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10月3日1年に1度の加治屋里砂子シャンソン教室の少し大きな発表会がありました地元の蒲郡はもちろん豊田知立岡崎豊橋の生徒さんが集まりましたCHANTER祭(シャンテ祭)です私は去年は足の関節と筋肉を傷めたので参加できませんでした今年は約30人ほどの生徒さんが参加しました10年ほど前に私が入った時は40人ほどの方が見えたんですが・・・こちらは蒲郡クラシックホテル高い所にそびえていますいつものように竹島の手前の広い駐車場に車を止めてホテ
快晴です11月に入ったのに半袖的な格好がなんて気持ちがいいのでしょう!!(笑)青空が広がって時折!冷た目の風が心地よくお日様のポカポカは夏のそれとは違う温かさを最中に感じます実はね10月いっぱいで大好きだったお店が閉店しましたラストの日サメちゃんと伊丹くんに付き合ってもらってパパと一緒にお見送りしたのですバルバラさん20年間もの長い間美味しいお料理とお酒を楽しませてもらってありがとうございました😊色んなことが様変わりしていくのは仕方ないけど思い出は心
━━+口先だけで+━━訳詞:矢向亜弓口先でいいの愛を囁いて私は静かにそれを聞くわ優しさの海に私を沈めてそしたら私は素直でいられる口先でいいの私を酔わせて愛のゆりかごで揺られていたいミツバチのように甘い蜜を運んで太陽の下で時を燃やすの小さなヨットを二人の海に浮かべて踊る白い帆を見つめていましょう口先でいいの愛を囁いて時には私が爪を立ててもそんな日もあるといつもの笑顔で優しさの海にまた沈めて小さなヨットを二人の海に浮かべて踊る白い帆を見つめて
この日(10/21)の日本シャンソン館Liveは江口純子さんの弾き語りでした。独特の語り口で進行する「江口ワールド」は、いつも「たおやか」で、「優しい」時間がゆっくりと流れていきます。本日はバルバラの「ゲッティンゲン(Göttingen)」を取り上げてみたいと思います。まずは2021年の《月夜の子猫》の映像から、江口さん自身の語り、そして歌声をどうぞ。ゲッティンゲンGöttingenpf:江口純子21.4.23銀座・月夜の仔猫江口純子ソロライブよりwww.you
本日は、木曜日です。土曜日の午後には、noteで新作をリリースいたします。今回は、石井好子がジャズからシャンソンに転向した謎に迫りたいと思います。石井好子に関する自叙伝、評伝などの書物を研究しているのですが、私にはとても不思議なことがあります。それは、彼女はジャズからシャンソンに転向したのですが、その仕方が私の印象では、「いともあっさりと」という感じなのです。例えば、芦野宏はクラシックからシャンソンに転向する時に、歌い方や歌詞などかなり努力しています。苦悩を乗り越えて
谷村新司は、シャンソンを愛した人でした。いろんなエピソードがあります。谷村新司は、シャンソンが好きだと表明しているかのように、さまざまな形でシャンソンに関わってきました。MichelSardouの"Lamaladied'amour"に日本語詞をつけて「輪舞(ロンド)」というシングルを出しています。また、アルバム名に「黒い鷲」と付けたり(このアルバムに収録されている「黒い鷲」は、バルバラとは全く別の曲です。)、金子由香利とともに「三都物語・再会」というアルバ
本日は、土曜日です。午後には、noteで新作をリリースいたします。皆さまは、付け文(つけぶみ)をご存知ですか?付け文(つけぶみ)とは、ひそかに恋文を送ることです。もちろん、おおっぴらに(公開で)ラブレターを送る人はいないと思うので、どうしても「ひそかに」となるわけですが...シャンソンや日本の歌にも付け文は登場します。今回は、ティノ・ロッシやバルバラの歌について語るだけでなく、フランソワーズ・サガンの小説にも触れようと思っています。そして、日本の方は、由紀さおりの
