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潤くんのInstagramJunMatsumoto/松本潤onInstagram:"〜クランクアップ集〜今川氏真(宗誾)溝端淳平さん僕の記憶では彼は3回クランクアップしました。。笑12話で、25話で、そして45話で。。。笑共演はドラマ「失恋ショコラティエ」以来。お互い歳を重ね、縁あって歴史上の人物の晩年を演じることになるとは。。大事な人たちが去っていく中、家康が本音を漏らす、なんとも言えないシーンになりました。それも1話からの関係性があったからこそだと思います。…52
潤く~ん💜インスタありがとう✨~クランクアップ集~3回クランクアップした溝畑淳平さん🤭あと3回😂
今川氏真さんが徳川家康さんを抱きしめてくれたありがとう!ありがとう!ありがとう徳川家康さんが弱音を言える人が居て良かったガーン😨イイなあイイなあだったあの頃イクサが嫌いな徳川家康さん遠い目だったあの日兄のようにイクサから離れてhappyに生きたかったの生きるか死ぬかの戦国時代を生き抜いてそれだけでも凄いのに安寧の世をつくろうとしてくれていて弱音を吐きたくもなりますほんとーの徳川家康さんはイクサが嫌いなhappy派です駿府今川がヒーロー立派
徳川家康は子どもの頃、駿河の今川館で人質まして過ごします。近年の研究では、家康を庇護し、成人した後は今川の客将として育成する予定でした。義元の嫡男を、氏真と言います。家康より4歳年上の今川氏真は兄弟のように育ちます。桶狭間の戦い以後、今川は衰退、没落します。武田氏滅亡後、駿河を得た家康は半国を氏真に任せれる予定でしたが信長の許可が降りませんでした。今川氏真はそのまま家康の当時の拠点、浜松に残ります。天下人になった秀吉は家康に関東への国替え命令します。家康は駿府から
みなさん、こんばんは♪今日は、オンラインの勉強会と、YouTube動画の投稿のお知らせです♪三省堂書店さんで、オンラインの塾に登壇させていただくことになりました♪歴史から「開運」のヒントをお伝えする講座です!以下のURLからちょっと覗いてみてください(笑)【三省堂書店・めくる塾】白駒妃登美「入門講座」歴史に学ぶ開運の法則~人生に奇跡を起こす方法~https://www.ssdmekuru.com/shirakoma今週の『どうする家
関ヶ原の戦いが過ぎたので「終わった終わった、撤収」と勝手に大河ドラマを終わらせていたけど氏真出ていたよぼーずでと言われてそうだ溝端淳平さんのトークでも出番あるかも?とおっしゃっていたわ家康さんも昔は思いのままどうすりゃええんじゃーと叫んでいたけど瀬名さんや四天王始め家臣もいなくなり地位も断然高くなり今は弱音など吐く相手もなくでも、そこに氏真どのがいたのねそんな相手がいて良かったね溝端淳平さんええ役やわ女城主直虎の時は今川義元戦死後すぐに今川家は滅亡した訳
日曜日に、「どうする家康」を観ました。もう、大阪の陣まで秒読み段階ですね。次回が大坂冬の陣、次が大坂夏の陣、最終回が、天下統一と家康さまの最期ってところかしらね。家康さまは、戦が終わってたったの一年でこの世を去ってしまったんですよね今川氏真さまとの再会がとても感動的でした。家康さまは強くなったのではなくて、人を殺すのが平気になっただけ、死ぬまで戦が続くと、おっしゃいました。それに対して氏真さまは、そなたに救われた命もある。。。兄弟よ!と言って家康さまを抱きしめました。お優しい
