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こんにちは今日はロシア鉄道RussianRailwayの切符を日本で買う方法です。ついでにシベリア鉄道(モスクワーウラジオストク)もダイレクトで買えるようです色んなブログ見て俺も探してたんですがRussianrailways(ロシア国鉄公式サイト)とかのサイトは「ロシア発行のクレジットカードでないと決済できない…」=個人では買えず日本国内で買うには代理店を通す必要があるとの投稿がほとんどでした切符だけ買うのに代理店とかまじムリで遂に見つけま
旅先からポストカードを出すのが、大好きで、いつも必ず自分にも出しています。先回りして待っていてくれたカードを見るのは、帰国後のお楽しみのひとつ。今回も、ほんの少しですが、おすそ分けします。ロシア移動が多くてポストカードを出しにくかったです・・・5月2日、Moscowモスクワよりモスクワのカードは、雨上がりの赤の広場と、夜のワシリー大聖堂。切手は城壁の外から望むクレムリン。やっぱりモスクワに来たらベタだけどこうなっちゃうよね。こんなレトロなポストカードも見つけました。以前ベ
バックパッカー女ひとり旅ヨーロッパ鉄道の旅ロシアRussia2011May2-72011年のGWに、念願のシベリア鉄道に乗る旅に出かけてきました!何年も前からずうっと、まとまった時間が取れたらいつか乗りたいと思っていたのですが、思いのほか早く実現させることができた気がします。ロシアに到着してからは、モスクワとサンクト・ペテルブルクに滞在してきました。K3シベリア鉄道の旅北京(中国)-モスクワ(ロシア)旅鉄の至福シベリア鉄道の旅DAY1:5月2日
2011年5月6日。ちょっと寝坊して10時ごろ起床し、まずは地下鉄一駅分移動して街の中心部へ。昨日の夜満席で入れなかったレストラン「文学喫茶」に、早めのランチを食べに行ってきました。かつて有名な文豪たちも通ったというこのレストランは、サンクト・ペテルブルクでもっとも有名なレストランなんだそうです。味も雰囲気もサービスも文句なしなのに、ランチタイムはセルフサービスのカウンターがあったりして、すごくリーズナブル。毎回ここで食事してもいいくらいお勧めです。今回オーダーしたのは
2011年5月5日。早朝到着したサンクト・ペテルブルク。まずは世界三大美術館のひとつで、世界遺産にも登録されている「エルミタージュ美術館」に訪れ、きらびやかな王宮や世界じゅうの名画をガッツリ堪能してきました。15時過ぎに美術館を出たので、日があるうちに、ネヴァ川の対岸の地区まで足を伸ばしてみようと思います。でも、館内が暖かかったこともあって、川に向かう道が寒くて寒くて。そんななか、ふわふわと湯気がたって、すごく暖かそう、そして美味しそうに見えたとうもろこしの屋台に吸い寄せられ、う
2011年5月5日。7時55分に豪華寝台列車「赤い矢号」でサンクト・ペテルブルクに到着しました。鉄道モスクワ駅からは地下鉄に乗り換えて、市内まで。モスクワでは日中Tシャツでも大丈夫なくらいに暖かかったのに、さすが北上しているだけあって、サンクトはかなり寒い!コート着ていてもまだ寒いくらい。予約をしていたホテルまで荷物を持って歩いたのですが、モスクワ同様、地図上の感じよりもずっと街が広くて、思っていた以上に歩きました。街の様子は、モスクワに比べるとずっと明るくて垢抜けていて、ヨー
2011年5月4日。3日間と短い滞在ながら、時間の許す限り歩き回ったモスクワも、とうとう、今日で最後。美術館や博物館などまだまだ見たりないのは残念ですが、今夜の夜行でサンクト・ペテルブルクに向かいます。22時ごろホテルで荷物をピックアップし、地下鉄で、レニングラード駅へ。レーニンの頭像が飾られた駅構内。わたしの乗る列車は23時55分発の便。実は今回、モスクワからサンクト・ペテルブルクの夜行列車を、ちょっと楽しみにしてきました。なぜなら、数ある夜行列車の中でも、歴史ある豪華夜行
2011年5月4日。赤の広場とクレムリンを見て回った後、午後1時ごろ、地下鉄で移動。市内南西部にある、世界遺産のノヴォデヴィチ修道院に向かいました。駅からは、普通の団地のような住宅地を抜けていくと、この塔が見えてきます。セルギエフ・ポサードでも思いましたが、最寄り駅から世界遺産までの道を整備をしようとか、そういう様子を一切感じませんでした。案内などもまったく出てなくて。さて、ノヴォデヴィチは1524年に建設された女子修道院。クレムリンの出城としての役割も持っていたため、城壁に
2011年5月4日。昨日の疲れで今朝はまったく起きられなくて、8時のつもりが、8時半、9時のはずが・・・で、結局、9時半にベッドを出て、シャワーへ。でも、髪の毛をぬらしたところで、お湯がストップ!冷たいシャワーで無理やり目を覚まされて、一日がスタートです・・・さて!今日はいよいよ、モスクワの白眉、世界遺産のクレムリンに向かいます。まずは、赤の広場で尋常じゃない存在感を誇るワシリー大聖堂(ポクロフスキー大聖堂)へ!1560年にイワン雷帝によって建設された大聖堂。建設当初はたま