80年代にパリに住んでいたおかげで、何人かのシャンソンのスターをこの目で見て聴くことができました。バルバラの全盛期をZénithで、ジルベール・ベコーはオランピアで、ダリダはPalaisDesSportsで。アズナヴールは、80年代も良かったですが、90年代は渋みを増して益々盛んな感じでした。でも、その後の来日公演には行きませんでした。どうしてかと言いますと...良いイメージを持ったままでいたかったからです。贅沢者なのかもしれませんが、スターの衰えた姿は見たくないと思
映画『マジカル・ガール』は、白血病を患う娘の夢を叶えようと詰め込まれた父親がえる予測不能の運命を描いた、ブラック・圧倒される異色のノワール・警戒である。歳物語は、白血病で残り命わずかな12の少女アリシアが、大好きな魔法少女ユキコの衣装が欲しいのが始まる。に、ついには犯罪に手を染めてしまう。ルイスの行動は、アリシアの母親であるバルバラや、アリシアの元担であるダミアンの人生をも狂わせてゆく。黒・熱が絶妙この映画の魅力は、なんというもそのブラック・苦痛である。登場人物達、誰もがどこか欠点があ
おはようございます☀歌手のサヨンです🌿昨日はシャンソニエ(シャンソンの会場)のバルバラにて歌わせていただきました。この世には素敵な曲が沢山‼️🇫🇷語でも🇮🇹語でも🇪🇸語でも覚えないと‼️寝てる暇はない!とつくづく思いました😂女性としても歌手としても尊敬できる方々に囲まれて幸せに歌っています。金子睦先生いとうみゆき姉弟子さん合野典子先生千葉美月マダムありがとうございます🩷シャンソンコンサートといってもシャンソン30%カンツォーネ30%その他歌謡曲やクラシックが30%☺️
バルバラの孤独とダリダの孤独の違いについて書きましたところ、末広まきこさんから、以下のようなコメントをいただきましたので、ご紹介します。(末広さんのコメント)イタリア人とフランス人の気質習慣の差が出てますね!!イタリアは、愛して歌って食べて!!これが人生の幸せ。大勢で騒ぐのも大好き(^_-)-☆フランスは、愛は大事だけど個も大事。私はそう見ています。確かに、ダリダがイタリア人家庭で育ち、フランス国籍を取ったのは結婚してからでした。そして
ダリダの晩年(50代)の孤独は、痛々しいものだと言われています。パリを一望できるモンマルトルの広い御殿に人が寄り付かなくなって行ったそうです。ガランとした部屋で何を考えていたのでしょうか?子犬を連れて近所をひとりぼっちで歩く姿が度々目撃されていたそうです。恋人だけではありません。友達も遊びに来なくなりました。一方、バルバラの方は、一人暮らしを若い頃から続けていて、彼女が作った歌にもあるように、鼻を啜りながらついてきて、ベッドにまで入ってくる「孤独」と言う名の相棒の存在を最初は疎ましく
2時間前床に直置きチビルとパセリに会いにきた娘夫婦をとっ捕まえてこうなったアンプもデッキも重過ぎて棚の中には置けない板がたわんでしまうんだもの外は土砂降りボリュームを上げてバルバラを聴いているバルバラの歌声も雨音みたいだよねそれにちょうど今流れてるのがナントに雨が降る出来過ぎ5年前観た映画の1シーンを思い出す『バルバラとフレディの共通点』今日観てきた「バルバラ」近いうちに観たい「ボヘミアン・ラプソディー」あれ?バルバラが死んだ日が11/24フレディ・マーキュリー
薮内彩奈presentsシャンソンとジャズ@赤坂BARBARA(バルバラ)前回『シャンソンとジャズvol.2』薮内彩奈presentsシャンソンとジャズ@赤坂BARBARA(バルバラ)前回『シャンソンとジャズ』薮内彩奈presentsシャンソンとジャズ@赤坂B…ameblo.jpステージの前半に私、後半に彩奈ちゃんという振り分け全く違うレパートリーの中共通していた曲があったので、1ステージ目はその曲『テネシー・ワルツ』で入れ替わり習い始めて3年位(と言ってい
あの後、やっと予定通りにアエロフロートで彼女はイタリアへ帰りました。ホテルの支払いはチェックインの時のデポジットでどうにか相殺できたようです。コレでバルバラのお話はお終い・・・_のはずでしたが、過去mixiより2012年12月10日この年末すごい話が聞こえてきた。弟Mは不動産屋さんをやってるんだけど、そこに例のバルバラを援助しているお祖母さんがやってきて「自分が居なくなったら遺言とか書いても混乱してしまうかもしれないから、今のうちに彼女にマンションを買って
