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僕がビートルズに嵌まったのは15才の時で、1986年でしたが、その年の夏休みに初めてビートルズのイベント(ビートルズ復活祭)に行きました。場所は九段会館。日本武道館の下の方にあります。今ならネットで情報は簡単に得られ、グッズも通販で買える。珍しいものならヤフオクやmercariで格安で買えるかもしれない。しかし当時はそれらは無かったので、ビートルズ復活祭というイベントは本当に有り難かった。イベントはレアな映像などを沢山、しかも大スクリーンで流してもらえたし、物販も沢山あり、全て買い尽くした
Tokyopopのとあるシーンを文字のみで書いてみる。ヒロとウェンディがデートをした神社のシーン。ギグが決まったとウェンディが喜び勇んで入ってきたケンタッキーのシーン。働いてるCLUBからウェンディが勢いよく飛び出したシーン。ドタ(丹波哲郎)さんにデモテープを聴いてもらうためにゴリラの着ぐるみを着てスクーターで乗り着けるシーン。オーディション会場のロビーのシーン。などと列挙してみたが、これらのシーンに共通している地名は何でしょう?正解は「赤坂」であります。オーディション会場のロビ
来月は3月、淡島ホテルではバースデイライヴと冠を付けたライヴが行われる。バースデイライヴは5年ぶりとも書いてはあるが、確かにそれまでは毎年行っていたのに、ある年は、無いの?無いの?などと思ってるうちに3月になり、イオンの無料ライヴが行われたという記憶があり、その翌年から無くなったと思う。まあ、色々なことが重なって3月にライヴがやれなくなっただけだとは思うが、それでも5年ぶりとはね。例年年明け早々にバースデイライヴの告知があって、3月初旬にはチケットが届くという流れだったので年明けも結構テン
1995年6月に西日暮里でユカイと遭遇したということは過去に何回か書きましたが、シャケにも遭遇したこの年は本当に神がかってました。ありがとう神よ(笑)その時必死だった僕は、迷惑かとは思ったが、ユカイにぴったりくっつき、歩きながらお話をさせてもらった。その会話の中で、今後の活動状況はなにかありますか?と聞くと、「8月にオンエアーイーストという1000人くらいの狭いところでやるよ」と教えていただき、更に、「10月にはシングルが出るよ」とも教えていただきました(感涙)10月のシングルというのは
すでに書いたように、葉っぱの日の野音はセトリ数最多、クラブホリデイはライヴ最長時間記録と、一応僕が経験したライヴの中ではそうなる。では、狭小なライヴスペースだったのはどこか?それは恐らく東高円寺にある「カットウ」ではないか?もちろんメジャーで計るなんてことは無理なので、あくまでも印象である。必然的にユカイまでの距離も大分近い。隣のお客さんとも椅子に座ってるのに体が触れる位の狭さ(笑)その日の僕の位置は真ん中あたりだったので、単純に距離で言えば、もっと近距離でユカイライヴを観たことは全然
この思い出シリーズはユカイのソロライヴしか書いてませんが、ここを読まれてる大半の方と同様、僕のスタートは勿論レッドウォーリアーズなわけで、ここを読まれてる大半の方と同様解散には落胆もしました。解散後のユカイはソロになり、すぐにライヴでレッドウォーリアーズの曲をやりましたが、解散直後はファンから、レッズの曲はやらないでくださいという手紙を貰ったり、声を聞いたりしてユカイも大分困ったと言ってましたね。僕はそれでもレッドの曲をやってもらえるのは嬉しかったし、シャケのギターではないとか、キヨシとコン
まずは、このプリンスホテルのディナーショー記事についての訂正から。ベストドレッサー、ベストカップルの賞は03年に同時にやってるような書き方でしたが、実際は05年にやりました。僕の件は03年に間違いありませんが、記憶のみに頼ったので間違えてました。なので、サンシャインシティプリンスホテルでは、2003年に2回、4年、5年、6年はそれぞれ1回という風に続き、上記のサイト内企画は03年と05年の2回のみになります。混同してしまってすみません。他のディナーショーとなりますと、佐野のサンルートホテル
90年代のユカイソロライヴを一番多く観てるのは新宿のパワステか渋谷公会堂だろう。https://www.shibukei.com/amp/headline.php?id=11120現在となってはどちらも閉館しているけれど。(ラストはジュリーだったのか)パワステは外観はそのままだが、渋公は完全にリニューアルされたね。一時期C.C.Lemonホールとか呼ばれてた頃はまだ変化はそんなに無かったけれども。今回はその渋谷公会堂で1993年のユカイなクリスマスを。渋公やパワステはまだまだ書きたい
御茶ノ水は学生街でもあるが楽器街でも有名だ。駅を出て、明大通り沿いには沢山の楽器店があるが、バンドブーム、バブルの頃よりも今の方が何故か店舗は増えてる。さて、緩やかな坂道を下ると右手には明治大学があり、そのまま靖国通りに出て神保町駅に向かう界隈は古書店街になっている。バンドマンの読書好きには1日うろうろ出来る街なのだ(笑)明治大学記念館講堂1993年11月。レッドは短い活動期間ながらも学祭はそれなりにやっているが、ソロになったユカイはそうでもない。そんな学祭でのライブに行ったの
