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昭和30年前後の浅草のストリップ劇場前の写真。背景の劇場から見て、浅草フランス座だろうか。「オール日本ストリップ大会」の看板に貼られた踊り子の写真を食い入るように見つめるお父さんさんと子どもに対して、「あなた、もう行きましょうよ」と引き気味のお母さん。
きゃるる〜ん(๑•̀ㅂ•́)و✧みんな大好きっカズミちゃんでーす今日はカズミちゃんが産まれ育った地埼玉について語っちゃうよ〜★2019年2月『翔んで埼玉』が公開面白いという声は聞いていたが、映画館で見なくてもいいかな、DVDが出るまで待とうかな、と考えていた矢先。実家に帰った際、父母が私に翔んで埼玉を見てきたと話した。普段は映画館までは見に行かない父母が見に行ったのにはきっかけがある。父が、父の従兄弟と久しぶりに会った際、その従兄弟が翔んで埼玉の感想
昭和28年(1953)3月18日~31日まで浅草・公園劇場で上演された「春情バーレスク乳房化粧」(作・演出深井俊彦、振付村田凡二郎)とパークバーレスクショウ「果てしなきデルタの流れ」の絵看板。丁度、今から66年前のこの時期のものだ。出演はヒロセ元美、ヘレン滝、グレース松原ら。コメディアンでは、のちに浅草四郎との漫才で売り出した姿三平も。公園劇場は松竹の経営で、戦前の公園劇場とは違う場所にあった。
手元にある、昭和31年8月の浅草フランス座のパンフ。〈浅草の人気者佐山俊二久々の出演!〉の惹句と共に若き佐山さんの顔写真も載っている。昭和20年代後半に八波むと志との「あらいやだコンビ」で活躍したフランス座に佐山が久々に復帰した時のものだ。コメディアンでは他に谷幹一、石田暎二、東八郎、森八郎など。渥美清は肺病からの復帰前か。文芸部には、進行係として井上ひさしが入った頃だろう。
寅次郎@KY@JourneyCastle次の若林美保さんストリップ劇場出演スケジュールは若林美保さんbloghttps://t.co/SLZjASs0Vi2019年度4/1〜10新宿DX歌舞伎町https://t.co/M6Er0L2nVLTwit…https://t.co/mguFWhmYEd2019年03月17日13:54寅次郎@KY@JourneyCastle若林美保さんストリップ劇場出演スケジュールhttps://t.co/2ubzHhK4xEhttps:
手元にある、昭和24年頃の大阪・千日前の彌生座のP・Bショウのパンフ。P・Bは戦前に大阪で初の常打ちレヴュー劇団として彌生座で結成されたピエル・ボーイズの略で、当初は森川信と岸田一夫が二人座長的な存在だった。一度、解散状態となったが、戦後に岸田一夫の座長で復活し、ストリップを取り入れた公演を行っていた。座員には、岸田の弟子で、昭和30年代前半に浅草四郎との漫才コンビを組んで大阪で活躍した姿三平の名前も。次回公演の予告では〈ストリップ・スプリング・フェスティバル〉と題し、「むっつり助平捕物
若林美保さんストリップ劇場出演スケジュール若林美保さんbloghttp://blog.livedoor.jp/waka_miho/archives/42550117.html2019年度4/1~10新宿DX歌舞伎町http://www.dxk.co.jp/index2.htmlTwitterhttps://twitter.com/DXkabukicho6/11~20未定若林美保さん物販http://blog.livedoor.jp/waka_miho/archi
