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所長の伊藤です。当面の編物教室についてはこちらをご覧ください。受講の際はこちらにご協力ください。また、感染症対策強化についてこちらをご覧ください。※)記事末尾の講習案内に残席数を表示するようにしました。※)近々では5月27日(金)銀座教室の午前、6月4日(土)西新宿教室の午前午後が比較的狙い目です。ぜひこの機会にご参加ください。夕べは仕事から帰ってきたら、夕食もとらずにいつの間にか寝落ちしていました。まぁここ何ヵ月か、ニットの秋冬の仕事のピークだったこともあり、頑張っち
2022.02.06夕方より・・・積もりそうな雪が降り始める(って・・・夏日を観測している時期に、まだまだ冬内容ですみません)雪を見に行こうと思っても・・・夜勤入りなのだぁ~ってことで・・・夜勤が無い日を狙ってお出掛けです2022.02.08雪がぽっぽっと降った2日後(見えている山は、多度山ですがね^^;)地元は無いが・・・関ヶ原とか行けばあるんじゃないと・・・北上をするのです広瀬橋を渡る際に見た、牧田川の河川敷いいねぇ~素敵な光景です関ヶ原の街中は・・・路面
期間:2022/04/29〜05/10天井:100倍率:2倍初回:半額射)穂井田元清:第四の矢武)井伊直虎:親子鷹の賢将戦)北条氏照:陣取りの手本薬)細川藤孝:百挙百捷の才星2戦)安楽兼寛:疑心暗鬼射)神保長城:機耐性・弐薬)石田重家:練磨©コーエーテクモゲームス
期間:2022/04/22〜04/29天井:100倍率:2倍初回:半額武)井伊直孝:親子鷹の賢将戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇武)島津豊久:知勇卓犖の壮射)穂井田元清:第四の矢星2戦)足利晴直:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
豪徳寺の続きですこちらが本堂曹洞宗寺院の豪徳寺は大谿山洞春院豪徳寺と号します文明12年(1480年)世田谷城主吉良政忠が伯母・弘徳院の為に「弘徳院」と言う庵を結んだのが始まりで、当初は臨済宗であったが、天正12年(1584年)に曹洞宗に改宗寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が井伊家の菩提寺として、伽藍を創建し整備しました御本尊釈迦如来扁額本堂を覗かせて頂きました招福殿招福殿は只今、改修中でした招福殿の赤門ずらずら〜っと奉納された招き猫😺私も豆猫を奉納六
世田谷の豪徳寺のお話しです。安政の大獄、桜田門外ノ変の井伊直弼の墓があります。歩ける距離に松陰神社があり、吉田松陰の墓もあります。井伊直弼と吉田松陰、ちょっと取り合わせが良くないですね。
うっちーこと宇都宮芳綱ですタイトルにもあります通り、本日は息子の18回目の誕生日なんです予定よりも早く生まれてバタバタだったことが、月並みですが昨日のことのようですそんな息子に久々にくじを引かせてみました影城主で天下くじだったのですが、何を引いたのかというとグフッ!><まあ息子が誕生日だからといって、良いのが引ける訳じゃないですよねその内、合成をポチポチしていたら、本城主でも引ける
2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。「豪徳寺」の続き。豪徳寺(その2)のレポ『豪徳寺(その2)~彦根藩主井伊家菩提寺~東京都世田谷区の寺院・史跡』2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。「豪徳寺」の続き。豪徳寺(その1)のレポ『豪徳寺(その1)~彦根藩主井伊家菩提寺~東京都世田谷区の寺…ameblo.jp「彦根藩井伊家墓所豪徳寺井伊家墓所」を更に進みます。10代井伊直幸公正室の墓石の隣には、「清蓮院」、9代井伊直禔(
うっちーこと宇都宮芳綱ですタイトルにもありますように、本日12月20日は自分の誕生日で、35才になりました・・・おっと間違った53才でしたんで、記念に天下くじを引いてみましたまずは影城主で引いてみたらグフッ!><遁世影武者素材ですが、S2の騎迅強襲を付けないといけないので、しばらくは寝かしておきます続いて本城主でも引いてみたらえっ!うそ!!マジ!?
