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私の地元、播州出身の歴史上の人物と言えば、ダントツ1位大石内蔵助を始め赤穂事件、忠臣蔵にまつわる人2位黒田官兵衛を始め長政、後藤又兵衛他黒田家にまつわる人3、4がなくて(笑)、5位赤松円心(鎌倉幕末)か大鳥圭介(江戸幕末)と言ったところでしょうか?(宮本武蔵は贔屓目に見ても岡山だと思ってます)歴史好きの私でも、上郡(町役場に銅像がある)出身の友人に教えられたのが初めてで、例に漏れず最初は、芸人の鳳啓助の方をイメージしたものでした。その後、「燃えよ剣」に出てきますが
「幕末遊撃隊」池波正太郎先生著「新選組」や「坂本龍馬」ほど有名ではないが、幕末、蝦夷は五稜郭でその短いが、強烈な印象を残して死んだ江戸の幕臣で剣客、伊庭八郎の物語である。①史実の伊庭八郎(1843~1869)江戸4大道場の一つ「心形刀流」の名門、伊庭道場の10代目跡継ぎとして生まれる。あだ名は「伊庭の小天狗」、「隻腕のイバハチ」など枚挙を問わない。最近は「幕末一の男前(イケメン)」としても有名になりましたけど・・剣の腕は折り紙つきで、かの山岡鉄舟と道場で互角の勝負をしたそう
⑤より五月十一日朝四ツ時一本木鶴岡町土方討死附添沢忠助安富才助別当熊蔵安富者馬を牽き五稜郭江行忠助熊蔵両人士官弐人相賴五稜郭江送る小柴長之助使者一本杉江来り土方引渡す(佐藤彦五郎覚書)安富さんは「土方戦死」の状況を故郷に伝えようと手紙を添えて、その役割を立川さんに託します。「付而者立川主税義、終始付添居候間
四年前に書いた記事です、ってアメブロからのお知らせに出て来た記事。伊庭さんの命日はまだじゃん。まだオイラ生きてるし、って伊庭さんに失礼なことしたと思ったら、6月21日に書いてた。ん、でも待てよ。私の中では彼の命日は旧暦の5月13日なのよね。て、ことは、グレゴリオ暦では6月22日じゃないですか。結局間違ってるし(^^;;自分で自分が恥ずかしい。と、言いますか、もうすぐ副長の命日ですねぇ。やはり少しずつ切なくなって来ます。同じ日に新選組隊士の蟻通勘吾も亡くなってるんで、命日に函館にいら
昨日、原稿中だっちゅーのに、なんとか時間をやりくりして箱根湯本の箱根町立郷土資料館まで行ってきました!もちろん!遊撃隊の講演を聴くためです!馬場先生の小田原藩サイドの説明がすごくありがたかったー!藩主大久保忠礼の出自や、禁門の変など京都政局との関わり、慶喜さんと近しくなったりしてた彼のゆうにやまれずの気持ちがよく分かりました。切なすぎる。履歴書本は、箱館戦争史料集分しか持ってなかったので手に入れることが出来て嬉しかったです。そして、記念読本の涙が出るありがたさよ。もうね、幕府遊撃隊顕彰
今日は歳様のお誕生日、と伝承のある日の新暦の日仕事帰りにでもささやかなスイーツでも買ってこようかしらそして明日は「よみうりカルチャー横浜」の野外講座。上野戦争の路地を歩きます。(自分で書くのもなんですが、お勧めコースです)公開講座ですので、単独参加OK急に参加したくなったという方がございましたら、電話でのお申込みのみ受け付けているようです。(045-465-2010)あと、昨日の記事に追記で詳細リンク先を張ってあります。ご興味ございます方は、宜しくお願い致します
昨日の続きです150年前の本日は、明治2年4月18日。この日松前から敗走の箱館軍は知内・木古内等に退き、またそれによって木古内守備隊も一部転陣します。十八日、会遊撃隊・神木隊は一之渡を退く陣し、彰義隊・陸軍隊・炮兵退て尻内に陣す。其他は木古内江退。(函館戦記)十八日人見勝太郎〈松前奉行属吏数人を将ゆ〉・会遊撃隊〈諏訪常吉〉・神木隊〈布目又兵衛〉は福島を退いて一ノ渡村に拠て之を戌る。彰義隊・・・(北洲新話)木古内宿陣の彰義隊は松前より退き来る本隊に加
