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いよいよスズキ歴史館に入場しますが、コロナ禍の影響で数名づつのグループでの入館になります。多様な展示がありますが、RRのフロンテに限って展示車両を紹介します。先ず、それまでのFFからリヤエンジン・リヤドライブに変わったフロンテ360(LC10)極初期型の1967年型フロンテ360デラックス(LC10)極初期型にはSSではなくともフロントライト・カウリングが装着されていた。またボディ自体もそれ以降とは違う、フロントウインドウのモールが太いので判る。サイドターンシグナルランプも
1345参加車が揃ったようなので、スズキ本社をバックに記念撮影。右からセルボ、フロンテクーペ、フロンテGF-Wまで16台。右からフロンテクーペGX-F,GX,その他はGX-CF。フロンテクーペGX-CF。'73NewフロンテGF-W。
確かシミズさんのGF-Wも到着しましたが、何故か歴史館屋内駐車場へ誘導されてしまいました。1326頃2・3・3本隊が到着しましはた。栃木から参加のイイジマさんのセルボ。本人は元のグレードが分からないとか、元はCX-Lだと。オーナー歴25年。2・3・3副会長、BMメンバーのナガオカさんの72クーペGXCF。フロンテクーペを複数台所有。EVクーペで高名です。2・3・3タケシマさんファミリーの76クーペGXCF。オーナー歴2年。1328BM東京から参加のニヒラさん
1300スズキ歴史館駐車場に到着しました。1308までに集合したフロンテクーペは5台。フロンテクーペ一番乗りのシンカイさんのクーペGXCFキャンディーアップレッド。オーナー歴7年。2・3・3北海道から参加のキクチさんのマッドハウス・カラーのクーペGXCF。オーナー歴38年。(BM初期メンバーには懐かしいクーペ、基本的に当時と変わっていませんね。)BM愛知さんの'72.クーペGXF。ロイヤルスカイブルーメタリック。BM千葉、71.クーペGEさんのクーペGX。オリ
東名高速・牧之原SAで昼食後1111フロンテクーペ50周年記念スズキ歴史館訪問の参加車。出発前の各車給油中。yk-hさんのエンジョイクーペは往復(事故渋滞含む)の平均燃費が15.43km/lだったという。往路のみなら、18~20くらいだったのでは、やはりエンジョイ・クーペは燃費が良い。クーペGEさんのクーペGXの海老名-浜松間の燃費は10.32km/l。初期型37psで、巡航速度が2割増し+一般道回り道含むなので仕方ないか。給油待ちのフロンテクーペ達。
1033東名高速・牧之原SAに到着。本隊より先に到着していたカワシマさんのフロンテクーペGXCF1036本隊第一陣到着。先頭は2・3・3副会長ナガオカさんの'74フロンテクーペGXCFツチヤさんの'75フロンテクーペGXCFyk-hさんの'75フロンテクーペGXCFタケシマさんファミリーの'75フロンテクーペGXCF1027には到着していたというサトウさんの'72フロンテクーペGXCF1037イイジマさんのセルボ、タカセさんのクーペGXCF、
0919新東名・駿河湾沼津PAを出発。0933本隊は東名高速を進み富士川SAに到着した。0935本隊は次の牧之原SAに向かって出発した。富士川SAは①の地点です。改めて2・3・3の往路計画を見直すと、新東名・駿河湾沼津SA-②東名・日本平PA-牧之原SAであり、当初から乗換前提コースでした。私も今回は人任せで楽などとコースの確認を怠ったのがそもそも失敗でした。待合、休憩時間については、長めに取った方が良いと助言はしましたし、改善もみられたのですがコースについては
0901駿河湾沼津PAに進入します。かなり遠回りをしましたが、本隊は見当たりませんでした。駐車場は結構いっぱいになっていますが、ちょうど停められました。しばらく本隊の到着を待ちますが・・・0919我々2台は次の牧之原SAに向かって出発します。0933本隊は東名高速を進み富士川SAに到着したと連絡が・・・。0935本隊は次の牧之原SAに向かって出発したと連絡が届きました。東名高速の工事が重なって混乱しましたが、これは走行計画自体の問題でした。我々は本来の計画に
天気は最高で富士山もきれいに見える。東名高速を走っていると表示盤に左ルート×とでているが・・・左ルート(東名高速)を選択し走ると片側一車線に・・・0840そして、対面走行となっていました。次の集合場所は駿河湾沼津PA。新東名ではないかと気が付くのだが、先行していたGF/Wに追付く、0856東名から新東名へ乗り換えます。0900集合予定の駿河湾沼津PA近くにこれから、PAに入ります。本隊と別れた後にミスコースで回り道をしてしまいましたので、本体とは合いませんでした
