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東京裁判(極東国際軍事裁判)。第二次世界大戦後に行われた軍事裁判。そのなかで、唯一、被告人の「全員無罪」を主張した裁判官がいました。ラダ・ビノード・パールこの方はインド人で東京裁判で裁判官を務めたことから、日本ではパール判事と呼ばれています。パール博士は、日本びいきとかではなく、国際法と照らし合わせ、公平に裁こうという思いの結果、被告人全員無罪としたわけです。その博士は1月27日が誕生日でした。そんなわけで、広島市中区の平和大通りから少しわきに入った、本照寺というお寺にて、慰霊
~2022年初詣:その2『靖国神社』~日本人なら誰しも参拝に訪れるべき靖国神社。もはや、靖国神社へのテレビの偏向報道を鵜呑みにする人はまずいないであろう。今、日本が一応平和でいられるのは、後戻りのない片道切符で戦場に赴いた人生の先輩たちのおかげである。次の写真は「拝殿」、ここで参拝するのが一般的だが、私は2年ぶりに「本殿」の前で正式参拝に参列。去年は、前年12/31の東京都のPCR陽性者数が初めて1000名を超えたため、念のため見送った。だが今年は70名程度だったため、大丈夫
この本はインドのラダ・ビノート・パールさんが東京裁判でただ一人被告人全員無罪を主張したことを伝える貴重な本です。戦争が終わった時には勝者が敗者を裁くというのは当たり前だと思っていました。だから戦争を起こした人たちを裁く東京裁判も真っ当なものだと思っていました。ところが、「法律のないところに犯罪はなく、法律のないところに刑罰はない」これが法治社会の原則であり、勝者によって勝手に作られた犯罪の定義によって裁かれるのはただのリンチであり、魔女狩りのような異常な裁判だということが分かりました
クリックして是非、ご覧下さい。11分の動画です。<(__)>何故、世界から愛されているのか?今取り戻すべき日本人の誇り私にはこうした同じ時代に、同じ日本軍でありながら、一方では中国や韓国に残忍な事をしていた日本兵がいるとは思えません。ご存知の人も居ると思いますが、動画の中で言われていたような残留日本兵と言うのは、他の国にも居ます。アメリカがベトナムと戦かって負けたベトナム戦争というのがありましたが、実はベトナムにも700人から8...www.youtube.com【添付されていた言葉】
敗戦記念日(終戦記念日ではなくあえて「敗戦」と言うようにしています)の15日よりは遅くなりましたが靖国に参拝してきました。靖国神社の入り口の交差点は「田安門」徳川御三卿の1つの田安家があった場所だと思います。御三卿は徳川御三家に次ぐ格式の家柄で、征夷大将軍ではありませんが田安家からは徳川16代目を出しています。靖国神社の大鳥居運動も兼ねて自転車です。時間の関係で遊就館には行きませんでしたが、時間のあるときにゆっくり巡りたいです。敷地内にある顕彰碑のパール判事のような公正で良識ある判
親愛なる皆様こんにちは中井耀香ですこちらの記事の続きとなります。中井耀香『思い立って靖国へ』親愛なる皆様こんにちは中井耀香です本日は76回目の終戦記念日ですね中井耀香『終戦の日ですね』親愛なる皆様こんにちは中井耀香です明日8月15日は76回目の…ameblo.jp靖国神社の中にあるパール判事の事について今日は綴りたいと思います。かなり長文なので、知ってる方は飛ばして頂いても良いですがご存じない方は、是非この方を知って頂きたいです。日本の恩人ともいうべき外国人
本日8月6日は広島に原爆が投下された日。ネット上では、原稿の読み飛ばしがどうのNHKの特番がないだのさまざまな情報が行きかっておりますね。「今」を知るにはこれも大切。そして、過去を振り返るのもとても大切。3年と少し前までは、うかつにもほとんど氣に止めていなかった「東京裁判」のこと。みなさまは「東京裁判」「東京裁判史観」なるものをどのように感じていらっしゃるでしょうか。昨年8月6
今日は日本人が忘れてはならない日今日は、ヒロシマに原爆が落とされた日です。これは、日本人として忘れてはいけないことであり、忘れてはいけない日だと思います。私はそう思っています。私は、歴史を教えながら、特に自国の歴史を知ることの重要性を痛感してきました。今はとても苦しい時ではありますが、少なくとも日本は、世界的に見ても実に恵まれた住みやすい国の一つだといえることは間違いありません。それも、多くの祖先や先人の労苦と努力の上にあります。それが歴史です。授業時に時々いってきたこ
ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を受けた際、日本は日米交渉のさなかに、いきなり奇襲攻撃をしかけたのだ。と非難しました。しかし、これは全く違っています。日本は8ヵ月の間、アメリカとの戦争を避けるために必死の交渉を行い、かなりの部分まで譲歩していました。しかし真珠湾攻撃直前の1941年11月26日、ハル・ノートをもって事実上終了しました。何故ならその内容は、それまでの交渉で、アメリカが提案してきた以上の過酷な条項を、日本に呑めと迫るものだったからです。①イギリス