2011年5月3日。ランチを食べてセルギエフ・ポサードを後にし、ローカル鉄道に乗ってモスクワに戻ってきました。そこから地下鉄で移動して、ビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ駅へ。駅の真上にはロシア国立図書館があって、プーシキン像が飾られていました。目の前はクレムリンです。そこから歩いてプーシキン記念美術館へ。左が本館、今回訪れたのは、19世紀以降のヨーロッパ絵画を扱う別館の「ヨーロッパコレクション部」です。ここには近代ヨーロッパの有名な画家たちの作品がてんこ盛り。モネ(連
2011年5月3日。7時に起床。10分後に、昨日のうちに頼んでおいた朝食が部屋に到着しました。シリアル、パンとコーヒーの簡単なもので、200Rub。準備ができたら、モスクワ=ヤロスラブリ駅へ。今日は、モスクワから近郊列車(エレクトリーチカ)に乗って、世界遺産の町セルギエフ・ポサードまで足を延ばしてきます!昨日、シベリア鉄道で到着したヤロスラブリ駅の窓口で、急行のチケットを購入。英語は通じないので、ロシア語で「一枚」「片道」など言えるようにしていきました。9時20分の急行
2011年5月2日。5泊6日のシベリア鉄道K3の旅を経て、いよいよ、ロシアの首都モスクワへ。モスクワには複数のターミナル駅がありますが、シベリア鉄道が到着するのは、そのなかのひとつ、モスクワ=ヤロスラブリ駅です。この駅の周辺にはほかにも大きな駅が隣接していて、右側がサンクト・ペテルブルグに向かう列車が出ているレニングラード駅、通りをはさんで向こう側(写真の左側の建物)がカザン駅。それぞれ行き先で別れています。写真右側のスターリン・クラシック様式の建物は、旧レニングラー
2011年のGWに、念願のシベリア鉄道に乗る旅に出かけてきました!何年も前からずうっと、まとまった時間が取れたらいつか乗りたいと思っていたのですが、思いのほか早く実現させることができた気がします。とはいえ、代理店を通さずに自分でプランニングをしたかったので、1月に準備を始めて、4月末までいろんな準備に費やしました。それについては、このあたりをご覧ください。日程やルートについて「ヨーロッパ鉄道の旅-シベリア鉄道への道(続報)」ビザ取得について:「ヨーロッパ鉄道の旅-ロシ
2011年5月2日。早い、早い!今日、本当に今日、列車を降りてしまう日になってしまった。この日の日記は、そんな書き出しで始まっていました。シベリア鉄道の旅もいよいよ最終日。本当に、後半はなんだかあっという間で、毎日気がつくと夜になっているというか・・・何にもすることがなかったのに、不思議といつも、暇ではなかった。充実した日々だった、と、今改めて思います。降ったり晴れたりだった道中、最終日は、快晴。以前は(もしかしたら今も?)橋を撮影することは厳禁だったシベリア鉄道。という
2011年5月1日。とうとう、5月になってしまいました。列車の旅も、あと1日半を残すのみ。後半に入ってスピードを上げてきているし、油断していたらあっという間に終わってしまう。一瞬一瞬を楽しまなくては・・・!・・・とかいいながら、今日は朝寒くて、布団から出られなくて。ここで時差が1時間繰り上がるので、余った1時間分、ちょっと二度寝。寒いと思ったら、そろそろ列車は、ウラル山脈に差し掛かっているんですね。仕舞い込んだレッグウォーマーを取り出して着用しました。・・・ウラル山脈はアジアと
2011年4月30日。シベリア鉄道も今日で4日目。朝8時に、クラスノヤルスクに到着して、目が覚めました。ここから時差が1時間繰り上がるので、時計の針を1時間繰り上げます。広大なロシアでは地域によって時差があるので、注意しながら自分の時計の時間を合わせていく必要があります。しかも、ロシアの列車の運行(時刻表)はすべてモスクワ時間で行われていて、実際のローカル時間とは時差があるのでややこしい・・・。ときどき時間間違ってました。比較的大きな工業都市、クラスノヤルスク。外の風景
2011年4月29日。夜中、寒くて目が覚めました。暗い中、手さぐりで毛布を2枚足して、もう一度眠りについて、・・・そして、明け方。列車がとまるブレーキ音と、ガタンという衝撃でふと目が覚めました。目を開くと、目の前の窓の外が・・・真っ白!吹雪です。シベリアは冬全開。昨日のモンゴルまでは赤い大地が広がるばかりだったのに、ロシアに入って最初の視界がこれだなんて、やっぱり面白いです、この鉄道。いろんなものを越えていく。とはいえ、面白がってる余裕がないくらい寒いので、ハーフパンツの
