ブログ記事119件
今夜の洋楽も懐かしソングをメンテナンス。MichelPolnareffの有名な3曲。「愛の願い」「愛の休日」「シェリーに口づけ」。過去記事はこちら。(リンク貼ってます)→「私のお勧めの曲・洋楽編(その79)」ミッシェル・ポルナレフは1944年7月3日生まれ。今日で78歳になられました。フランスのシンガー・ソングライターで1970年代前半の彼はビートルズ、カーペンターズなどと同様に日本で大人気の外国人アーティストでした。特に1971年リリースの「シェリーに口づけ」はオリコンの
今日、7月3日はミッシェル・ポルナレフの誕生日です。(78才)はい、ポルナレフのアルバムはほとんど持っているくらいのファンです。w一般的に知られているのは「シェリーに口づけ」でしょうね。今日は日曜なので「愛の休日」にしようかな?と思ったのですが、日本ではあまり知られていないけど名曲の「フランスへの手紙」にします。「LettreAFrance」MichelPolnareff
ミッシェル.ポルナレフはフランスの、シンガー.ソング.ライターでコンポーザーですミッシェル.ポルナレフは、フレンチ.ポップの代表として、1970年代に世界的な人気を博した、フランスの男性アーティストですが、それ以上にサッカー日本代表フアンならば、ワールド.カップ.フランス大会の、日本代表応援歌として記憶に残っているのではないでしょうかシェリーに口づけですよねとても軽快でノリの良いメロディーでしたねサッカー日本代表サポーター応援団ウルトラスは、あのフランス大会でサッカー日本代表サポーターのマナー
ゆうき芽衣さんが昨日、自身のラジオ番組「DJカーニバル」で、ミシェル・ポルナレフ(MichelPolnareff)の特集をされていました。日本で代表曲だと思われている「シェリーに口づけ」は、実は、カップリング曲(いわゆるB面)だったというエピソードを話されていました。今回は、彼の代表曲、LettreàFrance(フランスへの手紙)のエピソードを書いてみようと思います。お尻を見せたポスターで物議を醸し、事務所スタッフの横領事件で税金滞納の嫌疑をかけられ、ミシェルは
この歳になるとヤバいんですよ。何がって脳ミソが(^^;もうね、ブログ書いていても言葉が出てこない。漢字の読み方が分からない・・・。んで、最近こんなものを始めてみました。アレッ?なんでフランス語?フランスに興味を持ったのは前にも描いたと思いますが小学生の頃、何かでこの方の曲を聴いたのがきっかけだったと思います。何故かウチにルーブル美術館の画集があったのも一因かもしれませんが、この方、ミッシェル・ポルナレフさん、今のお若い方は知らないかなぁ
こんにちは。みなさん、連休はどうお過ごしでしょうか?3年ぶりに規制のないGWですからね。今日、僕がYouTubeに上げたアナログレコードはミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」。1971年に発売されたフレンチポップスの大ヒット曲です。こちらからお聴き下さい。シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ「シェリーに口づけ」。1971年に発売されたフレンチポップスの大ヒット曲。歌っているのはミシェル・ポルナレフ。歌詞は当然フランス語ですが、可愛いんですよね歌詞が・・。岩崎良美や石
るそんべえです。ミッシェル・ポルナレフがフランスでリリースした曲sousquelleétoilesuisjené?フランスでは、ヒットしているのですが、日本ではほとんど知られていないようです。そもそも、タイトルが翻訳されたものも見つからないので、日本では未発表なのでしょう。ポルナレフの曲は、国によってヒットする曲が違うようです。日本で大ヒットした”シェリーに口づけ”などは、あまりフランスでは知られていないようです。この曲をGoogle翻訳で翻訳してみたところ”私
るそんべえです。1972年にリリースされたミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」。この曲は、前年にリリースされた「シェリーに口づけ」を超える日本で大ヒットとなりました。ポルナレフあるあるの話ですが、これもタイトルには、違和感があります。原題は、”Holidays”です。メロディが素晴らしく、休日を楽しむようなイメージが浮かぶかもしれません。しかし、実際の歌詞の内容は、飛行機から見える地面の様子を歌っているだけです。そして、最後のフレーズが、ぞくっとする内容です。その詞とは”飛
るそんべえです。ミッシェル・ポルナレフの曲「渚の思い出」は、フランスで大ヒットしました。実はポルナレフの曲は、シングル盤ではなく、4曲入ったEP版で発売されていました。この曲もEP版で発売されましたが、シングル盤でも発売されたようです。ということで、最後のEP版と最初のシングル盤というわけですね。最初のカモメの声から夏を思わせるいい感じの出だしですよね。夏季3大ヒットの1つとも言われているようです。でも、残念ながらこの曲、ポルナレフが曲を書いたわけではないようです。で、このシ
