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先週、サブローの3者懇談がありました。高校近くの住宅街の中を高校に向かってとことこ歩いていると、私の目の前のお家に、自転車に乗った親子連れさんがちょうど帰ってこられました。お母さんが「そんな意地悪なことを言っていたら、鬼になっちゃうよ。ママたちと会えない世界にいっちゃうよ」と言いながらお家の前に自転車を停車。自転車の後ろのチャイルドシートに座っていた3~4歳ぐらいの女の子、悲しいお顔をして無言でした…😰鬼滅の刃の映画の人気が凄いことになっているようですね
朝、実父に電話しても繋がらず・・・いよいよ何かあったのかと不安になり仕事が終わってから家を訪ねようかと妹にも連絡しました仕事の合間にチラッと携帯をみたら返信来てる〜良かった生きてた喜んだのも束の間。何この文章〜〜〜それが下記ですなんじゃコリャ〜これ父が書いた文じゃない最近は、父から皆でご飯へ行こうと言ってきてたのでこれはあり得ない。父はメールが苦手で、いつもなら「りうかいしました」(了解しました)「れんらく。ありがとう。みんなげんき。そうでよかた。」このレベルな
明日緊急事態宣言が出るらしいねこれでもっと会えなくなる仕方のない事だけど、これがいつまで続くんだろう…泣きたくなる
みんなの回答を見る1年前のブログ。改めて思うけど俺って変わってないなぁ1年前とはまた、環境は変わっていくけど俺の気持ちは変わってない。自分の中では抑える所は抑えてるつもりだけど。根本は変わってない。笑わせたいし喜ばせたい。その先はわからないけど、笑わせる、喜ばせるってのは変わってない。友人ちゃんは今度のサイクリング、こっちに来るべきかどうか悩んでる。昨日は「俺は来てほしいけど楽しいと思える方に決めてね」と言ったけど。改めてLINEした。「俺は来てほしい。気が向かないならしょ
昼間はよく晴れ間が覗いていた天気だが夕方になり俄かに雲が広がってきて空一面を覆ってしまった。このままだと会えなくなってしまう。短冊に願いごとを書いても叶ったことはなく書かなくなってから久しい。何かに願いを託すより頼りになるのは自分だけだからこの頼りにならない体で生きていくしかない。織姫みたいな妻はいないのだから。お越しいただきありがとうございましす。ク
円です。先程街を歩いていたらシャッターがほぼ閉まった店を見かけました。突然なんだかとても懐かしい気持ちと悲しい、寂しい気持ちが湧いてきて涙が溢れてきました。何故だろう?と自分の気持ちを感じ入っていくとおばあちゃんちへ遊びに行っていた小学生の時の思い出が重なったからだと分かりました。当時親の再婚があり生活が変わり私は全くついて行けず自分の事が素直に出せていませんでした。家でそうなので夏休みと冬休みの田無のおばあちゃんちへ遊びに行く事が何よりも本当に何よりも楽しみ
8年前の3月11日。私学でもう春休みの娘と2人で息子の側にいた。パパが夕方やってきた。凄いことになってる。今の自分家のことが、この世で1番大変だと思っていた私。息子のお気に入りの曲を許可を得てずっと流していた。すぐテレビをつけた。地球滅亡の映画を見ているようだった。うわぁ凄いことになってる息子も見入っていた。関西も地震がくる❗️そんな噂も流れ水くらいは確保しな‼️と。あの映画みたいや…と見ていた時、何人もの方が信じられない体験を…突然の別れをされていたとは…。もう、意
新生活が始まるまで引っ越しまで(あっ、一緒か…。)職員の皆さんに会えなくなるまでそして…まーくんに会えなくなるまで。指折り数える程に。
もうすぐ卒業式みんなと会えなくなるのはちょっぴり悲しいな…😢#ほっこりタイム#プチジェニー#卒業式#着物#袴#会えなくなる#悲しい
春から岡山の強豪校に進学する選手から、息子がラブコールを受けて…今年初の🎾遠征へ🚙途中、キジさん達と遭遇今日は、3時間の為…男子ジュニア5人参加。3試合、頑張ってました🎾
⬆⬆⬆これ大事
10月に予定されていた集合研修がなくなり、同期に会えるのが実質今回の研修で最後になってしまうことにひどく絶望……立ち直れそうにないわぁ。。【本日の営業状況】終日集合研修なのでなし。全然話が入ってこない。理解度が低すぎる。それにしても同期達はどーやってあの話術を身につけているんだろうか…私も同じくらいには喋れるようになりたいんだけどな。
今年の3月に博士号を取得した私ですが、博士論文の製本版が届いた際、最初にやったことがあります。それは、父方の祖母の仏壇に博士論文を供えるということです。祖母は、私の修士課程入学オリエンテーションの日の午前中に亡くなりました。苦しい大学院生活でしたが、博士論文を書き終えた際、謝辞に祖母のことを書きました。次に私がやったことは、両親を料亭に誘って、一緒に食事するということ。今まで遊んでいる時間がなかった友達と、ちゃんと会って、ちゃんと話すこと。博士号を取った私の姿を、5年前に
