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賑やかな家族から静かな雰囲気の家族まで様々でしたがみんな家族が今手術中なんだなと考えていました。そして入院してから今日までに見てきたことや先生の説明実際に手術をしてから元気に回復している子を何人か見られていたので今までで一番安心しながら待てました。ところが時間が過ぎ他の家族が次々と呼ばれ始め控室の人数が減っていくと徐々に不安が襲い始めます次男はまだかな、、うまくいってるかな、、そして19時30分には私達以外誰もいなくなりました。どんどん不安が大きくな
朝から絶飲食でぐずる次男を抱っこであやしながら食べさせられなくてごめんねとか無事に帰ってきてなど思っていました。そして時間が近くなりトリクロを飲ませ眠った次男をコットに乗せて見送りました。次男は術後にICUに行くので一度病棟から荷物を全部出して家族控室で待ちました。執刀医の先生の説明や話し方が重くない感じだからなのか自分達が少し慣れたのか前回よりもきっと大丈夫だと思いながら過ごせました。そして思っていたより早く手術が終わりました。執刀医の先生より閉塞してい
初めてブログ書きます。今日までバタバタな日々が過ぎて行きました。突然の事…いまだに信じられない…令和3年2月5日の夕方、いつものように仕事から帰って来たあなた…みんなで夕飯食べて、いつものように外に煙草吸いに行き、リビングに戻って来ました。昨年の9月に仕事中に怪我をし腰椎を骨折し入院してました。10月末に退院し、暫くして仕事復帰しました。それ以来腰が痛いからと、たまにですけど私がマッサージしてました。その日も座って私が後ろで腰のマッサージしてる最中に…前に倒れこんだあなた…ん
おかんです。すっかり春めいてきて、早いところでは桜も咲き始めました。もう春なんですねぇ。。***************************30日、次男のフォンタン手術から一年でした。次男は下大静脈と肺動脈をつなぎ合わせるフォンタン手術に加え、三尖弁の逆流が半端ないので、そちらの形成術も同時に行いました術前説明で主治医は、「今までに比べれば人工心肺も使わないし、難易度は高くない」と言ってました。しかし親としては、人工心肺を使おうが使わまいが、難易度が高いか低いかはどうで
病院って、皆が思う程他の病院と連携してる訳ではく、私の浜松の病院の循環器の偉い先生と大阪の偉い先生が同期の親友同士というご縁で紹介状を書いて頂き、実は救急車で転院する1ヶ月前に、1度初外来で診て頂いた事がありました🏥そのご紹介繋がりの偉い先生も3月をもってご勇退との事。明るく気さくで面白い先生でした。私は治療には直接関わってはないけど重症時は毎朝、ご挨拶に病室まで来てくださいました。さて、本題。今のかかりつけ病院の初外来で、「繰り返す心筋炎について1度検査入院して原因を調べましょう」と言
こんにちはカテーテル検査の結果は前回より凄い良かったです!前回は酸素無しでは測れなかったと今回は頑張って酸素無しでやったみたいで凄いいい結果でしたotoちゃんは肺高血圧の点滴エポプロステノールが効いているみたい酸素無しspo65〜70%肺血管抵抗値3.5酸素100%spo294%〜95%肺血管抵抗値1.8ほぼ正常値みたいです今肺高血圧の点滴エポプロステノールは14はいっているけどもう少し少なくしても大丈夫との事で少しずつ減らしている肺の成長が早く行けば良いな本
タイトルは凄いが中身は普通。ワタシ只今蜂窩織炎で入院中。ここの病棟、基本的には「脳神経外科」なんですけど、脳神経外科の患者が少ないので、整形外科、皮膚科、耳鼻咽喉科との混合病棟になってます。今朝もお一人様元気(?)に退院されて行きました。今回の入院中、ステリスト様は何方もいない様です。この病院でステリスト様が出たら一大事です。この病院はCOVID-19専門病院なので、其方の患者様と思われてしまいます。さて、お隣には新しい入院患者様がやって来ました。明日手術との事。