今回のどうする家康二人のプリンスまずこのプリンスは秀頼秀忠でよいのか、家康氏真の若かりし頃のことなのか??たぶん、この二組を対比にしているんだろう。そして王道と覇道という言葉が出てきたけどその回に氏真が出てきたのにも意味がありそうな無さそうな…??難しかった…。でも、周りの人間が時と共に死んでいってしまう中で1人奮戦する家康の悲しみと苦しみみたいなものはとても伝わった。ところで、二条城の謁見で秀頼にしてやられた家康に驚いたけど、家康の涼やかな秀吉という感想を聞いて納得。秀吉にしてやら
2023年大河ドラマ「どうする家康」放送が発表されてからずっと楽しみにしていました。私としては数年ぶりの大河ドラマ復活(昔はよく見ていたのです)基本的にリアタイで視聴し、感想をポストしていました。が150文字には収まらない先週はThreadsに投稿してみたものの、収まらず笑結局スレッドに返信する形で投稿しました(Threadsは500文字までみたい)たくさん書きたいならブログにすればいいじゃないということで、『どうする家康』第45回「二人のプリンス」の感想ぶろぐです
おはようございます☕️【公式】大河ドラマ「どうする家康」onInstagram:"#どうする家康第45回「二人のプリンス」ご覧いただきありがとうございました✨#徳川家康役#松本潤さん#今川氏真役#溝端淳平さん兄弟のごとき晩年のふたりが再会!オフショットをお届け🎁一時は衝突したものの、ふたりの絆は切っても切れぬもの。氏真からの一言「おぬしに助けられた命もあることを忘れるな」重圧を背負い苦しみ続ける家康を救うことができたのは兄と慕った彼からの言葉だったのでは…✨…23Klik
どうする家康「弟よ…弱音を吐きたいときはこの兄がすべて聞いてやる」「おぬしに助けられた命もあることを忘れるな」重圧を背負う家康の心の支えるのはかつて兄と慕った氏真でした🔻秀頼に秀忠、家康の悩みは尽きず…https://t.co/8k39ujWHxL#どうする家康#徳川家康#松本潤#今川氏真#溝端淳平pic.twitter.com/xNb8yHAPEz—大河ドラマ「どうする家康」(@nhk_ieyasu)2023年11月26日どうする家康関連記事どうする家康:
長生きした家康公って本当にすごい。あんなに老いた推しが見られると思っていなくて驚いてる。タイトルの「2人のプリンス」!家康と氏真家康と秀頼家康と秀忠…まさかの氏真様の登場!予告では気づかなかった!「弟よ…弱音を吐きたいときはこの兄がすべて聞いてやる」「おぬしに助けられた命もあることを忘れるな」重圧を背負う家康の心の支えるのはかつて兄と慕った氏真でした🔻秀頼に秀忠、家康の悩みは尽きず…https://t.co/8k39ujWHxL#どうする家康#徳川家康#松本潤#今
今夜の大河ドラマどうする家康は、久しぶりに、どうするがいっぱいでした。二条城に招いた秀頼を、上座に座らせようとした家康でしたが、秀頼は巧みにそれをかいくぐり、最後は家康を上座に据えて、自分は下座に座しました。聡明ながら、策に長けています。家康は秀頼の賢さや聡明さ、カリスマ性に、警戒心を強くしたと思われます。そして、大坂の陣に繋がる、方広寺の鐘に刻まれた言葉国家安康(こっかあんこう)君臣豊楽(くんしんほうらく)家康の名は離され、豊臣を君とする、という意味に取れるようになっています。
https://news.infoseek.co.jp/article/iza_F6ENXLNJJZBY5ES57UANYH76FI/「どうする家康」今川氏真(溝端淳平)の再登場に大河ファン興奮副題「二人のプリンス」には二重の意味が?-記事詳細|InfoseekニュースNHK大河ドラマ「どうする家康」の第45話「二人のプリンス」が26日放送され、今川氏真(法名:宗誾、演:溝端淳平)news.infoseek.co.jp
