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先日心がやさぐれたもうちょっとで人の心失いそうになったので。。休んだそして無性に寺や神社に行きたくなったもはやヤバいよし京都に行こう人間一人なのでバスの乗り放題チケット買って。。目指すは。。北野天満宮ここってバス乗り継いで行かなあかんからバギーだときつい。。なんか心が浄化される。。病んでる
○2022年2月1日から4日に掛けて、「京都ぶらり旅」へ出掛けて来た。飛行機は、LCCのピーチ航空が安い航空券を発行していたし、宿は京阪ホテルが三泊で一万円と言う、これまだ安価な料金で泊まることができた。朝6時には宿を出て、夕方4時過ぎにはホテルに帰って来る旅行だった。○よくよく考えてみると、こんなふうに京都を旅したのも、初めてではないか。これまで、いつも所用で京都や関西を訪れ、ついでに立ち寄ることばかりだった気がする。京都を旅の目的で訪れたことが無かったことに、改めて、気付かされた。○2月
○浄土真宗を語る上で、避けて通ることのできない功労者が蓮如である。ある意味、宗祖の親鸞以上に、浄土真宗に貢献している人物ではないか。親鸞没後、150年にして登場したのが蓮如になる。その蓮如のお陰で、浄土真宗は一気に時代の寵児となる。現在の浄土真宗があるのも、ひとえに蓮如上人のお陰であることは、間違いない。○2022年2月3日に、京都七条堀川通の西本願寺へお参りした。この日は、朝6時に京都駅八条口のホテルを出発し、下鴨神社から上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺、平野神社、若一神社、
○2022年2月3日に、京都ぶらり旅で、西本願寺へお参りした。西本願寺について、あれこれ書くのに、親鸞聖人を抜きに語ることもできない。西本願寺のホームページが案内する宗祖親鸞聖人は、次の通り。宗祖親鸞聖人平安時代も終わりに近い承安3年4月1日(新暦1173年5月21日)、親鸞聖人は京都の日野の里で誕生されました。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は吉光女(きっこうにょ)と伝えられます。親鸞聖人は養和元年(1181)9歳の春、伯父の日野範綱(のりつな)にともなわれて
○2022年2月3日に、京都ぶらり旅で、西本願寺へお参りした。この日、最後の参観だった。当古代文化研究所の菩提寺、広済寺の本院がこの西本願寺になる。久し振りの参詣だった。その西本願寺の本堂に当たるのが御影堂であり、阿弥陀堂ではないか。前回、御影堂を案内したので、今回は阿弥陀堂の案内になる。○浄土真宗のご本尊は、もちろん、阿弥陀如来である。したがって、通常ならば、阿弥陀堂が本堂である。それに付随して開山堂とも言える御影堂が存在するはずである。ところが、西本願寺では、阿弥陀堂以上に御影堂へ人々が訪
○京都、西本願寺を代表する建物と言えば、何と言っても、御影堂であり、阿弥陀堂だろう。西本願寺の住所は、下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町60である。その堀川通に面して、瀟洒な阿弥陀堂門が建っている。まさに、西本願寺の正門は、この阿弥陀堂門だと言えよう。○実は、堀川通には、阿弥陀堂門と御影堂門の両方が存在する。しかし、通常、開いているのは、阿弥陀堂門だけである。お茶所も阿弥陀堂門の脇になるから、やはり、西本願寺の正門は、この阿弥陀堂門だとするしかない。○その阿弥陀堂門から境内へ入ると、広い砂利
○今回の「京都ぶらり旅」は、2022年2月1日から4日までの道中だった。その内、実際、「京都ぶらり旅」したのは、2月2日と3日の二日間だけだった。2月2日には、伏見稲荷大社から、醍醐寺三宝院、東福寺、泉涌寺、智積院、正伝永源院、建仁寺、錦市場と巡った。わずか一日で、朝6時から午後4時過ぎまで、とにかく歩き続けた。まさに足が棒になる状態だった。○2月2日も、朝6時にはホテルを出た。前日と異なり、今日はレンタサイクルでの京都周遊となる。京都駅八条口前のホテルから、最初に目指したのは、鴨川だった。今
○6月21日から23日まで、天草へ島廻りへ出掛けていた。田舎の宿だったので、wifiが無くて、ブログを書くことができなかった。三日もブログを書かなかったのも、久し振りだった。天気は今一つだったが、大いに学ぶことができた。○天草は、以前から、気になっているところであった。昔、数回、訪れては居たが、そういう意識で眺めていたわけでも無かった。それで、やっと、今回、出掛けることができた。ブログのテーマも、「天草:海の民の島」と命名して、これから、書いて行きたい。○取り敢えず、「京都ぶらり旅」の方を、