『こず恵ときょうこのららら💖しゃべり場』ららら💖しゃべり場ブログへご訪問ありがとうございます💓書くことで読むことでしゃべることであなたのわたしの気づきに繋がれば嬉しく思いますあなたはわたしわたしはあなたみんな一緒繋がってるね〜出逢いにご縁に感謝です。ありがとう昨日は、「靖國神社へ参拝に」を書かせて頂きました**********************なぜ靖國神社について何度も書くのか?お友達が子供から日本の歴史を聞かれて答え
神社仏閣探訪シリーズ。近畿圏には古くからの神社やお寺が多く、当ブログでも古い社寺を中心に巡ることが多いです。そんな中、今回は明治以降にできた新しい神社を2つ取り上げたいと思います。近代の新しい神社といえば、東京の明治神宮(明治天皇を祀る)、靖国神社(戦没者を祀る)、乃木神社(乃木希典を祀る)、東郷神社(東郷平八郎を祀る)などが有名かと思います。明治から昭和戦前期までは国家神道の時代、国家のために尽くした人たちが神社に祀られ、「人間の神」が急増する時代です。この新たな神々(その多くは戦没者
南京における暴虐事件で有罪となったのは、松井石根(いわね)陸軍大将、ただ一人でした。判決文は、これらの出来事に対して彼は自分の軍隊を統制、指揮し、南京市民を保護する義務を持っていた。これらの履行を怠ったことについて、犯罪的責任がある。と断じました。これに対して、パール博士は、松井大将は全軍に対し、南京は中国の首都にして、その攻撃は世界的大事件であるから、慎重に行動せよ。できる限り一般市民を紛争に巻き込まないよう、常に留意し、誤解を避けるために外国出先当局と密接
東京裁判の判事11人のうち、唯一、日本の無罪を主張したのは、インド代表のパール博士です。博士が東京裁判の後、再訪日した際に開かれた歓迎会でのことです。ある日本人が「同情ある判決をいただいて感謝にたえない」と挨拶しました。そうすると博士は、私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき方を適用したにすぎない。と、毅然と述べられたそうです。パール判事の日本無罪論(小学館文庫)|田中正明|本
【拡散】新・世界は日本をどう見ているか自虐史観からの解放-YouTube上の動画は自虐が解ける動画である。この中には皆さんも知っている話や初めて聞く話もあり、最後まで見るとグッと込みあげてくる場面もある。そして動画の最後にパル判事が出てくる。パル判事は東京裁判で、日本は侵略国家ではないと言い、侵略植民地支配してきたのは白人だったと言い切った。白人達は自分達が数百年も侵略を繰り返してきたことを無かったことにするため、東京裁判で日本を侵略国の極悪国家にした
熱海の伊豆山にある観音様です。新型コロナワクチンを2回接種したので、少し気が大きくなって遠出してみました。初めての参拝です。元々は支那事変(日中戦争)の戦没者(日本側、中国側とも)を慰霊供養する目的で陸軍大将の松井石根の発願で昭和15年2月に建立されました。昭和15年2月はまだアメリカと開戦する前になります。敗戦後、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の判決が実行されて昭和23年12月23日に刑死した7名の戦犯(A級戦犯は6名、松井石根自身はA級戦犯ではなくB級戦犯として7名に含まれて
東京裁判の判事や検事は決して一枚岩ではなく、諸々意見は異なった。パル判事の全員無罪論はあまりにも有名だが、あの鬼検事キーナンの判決批判がある。キーナンが死刑妥当としたのは、東條、板垣、武藤の三名。同じ死刑判決を受けた土肥原は「同類とは考えません」とし、廣田、木村には「刑が過酷であったことはまことに遺憾」と後悔した。逆に終身刑の嶋田は死刑妥当であり、同じく賀屋は無罪とした。重光へは、起訴すらすべきではなかった、と弁護した。一方、日本に比較的同情的と目されたオランダローリング判事はどうか。
カレーは甘口派?辛口派?というお題。激辛でなければ、辛口の方いい。タイのグリーンカレーでも、インドカレーでも、日本のカレーでもすべて好き。そういえば先日、英会話学校にてインド出身の先生の特別授業でインドのカルチャーについて聴いた。本来の特別授業の日には仕事で受けられず、プライベートレッスンのところに特別授業を入れてもらいました。どうやら先生は、私に是非聞きたいこともあるようだ。普段の授業のときにも、日本の文化やレアな観光名所の蘊蓄、お気に入りのカフェなど話すので私のリアクションに興味
こんにちはパール判事については1回で仕上げるつもりでしたが、調べれば調べるほど(いつも以上に)新たな疑問点と新たな発見が相次ぎ…(いつものとおり)「1回のアップロード容量」を超えてしまったため…全4回となってしまいました今回はその完結編として…「日印の歴史的関係をより理解するために、これだけは書き残しておきたい」…パール判事にまつわる6つのエピソードのうち…前回アップした「1.さらに2人の判事からも反対意見書が日印エピソード②-3(終