2011年4月28日。昨夜は、モンゴル側の国境「ジャミン・ウデ」駅での入国審査がすべて終わって、就寝したのが夜中の2時前。入国審査が終わるまでは同室の付(フー)さんとお酒を飲んだりしていたのですが、昨日は朝早くから活動していたので、かなり眠く・・・今朝は9.30に起床して、コーヒーとビスケットで朝食をすませ、昨日の分の日記をつけたり、本を読んだり。外の景色はなぁんにもない平原に、ときおり思い出したように小さな集落と、かわいい駅舎が見えるくらい。列車内が暖かいので、車掌さ
2011年4月27日。いよいよ、北京から5泊6日のシベリア鉄道の旅が始まります。車掌さんにチケットを見せて、深呼吸してから、乗車。各車両に2人ずつ常駐しているこの車掌さんに、これから6日間、お世話になります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、ここで列車について簡単にご紹介しましょう。わたしが乗車したK3は、北京発モンゴル経由のモスクワ行き。中国車両で、中国人の車掌さんが各車両に2人づつ常駐して
2011年4月26日。今年こそ、シベリア鉄道に乗りに行こう!と決意し、実際に準備を開始してからすでに4か月弱。いよいよ、とうとう、ほんとうに、その旅に出かける日がやってきました。・・・いつだって「当日」というものが、不思議と訪れるんですよね。どんなに先のことのように思っていても。空港リムジンバスのなかでも、なんだかまだ現実感がないまま、羽田に到着しました。そう、実は今回、北京に向かう行きの飛行機に、初の羽田便を利用してみたんです。国際線ターミナルを初めて利用しましたが、
今回、中国の北京から入って、モンゴル、そしてロシアと3カ国を走るシベリア鉄道でロシアに入る旅をしてきました。最初に北京に1泊、そしてモンゴルは通り抜けて、ロシアではモスクワ、サンクト・ペテルブルクに数日ずつ滞在する予定だったので、現地で使うお金として用意していったのは下記のとおりです。中国元羽田空港で(5千円もあれば足りるとは思いつつ、念のため)1万円分を換金。結局かなり余りましたが、北京と鉄道内で使用。ロシアルーブル羽田空港で3万円分換金して、約8千ルーブルを持参。4
いよいよ出発が間近にせまってきました。1月から長ーい準備をしてきたわりに、出発まではなんだかあっという間で実感わかず、です。来週の今頃はすでに列車でモンゴルの草原を抜けているんだなぁ・・・さて、今回の旅では、シベリア鉄道に乗る以外に、もうひとつ、素敵な鉄道の楽しみがあります。それが、モスクワからサンクト・ペテルブルグまで乗車する予定の豪華特別急行列車。ロシア初の寝台特急、「赤い矢号/レッド・アロー号」です。1931年、まだソ連の時代に登場したロシア初の特急列車で、ロシア国内で初め
ロシアを旅するために、ビザ申請をしてきました。いままでに何度か前を通ったことのあるロシア領事館ですが、中に入ったのはこれが初めてです。殺風景なオフィスで申請書を記入し、整理券を持って、待つこと1時間ほど。やっと窓口に呼ばれて書類を提出したのですが、本来なら「ロシア内務省旅券査証課の発行する公式招待状の原本」を提出しないといけないはずのところを、メールで受け取った招待状のカラープリントを提出するわけです。実際に大丈夫なのかどうかやや不安・・・。・・・が、なんとかパスポートに「ポン
前回に続いて、ロシアのビザの話。人(代理店)の手を借りないと申請できない「観光ビザ」ではなく、何か別の方法で旅行ができないのかな、と調べた結果、「訪問ビザ」という可能性が浮上しました。別名「個人招待ビザ」とも言われているこのビザは、ロシアに知り合いがいる人が、知人にロシア側で申請してもらって取得するビザ。これなら、事前に宿泊先も移動手段も決めずにビザが申請できるようなのです。で、「訪問ビザ」に必要な書類はというと・・・1)申請者のパスポート原本2)申請用紙(領事
突然ですが、先日、ロシア領事館に、ビザを申請しに行ってきました。いまだ観光が完全には自由化されていないロシア。日本人が入国するためには、事前にビザ(旅行の場合は観光ビザ)が必要なのですが・・・実は、この観光ビザの取得が、かなり面倒で大変な作業なんです。ロシア大使館のサイト(http://www.russia-emb.jp/)でビザについて調べてみるとわかるのですが、観光ビザの申請に必要な書類は以下の5つ。1)申請者のパスポート原本2)申請用紙(領事館で記入)3)
・・・やや気が早いのですが、実はもう、GWに出発する次の旅行の準備を始めています。準備しているのは、わたし史上、最長の、鉄道の旅。しかも、わたし史上、最高に準備がやっかいで面倒くさい国へ行きます。(だからこそ、こんなに早くから準備を始めているのですが・・・)いままさに準備の最中なのですが、本当にこれで大丈夫なのか?と、不安でいっぱい。それもこれも、代理店に任せれば簡単で安心なところを、ぜんぶ自力でやろうとしているため。ただ、これが全部うまくいけば、これからこういう旅をしようとしてい