さて問題のLC10Wセダンとクーペの生産台数の割合だが、先ずはフロンテクーペの生産開始前のLC10Wセダンの生産台数は40000台となる筈。(恐らくこれにもクーペのプロトタイプは含まれているのだろうが。)そして、フロンテクーペの生産が始まってからの71年のLC10W生産台数は40878台。この40878台の内何台がフロンテクーペなのかが問題となる訳だが、.先日、何人かのフロンテクーペ・オーナーの話を訊くと、セダンとクーペの生産数の割合が半々と思っている人が多いようです。まぁフロン
海老名SAに向かって東名高速を走行中に、スティングレイルックのセダンを発見接近するナンバプレートはSRS.KUBOのステッカーが見えます。'73モデルNewフロンテGF/Wドライバーのシミズさんも確認していました。所々にLC10デザインのインスパイヤを感じる現行ラパンと並ぶ。ここまでは動画からのキャプチャー画像。動画は↓から、'73SUZUKINewFRONTEGF/Wスズキフロンテクーペ発売50周年を記念してスズキ本社・歴史館に向かう途中、首都高速上で'73モデ
フロンテクーペ50周年としてスズキ本社・歴史館訪問へ行って来ました。ビートマシンとしては25周年、30周年、40周年としてスズキ本社詣は行ってきましたが、武漢肺炎禍の為に企画が進展せず、また県下メンバーの稼働率の低さもあり(自分自身フロンテは車検切れ、春先の災難など)今回は無理かと思っていたところFCOC2.3.3.でフロンテクーペ50周年企画が進行していると訊き、井上会長に相談するとBMの参加もOKして頂いたので、参加する事になりました。ついでに、浜松まで行くなら翌日足を
フロンテクーペの生産台数を調べる2回目はクーペの生産された1971~1976年のスズキ360cc軽四輪乗用車の生産台数と販売台数の推移について。スズキ70年史、資料・年表から抜粋、ただし4~3月の年度台数。360軽乗用車の各モデル別の生産台数を表にしてみた。これは生産された年度別のボデー番号から計算したものです。ただし、各モデルの生産台数は1~12月の年度台数であり、4~3月のスズキ資料とは一致しない。また1976年からは軽自動車の550規格が始まるが、この表は360ccのみの記
フロンテクーペ生産台数はメーカーのスズキから発表されていないため不明である。これで終わりだと、どうにもならないので考察してみる。何故、不明なのかというと、その理由は車台型式のLC10Wにある。フロンテクーペのボデー番号は、LC10W-140001とある、LC10Wのボデー番号は水冷セダン・フロンテクーペとも共用だからだ。そもそもフロンテクーペの元になったセダンとは何か。スティングレーyoutu.be1970年10月フロンテ71(LC10Ⅱ)は(画像はSSS)フロ
こんばんは。😄土曜日、カワサキメグロSGを堪能して…🤪ホンダZで帰宅…😉翌日曜日は、とあるミーティングに…お呼ばれしていたので…😂フロンテさんとツーリングを兼ねて…行って来ました!!🤗オレンジポロシャツが、僕です…😆今回、余り写真撮って無かったので…貰い画像ばかりでしたが…😅千石峡秘密基地さんの動画で…雰囲気だけでも、お楽しみ下さい!!🙌またまた、勝手に使わせて頂きました!!🙇お天気に恵まれて、会場は暑かった…😰エアコンレス車には、帰路も厳しかったです…😵でも、楽し
ガレージ内のレンタルスペースを使っていただいているM井さんちのフロンテです。ここはサブロクなら2台並べて置けるスペースなのですが、こうして真ん中に置けば余裕で両ドアを全開にできますので、ほとんどの整備をここで行う事が可能です。ここで少し、現在のオーナーがこの車を購入された当初の事を振り返ってみましょう。『LC10フロンテ』フロントキャリパーの作業が滞っておりました。というのもキャリパー本体は手入れが済んでいたものの、ピストンに微妙な虫食いがあり、表面を磨いて手入れはした
ジョンレノンの愛車はちっちゃいすずきフロンテしかしあまくみるなかれ良く走るよでもここから見るとジョンレノンではなく又吉直樹どっちがいい?ぷっ。あっ単3電池の代わりに(笑)ひよこちゃん取ってくれてありがとさまでした!(●´艸`)ヾブハッ
うちでも自家用車でした。その前はこのスバル360でした(笑)。今でも綺麗に動態保存が凄い!
