ブログ記事154件
山口県にいます。ここに行ってきました。中原中也記念館です。特別詳しいわけではないですがいくつか知っている詩があります。30分程度しか時間ありませんでしたが有意義に過ごせました。館内は写真NGでした。ちなみに目的地がここだったわけではなくたまたま歩いていたら↓を発見しました。中原中也だ!と思いググってみたら記念館があることがわかり閉館まで少ししかなかったけど行ってみることにしました。ちなみに夕飯は…。ヒラメとか食べました。ノンアルコールで頑張った。頑張ったぞ。
中原中也さんの詩帰郷柱も庭も乾いてゐる今日は好い天気だ椽の下では蜘蛛の巣が心細さうに揺れてゐる山では枯木も息をつくあゝ今日は好い天気だ路傍の草影があどけない哀みをするこれが私の故里ださやかに風も吹いてゐる心置きなく泣かれよと年増婦の低い声もするあゝおまへはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云ふ注:読み方椽(えん)路傍(みちばた)年増婦(としま)
日帰り旅行でココまで引っ張っとります。中原中也記念館を後にし帰る前に土産調達。記念館お隣の原田酒舗http://www.haradashuho.com/Kは澄川酒造場の東洋美人限定大吟醸造「地帆紅(じぱんぐ)」(1,750円+税)と獺祭ケーキ(1個200円×税)を購入。実はどちらも開封してません(;^ω^)あとのお楽しみ。山口県酒造組合澄川酒造場http://y-shuzo.com/hp/sumikawa.html東洋美人限定大吟醸造「地帆紅(じぱんぐ)」
サビエルカンパーナでの昼食後は湯田温泉へ向かいました。県庁所在地に温泉街があるのは珍しいそうで…wiki→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E7%94%B0%E6%B8%A9%E6%B3%89日帰り温泉の案も出たが、渋滞などに遭い予約に間に合わない…等の事態を避けるため足湯で行き当たりばったりになりました。湯田温泉観光回遊拠点施設【狐の足あと】http://www.yuda-onsen.jp/ここは足湯施設+カフェ。足湯施設はオ
西遊記ではなくて東遊記になってます。今度は九州福岡から一路、関東を目指して東進。だけど、ただでは帰りません。長女が行きたがっていた文豪シリーズ第二段。中原中也記念館でございます。「汚れちまった悲しみに~」の人です。山口県山口市湯田温泉にあります地図だとこのあたり『悲しみ』が『汚れてる』って何が言いたいんだろう記念館、とてもモダンな造りで中原中也の洒落た旋律の詩とマッチしてましたんで、ここの近くで昼食を。山口県で是非食べたかったのが瓦そば!!本
「5月から皇太子がいなくなる」という事実が意味することYahoo!ニュースそして、新天皇の子は長女である愛子さまだけであり、皇子はいない。仮に愛子さまが一般人と結婚し、新天皇に孫が生まれたとしても、それは「女系男子」となる...「東映まんがまつり」29年ぶり復活の意外な背景東洋経済オンライン1960年代から1980年代にかけて「東映まんがまつり」という子ども向け映画上映プログラムがあった。その頃に子ども時代を過ごした40~60歳代の人にはなじみ...平成→令和30日、徹
湯田温泉周辺には意外にも史跡が多い。・中原中也記念館・井上公園(井上馨銅像、種田山頭火詩碑)・松田屋旅館(幕末志士ゆかりの宿)などがありますが、今日は、2箇所をふらっと見て回りました。⚫️湯田温泉駅何故、駅に白キツネが居るかと言うと、この地区に語り継がれている伝説に由来します↓昔々、湯田の権現山の麓の寺に小さな池があった。その池に毎晩、傷ついた白狐がやってきて、足をつけていた。この様子を見ていた寺の和尚さんが、不思議に思って、その池の水をすくってみると、温かい。そこで池を深く掘