近年では毎年恒例のようになっているディナーショーのスタートはいつか?それは2003年だ。まあそれ以前に食事やお酒を呑みながらライブを見るという形式がなかった訳ではないが、所謂ホテルのディナーショーでいうならその年、サンシャインシティプリンスホテルとなる。といっても最初はディナーショー【形式】であった。ユカイは敢えて【形式】という言葉を使った。おそらく、自身のパブリックイメージからはディナーショーがかけはなれていることからそうしたのではないか?と僕は愚考したのだが、どうだろか?実際当時
2009年夏。8月30日。ロックの学園。スクールオブロック。なんともカッコいいイベントタイトルだった。三浦海岸の海の家が建ち並ぶ所に建てられた小屋で行われたイベント。一夏に渡り、様々なアーティストが出演。アマチュアなども出演。テレビなども入ったっぽい。ユカイは普通にチケットが売られのライブステージ。品川駅から京急に乗り、中々一人旅は楽しかった思い出。台風近しの影響で風が強かった。しかも夏休み最終日の午後で台風なので海水浴客が居なくて海の家も解体始まってたし(笑)夏の海水浴場という風
救急車受け入れ数日本一の病院で単身赴任するお父さん…家族の絆に感動▽はいだしょうこ青春時代の爆笑恋物語&昨年紅白初出場!ダイアモンド☆ユカイの素顔を同級生が暴露(みどころ)■『単身赴任中のお父さん、今何してる?』■あなたは、お父さんの仕事を──具体的にどんなことをして、どのような人間関係の中で、どういった思いを抱きながら働いているか、知っていますか?今回、密着したのは、救急車受け入れ数が日本一の総合病院で外科医として超多忙に働くお父さん!離れて暮らす家
この間のラジオでユカイは尾崎豊の事に触れ「無法者達へ」を流した。この曲はユカイのアルバム「D☆Yショートバイブル」に収録されている。リリース前のライブでも何度か披露済みであり、ステージではかならず尾崎豊に捧げると言って歌い始めていた。今回はそのアルバムがリリースされた年2007年。ゼロナナ狂騒劇と呼べた年。07年は激動の年だった。その前年はデビュー20周年というメモリアルな年の為、レッドの再始動ライブなどを目論んでいたユカイだったが、メンバーの都合により叶わなかった。このボックスセット
日清パワーステーション1996年3月。ツーデイズで、初日がジャパニーズフォーク、翌日がジャパニーズロックという冠を付けてあった。どういうことかというと、ライブは2部構成で、初日は走れコウタローなどのヒットフォークソング数曲をメンバーとともに。メンバーらは長髪のかつらを被りベルボトムのジーンズを履いてやるという演出。翌日はキャロルなどのロックナンバーをこれまたメンバーと共に。この日はリーゼントのかつらを被り、革ジャンを着てサングラスを嵌めての演奏。ロックナンバーをやる日のステージは、
「国営ひたち海浜公園」が正式名称なんだね。2005年夏。大病後の当時3歳の次男坊を連れ参戦しました。その次男坊は後々国際フォーラムにレッドウォーリアーズを観に連れていった。それ以外はレイクタウンくらいなんだけどね(笑)次男坊初ユカイでしたけど、スタンディングだったので見えないと思ったから抱っこしたら、途端寝られてしまったので(涙)結構疲れましたけど(笑)でもそれはティーンズロックフェスという高校生バンドのみが出演出来るイベントでのゲストだったので、曲数は多くはなかったのでなんとか乗り切
年賀状でも匂わせてる紫耀くん新春シューイチ📺で「TOKIO✖️嵐に続きまして、、」って。今回のKS2020プロジェクトは日テレの企画なのー?何なのー?待ちきれなーーい!益々毎日、WSをあてもなく録画する日々が続くわぁー😅それにしても紅白のバズが可愛すぎて可愛すぎて❤️30数年前に好きだったユカイくん☆とのコラボも信じられなくて紫耀くんがユカイくんのことどう思ったのかも気になって、あ、ユカイくんが紫耀くんのこと気に入ってくれたかも気になって何だかいろいろ気になった今年の紅白
HaveaHappyNewYear!!日本創生時期、天照大神の頃から令和の世になったばかりの今までで私にとっては最高の最高で胸を掻きむしられるようなそんなブルースロック・バラードはこの連中のこの曲しかない【REDWARRIORS】の『PartyIsOver』(当時の音楽雑誌の表紙)ダイアモンド☆ユカイこと田所豊Vo.シャケこと小暮武彦
来年は、ダイアモンドユカイソロデビュー30周年イヤーという盛り上がりで1年を過ごしたいです。シャドウブラウンを復活させましょう。ポーランドの人も喜ぶよ(笑)で、レッドの舞浜。アマゾンとタワレコ、どちらを買うかなあ。悩む。ユカイソロのものなら躊躇なく両方で予約するんだけども。特典見る限りタワレコの方が良いからそっちにしよう。映像ものなら友だちに焼いてもらおう(笑)その舞浜のやつのジャケットもこれと↓話題だけど、同世代ファンで聴いてない人はいないだろうけど、やっぱり「REDSON
