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2018年6月4日(月)自分の入院準備だけではなく息子の泊りがけの遠征試合の準備とそこから帰ってきてからの野球合宿の準備も。旦那に任せては心もとない。男親と女親、やっぱり違うと思う。恒例のリビングに「やるべき事スケジュール表」書き出し貼る。こんな時に入院することになるなんて…でも、延期したら手術が遅れる→放射線治療が遅れる→ホルモン療法が遅れる…合宿中は毎晩、親が洗濯物を取りに行き、新しいものと差し替え、明日の朝の登校の着替えも届けないとイケないそうで…。聞
2018年6月1日(金)ガン告知されて約半年。あっという間に駆け抜けた感じ。(正確には、駆け抜けたくなくも「何者か」にグイグイ背後から押されて…。)リハビリ→形成外科→麻酔科形成外科の女子力低め先生に右腕の「モンドール病」の辛さを訴え、「この腕のまま、シリコン入れ替え手術受けて、悪影響は無いのか?」とか聞くも「…早くシリコンに入れ替えないと放射線治療に進めないですからね。」とスルー。別に私も延期したいわけじゃない、ただ、私の現状を把握しててもらいたいのよ。な
2018年5月29日(火)歯医者、とは言っても3か月毎の虫歯チェック&クリーニング。ヅラがずれないか、うがいで起される度にドキドキ。行くまではドキドキ心配でしたがキャンセルしても元通りになるのなんて待ってたら1年後っ!?ないわぁ~!と覚悟決める。ここらへんから「昼食」食べるのやめました。運動量減ってるのに食べてたからあっという間に48、5キロ…。やばい。
2018年5月27日(日)最後の抗がん剤からだいぶ経ってラストの投与から3週間経てば、そこからは上向くだけ!って勝手に思ってたけど、そうでもない。痺れやむかむかとかは、もうないです。でも、一番肝心な「発毛」が意外と直ぐではなかったし残ってた髪が地味に抜けている。でも、全体的にはハゲなのに微量に残った前髪で「分け目」が出来る私。眉毛や睫毛はあんまり抜けてなかったのでここから地味に抜け出し悲しかった。睫毛は奥二重だからメイクでごまかせた。眉毛は元々、子供のころ
2018年7月5日(木)昨日は2時半予約でしたがどうせ朝食やら、息子のお弁当作りやらで朝起きるんだから今日から朝イチの9時に替えてもらいました。すると、駐車場が混んでる。やはり、時間帯で違うんですね。看護婦さんが言うには「お仕事前に放射線治療される方は8時半に来ます。」とのこと。ほぉ~。この病院の9時は空いていて穴場かなと。9時半からはまた混むそうで波があるのね。前の病院は大学病院だったから、どこも混んでいた。そういった意味では、ここはスムーズ。ほぼ待
2018年7月4日(水)私は、このブログを治療を振り返って書いているのだが今日はちょっと今日の事を書きます。(後で前後、編集していけるかな?)、先日、転院して近所の病院で放射線治療出来ることに。で、血液検査やらレントゲン撮影やらCTをして線書かれたし「皆がネットで言うほど、線多くないし、何より喉元からは見えなそう。」その日の「線事情」なんて嬉しくて、気分を上げるためにネットでインクが移っても良い様に、黒で、でもお洒落なブラウスを買ったのよ。ほら、「
2018年5月20日(日)野球部グラウンドの草刈り。親がしなきゃダメっすか…?そうは思っても「伝統校」色々あるんだ、今の私には「ヅラ」って人質がいるから反抗せず、「長い物には巻かれろ」的な精神で目立たずこなすのみ。「ヅラリハーサル」で着ていく服でヅラに不都合がないかチェック。W襟高だと、ヅラに当たって浮く恐れがあるし。なるべくヅラの上の帽子は「偽物の髪」が最小限で見える様にする。応援帽と違ってつば広帽子だから安心感。リンパ浮腫予防に虫刺されは厳禁、虫刺さ
