ブログ記事122件
2020/02/14G・単身赴任地で最初に探したもの。地元の「豆腐屋さん」と地元の「パン屋さん」。『よし!』と思った宮〇屋豆腐店さん、いつの間にか『しばらくお休みします』の紙が貼られて…。そして帝国データバンクによればパン屋さんの倒産が増えているようです。http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p200204.html先日、白山市の三共フーズも破産した。豆腐は無くならない。パンは無くならない。本は無くならない。だけど「物は
日鉄製鉄所閉鎖地元への影響必至決定受け商議所「残念な思い」呉/広島毎日新聞日本製鉄が2023年9月までに呉製鉄所(呉市昭和町)を閉鎖すると発表した7日、会社関係者や自治体からは不安の声が上がった。関係・協力会社を含めて.../10鯨の解体ショー記録に残らぬ文化/山口毎日新聞しかしなぜか記録は捕鯨史にも昭和の風俗史にも見当たらない。今研究しなければ、鯨の解体ショーという一つの文化現象が埋もれると思った。□主催者もお得.<あのころ>街道に満艦飾車が氾濫映画「ト
現代においてテレビをはじめとする映像資料音声資料書籍資料新聞雑誌200以上の国家の公文書会社の文書グルメから政治音楽スポーツ演劇経営性文化芸術産業宗教医学その他あらゆる分野に様々な資料があってテレビも有料チャンネル無料チャンネル公共放送民放一人の人間では全て目を通すのが不可能なほどの資料が世の中には存在する言語ですら民族の数だけ存在するのであって世界には何千の言語が存在するはずであるそんな時代
旧三井家下鴨別邸京都府京都市左京区下鴨宮河町58―21925年、三井財閥を築いた豪商・旧三井北家の三井八郎右衛門高棟の別邸として完成。明治時代の主屋を移築して玄関棟を増築して作られた。隣接する京都家庭裁判所の所長宿舎として利用されていた。重要文化財に指定。
五島は交通網だけでは無く、傘下に収めた、又は築いた会社は終戦迄に数百社。更には三越をも乗っ取ろうとする。最初、五島は三越には興味は無かったらしい。本当かどうかは不明であるが・・・「自分は電車以外に手を出すまいと思っていたところが、前山が死んだ後に鈴木威という男が、前山の持っていた三越の株は要らないかと言って来た。前山は三越の取締役でもあった。私は三越の株なんか買ってもしようがないと思ったが、幸い東横百貨店を経営しているから、それでは三越と東横とを合併して、東横を三越の渋谷支店にして
名古屋市庁舎韓国の左派系新聞『ハンギョレ』日本語版は、三井財閥が芦別で運営していた炭鉱で、「衰弱した朝鮮人労働者を埋葬したことがあったという証言がある」とか、「死にそうに見える(日本人)労働者を埋葬してしまうということは明治時代からあった」などという日本人の話を掲載しております。「明治産業遺産」の陰https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191206-00035162-hankyoreh-krhttp://japan.hani.co.kr/arti
配膳の仕事で日本橋近郊に遠征に行ったんだ。現場だった近郊に三井住友銀行の総支店があったんだけど…スゲー外観だわwきちんとATMがあるのが🏧またw因みに横断歩道の向かいは日本銀行です。↓
昨日は未明から大雨ではあったが、朝になると小雨となり午後には晴れ間ものぞいていた。しかしどんよりうすら寒い1日で、日本列島あちらこちらでゲリラ豪雨が走り回っていたとのこと。列島各地の被災地ではこのゲリラ豪雨でまたまた傷が広がっており、復興復旧もどんどん遅れてしまい絶望の淵に来ている。そんな中、ノー天気なアベノドクサイ政権は口先だけはきれいごとでを並べながら、やりたい放題で赤字が増え日本沈没になりそう。そんな中、昨日も終日の引きこもりで描き溜めた超高速スケッチのお化粧作業で暇つぶ