12月10日(金)に、「青春18切符」を使用して、「鎌刃城」(滋賀県米原市)と「彦根城」(滋賀県彦根市)を訪城してきました。本日は「彦根城前編」(滋賀県彦根市)をお届けします。当初計画していたのは、「彦根駅」から近くにあり、登城したことがなかった「佐和山城」へ行く予定で進めていましたが、パンフレットに16時までに下山する旨が記載されてたので、どうしても「鎌刃城」に行ってからでは時間的にタイトになることが分かり、2日前に「彦根城」の外周を周回することに決めました。結果的には、前
家の近くを歩くのも飽きたので、どこか行ったことのないところに行こうと思い、豪徳寺に行ってきました。招き猫発祥のお寺だそうで、猫がたくさんの写真をよく見るのですが、近すぎて行ったことがなかった。紅葉でも有名だそうで、なかなか綺麗でした。井伊直孝の代に井伊家の菩提寺になったそうで、三重塔もあり、けっこう大きなお寺でした。
動画作成のために訪れた滋賀県。二日目の最後(10月29日)に訪れたのが彦根城でした。彦根城は築400年ともいわれ、井伊直継・直孝によって築かれ、今は世界遺産登録を目指しているものです。お城の屋根組に使われている丸太の梁(はり)がむき出しの状態が見られます。城内は、敵陣に攻められた時の工夫が施されていることが分かります。一見の価値ある彦根城と言えるのではないでしょうか。
2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。「豪徳寺」の続き。豪徳寺(その1)のレポ『豪徳寺(その1)~彦根藩主井伊家菩提寺~東京都世田谷区の寺院』2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。東急世田谷線宮の坂駅前にある「江ノ電601号」を見学した後は、「豪徳寺」に向かいました。東急世田谷線宮の…ameblo.jp「豪徳寺」を進むと、大きなモニュメントがあって…戦没者慰霊碑のようです。こちらの石碑は、「遠城謙道師遺跡碑」とあるよう
ラッキーな体験おしえて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日は招き猫の日だそうです。招き猫愛好家の団体「日本招猫倶楽部」が「くる(9)ふ(2)く(9)」の語呂合わせから制定したことに由来するそうです。招き猫の日にちなんで「ラッキーな体験を教えて」についてです。私は特にないですね。なかなか招き猫のご利益を感じるような体験はしてないです。宝くじ売り場とかで招き猫を見かけたら拝んでおきたいくらいですね。皆さんのラッキーな体験は何ですか?なかなか幸運な出来事に出くわすこ
2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。東急世田谷線宮の坂駅前にある「江ノ電601号」を見学した後は、「豪徳寺」に向かいました。東急世田谷線宮の坂駅前の江ノ電601号のレポ『江ノ電601号~東急世田谷線宮の坂駅~列車で行こう』2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。「世田谷八幡宮」をお参りした後は、東急世田谷線宮の坂駅に向かいました。世田谷八幡宮(その2)のレポ『世…ameblo.jp東急世田谷線宮の坂駅から、更に東に進んで行くと、
焼津市中里には、彦根藩二代藩主井伊直孝の産湯の井があります。伝承として井伊直政が東海道岡部宿の本陣で宿泊したときに、中里の女性が夜の相手を務めてその女性が故郷で産んだ男子が直孝であり、その産湯に使われたのがこの井戸の水とのことです。直孝の出生でよく知られている話は、直政の正室唐梅院(花)の侍女だった印具徳右衛門の娘養賢院(阿古)に直政が手を付けてしまい、阿古は怒った花に追い出されて在野で直孝を産んだというものです。もちろん、花が実家を頼ったと考えるのが普通ですが、印具氏は相模国内に地縁があ
期間:2021/04/30〜05/11天井:100倍率:2倍初回:半額武)井伊直孝:親子鷹の賢将戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇武)島津豊久:知勇卓犖の壮射)穂井田元清:第四の矢星2戦)足利晴直:疑心暗鬼
水戸東照宮鎮座400年記念大祭茨城新聞水戸市宮町の水戸東照宮(宮本章宮司)で17日、鎮座400年記念大祭が開かれ、関係者約100人が節目を祝った。同宮は1621年に、初代水戸藩…「青天を衝け」第11話ついに惇忠が立ち上がる!慶喜は再び表舞台へ!第10話ネタバレあらすじと...navicon[ナビコン]一方、皇女和宮(深川麻衣)は江戸に入り、将軍・家茂(磯村勇斗)と対面を果たした。“野蛮な武蔵の国の武家”と言って嫁入りを拒んでいた和宮だが、...見ごろまだこれから菊
1590年3月16日(天正18年2月11日)に彦根藩2代藩主の井伊直孝が生まれました。井伊直親の孫にあたります。異母兄の井伊直勝と同じ年に駿河国中里で出生し、幼名は弁之助といいました。井伊直孝の生母とされる印具氏は井伊直政の正室の唐梅院の侍女でした。正室に遠慮した井伊直政が初めて井伊直孝と対面したのは1601年であったとされています。徳川家康同様に徳川家臣団や徳川秀忠なども女性に気を遣ったようです。幼少期は井伊家領内の上野国安中の北野寺に預けられ、そこで養育されました。1602年の
世田谷にある豪德寺に行ってきましたこちらの招福殿には招福猫児(招き猫)がたくさん自然とテンションが上がりました〜頂いた豪徳寺のパンフレットにはある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。それが彦根藩主の井伊直孝でした。その後、豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招
