志云、明帝景初三年六月、倭女王遣大夫難升米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏遣吏将送詣京都也。【(神功皇后)四十年。】魏志云、正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。○確認すると、景初三年は西暦239年で、その干支は間違いなく己未であることが判る。その前の
○先日、ブログ『投馬国が諸県であること』を書いたが、字数制限で最後まで書くことができなかった。それで、今回、『住吉三神の故郷』と題して、その続きを書いておきたい。○鹿児島県曽於市末吉町二之方住吉に住吉山があって、住吉神社が鎮座まします。当古代文化研究所では、これまで、何度か参拝している。最近では、次のブログに書いている。・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『住吉山:住吉神社』住吉山:住吉神社|古代文化研究所(ameblo.jp)○今でこそ、ほんの田舎の小さな村社だ
前回『イザナギがアマテラス・ツクヨミ・スサノオを生んだ聖なる海「小戸大神宮」』前回『日本三大怨霊菅原道真を封じる「大宰府天満宮」』こんにちは冒険部タケバヤシです!実はもう1ヶ月以上前のゴールデンウィーク明けの話ですが今回の旅は深沢さん…ameblo.jpの続き次は福岡の「志賀島(しかのしま)」という島へ!以前関東で海神を祭る神社を巡ったけど↓関東の海神神社『海の神を祭る神社in千葉』今まで関東日帰り圏内で最古クラスの神社を色々見てきたけど海の神の神社が無かったと思って調べ
平敦盛...。平敦盛については、『【神さまの導き_0057】龍神様との縁(過去世:源義経)※part12』で、既に触れている...。兵庫県神戸の須磨海岸から須磨寺に行った際に、敦盛の浄化をしていた。敦盛の御霊がこの世への執着を解いて、天の神様のお膝元に帰ることを祈って・・・。その5年後、かつて、平敦盛であった方に出会うことになるとは思いも寄らなかった。一緒に出雲大社に行き、その時には、800年前の平安~鎌倉という時代に平家の誰かであることは感じた。だけど、誰なんだろ
住吉神社福岡県新宮町平成十七年九月四日神示(住吉三神)今日は住吉神社へよう参られました住吉の神々大変喜ばれておられます福岡のこの地は、目覚め志神々の中継地点なりまする未来を予測し、ご神託を与えた住吉三神再び平和のために働きます明子殿、これより日本各地を繋いで下さいませ神からの全身衣伝わる波動の贈物そなたは感じたでありましょう神功皇后ジングウコウゴウがご神託で神懸かりを発揮しましたこの地より再び平和への旅立ちとなります神々の和合進んでおり
住吉神社山口県下関一の宮平成十七年十一月二十五日神示(住吉三神)明子殿、この地での神業ご苦労でございました長門国は九州、本土繋ぎし大事な地この国の大切な中継地点でございます住吉三神この地にもおりまするこの地、この海を朱く染めた悲しい戦がありましたその時の人間は今は生きておりませぬが我等三神はこの戦いをみておりましたそして戦いのあと勝者である源氏も滅びていきましたその頃の人間は神を戦のため占いに利用しておりましたそして現代の人間は神の存在すら気
みなさまこんばんは!~こちらにお越しいただき、どうもありがとうございます。初めてお越し頂いたお方もどうぞよろしくです。今回は、2021年9月に四日市市内に御鎮座の加富神社(波木町)に御参拝しました時の模様を掲載したいと思います。加富神社、四日市市内にふたつご鎮座で、今回は波木町にご鎮座の社となります。なお、一部に別の参拝時のお写真も充てております。おそれいります。☆で示します。●加富神社(波木町)●鎮座地三重県四日市市波木町821●御祭神《
大阪住吉大社大阪府大阪市平成十七年十一月二日神示(住吉三神より)住吉によう参られました遠い琉球よりの神業感謝申し上げます大阪この地商売の地神々複雑な思いでこの地を見ておりますお金がなければ、この時代の人間生きていくことができませぬお金が人間の心を豊かにすること確かにありますでも、お金中心の世の中で人々の幸せは、遠くなっていくばかり住吉予言神は経済の発展のため、大阪では最善をつくして参りました大事な御霊(人間)のため、この大阪のため、この日本のため多くの
ご縁を頂いている方より、住吉神社(すみよしじんじゃ)のお写真をお送り頂きました。ご本人様に、境内を案内して頂きましょ♪こちらは、東京都中央区佃の住吉神社さんです。境内に入らせて頂くと、右手に手水舎があります。鳥居上にある扁額は、陶製だそうで、大変美しいです✨鳥居をくぐると、すぐに狛さん方がお出迎えしてくださいます✨鳥居の正面に御本殿があります。御本殿です。御祭神様は、底筒之男命様、中筒之男命様、上筒之男命様(住吉三神様)息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)様(神功皇后