中原中也記念館へ。建物は中原中也が帽子を好んでいたことから、上の丸いところは帽子をイメージしているらしいです。世の中に出るような人は、能力があるということもありますが、引き上げてくれる人との関わりがあることが多いのではないでしょうか。中原中也も小林秀雄と知り合い発表の場を与えてもらったようです。4/3夜売る文章の作り方~「売れない」が「売る」に変わるセールス文章の書き方買わせる文章が「誰でも」「思い通り」に書ける101の法則/山口拓朗【1000円以
テレビをつけると山口ハーフマラソンをやっていた懐かしいなぁ山口市には10年以上住んでいた田舎だったけど道路は混まないし物価は低かったし私は好きだったな私が高校生の頃、詩人、中原中也さんのお母さんがご存命で訪ねていくとお茶を入れてくださると聞いた事がある中原中也さん、あどけない顔が好きだったな💕🌸中原中也記念館、遂に行かずじまいで残念!スタート、ゴール地点の維新公園は小さかった息子を連れてよく遊びに行っていたよ児童館、砂場、プール、プラネタリウムもあったかなマラソンよ
JRの湯田温泉駅に降りたら大きなモニュメントがお出迎えホテルのすぐ横に温泉舎で温泉湯を飲んできましたのんびりといいお湯を楽しんだ翌日、町歩きをしました町のあちこちに狐のオブジェ酒屋さんの前の狐は地酒を持って足湯も楽しめました湯田温泉に転居してきた山頭火の句碑を見に行きましたちょっと笑ってしまいました・・・中原中也記念館少し離れた所に詩碑がありました何度来てもいい時間が過ごせそうな町ですスリッパ卓球大会が
一昨日、イスラエル・ガルバンの公演『Israel&イスラエル』を観に行き、昨日戻ってその足でコンチャ・バルガスのクルシージョに出かけた。年の割には元気だが(笑)、イスラエルの公演後のトークを文章にまとめる時間がまったくとれない!そこで、先に一昨日の晩食べた山口の味について書きます。トークは内容を忘れないうちに頑張って書きます!2月3日(日)、ホテルにどうやって行こうか途方に暮れる。山口情報芸術センターから徒歩20分ぐらいらしいが、雨がひどく歩く気にならない。そこで、インフォメーションでタ
ドームのある近代建築(6)岩手銀行赤レンガ館(盛岡市)日本経済新聞昨年2月、私は、宮沢賢治の父・政次郎を主人公にした長篇(ちょうへん)小説『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞した。受賞直後、たてつづけに2度、盛岡へ行った。東君平白黒のぬくもり読売新聞企画展は「絵本館」の開館20周年記念として開かれ、会場には、同誌に掲載した作品の原画や絵本・童話の原画など112点を展示。転居を知らせるはがきをくれ...企画展古典と向かい合い、現代書として昇華毎日新聞企画展示の関連イベ
昨日は山口に出張。宿泊は湯田温泉で、夜はふぐ尽くしの宴会だった。煮こごり、刺し身。白子焼き、から揚げ。鍋と雑炊は仲居さんが器に取り分けてくれた。一夜明けて帰路につく途中、せっかくなので夭折の詩人中原中也の記念館に立ち寄る。文学的出発点が和歌だったとは知らなかった。それにしても子供の頃の習字や作文、長じてからの詩作の草稿、書簡などが意外に多く残っていてびっくり。中也の詩集は「山羊の歌」を去年夏に初めて買って読んだ。その時のメモはこちら。https://a
今日は山口県山口市で私の好きな『オオハシ』というバンドのライブを観てきました…(´・ω・`)2014年12月7日に松江カノーバで観て以来…4年1ヶ月ぶり…2回目…楽しみ…(´・ω・`)久々の遠征…まずはカレーを食べよう…ってことで『ぶるうべる』という山口市の人気店へ…(´・ω・`)残念ながら休憩中でした…ま、いいや…最近の私は『食べない健康法』実践中なので…またの機会に…(´・ω・`)で、…『中原中也記念館』…中原中也は30歳で夭逝したのでいわゆる初期衝動全開の…20代特有の尖った生々