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、東寺へお参りした。参拝の目的は、当然、東寺五重塔拝観にあった。昔から東寺五重塔は遠くから眺めるばかりで、一回も訪れたことがない。偶々、今年、2022年の第56回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開に、東寺五重塔が入っていた。それで、東寺へ参拝したわけである。○東寺では、金堂や講堂は通常も公開されているが、全部を見て回れる時間は私にはなかった。この後に、西本願寺にも詣でなければならない。それで、金堂は外から眺めただけだった。後日また、時間を見付けて、ゆっくりお
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、東寺へお参りした。東寺は大寺である。九条通りに、東寺の正門である南大門がある。だから、九条通から東寺境内へ入ろうとしたが、東寺の九条通には、堀まであって、入り口が無かった。それで、仕方なく東側の壬生通りの方へ向かっていったら、小さい西門があった。○その西門をくぐって、すぐ右手にあったのが御影堂である。東寺案内図には、大師堂とある。私が東寺を参詣した時、御影堂前では法要が行われていた。したがって、邪魔にならないよう、除けて通った。御影堂まえには、次の案内板が
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、東寺へお参りした。70歳を過ぎて、ようやく、東寺へお参りすることができた。まさに、兼好法師の『仁和寺にある法師』そのものである。そう言えば、『仁和寺にある法師』も真言宗のお坊さんだった。高野山へは、数年前にお参りを済ませている。○前回、このように書いたが、高野山へ参詣したのが何時だったか、気になって確認したところ、2008年3月7日となっているのを知って、驚いた。もう10年以上も昔のことだった。最近だと思っていたのに、けっこう、昔のことだった。その時の様子
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、東寺へお参りした。50年以上も昔から、東海道本線や東海道新幹線を利用して、上京する際、車窓から東寺を眺め続けて来ている。その割には御縁が無くて、未だに東寺へお参りしたことがない。結構、心残りとなっていた。○70歳を過ぎて、ようやく、東寺へお参りすることができた。まさに、兼好法師の『仁和寺にある法師』そのものである。そう言えば、『仁和寺にある法師』も真言宗のお坊さんだった。高野山へは、数年前にお参りを済ませている。○インターネットで検索すると、東寺のホーム
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、平野神社へお参りした。この日は、朝6時に京都駅八条口のホテルを出て、レンタサイクルで鴨川を遡り、下鴨神社から上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺、平野神社と見学してきた。○最初の予定では、この後、仁和寺、妙心寺へお参りしてから、東寺、西本願寺を参拝することにしていた。しかし、時間は十分あったが、体力的に無理だと判断した。北野天満宮で、もう十分疲れ果てていた。それで、急遽、そのまま平野神社から真っ直ぐ、東寺を目指すことにした。○平野神社から東寺
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、平野神社へお参りした。この日は、朝6時に京都駅八条口のホテルを出て、レンタサイクルで鴨川を遡り、下鴨神社から上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺、平野神社と見学してきた。○最初の予定では、この後、仁和寺、妙心寺へお参りしてから、東寺、西本願寺を参拝することにしていた。しかし、時間は十分あったが、体力的に無理だと判断した。北野天満宮で、もう十分疲れ果てていた。それで、止む無く、仁和寺、妙心寺は諦めて、そのまま平野神社から真っ直ぐ、東寺を目指すこと
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、平野神社へお参りした。平野神社へ参拝する前に、北野天満宮へお参りした。お参りした2月3日は、折しも節分会の日で、北野天満宮は大勢の参詣客で、多賑わいだった。それに対して、平野神社境内は、ほとんど人も見掛けず、お陰で、静かに参拝することができた。○前回、ブログ『大報恩寺から平野神社へ』で書いたように、平野神社と北野天満宮は天神川を挟んで存在する。平野神社の住所が京都市北区平野宮本町なのに対し、北野天満宮の住所は京都市上京区御前通今出川上る馬喰町と、まるで違う
