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★2023年4月上旬★******************ハルちゃんの病気や障害については何もしてあげられることがないけど、糖尿病は自分にもできることがあるはず。でもうまくいかない。******************妊娠糖尿病の診断を受けたのは妊娠12週の時でした。でも妊娠16週まで糖尿病内科の予約は取れませんでした。空白の1ヶ月間、自己流で乗り切る決意をしました。今ハルちゃんにしてあげられることはこれくらいだから。インターネットで1食/1日の糖質量やカロリ
手術当日の様子を書きます。飲水は朝6時までの指示だったので、コップ一杯の麦茶を飲みました。息子の朝ごはんの準備などをして時間が過ぎていき、8時に実母が家に到着したので息子をお願いして出発。運転は旦那さんにお願いしました。【病院に着いてから】病院に着いたら総合受付にまず行き、トイレを済ませ手術センターで再度受付。体調などを記載する問診票を提出。8:45までに手術センターに来てくださいと言われてましたが、10分前に着いたので少し待機。待機中に手術室の看護師から、「点滴の針が入りやすいよう
初めまして。本日人工妊娠中絶の手術を受けました。今回の妊娠が分かってから、たくさん悩み、流産や中絶の手術を受けた方のブログをたくさん拝見してきました。私も今後手術を受ける方に少しでも力になれたらと思い、ブログを始めようと思いました。拙い文章ですが、読んでいただけたらと思います。【手術2日前】①医師から手術内容、リスク等の説明②内診とエコー検査③助産師から手術前日と当日の流れの説明、麻酔の同意書記載④採血⑤帰宅【手術前日】①受付を済ませ、先に会計へ。私が受診した病院は費用
★2023年4月上旬★******************羊水検査まで3週間。結果が出るまでは自分がお腹の子にしてあげられることだけに集中しようと思う。名前を付けることにする。******************羊水検査を3週間後に控え、検査を受けて結果が出るまではその先のことは考えないようにしようと思いました。時々”中絶”の文字が頭に浮かびましたが、自分の考えていることは一心同体のお腹の赤ちゃんにも伝わってしまうような気がして、できるだけ考えないようにしようと
★2023年4月4日★******************妊娠糖尿病と診断されたことで産婦人科と糖尿内科の両方がある総合病院への転院が決まる。新しい担当の先生は少し冷たい感じ。そして糖尿内科は予約が取れない。******************これまで通ってきた産婦人科クリニックには糖尿内科医がいないため、総合病院への転院が決まりました。長男を産んだ病院ですが、当時の担当の先生は異動されていて、新しい先生に診てもらうことになりました。診察ではまず心配なことが
★2023年3月28日★******************詳しいエコー検査のために紹介してもらった病院へ。先生の言葉に初めて赤ちゃんへの愛情が湧く。鼻骨低形成を指摘される。******************詳しいエコー検査ができると紹介してもらった病院は小児専門の総合病院でした。高速道路を使って車で約1時間の距離。つわりのピークでこの距離を運転するのはかなり大変でした。途中、信号待ちの車内で何度か吐きました。しかも初診の日は午前中に妊娠糖尿病の確定診断を受け
★2023年3月25日、28日★******************妊娠初期の血液検査で糖尿病疑いとなり、ブドウ糖負荷試験を受ける。妊娠糖尿病が確定。******************血液検査でHbA1cという糖尿病マーカーの値が引っ掛かり、より詳しく検査するためのブドウ糖負荷試験を受けることになりました。この頃はつわりがひどく、一日数回嘔吐していました。体重も妊娠前から-4kg減っていました。こんなに食べていないのに、なぜ血糖値が上がるのか・・・比較的受け付け
★2023年3月23日★******************妊娠11週で指摘されたNTの経過とその他に異常所見がないかを再検査。NTは変わらず厚い。血液検査で糖尿病の疑いがあり、再検査となる。******************妊娠11週の検診で赤ちゃんの首の後ろのNTと呼ばれるむくみが3.7mmあり、通常よりも厚いと言われました。染色体異常や先天性疾患のマーカーだそうです。2-3日はネット検索に明け暮れました。安心したいという気持ちからか、どんな情報も頭の中で
★2023年3月15日★******************母子手帳をもらってはじめての妊婦検診。赤ちゃんの首の後ろにむくみがあると言われる。******************3回目の受診日。クリニックの予約の前に市役所に寄り、母子手帳を受け取りました。前年の流産ではもらえなかった母子手帳。心が躍りました。今度こそきっと大丈夫。クリニックでは経腹エコーを受けました。検査時間が思ったより長く、画像を見ながら先生はずっと無言でした。一通りの計測が終わった
