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Herkesemerhaba:))フォトブックのご予約、たくさんメッセージいただきありがとうございます!許可を得ましたので、メッセージ載せますね3,900円でイスタンブールを一周それも好きなときに好きなだけこれって最初のブログの宣伝で私が書くべき文章だったね?!?!?!笑笑素晴らしい宣伝文句、ありがとうございます。みなさん、そうです。3,900円で、日本にいながらイスタンブールを一周できるのです!!いまさら感…そして、アンケートでは3位のイスタンブールが淡
アヤ・ソフィア[イスタンブール歴史地域](トルコ/イスタンブール県)オスマン帝国の首都:イスタンブール。古代の東ローマ帝国、ビザンツ帝国の時はコンスタンティノープルと呼ばれていた。そのビザンツ帝国の時の6世紀、皇帝の命令により、直径31mもある大きなドーム型屋根の大聖堂が建てられた。皇帝は世界一のドーム型屋根の大聖堂を命じたが、当時の技術でカーブを描く屋根は多くの柱が必要で、4つ隅の柱のみでは支えきれなかった。最頂部のドームを左右の半ドームで支え、それを小さな半ドームで支え
ビザンツ帝国千年の攻防と皇帝たち中谷功治千年続いたビザンツ帝国の本です。ビザンツ帝国というのはローマ帝国が東西に分裂した東側で学校では東ローマ帝国と習ったと思います。西ローマ帝国がゲルマン人の侵入で分裂早々に滅んだのとは対照的に十字軍に滅ぼされるまで千年続き、その後は領土をオスマン帝国に引き継がれました。皇帝の位は同じファミリー内で継承されていたわけではなく、時の将軍がコンスタンティノープルに攻め込んで皇帝意を奪取するようなこともあったようで、幅広い家柄により継がれていきました。歴代皇
イズニックといえばタイルばっかり頭にあった私ですが、考えてみたら、ここは古代ローマ時代にはあの「ニカイア」だったんですよね。イズニックの地名は、ニカイアが訛ったもの。今日のキリスト教の教義を決めた「ニカイア公会議」が行われたほどの場所(ここテストに出ます!😜)なわけで、実は歴史的遺産がかなり残っているんです!!町の周囲には、ビュテニア王国時代に作られ、古代ローマ、ビザンツィン時代に増築された城壁が残っています。城壁も要塞くらい好きなので興奮!時間があれば壁沿いをずっと
https://nyabecch.blogspot.com/2020/10/15.htmlhttp://nyabecch.blog47.fc2.com/blog-entry-4369.htmlゲルマン人の時代~ローマ帝国(15)-西洋史nyabecch.blog47.fc2.comゲルマン人の時代~ローマ帝国(15)https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BDゲ
エディルネ門近くに、ビザンツィン時代の宮殿が残っている!と聞き、テクフル・サラユTekfurSarayıに行ってきました。ここは修復後の2015年から公開された、比較的新しいスポット。オットがイスタンブルでティーネイジャーを過ごしてた時代も、私が留学してた時も公開されてなかったので、知らなかったわけです。こういう、公開されず知られてないけど実はすごい歴史的なものが山ほどあるんだろうな、この街…。ガラス張りのエレベーターはじめ、やたらモダンな構えになっていてビ
https://nyabecch.blogspot.com/2020/09/13.htmlhttp://nyabecch.blog47.fc2.com/blog-entry-4361.htmlコンスタンティヌス朝~ローマ帝国(13)-西洋史nyabecch.blog47.fc2.comコンスタンティヌス朝~ローマ帝国(13)https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD
イタリア襲う凄惨状況「祖父を見舞った孫から集団感染が…」https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jisin/entertainment/jisin-https_jisin.jp_p_1846297
皆さま、こんにちは。塩野七生、『コンスタンティノープルの陥落』ドキドキしました!歴史の一大ドラマ、この臨場感!!!千年続いたビザンツ帝国。コンスタンティノープルが若きトルコのスルタン、マホメッドⅡ世による攻撃され陥落する模様が描かれている本です。トルコのスルタン若干21歳!コンスタンティノープルの無敵の三重の城壁を前にオスマントルコはどう攻めるのか。カリスマ性とはこういうことか、というスルタンぶり。対するビザンツ帝国の皇帝は誰にも愛され、尊敬される人柄。多民族国家である難し
時は637年、世界史史上最強の帝国の1つと言われる「ビザンツ帝国(東ローマ帝国又はギリシア帝国)」は首都コンスタンディノープル(現在のイスタンブール)を襲撃され戦局は劣勢を極め、帝国存亡の危機に面していました。追い込まれたビザンツ帝国、もはや死に体かと思われたその時、金属製のホースから相手に怒涛のごとく水を浴びせたその刹那、その水は瞬く間に燃え上がり相手を退散させた。と言われている、これが世に言う「ギリシャの火」です。まさに消火ホース!消火するはずなのに火がついちゃった