恐れていたことが現実に。。2012年08月12日予定では8月12日以降ならチケットにお金を幾らか足すとエンドースできるという話だったが、KLM手のひら返したかのようにこのチケットは変えられない。オワリ!って、すごい感じ悪い対処の仕方で打ち切られた!仕方ない、どうしても帰りたいのなら、片道新たに買い直すしかない。。。バルバラはもう一刻も早く帰りたいから、チケット買うと言う。Cトリップ、エクスペディア、eドリーム、様々な媒体で探し、一番安かったアエロフロート2
バルバラの1981年のリサイタル(パンタン)のライヴ・レコードの2曲目にRegardeという歌があります。その歌には、バラを手にした男が登場します。誰のことでしょうか?Unhomme,Uneroseàlamain,AouvertlecheminVersunautredemain.ある男、一輪のバラを手にして別の明日への道を開いた誰のことを言っているかと言うと...まず、この歌が1981年5月21日の夜に書かれたことが重要です。その日は
Amazonや書店ではお求めいただけません↑詳しくは画像をクリック↑セミナー情報をいち早く山際恵美子|公式サイト無料メルマガにご登録を!ご訪問ありがとうございますファッション・ディレクターの山際恵美子です40歳以上の似合う服がわからないおしゃれに自信がないでもおしゃれになりたいあなたを応援するために日々のヒントをUPしていきます花屋の店先に並んだなんとブルーの花たち。猛暑を少しでも涼しげにということなのかな。殺人的ともい
カルロス・ベルムト監督によるスペインのスリラー映画。出演はホセ・サクリスタン、バルバラ・レニー、ルイス・ベルメホ。<あらすじ>ルイスの娘アリシアは白血病で余命いくばくもなかった。彼女のノートに大変高価な1点物の魔法少女ユキコのコスプレ衣装が欲しいとの文字を見つけたルイスは本を売り、割のいい仕事を探し求めた。その途中、バルバラが吐いたゲロを頭から浴びてしまい、彼女の家で綺麗にしていると性行為に及んだ。バルバラが精神科医の妻で金持ちだと知ったルイスは彼女に電話をかけて衣装代7000ユーロを
シャンソンで、歌のスタイルによって有名な歌手の原型を探ってみるシリーズ。一回目は、エディット・ピアフでした。さて、バルバラを遡ろうとしたのですが...実は、これがぜんぜん遡れないのです。バルバラは、ステージにデビューしたころは、ブリュッセルで歌っていました。初めは、シャンソン・レアリストのカヴァーから入りました。マリー・デュバやエディット・ピアフを歌っていました。ただ、それは、自らのシャンソンを確立する前の話です。彼女がシンガーソングライターとして自ら作り始めたシャンソン
おはようございます大阪市内は朝から晴れて暑いですお出掛けする時は熱中症・日焼けに注意しましょう。中崎町へかき氷を食べに行った時にランチしたレストランのご紹介ですこちらは東海道本線高架下にあるヨーロッパの街角にある"市場"をイメージした200種類のお酒と100種類のヨーロッパ料理が楽しめる大人の溜まり場"マーケットレストラン"いただいたのは平日限定ランチ豚肩ロースの石窯パン粉焼き〜ジャポネソース美味しそう〜石窯パン粉を付けて焼きあげた豚肩ロースにポテトサラダとグリーンサラダを添え
シャンソン関連の書籍をフランス語で読んでいて、何だこれ?と思うような舞台用語があります。マチネ(matinée)とソワレ(soirée)は、日本でも使うので前から知っていましたが、vedetteaméricaineについては、最初わかりませんでした。vedetteaméricaineは、直訳すると、「アメリカのスター」となります。でも、それでは意味はわかりません。最初、私が勘違いしたのは、YvesMontand(イヴ・モンタン)がマルセイユでデビューした時に、カウボー