何年か前から「きなこ」さんという関西在住の女性のTwitterをフォローしている。きなこさんには一人の息子さんと二人の娘さんがいて、末の娘さんが今、病院のNICUのベッドの上で「生」に向け、静かに戦っている。末娘ちゃんは彼女にとって三回目の、「大人になるため」の手術を終えたばかりで、ただし人工心肺が外せず、予断を許さない状況だ。Unexpectedsurvivors|きなこ|note『Unexpectedsurvivors』予期しない生存者。生存率50%以下からの生存と言う
「仕事を辞めたらやりたいこと」を自然にひとつずつクリアしていき、ステイホームもそれなりに充実した毎日。だが、なんのことはない。病気になって手術して、仕事を辞めて時間ができたから、やりたいことをやれるようになっただけじゃんと言われればそれまでだ😅。でも、私にとっては心臓の手術をしたことは、人生を変えるくらい大きな意味があったと思うのだ。とにかく、「今を大切に、楽しく生きよう」という思いがとても強くなった。ただ、仕事を辞めた後も、すぐに新たな行動を起こせたわけではなかった。
ぽんちゃん、今日から経口でミルクが始まり、点滴がとれました。外科の先生から話があると看護師さんに言われて待っていると…「状態が安定していますし、外科的にはもういつでも退院して大丈夫です」と。。えっ!!?ウソでしょー!!?早くない??手術からまだ10日しか経ってませんが。人工心肺使って心臓止める大手術ですよ??いくら子どもは回復早いって言っても…いや、嬉しいけど嬉しいけど怖いよーーまた吐いて真っ青とかなったりしたら…まさかこんな早く退院になると思わなくて、まだ離乳食の冷凍とか
心臓手術から2年。私は今、かねてから抱いていた小さな野望を実現すべく、日々わくわくしながらそれに取り組んでいる✨。退職してから約半年の間は、家のことや子供たちに関する用事と、母の病院通いで毎日があっという間に過ぎていった。母の病院へは週に数回、父を乗せて二人で行っていたのだが(父は私が行けない日も、一人でも毎日欠かさず母に会いに行っていた)、退職から半年後の年明け、父が突然他界してしまった。優しい、最愛の父だった。同時に、父と過ごしたこの半年間は、私にとってかけがえのな
15時頃から手術始まって、今、19:45現在、まだ終わってません。手術中に亡くなることもあるとのこと。血を止めることが大きな課題だとか…今朝のまいむ。執刀医の先生に、300ほどの症例やってきて、最難関の部類です!と、言われました…手術に5時間。麻酔が覚めるのに2時間かかるとのこと。まいむに会えるのは、22時過ぎになりそうです。病院の待合。この時間、もう誰も居ません…また報告します。
今日なんです…まいむの手術の日…今、病院に来てます。これから、執刀医の先生のお話があります。毎週木曜日は手術の日で、二組手術をされるそうです。まいむは、2番目の手術。実際始まるのは、15時頃になるそうです。25日の面会時。毎日、片道40~50分かけて、面会に来てます。手術までもたないかもしれないから、毎日来てあげたほうがいいですと、言われてしまったし…26日の面会時。点滴のおかげで、今は腹水は溜まってないとのこと。そのせいか、ごはんもよく食べてると。家では
術後といえば、背中の痛みにもかなり悩まされた。あまり痛いのと、右手に軽いしびれも感じていたので、循環器科クリニックの検診の際に相談して、脳のCTやMRIも撮った。CTの結果は大きな異常はなし。MRIのほうは、脛椎椎間板ヘルニアと診断されたが、これが背中の痛みや手のしびれに関係あるかは不明だった。手術で胸骨を開いて長時間固定したための影響なのかもちょっとわからないけど、とにかく背中の痛みは一年以上続いた。これを解消してくれたのが、ダンベル体操だった。ダメもとで、少し筋力
