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フランス音楽のスペシャリスト、中井正子先生の公開講座を受講しました。ドビュッシーを演奏する上で知っておくべき当時のサロン文化、それを支える、ルイ王朝への憧れを持つ人達に喜んでもらえる曲を作るというノーブルな背景、異端者とも言われたドビュッシーがどのように独自の世界を築いていったのか興味深いお話を沢山聞けました。ドビ
クリスマスにブルゴーニュワインを考えている方も多いと思いますが、やはりクリスマスなら、これですね!幼な子イエスのランファン・ジェズュ。ルイ王朝期のフランス王国時代に、かのルイ13世にお世継ぎ問題が発生します。中々お子が産まれない。不安に駆られた国民はそわそわソワソワ。協会はもっとそわそわします。そんな中、カルメル修道会の尼僧が王のために祈り信託を得ます。そしてその1年後に誕生したのが、かの有名な太陽王ルイ14世というわけです!劇的ですね!その時カルメル修道会に寄進された数多くのもののひとつ
皆さん、こんばんはマリア・テレジアは我が子達に対する子育て方針は妥協を許さなかったようです。甘い物(砂糖)は食べない好き嫌いなく、残さず食べる夜は薄いスープに卵と軽いデザートで充分夜更かししないで、寝床に入る家庭教師に従うことマナー、ルールは守ることマリア・テレジアは子供たちに「人の前で恥ずかしい真似をしないように」と注意を怠らず、叱るべき時は、きちんと叱ったと。女帝である前に一人の母親でいたかったようです。マリア・テレジアは最初の子供を幼くして亡くして
マリー・アントワネット…自分の中で気になる歴史上の人物です‘マリー・アントワネット’=‘フランス革命’…自分が‘フランス革命’に興味を示したのは、アニメ‘ベルばら’を見たから。マリー・アントワネット=ベルばら…‘ベルばら’を見たのは姉の影響…。自分が小学生当時、‘エースをねらえ’や‘ベルサイユのばら’といえば、女学生の中では大人気だったアニメ。姉とは八歳年の差がある。テレビの優先権は、親父→姉→自分親父がいないときは、テレビはほぼ姉の権利だったなので姉の見るアニメを、自分も見
王妃の館~ちょっと読んでみてたからなんでまた??ルイ王朝?やっぱコスチュームなのか~??て思ってたらさ、ポスター画像みておー!チャラい!フランス男だねよかったv(。・ω・。)ィェィ♪ちょっとさ、お人形みたいじゃない?リカちゃんのワタル君みたいなムードがあるねなんか!斬新だな~まぁくんて、ホント!凄いよねー早くみたいなーヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪みりおんだって、やめるの後悔しそうだなーカッコイイ、素敵なチャラ男ぶりを見せつけてやれば(≧▽≦)でもさ、最後
今日は、ルイ14世の誕生日だそうです。(1638年)ルイ王朝の全盛期を築いた王として名を馳せてますね。ルイ王朝といえば、かの有名なヴェルサイユ宮殿ですよ。ここで日夜豪勢な宴が催されたと伝えられてます。酒池肉林の絢爛豪華な食事が次から次へと供され、王朝の財政破たんを招いたといわれてます。一人の阿呆王が贅沢の限りを尽くし、国を滅ぼしたというのは古今東西よくあるお話です。しかし、このルイ王朝の時代にフランス料理とそれに付随するマナーが極度に発達したのも事実。あながち、無駄使いばかりではな
メトロポリタン美術館にはやっぱりすごいものがあるのです。ちょっと最近勉強してみたのがロココの世界の美術品などです。上の左の写真は太陽の王ルイ14世です。そしてその右がかの有名な愛人のモンテスパン夫人です。(この絵はメトロポリタン美術館にあるものではありません)彼女は王宮に20年ほどいたそうです。王妃よりも贅沢をしたそうなので敵は多かったそうです。そしてルイ14世との間に6人の子供をそしてモンテスパン侯爵との間に2人の子供がいたというのですからすごい人ですね。ほぼいつも妊娠していたような感じだ
こんばんは。COCOです。ストップしていたパリのBlog再開です。ベルサイユシリーズです。わけあってたくさん写真を撮ってきました。とにかく観光客が多い時期でしたので、人を撮さないようにするのが難しかったですね。内部を撮るなら、冬がおオススメです!■王室礼拝堂ベルサイユの宮殿の見学のスタートは、王室の礼拝堂です。二層様式で、国王は2階からミサに参列したそうです。2階の見学の時にもう一度撮影できます。1710年完成廊下や天井、どこもかしこも写真を撮りたくなります。COCOお気に入