今神社に神さまはいないの?神無月は10月ですが旧暦でするので今が神社の神様は出雲へ行かれています出雲大社からすると(おかしな言い方かな?)神在月(6~13日頃までだそうです)今年は地球の代転換期、時代が代わり災害やらなにやらで会議も大変のようですとはいっても全ての神さまが出雲ヘ集まるのではなくお稲荷さんは伏見大社(もう伏見大社でお済みです)八幡様系は宇佐神宮へ(出雲にも行かれる神様もいます)山岳系の
初めましての参拝です。どっかで参拝したいと思ってて、中々足を運べなかったのです。三囲神社みめぐりじんじゃと読みます。あら?社紋が。この社紋、お稲荷様で見かける社紋です。元々こちらは、三囲稲荷大明神という社名だったものが改名したそうです。手前に狛犬がいましたが、拝殿の近くはお稲荷様。なんとも不思議です。裏手に回ると境内末社1000本鳥居とまではいかないですが、お稲荷さんといえばな鳥居の回廊。白狐祠が2つ。小さなお稲荷さんが1つ。その3つを守るかのように……老翁老嫗(
台風15号、台風19号の陰に隠れてちょっと忘れかけられた事柄がある。水戸黄門などでおなじみの町の大商家「越後屋」。村を束ねる藩の代官に「よろしければお召し上がりください」と桐の箱に入った菓子折りを代官に差し出す。で、代官「うむ」とおもむろに箱の蓋をとるとそこには菓子がきれいにならんでいる。そして菓子をひとつ、ふたつとり上げてみると、菓子の下には金色に輝く小判がずっしり。って、ことが現代でもおこっていたのが関西電力と町の元助役が盆暮の挨拶と称したワイロ劇。まるでその助役が
昨日のブログの続きです横山展望台を出て、向かったところは猿田彦神社伊勢神宮近くにあります伊勢神宮は3人とも何度も行ったことあるけど猿田彦神社は、私しか行ったことないこと判明してこの方位石、神社内で最もパワーが集中するポイント仕事運、金運、家庭運、人気運とさわる順番があるみたいです私と妹は迷わず金運叶うかしらちなみに父は、皆が集まってくれるように人気運皆おじいちゃん大好きだから来るよ~ってお参り終えて空を見たら、龍雲?いいことあるといいなお参りしたら、向かうは豪
池田成彬夫妻の墓池田成彬大正から昭和前期にかけて活躍した銀行家で三井財閥の事実上の総帥であった池田成彬(しげあき)は、慶応3年(1867)に米沢藩士の家に生まれ、明治19年(1886)に慶應義塾別科へ入学。明治21年(1888)に卒業後、ハーバード大学に5年間留学しています。帰国後、時事新報社に入社しますが僅か3週間で退社し、三井銀行に入行。三井銀行の経営改革を断行していた中上川彦次郎専務理事(福沢諭吉の甥)の目に止まり足利支店長などを歴任し頭角を現していきます。なお、後に池田
おはようございます。江戸散歩です夕方と夜の日本橋を撮影してきました日本橋三越1914年に現在の建物が建てられましたルネッサンス様式で建てられた三越は外観も立派ですが、内装も素晴らしいです三井本館1902年に建てられた三井本館かつてはその名の通り三井財閥の本拠であり三井合名会社本社、三井銀行本店、三井物産本社、三井鉱山本店などがあった。三井不動産も元々は三井本館(旧)の管理室からスタートしている
やはり、三井財閥は、すごいの~あの「円」を作っている所の裏で、「デパート」なんて、営業しているんだから、、、、^^;「日銀」を行く!で、日銀の裏には、、、こんな「デパート」が、建っているわけですよ!!!「三越」そして、横には、「三井物産本社」日本を代表するデパート「三越」と言うのは、「三井財閥」のデパートなんだが、江戸時代に「越後屋」と言う「呉服屋」が、月賦払いを始めたら、大成功してしまい。。。その財を基礎に、日本橋一体で、そのまま、「三井物産」などの世界的大財閥へと進んでいった