世界史まるわかり第1次世界大戦中の1917年、連合国(協商国側)のロシアで革命が(三月革命・十一月革命)、起こったのでロシアは戦争から離脱して戦争をやめた。今回はロシアの成立からロシア革命までの歴史を概観してみよう。(ローマ帝国、ビザンツ帝国とロシア)古代ローマ帝国はイタリアのローマを中心に現在のヨーロッパからアフリカ北部、地中海東岸を支配した大帝国で前27年から東西に分裂する395年まで続いた。アジアの遊牧民フン族が黒海北岸にいた東ゴートを服属させ、その西隣りのい
トルコ旅行の続きで、9月2日のボスポラス海峡クルーズ2回目です。クルーズ船はボスポラス海峡大橋をくぐり、メフメット大橋(ファーティフ・スルタン・メフメット橋)まで行きました。ボスポラス海峡大橋マルマラ海から2番目の橋であるメフメット大橋です。メフメット大橋の手前左側に古い城跡のような建造物が見えました。これはルメリ・ヒサルと呼ばれ、15世紀にオスマントルコがビザンツ帝国の首都コンスタンティノーブルを攻略中の14
仕事で遅くなり、夕食をさっき終わりました。今日は少しお寺を休み作品が残ってたのはイタリアですが、直上ビザンツ(東ローマ)帝国皇帝ユスティニアヌス。2枚上、后のテオドラ。東ローマは、西ローマ帝国滅亡の476年から長生きをします。1453年。ヨーロッパでは中世の終り、近代の始まりっていわれることもある年号まで存続しました。その東ローマの最盛期、最大領土を誇った時の皇帝。6世紀、西暦500年代後半の人です。日本で蘇我氏と物部氏が崇仏論争してた
トルコ旅行の続きです。グランドバザールを出て旧市街を抜けて新市街に行きました。旧市街と新市街は金角湾で隔てられています。ガラタ橋と名付けられた橋を渡り、新市街から旧市街に行きました。ガラタ橋付近では多くのトルコ人が魚釣りをしていました。釣っているのは鯖だそうです。
トルコ旅行、イスタンブールの続きです。ヨーロッパの時代区分はおおよそ次のようになっています。古代476年西ローマ帝国(BC1C~)の滅亡中世1453年東ローマ帝国(ビザンツ帝国395年~)の滅亡近世18C末フランス市民革命、産業革命私の頭の中の中世は、①西ローマ帝国滅亡後からルネッサンス以前の暗黒時代、②ビザンツ帝国が約1100年間も続いた奇跡の時代、となっています。ビザンツ帝国時代の首都だったコンスタンチノープルの遺構が残っていれば見て
トルコ旅行の続きで、いよいよアジアからヨーロッパに入ります。アジアサイドとヨーロッパサイドはボスポラス海峡で隔てられています。ツアーバスは渋滞の中ですが、ゴ―・ストップを繰り返しながらもゆっくりと進んでいます。ついにボスポラス海峡にかけられたボスポラス大橋を渡ります。人生初のヨーロッパです。ボスポラス大橋を渡ると左手の海の向こうにドーム状の建物が見えてきました。ビザ
トルコ旅行の続きで2015年9月1日です。午前中はトルコの首都アンカラから、トルコ最大の街イスタンブールにバス移動です。アンカラからイスタンブールは約450Km、東京から京都までの距離にあたります。アンカラを出発すると、周りは丘陵地帯。トルコが緑豊かな国であることを実感します。アンカラからイスタンブールまでが距離を2/3程のところに、トヨタ自動車の工場がありました。現地ガイドのTさんによれば、日産やホンダも工場があるそうです
トルコ旅行のカッパドキア・ギョレメ野外博物館の続きです。ギョレメ野外博物館にはキリスト教の教会が9ヶ所と、修道院、食堂があるそうです。その中で見た壁画に描かれていたキリストや聖人の顔が傷つけられていました。洞窟教会には撮影禁止のところもあり、現地の人が番をしていました。番をしていた人に、誰がキリストや聖人の顔を傷つけたか聞くと、一様に知らないと答えました。傷つけられキリストや聖人の顔が私の心に棘のように刺さりました。帰国してからカッパドキアに関する本を何冊か読
昼は中野区役所で一汁三菜弁当。鯖、鶏の竜田揚げなど。NHKの高校日本史「ビザンツ帝国」を観る。コンスタンティヌス帝がチョロッとで、ユスティニアヌス帝が主。眞鍋かをりがすっかり変わってしまっていた。夜はつまらないツマミだったが、ノンアルコールビールのお供。少し眠れなかった。
Amazonで「なんかいいビザンツ本、ないかな?」と探していたところ、ジョナサン・ハリス著、井上浩一訳の「ビザンツ帝国・生存戦略の一千年」という本をみつけた。本体価格4200円とそれなりだが、存分に楽しめるであろう。即座に注文した。「生存戦略」と銘打っているが、体系的に探るというよりは、歴代皇帝の年譜をベースに帝国の歴史を網羅するという通常のアプローチになっていて、その点はやや期待が外れた。しかし、肝となるべきところはあり、『うんうん』と改めて頷くところがあった。「策略