さて、お久しぶりの更新ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は大洗に行きたさすぎて気が狂いそうです。さて、タミヤのマスタングはデカールを注文……するやる気が出るのを待ち、その間またぞろ息抜きに精を出しておりました。それがこちら。アリイ1:32オーナーズクラブシリーズより、1968年式スズキフロンテ360です。名車ですね〜。良いスタイリング。説明書はこんなモン。簡単なキットですし、やる気も無けりゃあ、展示会に出す気も無いっていう本当に息抜き制作なんで、ワンナイトで仕上げまし
ふぅあ、実は「北の国から」見てなかったんすよ〜なうの、ゆうさんです。俳優の田中邦衛さん、ご逝去ゆうさん的には、これがいちばん代表作なんだけど食べる前に、のむ。名キャッチコピーだよなぁバブル期のにおいがプンプンする演出だしぃwあの頃はなんやかや理由付けちゃ、飲みに行ってたし💦12月なんて忘年会だらけで、職場全員のスケジュールが合わなくてwじゃ、新年会にまわしますかぁなんて時代だったもんなぁ(冗談抜きマジでタクシー捕まえるのに万札ひら
その1の続きです…HONDAN360N-Ⅱ…マツダキャロル…HONDASTEPVAN…ここからは、お仲間車輌で~す‼スズキ・フロンテLC10後期型・1号車…スズキ・フロンテLC10後期型・2号車…スズキ・フロンテLC10前期型・3号車…スバル360…スズキ・セルボ・SS20改…HONDASTEPVAN…HONDASTEPVAN…It`smyLife…PM3:00閉会式後…パレードランで、解散です…で、帰還後…洗車して…帰宅…コロナ禍で、開
M井氏のフロンテですが、とうとうリアのダンパーが抜けてきて、ポワンポワンの状態になっております。フロント側はミニ用のダンパーを流用していますが、リアはノーマルのダンパーがそれなりにしっかりしていたので、スプリングだけを加工して車高を下げておりました。しかし、とうとうそれも抜けてしまい、交換するにも適合品がある訳もなく、これは特注で製作するしかなさそうです。幸い元のスプリングが市販の直巻きスプリングの様な形状ですので、スプリングはこのまま使う事もできそうです。
動かない車ばっかり増えて、何やってんだろ・・・と思いますが、その性格を改善する気がないのでダメですね。でも動かない車は、動くかな!とワクワクする夢があるということで。前回、ガソリンタンクを洗剤で仮洗浄しました。WAKOSのピカタンZを2個使いちゃんと洗浄します。センダーゲージ取り付け部分に蓋をします。でもネジ山を通過して洗浄液が漏れてきてますね。これで漏れるってことはガソリンを入れても漏れるので対策が必要です。ネジ穴がタンクに貫通してます。これが、そ
自動車メーカー「スズキ」の鈴木会長がご勇退されるそうです。https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ246TQ0U1A220C2000000/御年91歳ですから、「本当にお疲れさまでした」だと思います。静岡県発祥の有力企業で、スズキのバイクや自動車はとても身近なもの。スズキの鈴木修会長退任へ40年以上経営を指揮スズキは24日、鈴木修会長(91)が会長を退くと正式発表した。6月の定時株主総会後に取締役も退任し、相談役に就く。経営の一線から退き、息子で
少しづつ復活にむけて進めていこうと思います。ちなみに書類がありませんので、再発行も同時進行です。で、再発行できます、となった時には車検を受けるのが条件となってくるため整備を進める必要があるのですがそもそもエンジンが調子よく動いてくれないと車検の受けようがないのでまずはエンジン始動からです。リヤエンジンなので後部座席を外してサービスホールからキャブを取り外します。OHして一度だけガソリンを入れて、そのあと30年くらい放置したような感じです。中は綺麗なので軽く洗浄して
我が懐かしのフロンテ360。あの時は雨なのに急ハンドルでテールを流し、電信柱にぶつかってゴメンね・・・
土曜日です…会社に居ます、朝から、社ラジ中ですね…BD7を弄ってます、ダンパー付けて、メカ乗せて、タイヤを付けて、今は、只のFWDですね…まだ、ケツが出ません…バリーナなタイヤをフロントに履いてみようか?コジって、ケツを振り出せたら…楽なのに…で、昨晩の仙タムは、P先輩と待ち合わせ、軽トラが納車された様で、どんなカスタムされるのか??揚げ?、下げ?、ドリフト?、苦労ラー?、真ん中のフロンテは、私からの献上品、お嫁に行きました、唐揚げ
なかなか良い雰囲気に仕上がったフロンテがやってきました!自然に出来上がる錆のアートをそのままにして乗りたいですね~仕上げなきゃいけない車が他にあるので、後回しですがいつの日か走らせたいなぁ。窓あけたらさっそくウィンドレギュレーターハンドルがポッキリ折れました。シンプルなエンジンです。動くのかは不明です。
パンドラワンビアD-Like30ソアラスパイスフロンテ
今回はサブロク軽特集ということで、楽しみです・・・・。