薮内彩奈presentsシャンソンとジャズ@赤坂BARBARA(バルバラ)前回『シャンソンとジャズ』薮内彩奈presentsシャンソンとジャズ@赤坂BARBARA(バルバラ)お客さまの引き合わせお店入りして顔合わせた瞬間からまるで昔から親しくしてきている…ameblo.jp楽しくお喋りする感覚でサラサラと曲の解説その内容、なかなか興味深く新曲を歌い切った後の思わず出てくるヤッター、とか、ガッツポーズ(笑)彼女の持つ天性の色々〜こちらの気持ちを明るく軽やかにそして
昨日、このブログは、アクセス数がいつもより200くらい多かったので、何でかな?と思い調べてみたら...2022年2月13日付のAngelinaWismes(アンジェリーナ・ヴィム)についての投稿を皆さんが見たからでした。で、それは、何故かと言うと...昨夜、NHKで「ヨーロッパ街角中継4Kで旅するパリきらめく花の都へ」が生放送され、彼女がセーヌ川の船上でアコーディオンの伴奏で歌ったからでした。NHKの影響力をあらためて認識しました。それはよいのですが、私は、一つ悲し
l'Écluse(レクリューズ)の看板歌手として活動したバルバラ(Barbara)ですが、出演していた有名歌手は、彼女だけではありません。本格デビュー前のジョルジュ・ブラッサンス、「行かないで」を歌う前のジャック・ブレル、「パリカナイユ」を歌う前のカトリーヌ・ソヴァージュ、他にもピア・コロンボ、コラ・ヴォケール、カロリーヌ・クレール、ブリジット・フォンテーヌ、フランセスカ・ソルヴィル、グリプイユ、ギー・ベアールなどがいます。まさに有力な新人の登竜門的なシャンソン小屋だったこと
嘗てLachanteusedeminuit(真夜中の女性歌手)と呼ばれた人がいました。1958年から1964年までl'Écluse(レクリューズ)の看板歌手として活動したBarbara(バルバラ)です。その6年間弱のレキュルーズ時代に、彼女の歌のスタイルとそして名声が確立したと言っても決して過言ではありません。人気に火が付けたのは、同じ左岸にあるカルチェラタンの学生たちでした。彼女の知性溢れる歌詞が人気になったからです。1958年7月12日には、Cabaretduso
鉢植えですが、大き過ぎて車に乗せられませんでした!!一位取れたかも〜〜〜。(欲深ババ)「オマージュ・ア・バルバラ」です。花持ちがとてもいいのです。香りはありませんが、花首がポロリと落ちるまで色褪せず綺麗なままです。まるで椿のような花。
昨日、神戸で「モンマルトルの丘」の特別講座をさせていただきました。ややモンマルトルに偏ってしまったので、バランスをとるわけではありませんが、本日は、サンジェルマン・デ・プレのキャバレーについて書こうと思います。サンジェルマン・デ・プレが脚光を浴びたのは、第二次世界大戦後のことです。教会の近くに新聞の輸送会社ができて、近くの酒場が深夜営業の許可を取り、俄かに人が集まり始めました。サンジェルマン・デ・プレで少年時代を過ごしたジャック・プレヴェールはもちろんのこと、実存主義者のジャ
先週の土曜日(4年ぶりのクラス会があった日)の午後、みなかみ町(猿ヶ京)に向かう途中で日本シャンソン館に行きました。この日のLiveは桜井ハルコさん。そしてピアニストは大美賀彰代さん。本日はこの日のセットリストの中から、バルバラの「リヨン駅(GaredeLyon)」を取り上げてみたいと思います。まずはオリジナル歌唱からどうぞ。GaredeLyon-Barbara-Subtitulada1964LetraymúsicaBarbarawww
高峰秀子著の「巴里ひとりある記」を読んでいます。ノミの市に行くシーンで、私は、バルバラのDrouotを思い出しました。(Drouotは競売会社の名称で、その会社名が「競売」という意味で使われています。)日本では、矢田部道一・訳詞で「貴婦人」というタイトルで歌われています。まずは、バルバラのシャンソンをお聴きください。次に、高峰秀子の旅日記をそのまま引用すると...どこの誰が持っていて、どうしてここへ来たのか。そんなことを考えながらブラリブラリブラつきまし