自分が乳がんになるまでは、乳がんに色んなタイプがあるなんて知らなかった。病理結果で、その後の治療が決まっていくのだが乳房再建を希望する場合それを織り交ぜながら治療も進んでいく。で、シリコンによる乳房再建を選んだ私の場合エクスパンダーが1/29~6/8までの約4か月ちょっと入っていて「エクスパンダーが入っている時は放射線治療は出来ない。」と言われ抗がん剤治療終了から、シリコン入れ替え手術が終わっても傷口の回復を待たねばならず、放射線治療までの「無治療期間」が少しあった。
4/25~5/1547,5キロ→49キロ浮腫みッ!?ただの増量?浮腫みって言ってくれッ!ここんとこ右目が充血することがありでも、これ以上病院は行きたくなく薬局の目薬でしのぐ。5/9~右腕が痺れる。リンパ浮腫なのかと焦ってリンパマッサージ。5/12~右腕を上げると手先までズーンと攣れる、痛くて以前の様に手を使えない、寝るときも右腕を高めにしてないとつらい。手のひらを上に向けるとツーン突っ張る。ネット検索で「モンドール病」(血栓性静脈炎)と判明。乳が
2018年4月25日(水)4回目、これで最後。明日の自分の体調が読めない辛さ。でも誰にも言えない日々。それでも普通に朝が来て、主婦である以上は家事をこなし、一日が終わる。鏡の前には「自分」とは違う「自分」、認めたくないけど、これは現実。「気付いてるのに気付いてないふり」をして生きていた時期。自分で自分が嫌いになりそうで怖かった。終わって別段これといっていつもと変わらず、抗がん剤の部屋を後にする。でも、抗がん剤はこれで最後だ。誰も言ってくれないけどよくやったね。
最近の乳がん治療の傾向として今までは出来るだけ「温存」「と医者側も患者側も思ったようだがシリコンが保険適用になったことで「全摘→再建」が多くなっていると聞く。私は自家組織の移植は傷跡が増えることと手術時間が長いこと、回復に時間がかかることで選ばなかった。楽そうだしとシリコンに決めた。でも、そうは言っても「エクスパンダー(皮膚拡張器)」を入れて皮膚を伸ばす経過で注水し、増量するたびに、胸部が突っ張って、息苦しさ、寝苦しさ、動きづらさは感じていた。そこはあまり詳細は説明はな
2018年4月10日(火)具合が悪い日が続くときびきびと家事もこなせず、精神的にもつらい。先がわからない不安。でも、息子の弁当とご飯作りだけはしようと決めている。これが出来なければ「役立たず」な気がして自分で自分が嫌いになりそう。ネイリストとしてお仕事していた時もあったのでネイル用品やら自分のドレッサーの中のものを大量に処分。もう使わないものを持っていても私には「使う時間」が少なくなったように思えてだから「いつか使うかも…?」の「いつかの範囲」が縮小したよう
4/4~4/2446,8キロ→47,5キロ何で体重を?と思うだろうが最初のうちは私も「病気だし、減ることはあっても増えるなんてないわ。」と思っていた。が、他の方のブログを見ると、皆結構「増量」していく…TC療法は確かに浮腫みやすいと聞いている。でも、休職して明らかに運動量は減っている。倦怠感で寝ていることも多い。「底」が過ぎたころ、食べれる自分に喜んで過食気味になる傾向があるな。この後、控えるは、太るといわれる「ホルモン療法」…。で、乳がんは太ると再発しや
2018年4月4日(水)良いのか悪いのか、だいぶ慣れて怖くはなくなる。血液検査→リハビリ→形成外科(60ml注水)→乳腺外科→抗がん剤という流れ。これは血液検査は、混んでいるし、直ぐに結果が乳腺外科にはいかない(その結果を見て、乳腺外科の先生が、抗がん剤のOKを出す。)でも、エクスパンダーに注水すると、来た時より更に手が上げにくくなりリハビリがしにくくなるだろうという観点から、この流れが最適。抗がん剤前にコンビニで軽食を買う。(気分の悪い人も多いので臭いのきつい
2018年3月28日(水)夜中の3時過ぎに枕元に立つ人影「親父が死んだ。」と旦那前も倒れたことはあったけど今度はもう奇跡は起こらなかった。一日中、畑を耕して3年後の収穫を夢見てブルーベリーの苗をいっぱい植えてたそう。朝方、お母さんがトイレに起きたらもうお父さんは息をしていなかった。苦しんだ様子もなく眠る様に亡くなっていたそう。ガン治療がひと段落したら会いに行こうと思っていたからもう会えないのは辛いけどでも、お父さんらしい最期だなと思った。そうだよね、