日にちが前後してしまい、わかりにくいかもしれません。すみません。さくらがまだ生きてた22日のことです。その日はまいむの通院日でした。でも、さくらがどうなるかわからなかったので、通院はダンナに頼みました。(体がふたつあれば、両方に付いててやりたかったんやけどね…)前回の診察のときにも、検査結果によっては次回の通院のときに、入院となるかもしれませんと、言われてたんやけど、その通りになりました…利尿剤を目一杯使ってるので、腎臓の負担が半端なく、腎不全になるかもと言わ
自分の人生を選択しとくべきだと思う私みたいな、世間様の足を引っ張りながら生きてるやから。スマホにもメモにも一言、残しとかなきゃ。生きながらえる延命治療は入りませんが苦しみたくないので苦しそうなら、眠らせて行かせてください。コレは、免許書と一緒に持っとくべきか?息子にも手紙を書いとかなきゃ。私のような役立たずは、コロナでエクモは、使えません。人工心肺の大切さや大変さを知っているだけにワクチンも入りません。Dr.や看護師さん達の苦労が痛々しい程わかります。自己防衛を
手術の後、職場復帰して4カ月後の夏に、私は約20年勤めた会社を退職した✨。いろいろな思い出のある職場生活だったが、精一杯やってきたので悔いはなかった(少なくともこの時は😅)。仕事を辞めてすぐの頃は、あまりのんびりすることもなく、当時受験生だった娘とあちこち学校見学に行ったり、憧れていた平日映画や美術館に行ってみたりと、毎日のように出歩いて日常を満喫していた。また同じ頃、母が入院したので、週に数回、父と一緒に病院に通った。術後襲われた言い様のない孤独感、悲しい気持ちや焦燥
数年前から、私には今の仕事の他にやりたいと思っていることがあった。1つは、ある分野の勉強をしてスキルを身につけること。できれば、そのスキルを活かした仕事に就けたら最高だと思っていた。もう1つは、趣味のピアノをもっと練習し上達して、よりいろんな曲を弾けるようになること。そしていつか、発表会でも小さなコンクールでもいいから、ステージの上で演奏できたらうれしいなと思っていた。そんな小さな野望を胸に抱えなから、子育てに追われ、家事に追われ、仕事に(たまに遊びに🎵)追われてバタバタと過ご
私は、ニットが好きだ。特に、Vネックのニットが好きで、今の寒い季節にはキレイな色のVニットを、春や秋には少し軽い素材で明るい色のVニットをよく着ていた。心臓の手術をした後、胸の真ん中にできた大きな傷を見て、「ああ、もうVニットは着られないなあ…。」と思った。どうせデコルテも貧相になってきたし😅、これからは首の詰まったクルーネックのニットばっかり着るようになるのかしら、なんてちょっと寂しく思っていた。手術から2年たった今。傷は白く、ほとんど目立たなくなった。Vネックを着ても、
退院から1ヶ月後の4月、私は仕事に復帰した。同時に人事異動があり、初めての部署へ。いつもなら、新しい仕事を必死で覚え、勉強していたのだが…。仕事にまったく集中できない。モチベーションがまったく沸いてこない。異動前の職場の仲間は私の復帰を喜んでくれたし、異動先の人たちも、病気のことを知っていて、気を使ってくれた。なのに、ものすごく淋しい。地に足が着いていないような気持ちで毎日出勤していた。復帰から一週間後に、S先生の外来診察があった。本当は、バリバリ元気になっ
退院したその日、まず行ったのが近所の行きつけのラーメン🍜🍥屋さんだ。入院中、ずっと食べたいと思っていたのだ。けれど、一口食べてそのしょっぱさにびっくりした。入院前は何とも思っていなかったけど、この3週間スーパー減塩生活を送っていたので、外で食べるものがとてもしょっぱく感じられた。そういえば、膝や首にできていたアトピーも、入院中にすっかりキレイに治っていた。減塩のおかげだと思う。退院して普段の食生活に戻ったら、また痒くなってしまった😅。退院後は、1ヶ月の自宅療養を経て仕事に復帰し
ご覧いただき、ありがとうございます。この時期になると、何となく気持ちがざわざわとします。18年も経つのにね。クリスマスが予定日だった真ん中の子、2週間早く産まれました。そして即NICUへ入院。私が外出して面会したころには、ECMO(人工心肺)をつけていました。血液透析をしたり、腹膜透析をしたりと、手術だらけの真ん中の子。ただ不安でしか仕方なかったです。でもどこかで治るんだと信じていました。しかし年末にはそうも言っていられなくなり