【住吉神社(すみよしじんじゃ)】(長崎県壱岐市)@art.mochida.daisuke長崎県壱岐市に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)は、住吉三神をお祀りする『延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)』に記載のある式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社の由緒ある神社です。壱岐は古代から、対馬と共に朝鮮や大陸に渡る時の交通の要所で、遣新羅使、遣隋使、遣唐使などの派遣の時にも、この住吉神社が鎮座する壱岐島に休憩するために立ち寄っていました。14代仲哀天皇(
○いまさら、住吉三神について、述べる必要も無い気がするが、一通り触れておきたい。ウイキペディアフリー百科事典が案内する住吉三神は、次の通り。住吉三神住吉三神(すみよしさんじん)は、神道で信仰される神である。『日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大
何千年もかけて日本に溜まった邪気を祓う「イザナギの儀式」は、1日目の志賀島神社での降りしきる大雨の参拝にて、志賀島北端の海で禊ぎを行ったイザナギの追体験をしたのでした。1日目の夜に行いましたセミナー、五島秀一「シン古事記」。そのシンの意味すべて「新・真・神・深」を当てはめることができるほどの圧巻な内容でした。いずれ多くの方にお届けできますように。詳しくはnoteへどうぞ神様社長【住吉三神を巡る旅】(2023年4月)|Dr.Shu五島秀一|note2023年は「海の神
可愛いお花に出会った🌸❤️「どんな自分でも、大丈夫や(笑)」を写真で伝える写家(しゃか)どまきですどまきについて写家(しゃか)どまきさんのプロフィールページ《わたしのこと、育った環境》長年、生き辛さを感じてた。役立たずな自分が大嫌いだった。23歲の時、初めて精神科に行ってから、服薬、通院、回復してはまた服薬、通院、を繰り返してた。「うつ病」の診断を受けてから、通院・服薬するのに全然良くならない。そんな不安定な私を受け容れてくれ、寄り添ってくれた旦那と3人の子どもたち、支えてくれた両親や義
福岡住吉神社福岡県博多平成十八年六月一日神示(住吉三神)明子殿、この地を忘れてはいけませんよこの地より去年始まりました全国への神業の御報告ありがとうございました十種大祓いの祈り受けとりましたいよいよなりまする世が動き、神々にとっても試練なりまするさあ、本土(日本)の八幡ハチマンここより開きましょう守られしこの聖地より出発いたしましょう対岸の国々のなげかわしき状況をみて起こさなくてもよい地震も起こさざるをえず素戔鳴様スサナルサマの意思固く。竹島動きし時
こんばんは。今日は住吉大社で正印殿祭がありました。この地で亡くなられた後村上天皇を偲ぶお祭りです。住吉三神と神功皇后をお祀りしています。弘法大師ともご縁が深いそうです。広い境内反橋誕生石の立て看板源頼朝の妻との由来がある石がお祀りしてあります。住吉大社の社家だった津守氏は源頼朝とお祖父さんが同じだったとか。頼朝のお母さんは熱田神宮の社家の出なのでその関係なのかもしれません。熱田神宮の近くにある頼朝生誕の記念碑津守氏は南朝方として戦った歴史もあるそうです
Dr.Shuの神様社長2023【住吉三神を巡る旅】4月29日の夜に「オンライン講演会」を行います。Dr.Shuの【志賀島でのインスピレーション】をライブにて配信いたします。2023年4月29日「住吉三神を巡る旅オンライン講演会」アーカイブ視聴あり料金:10,000円(税込)時間:19:30〜21:00予定(スタート時間は遅れる可能性がございます)ご参加希望の方は申込:takashima.toshiko@gmail.comまで件名:「住吉三神を巡る旅オンライ
『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども記載(スマホで見ると埋…ameblo.jp続きです。『神功皇后と登山と裂田溝3~脊振と裂田溝~』続きです。『神功皇后と登山と裂田溝2~検証*登山~』前回の続きです。『神功皇后と登山と裂田溝1~登った山~』(2018年11月16日ココログの…ameblo.jpそれらの伝承は何を伝えているのか。羽白
こんばんはvaastu11です☆blogをご覧いただきありがとうございます♪今日は住吉神社に参拝にいって参りました御祭神底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神です三神の「筒」という文字は「星」のことを指します☆住吉神社には星の神様ともいわれるご祭神にちなんだ星守りがあります冬の代表的な星座オリオン座を指しているそうですとてもカワイイです♡星守りは大スターを目指す芸能人の方も多く求めるそうです☆御朱印帳もとても