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、下鴨神社を皮切りに、上賀茂神社、大徳寺、金閣寺、北野天満宮、大報恩寺と見学を続けた。京都ぶらり旅と言うより、もう完全に寺社巡りである。大報恩寺から次に向かったのが平野神社である。○順序からすれば、北大路通を真っ直ぐ進んで、大徳寺から金閣寺、そしてそのまま平野神社へ行けば良かったのだが、金閣寺から天神川沿いに北野天満宮へ行ったものだから、平野神社を通り過ぎてしまった。大報恩寺から北野天満宮東門までが、およそ400m、北野天満宮東門から平野神社までが、およそ4
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、大報恩寺(千本釈迦堂)にお参りした。北野天満宮東門から東へ、真っ直ぐ280mほど進むと、大報恩寺(千本釈迦堂)の参道にぶつかる。それを150mほど北上すれば、大報恩寺(千本釈迦堂)である。○かわいい御門には、大報恩寺ではなくて、千本釈迦堂の表札が掲げてあった。京都では、大報恩寺よりも、千本釈迦堂の方が通りが良いのかも知れない。御門をくぐって境内に入ると、両脇に出店が出ていた。今日は、2月3日で、節分会が催されるので、出店も出ているのだろう。○大報恩寺のホ
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。その後、上七軒通を下って行って、途中で、『京北野上七軒うどんそばふた葉』に入って、にしんそばを御馳走になった。今朝、6時から活動しているので、もうすっかり草臥れ果てていた。○今年、2022年、第56回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開では、洛北・洛中エリアでは、大徳寺:聚光院、大徳寺:大光院、西陣:興聖寺、報恩寺などが特別公開されていた。前日は、第56回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開を利用して、醍醐寺:三宝院、東福寺:三門、
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。天満宮を出たところで、ちょうどお昼だった。東門を出ると、御前通で、その向こうに、上七軒の路地が続いている。今出川通から北野天満宮東門まで、上七軒通は400mほどの道程である。今でも、京の町屋が続いている。何とも風情のある通りである。○インターネットで検索すると、上七軒歌舞会の、次のホームページがヒットした。上七軒歌舞会ごあいさつ京都最古の花街・上七軒は北野天満宮の東参道に広がるお茶屋の街です。
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。北野天満宮東側の御前通にある東門から境内へ入って、行った。東門の先、左手に立派な構えの茶店らしきものがあって、そこで、北野名物:長五郎餅を売っていた。さすが、京都、こういうところに、文化があると感じた。せっかくであるから、一つ買って帰った。○何処に文化があるかと言えば、菓子折りを入れる袋が全部紙製で、それも手作り感満載で、何とも愉快と言うか、楽しい。この袋自体、決して高価なものを使うのではなく、さりげない思いやりを感じる。買って帰る
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、北野天満宮にお参りした。北野天満宮東側の御前通にある東門から境内へ入って、行った。東門には、星梅鉢紋の神紋が掲げられ、戸口には、菅公御歌美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞあるのご詠歌が飾ってあった。こういうところが如何にも京都らしい。○東門から境内に入ると、正面に北野天満宮が見えている。しかし、正式の入り口は南門である楼門になるから、まず、楼門を目指して進んで行った。この道の左手には、社務所、神楽殿、宝物殿などが建ち並んで
○2022年2月3日、京都ぶらり旅の二日目、下賀茂神社から上賀茂神社、大徳寺、金閣寺に続いて訪れたのが北野天満宮だった。朝6時から行動し始めて、北野天満宮に着いたのは、11時30分ころだった。もうすでに十分疲れ果てていたが、頑張って、参詣した。○北野天満宮について、北野天満宮のホームページでは、次のように案内している。北野天満宮北野天満宮は、菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。天神信仰の発祥の地であり、親しみ