こんにちは!今夜の『どうする家康』第45回「二人のプリンス」に、溝端淳平さん演じる今川氏真様が、再々登場されます!!予告からNHK4K放送で、先に放送されているのを、#お先にどうするのハッシュタグでついつい検索してしまいました!!とても胸アツなシーンのように感じました!今夜の『どうする家康』の放送がとても待ち遠しいです!時間が間に合えば、NHKBSプレミアムの放送をいつも観てから、NHK総合の本放送も観ているのですが、今夜も、もちろん、同じ内容なのに、両方、チェックしたいと思います
もしもif誰かが疲れていたらこう言ってあげて『生きてるだけで♡♪丸儲け』人生って素晴らしい👍生きているだけで素晴らしい👍明石家さんまさんの名言ではありますが生きてるだけで奇跡🤩✨なのよ!!!!次回どうする家康では潤ちゃん♡♪淳ちゃん♡♪カトちゃんケンちゃんみたいに淳ちゃんがまた来ますよね!そうよ♡コツコツやれば必ずコツコツやれば必ず上達するYOゴミ🗑️も拾うとイイみたいよ文化人になります大丈夫ですYOイクサは嫌だけど。はい🐥めっち
片道7kmほどの散歩。かなり涼しいので苦にならなかった。観泉寺は、戦国大名の末裔である今川氏の菩提寺。庭園が有名。1597年に創建(下井草の観音寺)。1645年に今川直房が当地の領主となり、観音寺を現在地に移転・整備したうえで、観泉寺に改名。1662年、今川直房は、万昌院にあった祖父今川氏真と母(吉良義安の娘)の墓を観泉寺に移転。今川氏真を観泉寺の開基とした。*今川氏桶狭間の戦いのあと、義元の子である今川氏真は徳川家康の庇護を受けた。その孫、直房は高家として江戸幕府に仕え、今川家は幕
蹴鞠大名と揶揄される今川氏真の妹が江戸幕府2代将軍の徳川秀忠の教育係になっていたことが注目されている。大名家の地位を喪った氏真が妹の地位を背景にして、子孫が旗本となって生き延びた要因となるだろう。駿河台大学のの黒田基樹教授が「今川家瀬名家記七」の「瀬名氏系図」で、妹の貞春尼が「秀忠公御介錯上臈」だったことを初めて確認。活動期は秀忠の生まれた1579年から2代将軍になった1611年にまで及び、育ての親に近いことが『徳川家康と今川氏真』(朝日選書)で論じられた。徳川家が今川家に取って代わって遠
※駿府城本丸徳川家康公銅像でっぷりされてタヌキおやじって感じです※駿府城本丸跡石碑後方に天守台発掘現場があります駿府城に行きました!パート1️⃣①駿府城戦国時代〜江戸幕末1.戦国時代(今川→武田時代)駿府城は、室町幕府の駿河守護大名今川氏により、国府(首都、居城)として今川館が築かれました。今川氏は、吉良氏(吉良氏は江戸時代の吉良上野介で有名ですね)と並ぶ足利一門で、「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えな
さて、見ていこう。先ずは星5覇道義元さん。吟味済み『【信長の野望20XX噺】大名スカウト(1)』星5星4が多過ぎる。なんで、今回の武将評は複数回に分ける。先ずは石橋凌。自身弱体解除敵全体防デバフ50%敵生命力1〜2位物ダメ1.50×2敵が1体の時は1.7…ameblo.jp〈一言二言〉非常に強力なスキルと言えばスキルなのだが、所謂“死体蹴り”が発生するので、追撃の挙動が非常に不安定。それさえ無ければなぁ……。固有は優秀。移植にも良し。オマケで大当たり。次は星5呪術寿桂尼さん。
10月28日、成田さんシリーズ「辞世の歌③」これも配信されました。RehacQ高橋P、お忙しいのでしょうが、いつも突然です。今回は、戦国武将・今川義元の嫡子今川氏真です。ReHacQ【公式】@ReHacQ·Oct28「社会人のための“死”入門2023〜なぜ最期にそれつぶやいたんですか?〜」配信スタートこの番組は成田悠輔さん、歌人の藤宮若菜さん・田中章義さんとともに日本独特の文化「辞世」を考える番組です第3回は今川氏真の辞世について考えていきます!ご視聴はこちら!