1969年(日本リリースは1971年)のミッシェル・ポルナレフの大ヒット曲。邦題「シェリーに口づけ」でお馴染みですが、この邦題は大誤訳だそうです。CMやTV番組でよく使われており誰しもが聴いたことがある曲。年配の方だと運動会や校内放送で聞いたなんて人もいるかも。それゆえ本曲は古くから知っていたのですが、ミッシェル・ポルナレフがどんな人なのか長年知らずでした。パソコンを購入した90年代後半に、ようやくミッシェル・ポルナレフを検索・・・中世の音楽家みたいな髪型・・・音楽室
グフタフ・クリムトの接吻という絵画は有名だ。オーストリア人の画家で、ド派手かつ耽美的な作品が多い。ウィーンのベルベデーレ宮殿に併設された19・20世紀美術館で鑑賞できる。ドイツ語で、接吻は、何故か男性名詞となる。ということは、キスは男性が最初に女性にするのが、慣わしだったのだろうか?と余計な妄想をしてしまう。というわけで、週末は、音楽を取り上げます。プライマルという男心の切なさを気怠く歌ったグループ、オリジナルラブの名曲です。曲名はそのものズバリ「接吻」という曲だ。最近、少しゆったり歌っ
昔書いていた「シャンソンのような小説」シリーズを再掲載しています。もとになった歌詞は、後ろにあります。彼女に出逢ったのは、あのパーティの晩だった。一目見た瞬間に「この娘(こ)だ。」と思った。天から落ちて来た稲妻が僕の心臓を打ち抜いくhた、って言ったら、大袈裟だよ、って言われてしまうだろうけど。僕は自分の直観を信じるタイプなので。彼女は、友達の女の子と二人で来ていて、薄い水色に白い花柄のフレアスカートのワンピースを着ていた。連れの彼女が胸元が大きく開いた白いブラウスに黒のタイ
ミッシェル・ポルナレフさんミッシェル・ポルナレフ(MichelPolnareff)出生名:MichelPolnareff1944年7月3日生まれ、77歳。フランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身のポップス・シンガーソングライター、コンポーザー。フランスでは国民的歌手としての人気があり、日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られている。父親はレオ・ポルという変名で、エディット・ピアフやイヴ・モンタンにも曲を書いていたロシア出身の音楽家。ミッシ
1,967年の今日、FM東海(TOKYOFMの前身)で「JETSTREAM」の放送開始。FMの番組の中では最長寿なんだそうですね。自分は田舎にいた頃は聴くことが出来ず、初めて聴いたのは高校を卒業して上京してから。パーソナリティー(確か「機長」と呼んでたかな?)は城達也さんでした。「ではまた明日、午前零時にお会いいたしましょう」素敵な声でしたね…。そして今日7月3日はミッシェル・ポルナレフ氏77歳の誕生日。喜寿。小学生の時に実家で同居していた叔母が聴かせてくれ
遥か前の高校生の時の文化祭の思い出の曲シリーズその3。その1『YMOの「Rydeen」を聴きながらcoffeebreak☕』地域の高校の文化祭が何校かで始まりました。自分の高校生の時の文化祭は、もう遥か彼方のことですね。鮮明に覚えているのは、青春だったからなんでしょうね。文化祭…ameblo.jpその2『ブロンディの「コール・ミー」を聴きながらcoffeebreak☕』遥か前の高校生の時の文化祭の思い出の曲の1曲が、YMOの「Rydeen」でした。『YMOの「Ry
おはようございます。今、お仕事で引き継ぎ中なのですが、帰ってからの疲労度が全然違います。新しい方に電話をとってもらっているのですが、(仕事柄、すっごい内線がかかってくるのです。)それだけでもラクー。改めて、仕事量半端なかったんだなーと思いました。さて、今日のコーデです。トップスurbanhymnsパンツ無印良品シューズRiiiKaネイビーに赤のバレエシューズをプラスしています。昨日の晩御飯ニラともやしと卵の炒め物人参しりしりミニトマトオクラトンデリングご飯
5月15日に中国地方が梅雨入り宣言されて10日余り。その間、雨が降ったのは3日間くらい。毎日降り続いてもうっとうしいし全く降らなくても困るし。ちょうど良い加減と言いましょうか。夫が世話しているメダカが産卵してちっちゃい赤ちゃんメダカが次から次へと生まれています。目を凝らさないとよく見えません。ちっちゃいのが泳いでいるのを見ていると思わず笑顔になります。(画像は親メダカです。)親メダカがえさと間違えて食べてしまうので赤ち
リリース50周年です。フランスの国民的歌手の、ミシェル・ポルナレフの曲で、まず、1969年に、シングルのB面としてリリース。その後、CBSからエピックにレーベルに移籍した最初のシングルとしてリリース。この時はA面で、日本でも、40万枚のヒットとなりました。サビのメロディが特徴的で、リズム感たっぷりなポップスのため、いろんな形でアレンジされ、演奏されています。原題は、「Tout,toutpourmachérie」で、chérieは、フランス語でDarlingの意味で、直訳す