トルコ旅行の続きです。パムッカレを後にして、ツアーのバスはコンヤに向かいました。パムッカレからコンヤは410km5時間30分と日程表に書いてあります。コンヤの街に着くと、最初にメヴラーナ博物館に行きました。コンヤ、メヴラーナ博物館については未だに理解できていません。私の中のトルコ史は、ビザンツ帝国、いわゆる東ローマ帝国後のトルコはオスマントルコとなっています。ところが、11世紀頃からビザンツ帝国は縮小しており、トルコの大部分を占めるアジア側のアナト
フランスのシャルル8世ががイタリアに侵入したことにより、広義の意味でのイタリア戦争が始まるのが1494年。ちなみにスペインの支援を受けたコロンブスがアメリカ近くの島である、サンサルバドルに到達したのは1492年、です。スペイン・ポルトガルが世界に進出し始めて、世界がヨーロッパから何やら騒がしくなり始める時代でござりまするな(世界がヨーロッパから騒がしくなるのは今も変わらんな。ちなみに大航海時代以前は、インド洋中心に、ムスリム商人の活躍で交易はかなり活発に行われてますよ)(内容は、中世
「トルコの歴史は他民族支配の歴史」と書くことに、日本人である私には抵抗があります。ところが、昨日行ったトロイは紀元前1200年頃にギリシャによって滅ぼされた都市国家でした。その後もエーゲ海沿いのトルコにはギリシャ人の入植が進み、ついにはギリシャ(マケドニア)のアレクサンドロス大王によってギリシャからインドにまたがるアレクサンドロス帝国の一部となります。ギリシャがローマに滅ぼされたのちには、ギリシャもトルコもローマ帝国の一部となります。AD395年のローマ帝国
トルコに行ったことがあります。私の50年来の夢はシルクロード。私にとってのトルコは、シルクロードの途中にある国々の一つです。トルコに興味を持ったことです。1、トルコがシルクロードの途中にある。2、トルコの領土はアジアとヨーロパにまたがっており、東西文明の十字路にある。3、トルコには、1000年以上続いた西ローマ帝国、いわゆるビザンツ帝国の首都だったイスタンブールがある。4、奇岩で有名なカッパドキアがある。3年前、2015年の8月25日から9月3日の10日間のことです。
これまでonlynatural=nopose詳しくはギリシャでやったら怒られることとは…noredright詳しくはギリシャでやったら怒られることとは…②という、実際に経験したギリシャの地雷体験を書いてきましたが、この話は今回が最終回です(どんだけ怒られとんねんって感じだけど)アテネには、それはそれは素晴らしい博物館がたーくさんあります。共通チケットというのがあって、それを買えばいろいろな博物館を見られるんだけれど(新アクロポリス博物館は別料金です。新しいからかな
この話続けるつもりなかったのだけど。アテネで前回を上回る体験をしたので…ギリシャでやったら怒られることとは…のつづきです。さてさて。アテネといえば最大の歴史的価値があり、かつ最大の観光ポイントはアクロポリスちょっと見づらいけれど、写真奥の上でライトアップされてるホテルから見るとこんなかんじすごく遠そうに見えるけれど、山じゃなくて丘の上なので見た目よりずっと近くて普通に歩けるアテネの歴史はとても濃くて、ざっくりいうと古代ギリシアのポリス↓マケドニアのアレクサンドロス大王に
先週、シンフォニー古本まつりで見つけた本。久々の古本市に遭遇で大興奮でしたしかも陳舜臣氏の本をゲットー!!やはり陳舜臣氏の文章、好きすぎる。強く引きずりこまれます。私はフランス人が言う冗談とか、香港人が飲茶の際円卓を囲んで全員を大笑いさせる冗談話とか、皮肉っぽい笑いが大好きなんですが、陳舜臣氏の書く文章はそれと少し似ていてニヤリとしてしまう箇所があるのです。さて、もう25年以上前の初版本ですが、主にビザンツ帝国&オスマン帝国時代の歴史を、イスタンブールにある各モスクの変遷を軸として語
こんにちは。TOSHです。今回は「イスタンブルの歴史地区」についてまとめてみたいと思います。基本情報登録年:1985年年危機遺産登録登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)概要・ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国などの大国の首都がおかれた都市・ビザンティオン、コンスタンチノープル、イスタンブルと名を変えながらも発展を続けてきた。・東西文明の交差点として繁栄した歴史を物語る建造物が数多く残る・キリスト教かの大聖堂からモスクに改
⚫️ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の金貨との出会いいつもブログにご来訪ありがとうございます。弓惠ですご無沙汰しております。WEBの更新が中々出来ず、バタバタしておりました。新作ジュエリーは、1月のご紹介と変更になりました。楽しみにお待ちくださいました方には、お待たせしてしまい大変申し訳ありません。12月の私は、色々なインスピレーションを沢山受け取っていまして…形にできないもどかしさの中でウズウズしながら来年をどうしていくか?をイメージしていました新しく挑戦したいジュエリーのスタイ