★火葬後~産後1週★******************日常生活に戻る。体は元気。でも、眠れない。******************火葬が終わってからは、普通の生活を心掛けています。長男(3歳)もいるので。悪露は続いているものの体は元気です。出産から数日後には長男の公園遊びやお散歩に付き合って数時間の外出をしました。長時間歩くとさすがに腰が痛く走られるとついていけませんでしたが、長男出産後と比較すれば回復はかなり早い。1週間後には自分が産後で
★2023年5月18日★******************産後2日目の朝に火葬。ようやくハルちゃんが安らげているのではないかとホッとする。******************産後2日目、退院翌日の朝9:20AMに火葬となりました。暑い日が続いていたため、病院から自宅に連れて帰ってもハルちゃんがしんどいかなと思ったことと、だからといって病院に一人残しておくのも寂しいだろうと思ったことから、一番早い日の一番早い時間で予約を取りました。骨壺は自分で準備しました
★2023年5月17日★******************産後翌日に退院。役所への手続きや火葬の準備をする。涙が止まらない。******************ハルちゃんを出産してから今日で1週間です。少しずつ、退院してからのことも振り返りたいと思います。産後翌日の午前の診察後にハルちゃんを病院に残して退院しました。死産届を提出し、火葬の予約を取ってからでないと引き取ることができないそうです。退院前に病室で面会させてもらいました。ハルちゃんの顔は変わら
★妊娠初期★******************妊娠8週頃から本格的なつわりが始まる。一日中続く強烈な吐き気に悩まされる。夫が家事育児を一手に引き受けてくれる。******************ハルちゃんとの日々は、つわりとの戦いの日々でもありました。つわりは妊娠8週頃から本格的に始まり、ピークは12~14週頃、終わりは17週頃でした。いわゆる吐きづわりで、何を食べても吐き、何を飲んでも吐き、動いては吐き、寝ていても吐く、という感じでした。ピーク時
★2023年2月22日★******************初診の2週間後に2回目の受診。赤ちゃんの大きさから妊娠8週であると告げられる。自分の計算と2週間ほどズレがあり戸惑う。******************近所の産婦人科クリニックでの初診で心拍は確認できたものの、赤ちゃんが小さいとのことで妊娠週数が確定されませんでした。翌週に受診するように言われましたがどうしても仕事が休めず、2週間後に2回目の受診となりました。赤ちゃんは順調に大きくなっていてとて
★2023年2月9日★******************近所の産婦人科クリニックを受診し、心拍を確認できたことに安堵。ただし、胎児が小さいとも言われ不安になる。******************妊娠検査薬で『陽性』となり、次の問題はいつ病院を受診するかでした。前年に初期流産した時は、最終生理日から6週で受診し心拍確認ができませんでした。先生の「これから成長が追いつくこともある」という言葉だけを信じてとても不安な1週間を過ごし、翌週の再受診で流産が確定しまし
★2023年1月中旬★******************夫の同僚のコロナ感染をきっかけに体温測定をしたところ微熱が判明。生理の遅れや数日前からの胸やけもあり自宅で妊娠検査薬を試す→『陽性』判定。******************夫と共に自宅でテレワークをしていたところ、夫の同僚がコロナに感染したとの連絡を受けました。その同僚とは前日に対面で会議をしていたとのことで念のため体温を測定すると夫は平熱。念には念を期して私もを測定すると37℃台前半・・・・??何
妊娠中期での人工妊娠中絶を経験しました。この重い決断をするにあたって、お空に帰った娘ハルちゃんに約束したことがあります。それは、自分のこれからの人生ハルちゃんを育てるために使うはずだった時間を大切に有意義に使うことです。家族のために、人のために大切に時間を使ったことを毎晩報告すると約束しました。中絶に至るまで、自分自身もたくさんの方のブログを読み漁りました。自分の経験も悩まれている、苦しまれている誰かのためになればと思い、記憶が薄れる前に書き残したいと思い
で、この話の続きはまだなの?その後、どうなったの?オチは?と気になってるシト(人)が多いと思うんですがねぇ…オチは、特に無いんですよ、えぇ。湯ノ湖に到着した途端に異様な空気になり、気分が悪くなった2人が車に戻るときに、ヴェルディが車の外から、後部座席に見知らぬ子供が乗ってるのを目撃して驚きつつも、ドアを開けて車内を確認したところ、その謎の子供はもう居なかったと。それで、そのとき、ヴェルディは直感で、「あ、今のは、A子の”水子の霊”だな」と、なんとなく悟ったそうです