みなさま、おはようございますこの曲、きっとみなさまCMで聴いたことがあるのでは⁉️シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフToutToutPourMaChérie/MichelPolnareffyoutu.be今までにも、複数回、車のCMで使用されました曲名は知っていたのですが、アーティスト名は今回初めて知りましたしかも、このアーティストは、フランスの方ですそして、フランス語の歌なのです。みなさまは、フランスと言えば何が思い浮かびますか美味しいフレンチルーブル美術館
仏では69年に「渚の想い出」のB面に収録されて発表された曲ですがアップ・テンポのロック・ビートにのせて軽快に唄われる明るい曲調が日本で受け71年8月にシングル発売されるとその年の後半に大ヒットとなり彼の日本での代表曲となりました(オリコン・チャート6位)ミッシェル・ポルナレの♪シェリーに口づけをVideo映像と合わせて楽しんでください。
ミッシェル・ポルナロフは1944年7月2日生まれ、フランス・ネラック出身のポップス・シンガーソングライターです。シェリーに口づけ(69年)
くまおちゃんの絵の第2弾!!やっぱりスキャナーで取り込むとダメダメですな。ちょっと前からスマホでインスタグラムをやり始めたんですけど、知らん間に外国の方をフォローしてまして、素敵な画像や動画を観るとついつい何かメッセージをしたくなるんですが、英語なんか学生時代に勉強して以来40年近く全くのご無沙汰で。。。これも何十年も前に買った英会話の本を引っ張りだしてきました。でもインスタってどうしたらフォロワー
今朝はもっくる新城に車に乗って行きました。ロードバイク(自転車)で1時間ぐらいの場所だから、車なら30分かな?と思いましたが、40分ぐらい時間がかかりました。信号待ちが多くて、思ってたよりも時間がかかりました。10/18にもっくる新城でアコーステイックコンサートを開催します。そのために、友達が関係してるアコーステイックコンサートの設営状況を確かめたかったからです。会場に着いたら、知ってる出演者が大勢いました。出演者はどのイベントでも似たような顔ぶれなのかな?俺がコンサー
シェリィの大好きなペットフォレストさんに行ってきましたスタッフのお姉さんはシェリィちゃん❣️と何度も呼んでくださいましたお名前を覚えててくださって大感激ですお姉さんと反対の方を向いていてバタバタしているのは「お姉さんに会えたよ」とパパに報告しているのです。2階に上がります2階に上がりましたシェリィは何をしていると思いますか体重測定をしています。ちょっと減りました。店長さんにお会いしました。お会い出来て嬉しいのと、お名前を呼んでくださって、シ
彌生です…私は高校生になっていました…街にはミシェルポルナレフの「シェリーに口づけ」が溢れていました…私はまだまだ恋なんか無縁でした…小、中の男子は気持ち悪かった…なんか、思春期特有の汚さを感じて、現実の男には興味が無かった…私がひとりっ子だったのも関係あるのかな?私は毎日毎日、学校に着くと階段を駆け上がって屋上に行きあるマンションを探しました毎日の日課でした…そのマンションにはチューリップの財津和夫さんが住んで
ミッシェル・ポルナレフの1972年の名曲、「シェリーに口づけ」(邦題)、約半世紀を経た今でも、十分おしゃれでステキな曲ですねTOUTTOUTPOURMACHERIE-MICHELPOLNAREFFYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beいつ梅雨が明けるのか、見通しの立たない長雨の折柄――爽やかで明るくて、きれいなこの曲は、
4年前の夏の写真大吉姉さんもミントくんも居てくれたのねどこでどう人生を誤ってしまったのか?ミッシェル・ポルナレフと言えば「シェリーに口づけ」が有名だけどこのOniratousouparadis(天国への誘い)は歌詞が好きなんです。私のような愚か者でもどんな動物でも天国に行けるっていう内容の歌詞です。
ミッシェル・ポルナレフ(MichelPolnareff/1944年7月3日~)は、フランスの男性ポップス・シンガーソングライター、コンポーザー。父レイブ・ポルナレフ(LeibPolnareff/1899~1975)はウクライナ南西部オデッサ(旧ロシア)出身のユダヤ系ウクライナ人で1923年に仏に移住。「レオ・ポル」名義でエディット・ピアフやイヴ・モンタン等に楽曲提供していた作曲家で、ジャズ・ピアニストでもあった。母親のシモーヌ・ラーヌはフランス人ダンサーだった。1944年7月
るそんべえです。ちょっと季節外れの曲になってしまいますが、子供のころから歌われている曲の話です。原題は、”ISawMommyKissingSantaClaus”で邦題は、”ママがサンタにキッスをした”です。この曲の詞は、私は子供のころから気になっていました。歌詞の最後が、このフレーズです。”でもそのサンタはパパ”としているんです。私が小学2年生の時、サンタが本当は親だと、先生から教わりました。それまでは、サンタは本当にいると思っていました。生徒の中でも、3分の1くらい