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全くその通りですね。相手の言うことを全て聞く必要はない。じゃあ、逆に相手は私の言うことをどれだけ聞いてくれたかを考えれば、もしかしたら「おや」と気づけるかもしれませんね。
大学生活が始まってすぐ、新歓コンパの季節。長男は高校時代に所属していた運動部の先輩に誘われて、体育会系の運動サークルのコンパに参加した。夜遅くに帰宅し、楽しそうだった。翌朝ゆっくり寝ている長男に向かって、モラハラ夫は怒鳴った。「新歓コンパ?ふざけるな!」「大学は高い金を払って勉強するために行かせるんだ。こっちは朝早く起きてそのために仕事するんだぞ」「いい気になるな!!」「勝手な暮らしがしたいなら、早く家を出てくれないか!」
長男の大学入学費用を払う時、モラハラ夫は額面を見て吐き捨てるように言った。「あいつにこんなに金を払うのか!」「絶対4年で卒業するという誓約書を書かせる!そうでもしなければ払わない!」
この記事は、2018年1月のエピソードを記しています。一度、公開したものですが、その後非公開にしました。再度、改めて公開します。1回目の調査当日の朝。夫が出かけるであろう時間帯に、私は素知らぬふりをしてラインした。「.おはよう。体調悪い」と、わざと体調が悪いことを伝える。既読にならないだろうと思ったら、すぐ「わかりました。お大事に」と返信が来た。お大事にと返ってきたが、心はここにあらずだ。体調が悪ければ、私が自宅に来ることはないだろうから、疑われることはない。夫は、きっとそう思っ
思い出されるモラハラの記憶に、心臓がえぐられる。もしもあの時こうしていたら。なぜあの時こうしてあげられなかったか。そんなことばかり思う。子どもたちに申し訳ない。自分が情けない。なぜあの状況を打開できなかったのか。でも、その「もしも」は永遠に来ない。その時は、一切の判断力を奪われ、追い込まれていた。全てのうまくいかないことは自分のせいで、自分が何とかしなければならないと思い込まされていた。ありとあらゆる理屈。不機嫌な態度。金銭的な制約。交際の制限。時間の拘束。完全に思
成績が悪いと罵倒されながらも、きちんと大学に合格した長男。入学直後、教科書などの購入の必要のため大学生協への加入が求められた。教科書販売時の混雑を緩和するため加入費用は振込となっており、わずか数百円手数料がかかる。モラハラ夫は言った。「大学にどれだけの費用を払ってると思うんだ」「手数料なんて払う必要ない。直接支払いに行き手数料をかけるな」私はその時お金に関してモラハラ夫の呪縛にかかっており、こっそりそれを払ってやるということが出来なかった。長男はきっと生協で恥ずかしい思いをしたこと
モラハラ夫は子どもたちの成績にしか関心がない。学校行事は一応親として行くものだという程度の位置付けなので、運動会では我が子の出場する場面だけを見ようとする。ママ友たちが朝からずっと座って、おしゃべりしながら運動会を楽しんでいるのを横目に、私は時計とにらめっこしながら自宅と学校を往復していた。子どもが出る頃合いを見計らって家を出る。出番だけを見て、また家に帰る。次の競技が始まる頃にまた家を出る。その繰り返し。もし時間を読み間違えたら子どもの出番を見逃すだけでなく「せっかく来たのに見
探偵きんつばさんから、至急の連絡があった翌日は、夫が女性と約束をしていることを把握していたので、1回目の調査をお願いしていた。ただ、何時に家を出るかが、正確には掴めない。私の情報を読み解くと、恐らく、近場ではないことは解る。近場ではないことは解るのだが、方面が掴めない。おおよその予想は立てているが、夫を泳がせているので、無理な情報収集はできない。自分の勘を信じるしかなかった。探偵きんつばさんに、「明日はよろしくお願いします」とラインする。「何時から、調査に入りますか」何時がいいの
長男は家出すると、図書館や公民館などで時間を過ごすことが多かったらしい。しかし父親の怒りが激しくなると、時折日をまたいで帰宅しなくなることが出てきた。少し後で同級生の家に泊まっていたことがわかってホッとした。息子に事情を聞いて泊めてくれ、後からそっとママさんから私に連絡があった。「避難所だ」と思った。モラハラ夫には最後までそれは教えなかった。そういう「息子の避難所」は2件ほどあり、後に聞いたところ両方のお宅ともに家族の団らんに息子を加えてくださり、お父さんたちまで息子を可愛がって、一
モラハラ被害から抜け出したい!干渉はもうイヤだ!放っといて欲しい!自由になりたい!という方に読んで頂きたいです(^^)ようやくモラハラ被害脱出の光が見えて来た~♪♪♪(/^^)/