今回、「新選組同時代の人々」というくくりで、1日ご一緒させていただいた、12人のチーム!(๑>◡<๑)「ゆかり隊」ならぬ「ゆとり隊」で(笑)新選組隊士たちとは別働だったので、めっちゃおしゃべりしたり、連絡交換したり、楽しかったです!。。。。。。。。左前列左から、山南さん、西郷さん、多摩の歳三さん、伊藤甲子太郎さん。2列目左から、近藤つねさん、勝海舟先生、山本八重さん、坂本龍馬さん。最後尾左から、榎本総裁、伊庭八郎さん、高杉、桂さんでした。1番楽しかったの
幕末です。150年前の本日は明治2年3月17日。この日、小野さんが正廣の刀を購入しました同十七日晴暖和風(中略)三宅ゟ手紙遣候に付一郎罷越金子三拾兩借受晝食いたし歸り直に本陣へ出從夫間潤口へ參り正廣刀求歸り懸叉々可參り七ッ時遣過頃歸る(小野権之丞日記)小野さん、先日見せてもらった正廣の刀、購入したのですね30両借用しての購入でしょうか。余談になりますが、この「金子三拾兩借受晝食いたし」って読めました私、はじめ「借受書」と読んでしまい
****小島二丁目から三筋町を抜けると蔵前通りに出るこの道は、かつての和泉橋通りで、久坂玄瑞が寄宿していた蘭医・伊東玄朴の屋敷があった通りである。その隣にあったのが伊庭八郎の生家の心形刀流「練武館」だが……前回の最後に掲載した写真を見るとわかるように大通りだけあって、昔からこのようにズラリとビルが並んでいる東京のどこにでもある面白味のない町並みが続くなので、昔の建物など残っていないだろう。と、すっかり思いこ
本日、「よみうりカルチャー横浜」の今期は最後の講座ですご参加の皆さま、宜しくお願い致します。なお来月からは、時間がちょっと早くなりますからねぇ~さて本題。昨日の続き…といいますか、新選組の警備状況をお伝えしたので、この頃の箱館軍の様子を。我衝鋒隊は箱館裏手を守り、鷲ノ木に砲台を二ヶ所に築きて天野新太郎中隊を率ひて戍る。森村に本営を設け、砲台三ヶ所に築き惣督古屋佐久左衛門中隊を率いひて戌る。尾白内に秋山繁松一小隊を率ひて戌る。掛間、沙原には砲台三ヶ所に築き永
****鳥越おかず横丁から広い通りをわたって、薄暗い路地をしばらくゆくと、住居表示は台東一丁目にかわった住所は台東でも、ここまで来てしまったら、御徒町に出るよりも、秋葉原のほうが近いはずなので、秋葉原の方角に向かってすすんだこうした都内の繁華街に近い場所なら、たとえ方角を間違っても、地下鉄なりJRなり、必ずどこかしらの駅に出るので、僕はGoogleマップなどは利用しないしばらくゆくと、驚いたことに煉瓦の塀に
1868(慶応4)年5月江戸城開城により、徳川家は駿河、遠江70万石へ減封されました。新政府軍の一方的な条件に旧幕臣の不満高まり、抗戦派は反発を強め、戊辰戦争は東北・北陸へと壮絶な戦いが繰り広げられて行きました。旧幕臣の将来を憂いた旧幕府軍海軍副総裁の「榎本武揚」は蝦夷地を幕臣らの新天地とし、北の防備と開拓にあたることを画策。新政府軍による軍艦引き渡し要求に抵抗するなかで8月20日、榎本武揚率いる旧幕府艦隊(開陽・蟠竜・回天・千代田形の軍艦4隻と咸臨丸・長鯨丸・神速丸・美嘉保丸の運送船4隻
華ノ章、伊庭八郎を攻略しました。グッドエンド、悲恋、バッドエンド。スチルも回収。千鶴を守るために羅刹になり、鬼の手を移植した八郎。新撰組の人たちに追い付くために東北を目指している途中に、武田観柳斎が襲ってきた。辛うじて逃げ延びた千鶴と八郎。傷が癒えるまで待ち、土方達が蝦夷地に向かったというのを聞き2人は向かうことにする。八郎はグッドエンドの終わりかたがヒーローだと思います。挫けても立ち直り、千鶴ちゃんを守るために奮闘する姿はかっこよいですね。武田観柳斎が悪役過ぎて・・・子安さ
風ノ章、伊庭八郎を攻略しました。京の都で伊庭八郎という武士に出会った千鶴。江戸で有名な道場の跡取り息子で、新撰組とも旧知の仲だった。八郎は昔、雪村診療所に遊びて来ていて千鶴と友達だった。その事を思い出した千鶴は八郎に引かれていく。八郎はエリート武士なのに爽やかで嫌みがありません。そして、意思が強く千鶴ちゃんを守り抜く決意をしたところがかっこ良かったです。幼馴染というなかなか王道路線を衝いてきます。宮野真守さんの演技が素敵でした。風ノ章で中途半端な終わりかたでしたので、華ノ章で