あほ〜と素直な行動力plus笑顔をモットーに1月にしては、暖かくて仕事帰りに、湯田温泉♨️とメッセージを受け取り一旦帰宅して、湯田温泉♨️へ中原中也記念館の前で、路上ライヴを撮影する機材を見直さないと、このような撮影になってしまうので最後までお読みいただきましてありがとうございます。
中原中也記念館横のカフェで足湯を堪能生きづらい二人中也記念館を後にし、隣のカフェ「狐のあしあと」を訪れた。足湯がありゆっくり寛げる。カフェ内と、露天のスペース、その横にまた部屋がありテーブルの下は柔らかいぬるめのお湯と木の温もりに癒される。暫く座っているとグループの女性達が居なくなり、私ともう一人の女性だけになった。どちらともなく話しかける。雰囲気で気が合いそうだなというのが分かってしまう。欲しているものが同じなのだ。仕事に疲れ、主婦に疲れ、介護に疲れ、足湯に寄って来るのである。若
なんとか川縁まで降り撮影。もう上がれない長門峡と中也先日、実家へ帰る途中、何十年かぶりに長門峡を訪れた。中学の頃、スケッチ大会と称しての学校行事以来だと思う。自然は身近にあると敢えて見たいと思わない。長門峡は長い年月と度重なる自然災害で姿を変え、50代後半の私にはすでに難所となってしまった。峡谷の奥にある橋まで足場の悪い細道を二、三時間も歩くなど膝が笑う話しとなる。30分歩いて引き上げとなった。そして昨日、山口に住みながらやはり訪れていない「中原中也記念館」を訪れた。「汚れちまっ
今日は中原中也さんの命日で、【中原中也記念館】では没後81年の『中也忌』が開催されていると言うので行って来ました。トコトコ(((((*´・ω・)今日は入館料は無料です。(๑´∨`๑)昨日は色々なイベントが開催されていたようですが、ゆっくり見たかったので、今日にしました。欲しかった『豆本』1,500円を購入~。|*´ー`*)ノ|Юガチャでも売っていましたよ。撮影は禁止なので、写真はありませんが、ゆっくり見て、2時間半くらい経っていました。中原中也さんの展示は
中原中也記念館山口県山口市湯田温泉1丁目11−21湯田温泉街、左に松田屋ホテル、右奥に中原中也記念館山口県山口市参考①中原中也(wikiより)中原中也(なかはらちゅうや、1907年(明治40年)4月29日-1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少
こんにちは!LA在住ブロガーのCoconaです☆11月に、日本に一時帰国することが決まりました飛行機のチケットも押さえてあります今年に入って3度目の日本紅葉にはちょっと早いかもしれませんが、綺麗な景色を見るのが楽しみです日本の秋は、いいですよね~。風情があって!今年は日本で桜も見れたので、紅葉にも挑戦しようと思いますそして、東京で開催されるアニメイトガールズフェスティバル(AGF)
宇部市は山口県西部の周防灘に面するコンビナートで有名な市元サブメンバーだった、宮本まりあちゃんの出身地でもあり山口活性学園としてのイベントはそれほど出演本数ありません。それでも県内有数のお祭り宇部まつりに例年呼ばれるなど関係もあります。・宇部市役所ハーモニー広場宇部市役所前の駐車場山口活性学園が毎年参加させてもらっている宇部まつりの本舞台ステージが設営される場所になります。宇部まつりは市役所周辺の道路を歩行者天国でYOSAKOIのパレードでたくさんの踊りこさんで埋めつくされる山口活
中原中也。小さい頃から利発で小学校時代は神童と呼ばれた。8歳のとき、弟が亡くなり、短歌や詩作を始める。小学校時代に短歌の投稿が掲載され、夢中になる。成績はどんどん下がり、中学を退学、転校、、ますます文学にのめり込む。ランボー、富永太郎との出会い。酒、煙草、そして恋も早熟で長谷川泰子と10代で東京へ出る。散歩すること、歩くことが好きで詩作と散歩は両輪だった。天才は往々にして夭折する。なぜだろう。凡人の一生分、その数倍を短い間に出しきってしまうからだろうか。中也の詩は、難しい言葉が