2回目の更新です14時まで仕事でしたリニューアルオープンして1週間以上経ちました私が居たお店は6月末オープンなのでそれまで研修させてもらってるお店すんごいヒマお昼になっても混まないこのお店に24時間体制でスタッフが22名このヒマさなんでこれからは2人体制でいいと上層部からいわれてるようでシフト作りに店長は頭を悩ませてるようです実は私、先週末あるドラッグストアーの面接を受け採用の連絡を頂いてますなのに迷ってるという何故か私が居たお店の常
急に会えなくなるのって,そのかたが亡くならはった時…と思ってたんですが,死だけじゃないんだなあ…と。今日,Facebookで「I'mhome(*´艸`)今日から埼玉県民♡」と投稿されているのを見て。えっ?!…と。最近そのかたの投稿を全部は見ていなかったので,変化されていたのを存じ上げなくて……。大阪にお住まいでも簡単に会えなかったのに,埼玉に……と。こういう変化で会えなくなることもあるんだな…と,学習しました。会いたいかたには,会いたいと言ってみようという想いを強くしました
…こんばんは…眠りについて、目が覚めたら……涙が溜まっていました…………私は…この20年の人生で…こんなに悲しいことを体験するなんて…毎日、夢であってほしいと願い続けていました……でも…目が覚めるたびに…現実を実感しました…………ジョンヒョンさん……あなたには…もう会えなくなってしまいましたが……私の中では、いつまでも……キラキラと輝いているあなたがいます……さよならは言いません…サラゲヨー…ご冥福を…お祈りします…………
また、遠くへいっちゃうのね。寂しいなぁ。覆いかぶされる位に大きな気配。もう、感じることが出来なくなるね。いつも不機嫌そうで怖いのに、たまにすっごく懐っこい笑顔を見せて、嘘か本当か分からない冗談を言う。そんな人、他にいないから…来年の誕生日、お互いにおめでとうって言い合える相手がいないなんて…今度いつ戻って来るのか解らないなんて…やっぱり、私、寂しいなぁ。。。
母が亡くなった。事前にではなく急な出来事高知と兵庫の距離間子と母の関係性連絡取り合う頻度感情の蓋してたそれらの要因からお葬式の時人からの言葉で泣いたけど寂しい、苦しい、悲しい、辛い一切感情が湧かなく泣けなかった。泣けない状態で4ヶ月過ぎた。「二度と会えなくなるとしたら誰が辛い?理由は?」色んな感情が体中に走った。怖い、ぞわぞわする、何か向き合わなきゃいけないそこで出た答えが「母」だった。そして、その言葉を出した瞬間…泣いてた。やっと自分の感情で泣け
今日は久しぶりに1日ダンナさんと一緒に過ごしました♪最近は毎晩のように肩や腰足のマッサージして〜と甘えてくるダンナさん時には面倒くさいと思うこともありますが「はい、喜んで〜♪」とやってあげています約5年前トラックの荷台から落ちて「24時間がヤマです」と言われたあの日。もしかしたら「もう会えなくなるかもしれない」と思ったことを思い出します。有難いことに、その後無事に快復し今は元気なダンナさん。でも自分もダンナさんもいつ何があるかわからないであるなら今でき
奥さんを数ヶ月前に病気で亡くした男性。奥さんの写真はあるから、姿を忘れる事はないものの、声を忘れてしまいそうで怖いとの事。ビデオなどを残していなかったようです。それで、他の人の声を聞きたくなくて、仕事も退職。ほとんど引きこもりのような生活に。とても寂しいです。なので、今の内から、面倒とか言わずに、しっかりと思い出を残しておく事って大切ですね。簡単に動画も撮れますし、2人の時間や家族の時間。何にも変える事のできないかけがえのない大切なもの。失ってから気がついても、
姉がドイツから帰国しているとの情報GET!しかも姉は友人の結婚式で北野に出没するらしい。で、タイムスケジュールが不思議で、12:30友人の結婚式➡︎身内のみでの会食➡︎17時から披露宴。なので、友人たちは13時から17時まで無駄にどこかで過ごさなくてはならない状況に。で、姉は中途半端な時間を私と過ごそうと召喚されたのです(^o^;)姉は1800円の和食を食べようとしていたのに、ついてきた女性に「イヤ」と拒まれ、リーズナブルな価格の和食屋さんのランチに行ったのであった。で、途中か
今朝は4時起きで直樹と海行ってきました朝から好きな人と一緒にいられるのは楽しかったです昨日は、数日遅れだったけど直樹の誕生日祝いで夜ご飯食べに行きました私の誕生日の時は、ごはん屋さん直樹が決めてくれてしかも全額出してくれたので今回は私が頑張る番選んだのは、オシャレなカフェがたくさんある一帯の創作和食のお店です。以前ランチしに行ったことがあるのだけど、お店の方もすごく丁寧で親切で感じいいし店構えも素敵で、入り口には綺麗な金魚が泳いでて大人な雰囲気の隠れ家的なところ。もち
間近に迫っているだろう退院。それはきっと、あなたに二度と会えなくなるということ。苦しい事も、どうしようも無い気持ちもあなたの声を聞き、姿を見ることが出来るからこそ…でも忘れたくないから、ずっと進行形でいたいからその時にそなえたいあなたに向けたつぶやきを残していきたい聞かれる事はないけれど。つぶやきというには重いだろうから…長くなるかもしれないから「独り言」としよう…僕のblogがこのタグだけになってしまった時完全にあなたとの繋がりが切れたと僕はあらためてそう認識するのだ