手元にある、昭和24年12月の新宿セントラル劇場「女體カーニバル」のパンフ。表紙のヒロセ元美は、上海生まれで現地で様々なショーを観てきた経験を生かし、二枚の羽根扇で隠しながら踊るファンダンスの名手として知られた。昭和25年「オール讀物」8月特別号の座談会「荷風先生とストリップ」に出席したほか、坂口安吾も「安吾巷談ストリップ罵倒」の中でヒロセ元美に注目している。
手元にある、昭和20年代半ばの浅草ロック座のパンフ。朝日浮世絵ショウ、佐山俊二や池信一らのロックショウ、女剣劇の筑波澄子劇団の三座合同で、女剣劇ブームをロック座が取り入れた格好。朝日浮世絵ショウの清水田鶴子は、永井荷風が可愛がり、小沢昭一がこよなく愛し惚れた踊り子で、若くして世を去っている。
【静岡県・伊豆の国市】伊豆長岡ViewthispostonInstagram伊豆長岡温泉バスターミナルにて。奥に見える木造建造物は「霧島劇場」、歓楽温泉街に必ずあった類の劇場だった。今は個人宅になっている。#今日の一枚📷#静岡県伊豆の国市#伊豆長岡温泉#バスターミナル#ストリップ劇場#霧島劇場#写真好きな人と繋がりたい佐々張ケン太さん(@sasabarikenta)がシェアした投稿-2019年Mar月13日a
手元にある、東京ピンクベットショウのポスター。当時は、いわゆる〈ドサ回り〉のストリップ一座がそれぞれ適当に「○○ショウ」と一座名を付けていて、とりわけ、「東京○○ショウ」というのが多かった。「性典十二章・可愛い私のオネストジョン」。特別出演メリーローズ。ジョニー川内の楽団ゲースターズ。この力の抜けるようなイラストが好きだな。
手元にある、渋谷百軒店のストリップ劇場「テアトルSS」のパンフ。半券のスタンプの日付によれば、昭和35年(1960)5月のもののようだ。SSグランド・ヌード・フォーリーズ「白と黒の饗宴」全11景。〝饗宴〟の文字がTIMの〝命!〟みたいな踊り子の人文字のイラストになっているのが面白いな。コントに出るコメディアンは、中院我夢(チューインガム)、山本一也、杉太郎。4景のコント「アバンとアプレ」での中院我夢の役名は〝千ズリの玉次〟とな…。
今日は晴れるかと思ったら突然の雨!風!更には突風!春一番かしら?うちの前の畑で、トンネルのビニールが突風で舞い上がり、今酷い事になってます。龍の如く舞い上がってました。🐉🐉🐉河津桜は早咲きの桜満開の桜からパワーをもらいました。そして、春を告げる野菜菜花🌱お隣のおじさんちの畑で菜花がイキイキしてます。次から次へと野菜を作られるのでそろそろ菜花は終わりにするそうです。えーっ!もう終わり?菜花の株が抜かれる前にせっせと収穫🌱収穫🌱菜花はビタミン、ミ
手元にある、昭和30年代後半の渋谷百軒店のストリップ劇場「テアトルSS」のパンフ。ちょうど、この時が2年近く続いた同劇場でのストリップ興行のさよなら公演とのことで、題して「お別れね!マタ開くまで」。上手いねえ。表紙デザインも良い感じ。幕間コントに出演のコメディアンは、のちにギャグ・メッセンジャーズに入る丘さと志と、のちに橋達也とストレートコンビを組む花かおる(ここでは、花カオル)ら。次週の興行から映画館となり、間もなく閉館してしまった。
手元にある、「週刊実話」昭和46年6月21日号での浅草・カジノ座のストリッパーのマリア・マリの死を伝える記事〈〝おもろい夫婦つかの間〟ストリッパーマリア・マリの死〉。十数年にわたってカジノ座のスターとして活躍したマリア・マリが亡くなったことを、彼女の来歴も含めて、2ページの記事で伝えている。〝おもろい夫婦〟とは、この少し前に彼女が同じカジノ座のコメディアンのはな太郎(ここでは、ハナ・太郎)と結婚していたからだ。マリア・マリは12歳の時に宇佐美レヴュー団に入団して本格的にアクロバットを習