2018年3月18日(日)実家の母から突然の電話。「あなたってガン保険に入ってるの?」「…うん、入ってるよッ!」←正確には入ってなかった。「女性疾病特約」だけ…後悔「良かったわ。最近、あなたくらいの年齢の人多いから。」「うん、そうだね!」恐るべし、母親のカン。適当に話を変える。変えながらも上の空になる私。「もう、ガンだから…。今は会えない様な見た目だから…。」口に出したら楽になれるのか…?でも、今はそっとしておいて。見た目が戻った
3/14~4/3初回同様、2日・3日目の朝と昼食後にはデカドロンを飲むように言われている。吐き気・食欲不振・だるさを予防するためのものだ。マーズレンSを併用して胃の粘膜をカバー。1回目より何気にきつい。でも、仕事も休んでるし、せめてきつくても買い物と息子の弁当と家族のご飯だけは作る。味覚障害がでてきて、何か「苦味」を感じる。「にがにが期」は何を食べても後味が苦い。3/24にはほぼ髪も抜けて服につくこともなくなった。私のサイクルは最初3日ほどそうでもなく
2018年3月15日(木)朝、3時ごろ息子が階段を降りる音…。嫌な予感…。昨日の夕方、調子悪いみたいなこと言ってたし…。で、案の定、38℃の高熱。旦那が病院に連れていく。連日、家族の通院に付き合わせてごめん。今度こそ、インフルだそう。何故に母が抗がん剤すると熱を出すのかい。病人の看護をする病人の私。でも、私には「病人の自覚」はないな。コツコツやってくだけだ。熱はあるけど、息子は食欲があるようでこんな時は「母さんの『抗がん剤治療中の冷蔵庫ストック』
2018年3月14日(水)遠いので朝7時に出る。なのにあさイチは「番号札」を取らないとだめらしい。取らなかったためタイムロス。まだまだ、ここでは新参者の私。次に血液検査。混んでる。でも抗がん剤治療の人はちょっと優先的になってる。嬉しいやら…次に形成外科で注水、60ml異常なし。次に乳腺外科。激こみ。いつも飄々としてる私の主治医。私を見て開口一番「あっ!似合うじゃ~ん」…てことはヅラバレしてんのかーいッ!まぁ、だいだい患者のサイクルでわかるんだと
2018年3月12日(月)もう抜けすぎて普通に外は出れなくなったのでウィッグを被る時がきた。だが、購入時より毛量が減ってるので微調整は必要。Sのお店へ行く。Sと言えばやくみつる、何で男がCM?「触るとスルッと抜けて」というと「引っ張っちゃ駄目ですよ!」とか言うけど引っ張ってはいない触るだけでハラハラ抜けてくる。「ドライヤーも冷風で」とか言うけど、それも意味ない抜けるときは抜けるんだから。美容師だから毛母細胞がやられたのね…と思う。もう、自分を信じるしか
毎日、病院から渡された「自己管理のための日記帳」をつける。2/21~3/135日目くらいから倦怠感、体重も46キロ→44,5キロに落ちていく。食べたくないから、というか食べたら気分が悪くなるのでは?という不安から。便秘になるように聞いていたが基本、あった。薬(マグミット錠)もくれてたけどあまり使わなかった。10日過ぎて食欲が戻ったころ、すごく快調になる。だが、苦味を感じる時期だった。1クール目は吐き気も嘔吐もなし。終わってみれば体重は46,5キロに増えていた。
2018年2月24日(土)抗がん剤治療は出血しやすくなるし、抵抗力が弱くなるので基本、歯科はだめらしいが3か月に1回の虫歯チェック・・歯石取り・クリーニング・は欠かしたことないので髪が抜けたら行けなくなるし…と、内緒で行きました。←きっと、これもお勧め出来ません。結果、何もなくその後も髪が抜けてウィッグになっても「髪生えるまで行かないなんて出来ないっ!」と思い気付かれてもいっかっ!と行くことになる。人間は強くなるものだ。