ブックマーク★レトロ系建物西ゾーンW2建築年代:1874年(明治7)所在地港区西麻布三丁目第11代三井総領家当主・三井八郎右衞門高公が残した「三井八郎右衞門邸」蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵に復元しました。土蔵はかつて三井財閥の本拠地である日本橋駿河町に建っていたもので、三井家では「絹蔵」と呼ばれ、由緒ある蔵として大切に扱われてきました。駿河町→麻布今井町→麻布笄町を経て、江戸東京たてもの園に展示されています。倉は貴重な展示物が並んでちょっとした博物館の様です。開園
ブックマーク★レトロ系建物西ゾーンW2建築年代:1952年(昭和27)所在地港区西麻布三丁目三井財閥の当主の一族、第11代三井総領家・三井八郎右衞門高公が残した「三井八郎右衞門邸」三井の往時を偲ばせる文化財1階は南側に客間、食堂などの居住空間、北側に事務室・厨房・配膳室などがあり、2階は南側に夫婦の寝室、北側に浴室・仏間などが配されています。1階の客間と食堂には京都・油小路三井邸の奥書院の部材を使用。窓や欄間には桂離宮の意匠を取り入れてます。1・2階の襖・障子・戸に描かれた
みなさんこんにちは!先週末は箱根の小涌谷にある翠松園に家族で泊まりました。三井財閥の屋敷があった地に宿があります。重要文化財に指定されている木造建築の翠松園はレストランとして使用されています。さまざまなタイプの客席があります。我々の部屋は掘り炬燵タイプでした。宿泊棟の部屋には部屋付き露天風呂が有りました。今回泊まった部屋はメソッドタイプでした。正直部屋の内装は、安普請でしたが、部屋の価格、サービス、部屋のグレードかマッチする宿はなかなかないものですね。(株)渡辺仁設計事務所東京都目
下鴨にある旧三井家下鴨別邸です。豪商・三井家の旧別邸。三井家は近江出身といわれ、慶長年間に松阪へ移住。三井則兵衛高俊のとき武士身分を捨て松阪で酒屋を営み、越後屋を家号とします。高俊の四男・三井高利は呉服商となり江戸や京に進出。高利は訪問販売の御用聞きを一新、店に商品を並べて客に来てもらう商法を始め、売掛ではなく現金払いとして業績を伸ばします。両替商にも進出。高利の死後、三井11家(本家と呼ばれる男系子孫6家、連家と呼ばれる女系子孫5家)が成立、京・油小路に本邸を構えた高利の長男・高平
初日は大黒屋光太夫と松浦武四郎にフォーカスした町歩きをし、二日目には斎宮跡を訪ねた後に外宮をかすめて、伊勢河崎の商人町を歩きましたですが、最終日は伊勢松阪の町歩きというに…といっても、駅前の観光案内所で自転車を借りたんですけどね。ざっくり言って基本的には観光協会ご推奨の?かようなルートを辿ることに。ぶらり歩いて、各施設を覗く時間も含めて約1.5~2.5時間というのがモデルタイムながら、立ち寄りポイントの各所で結構時間を要すのが常ですし、ルートからはみ出したところにも寄りたいとレ
雑誌『ロトナンバーズ超的中法』がお送りする4月の開運和柄占い‼️生れ月別の金運・クジ運です‼️https://lotonum-web.com/expert/kaiunwagara1904コラムは、6月1日に、SnowLove主催・開運パワースポットツアーでも巡る三囲神社‼️ツアー詳細はこちらhttps://ameblo.jp/spirit-science1/entry-12449378428.html三井財閥の守護神‼️強い金運のご利益をいただきたい方、ぜひ参考にしてくだ