手元にある、「週刊漫画ストーリー」昭和39年9月13日号の白黒グラビア特集〈下町を笑わせる小さな男ーー浅草・カジノ座のコメディアン〝太郎ちゃん〟〉。〝太郎ちゃん〟とは、当時、浅草・カジノ座で幕間コントを演じていた、はな太郎(のちにハナ太郎)のことだ。記事では、浅草軽演劇出身の八波むと志、渥美清、長門勇に続いて人気者になるだろうと目されると書かれている。若い頃の唐十郎がこの当時のカジノ座のミトキンとはな太郎のコントに注目し、何度も文章に書いた。しかし、これだけ一部の注目を集めながら、はな
Amazon.co.jp(アマゾン)2019.03.11〜20A級小倉劇場開館37年周記念特別興行#A級小倉#A級小倉劇場A級小倉劇場のタイムスケジュール予想とローカルルール食事酒場紹介https://ameblo.jp/o2zfactory/entry-12363130501.html福岡ゲストハウスリトルアジア小倉
手元にある、昭和20年代後半の浅草・カジノ座のパンフ。演目はカジノヌードフォリー「ピンク・パンティ」である。カジノ座は昭和27年11月に松竹系の中映が大勝館地下に開場した劇場で、コメディアンはミトキン、矢毛目(ヤモメ)がん、はな太郎などが代々在籍。この時期はヤモメがんが出演。唐十郎は、カジノ座のミトキンやはな太郎のことを何度も文章に書き、芝居の台詞にも登場させている。学生時代にカジノ座の幕引きをしていたとの記述もある。
手元にある、浅草・カジノ座の招待券。春画の上半身部分を使ったデザインが良いね。カジノ・フォーリーinトーキョーとあるが、昭和初期のエノケンらのカジノ・フォーリーとの繋がりはない。
手元にある、かつてのストリップ劇場のストリッパーの楽屋に貼られていた支配人から出演者へのお願い(注意事項)の貼り紙。僕的には、6の「従業員との飲食及贈物は避けて下さい」というのがワケアリな匂いがして好きだな。
手元にある、昭和30年前後の浅草座のパンフ。惹句は「トノガタの楽天地」。ストリップ全盛の昭和20年代後半に、松竹系の中映は浅草に、浅草座、美人座、カジノ座という三つの劇場を持ち、アルファベットの頭文字から、〈ABCライン〉と称していた。浅草座は小沢昭一さんがこよなく愛した劇場である。
手元にある、昭和25年8月の新宿セントラル劇場「びっくりストリップ」のパンフ。表紙のカクテルグラスに乗った踊り子のイラストが可愛いな。出演は、伊吹マリ、吾妻京子、ミス池上、黒澤明監督のお気に入りで映画「生きる」にストリッパー役で出演したラサ・サヤなど、ストリップ史に残る顔触れが揃っている。
インスタでやり取りしている方の1人と、オフ会というか一緒にスナップ撮影してきました一番の目標は、この第一劇場入りはしませんが、いつ無くなってしまうかわかりませんし今の内に撮っておきたいなと思い、2人でまずはここへ一度閉鎖してますし、撮れる内に撮っておきませんとねこの昭和な感じがたまりません昔は文字の部分も光っていたようですが、今となっては・・・う~ん。ネオン管が光ってくれてたら、もっとノスタルジックな感じで良かったのになぁと、撮るだけのくせに文句をつけてみたりと、とりあえず第一
ストリップ傑作題名シリーズ。昭和25年8月の日劇小劇場(昭和27年に日劇ミュージックホールに改称)の「濡れたマンボ」の読売新聞の広告。内外タイムスではなく読売新聞というところが良いね。昭和20年代半ばから後半にかけて「マンボ」ほどストリップの題名に多く使われた言葉はないだろう。
手元にある、昭和25年4月の新宿セントラル劇場の「女体ホームラン」のパンフ。表紙のイラストが当時の〈バーレスク〉の雰囲気を偲ばせてくれる。蝶々の形のニプレスみたいなのがオシャレだな。出演は、ヒロセ元美、ミス池上ら。のちに、腰をぐるぐる回してみせる「グラインド」で一世を風靡したジプシー・ローズもGYPSYローズ・マリーの芸名で出ている。