退院の数日前に、S先生が術後の経過と現状の説明をしてくれた。手術の後から徐脈が続いており、睡眠時は40台まで下がっていた。そのせいか、日中でも時々めまいがした。これについては、今後も様子を見ていきつつ、あまりにも徐脈がひどい場合には心臓ペースメーカーを入れることも考えるとのこと。でも先生の雰囲気では、その可能性はあまりなさそうだった。徐脈以外は、経過は順調。いよいよ退院だ。嬉しい反面、S先生に毎日会えなくなるのが淋しいというか、心細い思いだった。退院したら、S先生にはあ
私が入院していた3週間、単身赴任の夫は仕事を休んで自宅に戻り、娘たちのそばにいてくれた。私の代わりに朝お弁当を作って娘たちを送りだし、家事をして、ほとんど毎日病院に来てくれた。さすがに3週間続けて仕事を休むのは難しいので、週に1、2回は深夜バスを利用して朝、職場に着き、一日仕事をしてまたその日の夜の深夜バスで自宅に戻ってきていた。夫は、私とは正反対でかなり楽天的な性格で、私が心臓を手術することになったと話したときも、こんな大事になるとは思っていなかったようだ。でも、S先生の話を
心臓弁膜症の原因について調べてみたが、何だかいろいろと難しいことが書いてあってよくわからなかった。まあ、原因にもいろいろあるようだが、はたして私が弁膜症になった原因は何だったんだろう?これについては、S先生もわからないと言っていた。ただ、私の弁は石灰化はしていなかったものの、少し厚いとのことだった。これが弁膜症になりやすい一因なのかどうかはわからないけど。遺伝、もあるのかなあ…?私の叔父が弁膜症で、たしか手術して人工弁を入れたと聞いた。私の母は、私が入院する直前の年末に、心不全を起
手術の直後から、背中の痛みに悩まされた。入院中から退院後も一年以上、ずっと湿布が手放せなかった。先生曰く、「手術の際には開胸器でガバッと胸骨と肋骨を開いて体も固定して手術するから、中には骨(肋骨のコト?)が折れちゃう人もいるんですよね-。」手術後、背中の痛みだけでなくしばらくの間右手に若干の痺れも残っていたので、手術は切って上手くいって縫って終わり、じゃなくて、本当に体じゅうに大きな爪痕を残すんだなーと思った。ちなみに、退院後もあまりに背中が痛いので、ダメもとで昔買ったダンベル
こんにちは今日も大阪は気持ちのいいお天気です。ただ、コロナが拡大している地域になりますので、仕事と買い物以外はなるべくおうちでまったり過ごそうと思っています。父の話の続きです。救急車でK病院に運ばれた父は、救命救急センターにて人工心肺をつけてもらい、なんとか一命は取りとめました。急性心筋梗塞との診断でした。ただ、意識はないまま…心臓は機械で動かしているそうで…その後も意識はないまま、1週間程経った頃、先生に呼ばれ、母、私、妹で話を聞く事になりました。このまま意識が戻る事はない、
自衛隊の看護師って100人もいるんですかね(笑)要請するほど人数おらんでしょ?コロナじゃなくても普段から足りてないんだけど…補充してよって思う。もうニュース観て笑っちゃうどんだけ私たちの仕事って世間に認知されてないの(笑)ベッドメイキングだって、お部屋の掃除だって看護師の仕事の一部だよ環境整備も私らの仕事です。メディアは何を勘違いなさって報道してるの病床を増やしても呼吸器とか人工心肺みれない看護師なんて腐るほどいる。点滴の針も入れられない役立たずな看護師もいますよクリティ
ケンジは生後2ヶ月の時に心臓の手術をしています。あの小さな身体で、人工心肺に繋ぎ心臓を開ける大きな手術です。おかげさまで今ではお薬も飲まず1日中、走り回っているくらい元気です。心臓の術後検診も、年に1回。今年もやってきました。まーーーーたじっとしてない待ち時間格闘してきます。よろこんでーゲッツ!