2020年12月12日土曜日アストラゼネカBS~松尾寺山/砦~竜宮山~青龍の滝~鎌刃城~太尾山城へ「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」アストラゼネカ「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」松尾寺山「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」大権現・松尾寺山砦跡「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」西坂山・八葉山「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」竜宮山「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」青龍の滝「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」鎌刃城跡(主郭)「竜宮山・青龍の滝・鎌刃城跡」鎌刃城跡から下山のつづきです更に下山です
竹生島から約30分で長浜港到着歩く事10分、JR北陸本線長浜駅に到着長浜駅から彦根駅へ一日三回しかお目にかかれないという、『ひこにゃん』ラッキーなことにいらっしゃいました2006年4月13日生まれファンクラブ有仕事は彦根市のPRで日々活躍中趣味は彦根城の周辺を散歩するのが好き彦根城(国宝)
こんばんは前回のブログ【豪徳寺②実録(前編)】では、豪徳寺の主要な史跡・施設をご紹介しました。今回ご案内するのは、この寺を人気スポットにしている…招き猫のお寺と井伊家の墓所これがまた…見どころいっぱいです招福殿の等式をご覧ください。豪徳寺=彦根藩井伊家の菩提寺この“ご縁”を取り持ったのが…招き猫です豪徳寺は、このご縁を招き込んだ猫のために、招福殿を建立しています。招き猫の像まずは、山門の前にある招き猫
こんにちは今日は、秋の終わりとは思えない暖かさですねさて…前回のブログで、豪徳寺が人気スポットとなっている理由を予習したところで…今回は豪徳寺②実録(前編)として…豪徳寺の史跡・施設をご紹介しますこれがまた…300年の歴史満載ですので、画像とともにお楽しみくださいまずは…史跡・施設全体の配置です想像以上に広大な敷地敷地面積は約5万㎡。ということは…東京ドーム(約4.7万㎡)よりも広いんだ参
こんばんは少し前(11月3日)のことですが…世田谷区豪徳寺2丁目にある…豪徳寺に行ってきました参道が始まる城山通りは、ときどきで通るのですが、豪徳寺に参拝するのはおそらく今回が初めて。これがまた…「なぜ今まで行かなかったのだろう」と後悔するほど歴史が盛りだくさんで、(私が大好きな)エピソードもあり、とても興味深い“寺”でした。ということで…3部作でご紹介します(思ったよりもアップロード容量を食ってしまうので)いつも大作じゃのう
今どんなことを招きたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう招き猫といえば,世田谷の豪徳寺の招き猫が有名だ。昔,この寺が貧乏寺(弘徳庵)であった頃,その門前を鷹狩帰りの彦根藩主井伊直孝が通りかかった。寺の前で手招きする猫を見た井伊直孝は,興を起こしその寺に入ったところ,辺りは突然雷雨となった。猫に招かれなければ,井伊直孝一行は,濡れ鼠になるところであった。これが縁となり,この貧乏寺は,井伊家の菩提寺となり,直孝の法名にあやかり寺号を豪徳寺とした。招き猫は,右手
招き猫にまつわる話は👇吾輩のこの別ブログからどうぞ🙇現在の東京世田谷区の大半は、近江彦根藩の藩領だった事をご存知であろうか☝️☺️招き猫😼🐈と井伊家の引っかかりとはこうだ☝️江戸時代の初期、自領の世田谷で鷹狩りを行っていた井伊直孝が帰路、雷雨⛈️に遭遇、孔徳院という荒廃した寺の前の大木で雨宿りをしていたところ、山門にいた猫が手招きしているかの如く激しく鳴いているのを見て、直孝が山門に入ったと同時に雨宿りをしていた大木に⚡雷が落ちたという😨。命を救われた直孝がその荒廃した寺を再建する
彦根観光part2埋木舎の真ん前にある彦根城へ彦根城【ひこねじょう】彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代
豪徳寺(ごうとくじ)東京三十三観音霊場11番礼所御朱印にハマる以前に招き猫発祥の地として有名だったので来たことがあったお寺さん②回目ではあるんですが前回御朱印を頂いていなかったので再参拝です住職の愛猫「たま」が井伊直孝を門内に招き入れその後雷雨の難を避けられた話から招き猫発祥の地そこからからなのか井伊家の菩提寺(ぼだいじ)(位牌を納める寺)として伽藍(がらん)僧侶が集まって修行をする場所を創建したとのことで猫様様って事だね山号大谿山(だいけいざん)宗派曹洞宗
小田急線の駅名にもなっている「豪徳寺」。文明12年(1480)に世田谷城主「吉良政忠」が伯母の菩提寺として創建しましたが、江戸時代に世田谷地区の領主であった「彦根藩井伊家の菩提寺」として有名です。「豪徳寺」の寺号は、「井伊直孝の法名」に因んだ名称です。元祖”開運招福の招き猫”。「彦にゃん」発祥の地としても有名です。「招猫殿」には、招き猫が山のように奉納されています。井伊直孝が当寺の前を通りかかったところ、急な降雨がありました。大きな樹の下で雨宿りをしようとした直孝は、一匹の猫