右胸の全摘手術から退院して入院中に全身シャワーは解禁になってたが入浴はまだだったと思う。が、季節は冬。基本、毎日お風呂に浸かりたい私。いや、冷え性で浸からないと足が寒くて寝れない私。胸の傷が湯船のお湯には当たらない様に湯船で正座。あぁ、解凍…暖かい。でも基本血行良くしたらダメなんだろうか…。でも欲望に負ける私。しばらくすると、今度は肩が寒いと猛烈に感じだしお湯に浸したタオルを肩にかける。天国。結局、連日そうやっていて段々、正座がつらくなり何日か経ってなし崩し
2018年2月22日(木)昨晩は「薬なんだけど毒」を入れたと思っているから何度も起きる。起きては水分を取ってトイレに…を繰り返す。胸には40ml入って前より丸くさほど圧迫感はない。旦那が車で来てくれる段取りだったのに「○○(息子)が高熱だして!インフルかもっ!」抗がん剤中は体が弱まっているから感染症になりやすいのよねっ?チーン安全だと思った家に結構きつめなのがいるわけね。はいはい、でも母さんは負けないよ、そんなんには。何年、「母さん」してきたか。
2018年2月21日(水)昨晩は緊張でよく寝れなかった。入院中の抗がん剤の点滴の針刺しはドクターしかダメらしく主治医じゃない若い女医が来た。嫌な予感はしたけど不慣れっぽくて2回も失敗し痛くて「これは神様が『抗がん剤するなっ!実はあなたには必要ないっ!』とか言ってるんじゃない!?」とさえ思えた。3度目でやっと。3度目失敗したら「キィー!もう、今日はしないっ!」って言う気になってたよ。それくらい、私の精神状態ギリギリでした。だって、未知の悪評高いイメ
2018年2月20日(火)正確には明日からの前入り。前回から1週間ぶりの大学病院、2週間1ぶりの入院。入院にも慣れた。また個室希望だったのに4人部屋…。でも貸し切り状態。ならいいか。「もう誰も来ないんですか?」「明日、二人来ます。」「個室空いたら個室でっ!」友達は「私なら、同室の人と交流したりするな~!」とか言うけどほぼ前回、初日も同室の人とは一切の会話なんてなかったし同じ病気じゃなさそうだったし聞けないしねぇ人はいるけどシーンとしてたから旦那も居
私がすることになったのはドセタキセル(商品名:ドセタキセル『サワイ』(T))とシクロホスファミド(商品名:エンドキサン(C))を組み合わせたTC療法早期乳がんに対する代表的な抗がん剤の1つ。これを三週を一区切り(1コース)を4回で、何故かここで同席していた旦那が主治医に「6回した方がいいんじゃないですかっ!?」って、おいっ!やるのは私だっ!つーのっ!主治医も「6回も3回も効果に差はないって出てるけど…やりたいならするっ?」「しねーよっ!」てか私の意見を抜き
初めて大学病院に行った時に私は主治医に私が受けた、今年の会社の乳がん検診の画像を取り寄せてくれるよう頼んだ。「取り寄せてどうするの?」「ただ真実が知りたいだけです。」「高濃度乳房だし写ってないかもしれないと思うけど…。」「でも、自分の目でみたいの。…訴えることはないし、先生を巻き込むとかないから安心して。」と伝えた。程なく私の目の前に届いたものを前に「写ってなかったよ。」と主治医は言ったけどガンと言われた、その部分には私には何かがあるようにも見えてしまう。「しかも二人の人
2018年2月14日(水)先に形成外科の受診。エコーして異常なし。次、リハビリ。左手で右手を引っ張れば上に上がる様になったが右オンリーでは無理。脇の傷が固まって痛い。乳腺外科。病理検査の結果を聞く。硬癌領域:EB組織学的波及度:f,ly1,v0浸潤径:3,0×2,0㎝腫瘍内の乳管内成分:mild乳管内進展:mild切除断端:内側尾側断端2mmNuclearGrade2(核異型2+核分裂2)HistologicalGradeⅡ
2018年2月7日(水)家に戻り、普段の生活に戻る。とは言ってもまだ全然「回復している」とは言えず病院のリクライニングベッドと違いフラットな家のベッドは胸の圧迫感が半端ない。高いところのものは取れない、可動域が減少。洗濯物は干しづらい、ピンチまで届かない…。背伸びしても肩というか腕が固まっている。低い位置で料理とかは出来る、けど硬いものを包丁で切るとかグッと力入れると違和感、なんていうか「胸筋の下にエクスパンダー」だから左とはやっぱ違う動き、マッチョの人が