○写真で確認すると、金閣寺を出たのは2022年2月3日の11時15分ころで、北野天満宮東門へ着いたのが11時31分となっている。こういう近距離の移動には、レンタサイクルが非常に便利で、重宝した。京都の町くらいの大きさなら、レンタサイクルが一番便利なのではないか。第一、どんな狭い道でも通行できるのが良い。それに、意外と、自転車で走るところが整備されていると感じた。○北野天満宮は、もちろん、学問の神様、菅原道真を祀る社である。福岡の太宰府天満宮には何度もお参りしているが、北野天満宮には参拝したこと
○利休宗易には遺偈が存在すると言う。それは次のようなものである。利休宗易遺偈人生七十力圍希咄吾這寶剱祖仏共殺提ル我得具足の一太刀今此時そ天に抛○このことについては、ブログ『利休宗易遺偈』と題して、2022年5月21日に書いている。・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『利休宗易遺偈』利休宗易遺偈|古代文化研究所(ameblo.jp)また、続けて、5月22日に、ブログ『利休宗易遺偈:解題』をも、書いている。・テーマ「
○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、金閣寺へ参詣した。当初の予定では、この後、仁和寺へ向かう予定だったが、それよりも北野天満宮や大報恩寺の方が気になって、仁和寺参詣は諦めることとした。と言うのも、仁和寺へは、これまで、数回お参りを済ませている。それよりも、まだお参りを済ませていない北野天満宮や大報恩寺の方へ行こうと思ったからである。○それで、きぬかけの路を通ることはなかったわけである。このきぬかけの路は、これまでに、何回か通った道である。それが懐かしくて、今回の旅行でも、歩こうと思っていた。
○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、金閣寺へ参詣した。随分久し振りの金閣寺参拝だった。池泉回遊式庭園を巡りながら、美しい金閣寺を存分に堪能することができた。○この金閣寺自体が北山文化と言って、日本文化の一つの典型であって、粋である。そのことを改めて感じることができた。今回の京都ぶらり旅では、伏見稲荷大社を皮切りに、醍醐寺三宝院、東福寺、泉涌寺、智積院、建仁寺正伝永源院、建仁寺、錦市場、下鴨神社、上賀茂神社、大徳寺と訪れ、此処、金閣寺まで来ている。○まだまだ京都ぶらり旅は続くのだが、すでに、
○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、金閣寺へ参詣した。京都観光では人気の観光名所でもある。これまで、何度か参詣したことはあったが、久し振りの見物だった。コロナ禍であるにも関わらず、さすがに観光客が多かった。○金閣寺は、池泉回遊式庭園として知られる。その目玉は、何と言っても、金色の金閣舎利殿である。この金閣舎利殿を見るために、大勢の見物客がここを訪れる。まあ、何時来ても、間違いなく美しい。それはまた、誰が見ても美しい。○ただ、忘れてならないのは、ここが禅寺だと言うことである。それに金閣舎利殿
大超寺から北へさらに🚶🚶🚶テクテク。当日前半最後は、三条縄手三軒寺、最後の寺院を拝観。曼荼羅山西願寺浄土宗寺院で、かつて三条縄手にあり、京阪三条の再開発によって移転した四軒寺の一つ。四軒寺のうち前々回のブログでご紹介した高樹院・三縁寺とともに岩倉に移転し、三条縄手三軒寺と呼ばれます(養福寺のみ八瀬へ移転)。深緑の中、長い石段の参道が続きます。途中に分岐点があり、そちらはお寺の方が利用しているようです。若奥様か娘さんが降りて来られました。山門
○2022年2月3日に京都ぶらり旅で、大徳寺へ参詣した。その後、金閣寺へと向かった。大徳寺から金閣寺までは2キロメートルほどで、随分と近い、レンタサイクルで、北大路通りを西へ進むと、途中、史跡船岡山の案内板を見付けた。○船岡山のことは、聞いたことはあったが、こんなところにあるこを知って、驚いた。インターネットで検索したところ、次のページが最も詳しかった。船岡山について船岡山は標高112メートル(比高45メートル)、周囲1300メートル、面積2万5千坪の優美な小山であり、東南側
○それでは早速、『利休宗易遺偈』を読むことから始めたい。原文は、次の通り。利休宗易遺偈人生七十力圍希咄吾這寶剱祖仏共殺○偈のあとに、提ル我得具足の一太刀今此時そ天に抛を付す人も居るが、偈は四言四行が基本である。偈の後のものは句(和歌)に過ぎない。それは偈には含まれない。そんなことは当たり前のことである。○インタネットで、いろいろと見ると、次の読み方が最も多い。人生七十じんせいしちじふ力圍希咄りきいき