「飲む中絶薬」正式承認、厚労省妊娠9週までの妊婦が対象(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース人工妊娠中絶のための飲み薬について、厚生労働省は28日、製造販売を承認した。国内では現在、妊娠初期の中絶方法は手術に限られているが、選択肢が増えることになる。news.yahoo.co.jp
日本、飲む中絶薬を承認へ国外では数十年前から利用可能日本、飲む中絶薬を承認へ国外では数十年前から利用可能日本の厚生労働省の専門家分科会は、人工妊娠中絶のための飲み薬の承認について了承した。飲む中絶薬の承認は日本では初めてで、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」の面で大きな前進となる。ただ、飲む中絶薬は国外では数十年前から広く利用されている。www.cnn.co.jp
日経新聞4月22日(土)英製薬会社ラインファーマが開発国内初の経口中絶薬世界保健機構は安全だと推奨メフィーゴパック妊娠9週以下21年度国内の中絶件数12万6174件
「飲む中絶薬」承認へ、パブコメ殺到で延期経て対象は妊娠9週まで(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース人工妊娠中絶のための飲み薬が承認される方向になった。厚生労働省の専門家分科会が21日、医学的な有効性や安全性を検証した部会とパブリックコメントの意見を踏まえ、承認を了承した。今後、厚労相が正式に承news.yahoo.co.jp
「経口中絶薬」国内初の承認を了承厚労省分科会「経口中絶薬」国内初の承認を了承厚労省分科会|NHK【NHK】人工妊娠中絶を薬で行う「経口中絶薬」について、厚生労働省の専門家による分科会は国内で初めて承認することを了承しました。今…www3.nhk.or.jp
あなたに(ネット上で)会えて本当に良かった嬉しくて嬉しくて言葉に出来ない…ということで、お前ら可愛い女の子ちゃんたちのために、俺が出血大サービスでもってこわーいこわーい【霊】の話の新作をたっぷり読ませてやるよ。書き上げるまでちょっと待っててね。今度の怪談は『人工妊娠中絶した女の背後に』というお話です。お楽しみに。じゃあの。
「赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」特別養子縁組制度ができるまでの話で、フィクションではありますが、実在の医師菊田昇の人生に基づいたものです。昭和初期の遊廓を営む母に育てられた昇。不適切な方法での墮胎によって命を落とす女性を目の当たりにして、医師になることを決意。中絶手術やその後の赤ちゃんについてはかなり辛い記述でした。赤ちゃんの命を救っているのに、起訴したり、除名したりしてそれを阻止して体制を守ろうとする組織…菊田医師が特別養子縁組制度の必要性を訴え始めてから、成立までに20年
こんばんは。吉田博美でございますわたくしごとですが、先日確定申告が終わりやれやれと思っているところですが、まだ優先的にやるべきことが、実はずっと前からありました。それは「自己開示」。一年以上前に途中まで書いて、「続きます」の言葉を最後に全然続いていませんでした💧『回顧録〜幼少期〜』去年夏に自分ビジネスをスタートさせてから、ずっと書こう書こうと思っていた自己開示。「開示する」という腹は決めていたけど中々書き始めることができず、一年が経…amebl
菊田昇医師赤ちゃんあっせん事件(中編)1973(昭和48)年発覚この中編では、事件の背景についても知っていただきたいと思い、人工妊娠中絶をめぐって少し詳しく触れていきます。【堕胎罪と人工妊娠中絶の合法化】堕胎(だたい、人工妊娠中絶)やえい児(新生児)殺しの歴史は古くまでさかのぼりますが、日本で人工妊娠中絶が合法化されたのは、第二次大戦後の1948(昭和23)年に成立した優生保護法によってです。それまでは、明治維新以降の近代化の過程で、国力増強(富国強兵)の観点から
男性の方が「セックスをしたくなくても断らない」背景にジェンダー規範?【セックスにおけるコミュニケーション調査】日本テレビは、3月8日の国際女性デーにあわせ「セックスにおけるコミュニケーション調査」を実施しました。立命館大学博士課程で男性の性暴力被害について研究している宮﨑浩一さんに話を聞くと、性的同意の取り方の背景にジェンダー規範が見えてきました。news.ntv.co.jpデートの行き先は確認するのにセックスでは確認しないの?東大生が分析【セックスにおけるコミュニケーション調査】日本テレ
数字がとても気になります。しかし、その数字にばかり注意がいくのは危険でもあります。例えば「80万人」とか。これは昨年の出生数、つまりはこの国で生まれた赤ちゃんの人数、79万9728人のことです。これには解説が必要で、それは「統計を取り始めた1899年(明治32)以来の最少を更新した」という点が重要です。単に80万人という数字だけの問題ではないと思います。岸田文雄君は自公政権を代表したつもりで「危機的な状況」とコメントしたそうですが、笑うしかないですね。だって、1989年