長男はモラハラ夫に叱責されて家出を繰り返した。探してもなかなか見つけることは出来なかった。帰宅しない長男に怒り狂うモラハラ夫の横で眠ることは出来ず、私は玄関の近くで息子の帰宅を待った。息子は気持ちが収まると深夜や早朝にそっと帰ってきた。私はその姿を見てから安心して眠った。ある時私と目が合った息子は「母さん、帰って来るから探したり待ってなくても大丈夫だよ」とそっと声をかけてくれた。ああ、この子は大丈夫だなと思った。
モラハラ夫からの激しい叱責を受け続けた長男は、中学生の頃から短い家出をするようになった。叱責を受けたあとふと出て行って、夜中まであるいは翌朝まで行方が分からない。モラハラ夫は狂ったように「ふざけやがって」「こっちが心配すると思って当てつけて」「警察に世話になったらこっちが悪者だ」と怒鳴り「すぐに探し出せ」と私に探させ、自分も何度か探しに出た。その時のことはずっと「あいつを探しに行って本当に嫌な目にあった」「あいつには散々煮え湯を飲まされた」と言い続けていた。長男はずっと
Yahooニュースにも似たような記事がありました。こちらDVやモラハラを『その他婚姻を継続し難い重大な事由』として一括りにする時代は終わりましたこの民法ができた時は戦後間もない頃、女性にも人権が認められたとはいえ、男性の横暴に耐えなければ生きていけない時代でしたからね記事に出ている山岸先生、『モラ夫バスターな日々』の著者、大貫先生をはじめとした、全国の(正真正銘)モラハラに強い弁護士先生に頑張っていただきたいと思います
引っ越しの日はそれはそれは大変でした…思い出すだけで今でも怖さがよみがえります…まず、娘の通う小学校にも"こういう理由で引っ越しするのですが、娘の父親は何をしだすのかわからないので当日を含め、引っ越してからも父親が学校に乗り込んできて暴れだしても決して娘を引き渡さないでください"と相談をしました。担任の先生は状況が状況だけに一人では対応できないということで、校長先生にも事の次第を相談しました。校長先生に話すうち実は娘がお世話になっているこの校長先生は夫がまだ中学生の
こんにちは、こんばんは。前回のブログもたくさん見ていただき、ありがとうございましたさて、今回は私の中学生時代の話です。長いと思いますが、お付き合いくださいますと幸いです。*****私自身、人間関係で強く悩むようになったのが中学生の頃でした。はじめは部活動でした。演劇部に所属していた私は、入部後すぐに行われたオーディションでスライド合格し、夏の大会にキャストとして舞台に立つこととなりました。3年生でキャストになれず、最後の夏を裏方で過ごすこととなった先輩もいたこと
このエピソードは、昨年1月のことです。無事にGPSを設置して、夫の動きを探偵きんつばさんに、毎日追跡してもらった。2日間はこれという動きはなかった。きんつばさんと契約したのは、土曜日。翌日曜日はいつも通り、会社に行った。そして、3日目。この日、私は弁護士との受任契約するために、法律事務所へ行く日であった。打ち合わせを終え、探偵きんつばさんにこの日の動きを確認してもらった。すると、至急連絡の要請があった。乗っていた電車を降り、探偵きんつばさんに電話連絡した。「今、ホテルにいます。
結婚生活の20年間、毎日頭痛と肩凝り、胃の痛みに耐え、痛み止めと胃腸薬を間断なく飲み続けていた。それくらいは当たり前だと思っていた私が離婚を決意することができた最大の引き金は、子どもたちの異変。このまま自分が潰れたら、もう子どもたちを守ることができないという危機感が生まれた。あの時決意しなければ、今でもみんなで我慢していたと思う。そして私も子どもたちもどうなっていたかわからない。
今日はオットの悪口です鬱陶しいお話なのでやめとこうかな、って方はスルーしてくださいねご主人が出勤したあと塩撒いたことある人っていますか私あります、あります今朝も撒きましたから!ただでさえ長雨でじめじめ鬱陶しいのにオットまで鬱陶しいもう勘弁してほしいわ発達障害のヒトってなんかひとつ気になるとロックオンしてしまいそればかりを突き詰めて常にそのことが頭を占領し最悪の想定を妄想し続けるのでまだなんも起きてないのにどんどこ疲弊していくみたいですねそう
突然ですが7月15日までの期間限定で♡ハートヒーリング体験お届けします♡こんにちは^^今…リアルタイムで心地よさを感じているのでブログを書いております美味しいおつまみとビール!最愛のゴリちゃん(ぬいぐるみよ!)とたわむれながらなんて幸せな瞬間なんだろうって感じてます私はこんな時間が最上級に幸せなんです!こんな時間を感じられるようになった私が愛おしいとさえ思う。。。家族からも友人からもあやしまれてるわたくしですが(//∇//)誰がなんと言おうと幸せなんだもん!