6月30日(金)、梅雨のさ中、せっかく静岡に来る機会があったので、「どうする家康」大河ドラマ館を制覇すべく、静岡浅間神社を訪れたことを記事にします。なお、岡崎および浜松での「どうする家康」大河ドラマ館についての記事は、右記のリンクをご参照ください→「さわやかウォーキング@岡崎(2023/02/11)②」「どうする家康浜松大河ドラマ館を訪れる(2023/03/28)」。もといはJR静岡駅付近…日出町にある企業を訪れるのがメインの静岡訪問でした。雨降りでしたが、静岡駅→日出町→水落交差点→長谷
※2023年8月7日訪問※【掛川城城郭瓦】【武具】【張役所】邸内の警備を任務とする役人が使用した部屋です。【賄方】藩内の経理事務の処理をした部屋です。【御談の間】藩へ用事のある者の用件の取次や談合、会議などの際に使用した部屋です。という事で、少し駆け足になってしまいましたが、掛川城の御殿を見学させて頂きました藩政時代から残る城郭の御殿建築は、日本全国の中でも川越城・二条城・掛川城・高知城の4城のみなので、いかに貴重な遺構であるかがお分かり頂けるかと思います藩政時代から残る貴
※2023年8月7日訪問※【徒目付】徒(徒士)というのは江戸時代の下級武士の一つでありそれを監督した徒目付が使用した部屋です。【吟味奉行】藩内の訴訟や事件あるいは経理関係の吟味をした吟味奉行の部屋です。【大目付】藩内の観察、警備などを主要な任務とした大目付の部屋です。【御用人部屋】藩の財政や庶務万端を取り扱う用人が使用した部屋です。◆遠江国・掛川城(雲霧城)御殿/国指定重要文化財◆⑤に続く
※2023年8月7日訪問※引き続き、《重要文化財》である掛川城の【御殿】を見学して行きます【次の間】城主や家老の世話・護衛をする役人が控えていた部屋です。【長囲炉裏の間】城主あるいはその奥方が使用した部屋です。天井中央には太田候の家紋である桔梗と替紋の違いかぶら矢が彫られています。【杉良太郎様御寄贈掛川城歴代城主甲冑等】俳優の杉良太郎さんから寄贈された、掛川城ゆかりの甲冑との事で、松平忠喬と太田資俊の甲冑だそうです✨甲冑寄贈の経緯についてのパネルが展示されていました【車長持
※2023年8月7日訪問※では、早速掛川城の貴重な遺構である【御殿】を見学させて頂きます✨😌✨【三の間】城主や家老に用向きの場合この間に通され用件を済まします。用件によっては、御二の間や次の間に通される場合もあります。釘隠しには太田氏の家紋である《太田桔梗》があしらわれています✨【次の間】城主と謁見できる身分の高い者だけが通された部屋です。【御書院上の間】城主が藩の政治をつかさどった公的な部屋です。【小書院】城主が政務を離れてくつろいだ私的な部屋です。更に奥へと進んで行き
※2023年8月7日訪問※再建された天守をじっくりと堪能し、続いては掛川城の【御殿】へと向かいます✨御殿の玄関近くには【掛川城御殿】の案内板と【重要文化財掛川城御殿】の標柱を確認する事が出来ますね✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼掛川城御殿御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩政の中心となる諸役所と、城主の公邸が連結した建物です。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。文久元年(1861)に再建されたものですが
※2023年8月7日訪問※天守の一階部分まで戻って来ました天守一階には、歴代の掛川城主に関する展示、主に山内氏・太田氏に関する貴重な資料を中心に展示がされています✨こちらは、山内家の家紋である《丸に三つ葉柏》が縫い込まれた【幟旗】ですNHK大河ドラマ【功名が辻】で登場した物だそうです✨太田氏の家紋《太田桔梗》が入った【鞍】なども展示されていますね✨掛川城の屋根に葺かれている【屋根瓦】✨建築基準法・消防法の観点から、多くの展示品などは置けないようですが、壁や床板、天井の梁なども確認出
お世話になって良くして頂いた今川義元を織田信長がとったどーしてしまい何がなんだかわからないYO徳川家康さんパニック🤯!徳川家康さんのママ🤱於大の方さまや松平家が織田信長についたあの頃ぐっちゃぐちゃ瀬名ちゃんだって悔しかったはずなのあの頃身内の一揆一向一揆で学んだあの頃今川氏真さんと闘ったけど今川氏真さんのことを兄のように尊敬出来ていたあの頃怖い😱信玄が怒ったあの頃麒麟なんて🦒どこに居るの?な、あの頃9対1くらいで立ち向かったあの頃エ