小正月ですね。各地ではどんど焼きなどの行事が行われるのかな。私の住む地域では、「15日」ではなく「第2土曜か日曜日」になっていますが今日は小豆粥でも炊きましょうかさて、本題。150年前の本日は明治元年12月3日。この日箱館市内にいた伊庭八郎さんが、遊撃隊に合流すべく松前へ出立いたしました。三日、晴、伊庭発足(苟生日記)この前日には別杯を交わしたとの記述もあります「苟生日記」の著者の杉浦さん、割と人物批判が辛口なんですけれど、伊庭さんと共に箱
幕末、続きます150年前の本日は、明治元年11月29日。この日、箱館市中にいる新選組に松前出張の命令が下りますが、何故か中止同廿九日、我隊松前に赴く可きの令あり、既発せんとす、然るに又変して止る可きの令あり。(戊辰見聞略記)これは…なんなんでしょ昨日の伊庭さんの箱館到着と、なんらかの関係があったのでしょうかねぇ。遊撃隊と新選組とを交代させたかった、とか「いや、それは土方君に申し訳ないから、私が松前に行って遊撃隊と合流しよう」と、伊庭さんが進言
久しぶりの幕末でございます150年前の本日は明治元年11月28日。この日、伊庭八郎さんが箱館に到着いたしました廿八日、(中略)夜不図伊庭八郎、本山小太郎舎に来る、吾大に喜ひ、都下の状況を知り、且感し、且懐ふ、伊前に三ヶ保船に乗し、銚子海にて船破し、夫より上陸多少辛苦を経て横浜に至り、尺振之家に身を托し、当廿五日尺生之周旋により、英船に乗し今宵着港と云ふ、(苟生日記)伊庭さんは言わずと知れた元幕臣であり、遊撃隊士でございます。これまでも数度、記事内でもご
中学3年生の時から、なぜか片腕を失う予感にさいなまれた。その予感は決まって左腕を失うので、それが辻斬りにあうのか、事故なのか、時計を飲んだワニに喰われるのかは定かではないが、『俺って片腕を失くすんだ?』っていう強い思いがあった。一度ならず母親に行ったことがあり、「気持ち悪いこと言わないでよ!」と叱られた。郷里函館がらみでいうと、隻腕の剣士伊庭八郎の存在が気にかかる。八郎は、江戸の剣術道場心経刀流練兵館の跡取り息子として伊庭の小天狗と称された剣客で、幕末期幕府の遊撃隊の一員として、戊辰戦争に参
新井薬師の最寄り駅、新井薬師駅のお隣。沼袋駅から、歩いて7,8分。住宅街を抜けて、こちらにも訪れました貞源寺。正式には、永康山東照院貞源寺、といいます。慶長6年(1601年)に開創された寺院です。徳川家康に昔、「自分が天下を取ったら都に寺を建ててやる」と言われた住職が、御本尊を背負って上京し、鷹狩で江戸城曲輪にいた家康に直談判し、曲輪内に本当に建ててもらったお寺なんだそうです。以降、江戸城の区画整備で
こんにちは〜。やっと原稿が終わって脱力しているところです。今回は前回より20ページ近くページ数が少なかったにもかかわらず、やっぱり仕事が終わると同じようにグッタリです。不思議なものです。瞼が重くてたまらんです。さてさて、原稿をやっている最中、私はある歴史現地説明会に申し込んでました。それは、箱根町立郷土資料館主催の箱根山崎の戦争についての現地説明会でありまして、先日、仕事中にその申し込みに対するお返事を頂きまして、果たしてどうだったかというと、厳正なる抽選の結果、希望に添えない形となった
横浜、到着じゃ~~!👍ということで、龍彦は船でしたが、姫は電車にて横浜にいってきました。まずは、横浜中華街へ『菜香新館』ホテル勤務時代に『美味しい!』と教わってから、横浜の中華といえば、姫の中ではこちらのお店。エビマヨがたまらなく美味でございました。花より団子な姫。団子でお腹をみたしたら、やっぱり花🌹山下公園にバラを見に・・・。が、あまり咲いておりませんでした💧団子と花のあとには・・・花より男子(笑)新宿スワンⅡ。龍彦@綾野剛が横浜でスカウトをしていた場所、象の鼻パークは
幕末。江戸の吉原遊郭・稲本楼に左近小稲という売れっ子の花魁がいました。小稲は「こいね」ではなく「こいな」と読みます。この花魁名は襲名制となっていて5代目までいるそうなんですが、お話したいのは4代目(慶応2年から6年間)小稲さんのこと。小稲さんと言えば、遊撃隊隊長・伊庭八郎!箱根戦争で隻腕となってしまった伊庭さんですが、それでもまだ函館まで向かおうとします。ところが、乗っていた美加保丸が銚子沖で座礁!何とか助かった伊庭さんは横浜に潜伏し、再び函館に行く機会を待ちます。でも、やっと外