元旦は三囲神社に初詣に行ってきましたもう節分も終わってますけどね今頃ブログに載せてますみめぐり神社って呼びますたまたま近くの初詣を検索して行ってきましたが三井財閥の先祖が祀ってあるだとかなんだか以前は池袋の三越前にあったライオンの像が移設されてるそうで、相方は当時池袋駅の近くで働いてたらしく待ち合わせ場所だったそうですよ懐かしんで一緒に写真を撮ってましたお守りは強運って書かれてますがごううんって読むようですあとは三柱の鳥居珍しいですよね。三井財閥だからここはパワース
江戸東京たてもの園うーん、おかしいな。なかなか、目的地に着かないよ。(笑)バスに乗って、お話が盛り上がって、気がつくと乗り過ごしちゃった。雨の中の小さなバス旅行。「ゆっくり、あせらず」貼られた広告は、メッセージを残していた。タイムスリップ。昔なじみの博物館は、心を忘れることなく生きていた。波動の音が聴こえてくる、三井八郎右衛門邸。徳川家のお宝は、蔵の中で、大切に保管されていた。そして、いよいよ、千と千尋の世界へ。
ある会社の社長が自家用車で帰宅し、運転手が「旦那さまのお帰りです」と声を掛けるが奥方も使用人も誰一人として迎えに出て来ない。「何で迎えに出ないのか!」を皮切りに社長は、「玄関先に下駄が脱ぎ捨てになっている!」、「庭に水が打っていない!」、「額縁が曲がっている!」、「座布団が出ていない!」、「風呂が沸いてない!」等々、癇癪を起こしてがみがみと小言を言う。いつものことである。我慢の限界に達した奥方が「お暇(いとま)を頂戴します」と言って里へ帰る。実家へ帰って来た娘(奥方)から事情を聴いた母親は
2日、京都に移り娘と合流『娘がどんな所で生活しているのかを見る』というのが、今回の最重要ミッションでしたとにかく、セキュリティが面倒なので詳細を公表は出来ませんが立地条件は抜群長崎の女の子が碁盤の目の中に住めたということは奇跡です京都とは、そういう場所だと思っています。下鴨神社でまずはお参り娘の散歩コースは下鴨神社と平安神宮らしいです三井財閥の下鴨別邸が公開されていました(おうちの中から見たお庭)(お風呂まで公開)扉や窓枠もこっていて美しかったこんな綺麗な景色を
12月9日(日)本日は東京も寒気の影響で寒くなってますいや、寒いというより冷たい、、、冷蔵庫の中みたいですこうして寒気がやってくることもあり寒くなる前に、、、と7日(金)暖かい日に自転車で出かけてまいりました「江戸東京たてもの園」都立小金井公園の中にあり、敷地面積約7ヘクタールの広さ東京都内に存在した江戸時代前期~昭和初期までの文化的価値の高い建造物を復元・展示するとともに、建物内部では生活民族資料などを展示しそれぞれの時代の生活や商いの諸相を再現しているそうです
◇(26日月曜日の続き)映像では生存していた地元のリーダーが語っていた。私は訴訟の資料を読んでいたが百聞は一見にしかずであった。心を打ったことが2点あった。「戸籍を賭けた闘い」と「訴訟救助」である。長い物には巻かれろ、お上には逆らわない、こういう重い習慣が地域社会の掟のように支配しているところで裁判を起こすことは並大抵のことではない。相手は三井財閥であるから農民にとって昔の殿様以上の存在である。勝てっこないという空気が強かった。そして原告たちは負けたら地域にいられないと心底思い詰めていた。戸
朝から、、、似つかわしくない「魅せられた夜」なんて曲を聴いていました(^_^;)金色に輝く夜に~なんて歌ってますけど、今は澄み切った青空の朝です。曲が流れているのはラジオだからね。。。(゚_゚i)さて、”商いは養生から”とは、あの三井財閥を築いた三井高利の言葉。意味は、身体の健康を気遣ってこそ仕事はできる、、、と言う意味らしいです。つまり健康ならば思う仕事ができて繁盛するということでしょう。全ての元になるのは心身共、健康です。