今年はトイ・ストーリー4の上映があった。かなりのヒットになったみたいだった。ユカイの歌う主題歌「君はともだち」も新録音もされ使われた上に「君のため」という新曲まで作られた。そういう経緯もあり、なんとMステにFNS歌謡祭、更には題名のない音楽会という地上波のメジャーな音楽番組にも出演した。堂々たる歌唱にテレビを観ながら感無量だった。しかも年末は紅白歌合戦への出演も決まっている。こうしたことが仮になかったとしても、ライブでは絶えずこの曲は歌われてきた。もはやユカイの代表作といえるだろう。
現在、滋賀で単身赴任中!滋賀の方々は優しくて地酒は美味しいし、とにかく住みやすい!滋賀サイコーでも時々、3才から慣れ親しんで育った大阪がたまらなく懐かしくなります大阪の実家には毎月2、3回帰省しますその時すれ違うだけの何にも知らない大阪人の会話が私の心を癒してくれます今から書くのは、一瞬すれ違った時に聞こえた全然知らない大阪人の会話の断片ですその言葉の前後にある膨大な前置き後書きの部分は知る由もありませんでも、大阪人はこんなコトを言いながら生きてるんだな〜というのが伝われば嬉しいで
佐野はまだですけど、今年観た生ユカイでの衝撃ナンバーワンは、やっぱり、リキッドの初回ですね。初回というのは、土曜日という意味ではなく、自分に取っての初回。ライブ自体は土曜日夜と、日曜日の午後と夜の2部制という、リキッドルーム2日で計3回ライブはあって、僕は3回とも見たけど、日曜日しか観てないとしたら、それは日曜日になりますね。という意味での「初回」すなわち僕の場合は土曜日となります。その土曜日、僕は運良くユカイ直近だったということもあり、紗幕越しのあのコスチューム、から見えたアイメイク、
免許を返納させるって、なかなかむついしいですね。ある日、車にキズが付いて、日が立たないうちにまたコツコツ、アラッと思ったら四角い車がまぁるくなりそうで、うちも止めさせるのに随分かかりました。電柱がぶつかってきた、とも言ったもんねダイアモンド・ユカイ「免許返納に納得しないおふくろ。」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191203-00001136-fujinjp-ent&p=1
色々あって延期に延期を重ねた家族慰安旅行に来ています。このようにREDWARRIORSのボーカルもサムズアップ。あんたハイポネックスでは飽き足らんかったんかここはバブル期にはここいらじゃ名の知れたホテルだったのに、今や敷居がフルフラットです。夜勤明け恒例の即身仏です。法事のあとだし。なんならお経で徐霊されかけたよね、。まぁ、別に不愉快でもなくユカイにストレス発散してまーす!
日専連カードNICCの会員情報誌「ユカイ」にて道新文化センター「やさしいヨガ」クラスの取材をしてもらいました少人数で和気藹々アットホームなクラスです
なかなか心の余裕もなく、お久しぶりのブログ更新になってしまいました秋休みの最終日、次の日も仕事だし…今回は行くのやめようと思っていたライブ。日にちが近くにつれどんどん行きたくなり「どうしよう…」と悩んでいたのですが…正規のチケット販売はもう終了。舞浜まで行って「当日券終了です」となったらショックだし…。色々と検索していたら、行けなくなった分のチケットを仲介販売しているサイトを発見!(安全そうだったので)その中の一枚を譲っていただきました。もう感謝です🙏本当に有難うございました🙇
台風一過の昨日は季節が戻ったくらいに晴天の暑い日だったけれども今日は雨降りの肌寒い日となった。舞浜アンフィシアター。半円のステージから扇状に客席があり階段の様に後方に行けば行くほど高くなっていく構造。なのでステージがとても観やすかった。1部は6月のスインギンデイズショーの再現だったので、MCはなかったものの、2部のグレイテストヒッツの方はそれなりにあった。そんな中で一際長かった、そして印象的な言葉があった。ライブも中盤に差し掛かった時だ。ユカイはライブに来てくれたファンへのお礼のあと、
『渋滞』渋滞に巻き込まれてました。いつもだと15分で行ける距離を約2時間かかりました。さすが東京です。そんな所でさえラブストーリーを感じてしまいます。そのあとの出来事です。私は夕食を食べに、ユカイな仲間たちと一緒に居酒屋に入りました。私は車だったので、とある駐車場に停めました。そこのおじさんが、とってもいい感じのキャラクターだったので、少しお話しをしました。夕食を終え、駐車場に行くと、とても信じられないくらいのサービ
【昭和ロックを語る時が来た】「シーナ&ロケッツ」鮎川誠一触即発だったショーケンとのファーストコンタクトニフティニュース【ダイアモンド・ユカイの昭和ロックを語る時が来た】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(57)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本..ラグビー史に残る最強の日本代表エキサイトニュースラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会で、9月20日に開幕戦を迎える日本代表。その黎明(れいめい)期の1934年(昭和9年)に行われた豪州学生選抜との