こんにちは“日本”に関係するインドのエピソードの第2回、「パール判事」の終盤(全4話の3話目)です。パール判事については前回をもって仕上げるつもりでしたが、調べれば調べるほど(いつも以上に)新たな発見が相次ぎ、また「1回のアップロード容量」を超えてしまいましたそこで、終盤として、「これだけは書き留めておきたい」…パール判事にまつわる6つのエピソードのうち1.をご紹介します1.さらに2人の判事からも「反対意見書」が(以下は次回の完結編で)2.安倍前
こんばんは“日本”に関係するインドのエピソードの第2回目の中盤(本編)(「パール判事」全4編のうちの2回目)です。前回は「東京裁判」についてお話ししました。(日印エピソード②-1(序盤)【パール判事】をご覧ください)いよいよ今回は…本編:パール判事ラダビノード・パール(RadhabinodPal、1886年~1967年)氏とは、東京裁判の11人の判事団の一人として、独立途上のインドから加わった人物です。当時、彼は60歳でした。ラダビノード・パ
こんにちは“日本”に関係するインドのエピソードの第2回目。テーマは、こちらですパール判事ただし、このテーマはとても重要な“歴史の1ページ”なので、4回に分けてお送りします。今回は、序盤として…パール判事の存在を世に知らしめた…「東京裁判」について昭和20(1945)年7月26日、英国・米国・中華民国は日本に対してポツダム宣言(無条件降伏の最終要求)を発しました。(ソ連は後から追認)これに対し、日本は、8月14日にポツダム宣言を受諾。
先日、町田市民ホールにて茂木弘道先生の講演会がありました。しっかりとコロナ対策を施した「日本の明日を考える会・町田」主催の講演会でした。茂木先生は世界出版の代表取締役であり、「史実を世界に発信する会」の代表であり、数々の著作がある大変有名な評論家です。演題は「成否を分けた日本の選択」です。力のこもった講演内容でしたし、出席者の方々から出された多くの質問にも先生は明快にお答えになり、大変勉強になりました。私は町田市で産まれ、町田市の小中学校、都立の高校で歴史を学んできました。
老後の楽しみにと遠い故郷から祖父母は数年に一回東京へ皇居清掃奉仕団として上京し祖父は戦友と会うと約束の靖国へ行くと聞いてました。幼かった私が靖国神社と知ったのはずいぶん後のことでした舅の兄姑の父も奉られてる靖国神社へいつの日か好物を持って詣りにいきたい
南京事件については、2015年に中国共産党がユネスコに申請した資料により、世界遺産として登録されています。真実ならやむを得ないことですが、嘘を塗り固めたプロパガンダならば、その嘘を暴いて、旧日本軍の名誉と日本国民の誇りを、取り戻さなければなりません。このブログでは、南京入城時の情報や証言を中心に、真実を明らかにしたいと思います。1、南京入城の真実◆松井石根司令官の証言◆南京入城時の撮影映像◆ローマ法王日本軍への協力の呼びかけ◆パール判事の証言(東京裁判)◆蒋介石の告白2
おはようございます。イアノン(IANON)のインディです。今回は、読み終えた本江藤淳著「閉ざされた言語空間」について書きたいと思います。実は、この本を知ったのは水間条項TVチャネルのこちらの動画です。相変わらず、内容は激しいですがこの動画でおススメしていたのがパール判事「日本無罪論」と今回の「閉ざされた言語空間」です。「日本無罪論」も注文済みでもうじき届きます。「閉ざされた言語空間」は江藤氏が9か月間アメリカで行った検閲研究の集大成です
NHKスペシャル《東京裁判》再放送第二次世界大戦の責任は誰なのか?裁判ではほぼ…皆、無実を訴えている。事実に忠実に描いたドラマと、残った実録を交えて作られている。昨年も観た。上の写真右下、インド代表パール判事は、他の代表と違い、全員無罪を主張する。それも又、私には深く心に残った。亡父は17歳から陸軍で満州へ行き、言葉に出来ない恐怖の数年を生き、武器調達帰国で終戦を迎えた。叔父は霞ヶ浦予科練空襲で、昭和20年6月戦死した。特攻隊で飛ぶはずだった、どちらにせよ、生きら
本日は、長崎の原爆の日でした。6日の広島、9日の長崎と原子爆弾の種類を変えて日本人を検体に使った75年前の出来事。人としてのあり方が、根底からおかしい人々の行いでした。植民地政策により東南アジアの人々を搾取してきた人たちが、悪魔の実験をなしたのが「原爆投下」。おろかなことです。肌の色によって人を差別する行い、搾取ばかりして人を人とも思わない。哀れな考えです。東南アジア諸国の独立を促してしまった黄色人種
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/1946年、世界から集まった11人の判事が「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに取り組んだ東京裁判。11人が繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ1946年、世界から集まった11人の判事が「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに取り組んだ「東京裁判」(極東国際軍事裁判)。NHKは世界各地で取材を行い、判事たちの公的・私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。そこから浮かび