注文していたスマホケースが届いたので機種変も済ませてきました。AppleiPhone864GBRed4.7インチ国内版SIMフリー白ロムMR...74,000円Amazon前のiPhoneちゃん最近ちょっとゴキゲンナナメな時があるようなすこし不安があったので新しくしました。万美子さんのblogを読んでいてあっ?!と思ったので機種変を検討してました。たしかに…ここ最近、色々学んでいて自分の考えやステージが変化してきてるのを
伊庭八郎の本、「幕末武士の京都グルメ日記」を読んだ。と、言ってもあと数ページ残っているのだが・・私の世代は「八郎」と聞いて真っ先に浮かぶ人名は「タコ八郎」ではないだろうか(笑)なので、最初「伊庭八郎」という名前がなかなか受け入れられなかった。そんな名前に反して彼の生き方がこれまた凄い。片腕を無くしても戦い続け函館で散った戦士。義を貫いた人。でもこの征西日記は1694年、八郎が21歳の時に家茂上洛のために随行した時に書かれたもの
平成最期の夏!!!!そして8月末日!!!!まだまだ、暑いからねあなたが好きな野菜ベスト3を教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようトマト豆類そしてキュウリですよ~~~(^_^)v長いので約45㎝ありました普通のキュウリを取り忘れるとこんな大きいキュウリになりますウチの方だけ?夏バテ防止にわざわざ大きくして食べます食べ方は♪まず、皮をピューラで取り除く縦割りして、スプーンで種を取るみそ汁がメインです♪そう、みそ汁で食べると夏バ
姫の大好きな幕末の剣士伊庭八郎(イバハチ)のとある日の日記『猿沢池のあたりの迎判屋に泊まり、春日、大仏や色々な寺院を見学した』大阪で将軍徳川家茂を見送ったあと、仲間と一緒に奈良旅行をしたイバハチ。姫も猿沢池のそばに宿をとり、春日大社へ!!平城京の守り神として創建された古社。ご創建1250年。今回楽しみにしていたのは、石燈籠と釣燈籠。石燈籠の間からひょっこりはんな子鹿。かわえー。では、回廊内を特別参拝。右側の東回廊にお目当ての石燈籠を発見!三成(石田三成)にすぎたるものの島
6月の読書メーター読んだ本の数:4読んだページ数:961ナイス数:30戦国と幕末(角川文庫)の感想戦国の話は関ヶ原から先の話だけ。忠臣蔵と新選組の話が多かったです。今回、永倉新八の話が興味深かったです。伊庭八郎びいきな理由が納得できました。読了日:06月29日著者:池波正太郎それからはスープのことばかり考えて暮らした(中公文庫)の感想ここでちょっと登場した「グレーテル」が次作でまた登場するので、読み返すと親しみを感じます。安藤さんの電報みたいなメールにクスっと
「もっとも愛着のふかい長篇小説となった。」池波正太郎先生があとがきに残している。池波先生の愛すべき幕末集大成と言えるだろう。剣客杉虎之助の生涯を通して幕末から明治の時代を描いた時代小説。池波先生は「虎之助には三人のモデルがいるから、架空の人物とも言えない。」とおっしゃっている、虎之助「その男」を通して三人の男を描いている。幕府の遊撃隊だった伊庭八郎、人斬り半次郎こと薩摩の桐野利秋、そして西郷隆盛。池波先生は本当にイバハチがお好きなんだな。私的に苦手な薩摩藩だけど、池波先生にかかると桐
伊庭さん?どこかで聞いたことのある名字ですね。このブログに出てくる伊庭さんと言えば、伊庭八郎さんしかいません(笑)そう、幕臣で西征日記を書き、函館戦争で亡くなった幕末の方ですね。で、孝さんは八郎さんとどのような関係かと言うと…八郎さんの実弟・想太郎さんの息子(養子)なので、八郎さんの甥っ子にあたります。弟の想太郎さんは、八郎さんと同じくらい激動の人生を送られた方ですが、経歴についてはここでは省きます。すごいお二人を身内に持った孝さんも、これまたすごい人物です。1887(明治20年)