娘が登校出来なくなった頃は、ちょうど他の子どもたちにもたくさんの不具合が現れ離婚を決意した頃だ。家族の様子を見ながら、必死で父親が望むことをしようとした娘。彼女はモラハラ夫にとって「自分の思うようになる子」「よく言うことを聞く子」だった。離婚調停の最初で、モラハラ夫は「娘の不登校の原因は離婚を希望する私の不穏な行動の所為」と言い、3人のうち娘の親権だけを望んだ。
高校生活が始まり、娘は楽しみにしていた運動部に入部した。それを続けることだけが高校へのモチベーションだった。しかしそもそも難関大学合格を目的とし勉強に集中する環境を整えている特別進学クラスの生活は、運動部の活動と両立できるようになっていない。部活動をやっているのは普通クラスの生徒ばかりだった。数ヶ月で継続が難しくなり退部せざるを得なかった。娘は淡々と学校に通いながら表情はみるみる暗くなった。体育祭など楽しそうな行事は欠席した。学校のことを聞くと「友だちになれるような人はいない」
娘は自主的な気持ちを持つ機会なく高校に進学した。入試の成績が良かったらしい。入学手続き中に高校から、国公立大を目指す特別進学クラスに変更可能であるという連絡があった。それを聞いてモラハラ夫は大喜びし、娘と話もしないうちに手続きをしろと言った。娘は、兄と父親のやり取りをずっと見て育ってきた。父親が自分に望むことをわかっていた娘は、断ることもできたクラス変更を「その方がいいんだよね」と受け入れた。
長女は紆余曲折の末、進学率も良く中学時代と同じ運動部が続けられそうな私立校に合格した。入学手続きに行くと教科書や鞄、そして制服の注文があった。私立の備品はそれなりに値段もする。帰宅して振込金額を見せるとモラハラ夫が怒鳴った。「この金額は何だ?」「授業料だって高いんだ!」「他の子の学費だってあるのに、こんなところに出す金はない」
推薦を断ったあと、娘は自分の進路に無関心になった。学校見学は「どこでもいい」と何の意見も言わなくなった。私は必死で娘に合いそうなところを調べて勧め見学の手配を手伝った。どんな学校を見学しているかモラハラ夫に伝えていたら、夫は言った。「もっとちゃんとした学校を見に行かなくちゃダメじゃないか」「ちゃんとした」とは何か聞くと、名門であること、名門大学への進学率が高いことが条件だった。そして夫が作ったリストを渡され、これらの学校を見てからでなければ受験校を決めてはいけない、と言われた。娘は
中学校3年間で部活をやり切った娘。受験が近づくと部活顧問の先生がスポーツ推薦で私立の高校を勧めてくださった。奨学生としてだった。コーチ指導に来てくれている先輩も通った学校だ。娘はとても誇らしく嬉しかったと思う。しかしモラハラ夫はそれを聞いて言った。「ここで受験勉強をさせなかったら人間がダメになるだろう?」「その話は断りなさい」
学校で一番ハードな運動部に入り、塾にも何とか通い続けた娘。合宿や試合の時などは保護者のサポートが必要だけれど、そのために家を空けると言うと「家族のことはどうするんだ」と言われ、私は滅多に参加しなかった。最後の夏には全国大会に出ることになった。応援に行くために、保護者はお揃いのTシャツを作って盛り上がっていた。ところがこの時もモラハラ夫から「ああ、たしかにそれはすごいね」「しかし家族の食事はどうするんだ」と言われ、応援同行の許可は出なかった。娘に「応援に行きたいけれど…ごめんね
探偵きんつばさんと契約を交わし、着手金20万円を期限までに振り込まなければならない。虎の子出すしかない。なけなしのへそくり。ささやかでも旅行や外食のためにと貯めていた預金を、とんでもないヘマのために使わざるを得ないと思うと腹が立って仕方ない。20万円あったら、子ども達も連れて、のんびり温泉にも行けるのに、なんてことをしてくれたんだと唇を噛みしめながら、指定先の銀行口座に振り込んだ。そう言えば、探偵きんつばさんは言っていた。調査費用も請求できると。慰謝料に上乗せして、回収してやる。そ
頑張り屋の長女は中学生になり、校内随一のハードな運動部に入ると決めた。そんな部活に入るにはモラハラ夫の許可が必要だった。モラハラ夫は反対したが、長女の決心が固いのを知り、条件として「良い成績を取り続けること」とした。娘は部活でドロドロに疲れて遅刻しても塾に通った。3年になるときには部活でサブキャプテンになり、成績も優秀だった。しかしモラハラ夫は「運動部をやっていてもオール5の子もいるんだろう?」と容赦なく娘を追い詰めた。
こちらの続きです「GPSは、どうやって設置するんですか」私ができるのだろうか。とても心配だ。実物を見せてもらう。⬆️イメージです。「本体にマグネットを貼り付けて、ジッパー付きのポリ袋に入れて、絶縁テープでぐるぐる巻きにします。濡れても大丈夫です」と実演してくれた。「マグネットで付けるんですね。振動で、落ちたりしませんか」「それはありません。かなり強い磁石ですから、大丈夫です。雪や雨にも強いです」「途中、充電が必要です。大体、2週間に一度充電してください」「そうなんですね。すると、