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【訃報】”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳で死去(バトル・ニュース)-Yahoo!ニュース24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、1970年からは日本プロレスで兄のドリー・ファnews.yahoo.co.jp24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、19
昭和のプロレスを語るに必ず出てくるのが、テリーファンク。テキサスブロンコって言われてたね初来日は日本プロレスのリングで猪木さんとシングルで対戦しました。NWA世界ヘビー級チャンピオンにもなり、全日本プロレスでジャンボ鶴田と防衛戦を行なっています。テリーといえば全日本プロレスで行われたオープンタッグでのブッチャー、シーク戦は凄い試合でテリー人気を絶大なものにしました。1983年には一度引退しました。この引退試合は泣きましたね。兄、ドリーとのタッグ、ザ・ファンクスは名タッグだよねしかし
R5年7月30日(日)晴れ=今日はプロレスの日・・=1953年(昭和28年)7月30日、力道山が中心となり日本プロレス協会が発足しました。このことから、7月30日は「プロレス記念日」となっています。昭和57年1月1日発行ビッグレスラーレスラー名鑑です。昭和晩年を彩る大レスラーが紹介されていますが、私が好きなレスラーは昭和40年代に活躍したレスラー。ちょっと時代が新しい気がしますが、この紹介本も、既に約40年も前になるわけで・・。歳をとったという事なのでしょうね。
昔、橿原体育館に来た事があるんですね〜ビックリ!今では考えられないです。なんと、ライフ駐車場にも、女子プロレスが来たんですね〜、そう言えば、猪木さん率いる新日本プロレスも来た様な記憶が。この頃女子プロレスも人気で、ビューティーペアーがいましたね♪話変わりますが、当時凄い人気だった、テキサスブロンコテリーファンク!全日本世界タッグ選手権での、ブッチャー、シーク組との優勝決定戦は今でも忘れられません。腕には今も複数の傷が残ってるみたいですが、ほんとストーリーがあるのか…(^_^;)こんな絵
自分がリアルタイムで見たジャイアント馬場さんのタッグパートナー、まずは…ジャンボ鶴田長くタッグを組んでいたよね1972年、ジャンボが全日本プロレスに入団。馬場さんは1年後の全日本プロレス旗上げ1周年の蔵前国技館で凱旋帰国したばかりのジャンボをタッグパートナーに指名。相手はドリーとテリーのザ・ファンクス。この時、ファンクスはインタータッグのチャンピオンなんだよね3本勝負のこの試合、1ー1の後、時間切れ引き分けになりましたが、馬場さんはジャンボをタッグパートナーとして確信した試合でし
いや、本屋行った瞬間、手に取ってたわ。表示は、テリー•ファンク。ゆでたまご先生のテリーマンではないし、平松伸二先生のテリー•ブロンコでもありません。しかし、アラカン以上の世代の人たちからすれば、超アイドルだったからねえ。今はコロナ禍で、中々集まる事も出来ないけど、プロレス好きなら是非とも勝って、飲み屋であーでもないこーでもないと言いつつ語り合って欲しいね。スタンハンセンやブルーザーブロディなんかはたまに名前が出るかもしれないけど、ジンキニスキーとかドンレオジョナサンとか、まず出ないよ?まして
YouTubeでボブバックランドが70代…という動画を見ました。⬇️若い雰囲気を持ってるボブも、そんな歳になったんだねボブバックランドはファンク道場出身なんですよね。ボブがファンク道場時代に一緒にトレーニングしたのがジャンボ鶴田、スタンハンセン。うわぁ〜若い〜ふと思ったのが、この3人、それぞれタッグは組んだことはあるのだろうか?バックランドは新日本プロレスに来ていたイメージがあるけど初来日は全日本プロレスなんだよねそれぞれの対決はあるけど、タッグは見た記憶がない…ですね。今となっ
いよいよ今年も11月に突入なのですよ、明智くん(;`д´)!!季節はもう晩秋、いや、気分的にはもう冬!そして怒涛の年末モードな今日この頃。やり残した事だらけのそこの男子。今年の問題は今年の内に解決、何事も出来る事はとっとと終えて、余った時間でさらなる成長を積んでいける者だけが年末の、いや明日の勝者!そう自分に言い聞かせて早50年(笑)。出来る人は出来るけど、これが出来ないから気付くと年末になっちゃう訳で、慌てても結局持ち越しモードな年の暮れ!今年こそはと、今の内から計画的に動きまし
ザファンクス(テリーファンク、ドリーファンクJr.)の似顔絵です。2022年178枚目の似顔絵です。2022年6月26日(日)作成
1994年発売50分①ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン②ジャイアント馬場vsブルーザー・ブロディ昭和プロレスは面白く善悪の分かりやすい構図で良い子供の頃見ていたジャイアント馬場はスローなイメージがあったが今見ると結構スピーディーで驚く様々なダイジェストが収録されているスタン・ハンセンが乱入してファンクス兄弟がボコボコにされジャンボ鶴田、ジャイアント馬場が救援する伏線から始まる小学生の頃ファンクス兄弟のテリー・ファンク見てプロレスが好きになったが今見たらコン
我々の世代はプロレスがテレビで普通に放送されていて、男子という事もあり、熱中して視聴しておりました。かと言って街頭テレビの力道山とか、シャープ兄弟とか、豊登とかは我々よりもっと上の世代のお話。我々世代は猪木、馬場が社長という立場で当時の若手が頑張ってる世代とでも申しましょうか。何となくですが、日本人選手の人気が高い猪木率いる新日、人気外国人選手を集めている馬場率いる全日、的イメージが。(鶴田好きのワタクシとして、ちょっと納得いきませんが)で、
テリーファンクは日本で異常過ぎる人気レスラーだった!その異常なまでの人気は1977年の全日本プロレスの世界オープンタッグ選手権の決勝戦でシークの凶器攻撃とブッチャーのフォーク攻撃を耐え抜いて優勝してからだった。しかしオレはそのタッグ戦以前から兄ドリーとのザ・ファンクスの名は知っていて、テリーがジャックブリスコをスモールパッケージホールドで破ってNWAチャンピオンになったと年上の従兄から教えてもらった時から知っていて、チャンピオンとして来日したテリーとジャンボ鶴田のNWA戦をリアルタイムで
先ず最初に、昨日と今日の札幌は、吹けよ風呼べよ吹雪です。わかるかな~わかんね~だろ~な~合掌=============はい本題。やってみたいプロレス技ある?▼2月19日限定!ブログスタンプこのオレにやってみたいプロレス技があるってかい?先ず言っとくが藤波のドラゴンスープレックスも初代タイガーマスクのタイガースープレックスもオレが編み出した技だ!藤波がドラゴンスープレックスを公開する2年前にオレは既にドラゴンスープレックスもタイガース
やってみたいプロレス技ある?それはスピニング・トーホールドです‼︎https://youtu.be/GpUAl8uOUO0ザ・ファンクス(スピニングトーホールド)youtu.beこの技の凄さわかるかなぁ〜わかんねぇだろうなぁ〜笑笑ザ・ファンクスの入場曲その名もズバリ、スピニング・トーホールド無茶苦茶カッコいいですhttps://youtu.be/gkP-AUucjI0【プロレス入場曲AJPWEntranceThemes】TheFunks/SpinningToe-
久しぶりに出勤したけど平日とは思えないぐらいの来館者結局考えてた事ほとんどできずこの曲もいろいろ思い出あるなクリエイション「スピニング・トー・ホールド」1978年リリースされたクリエイションのシングル何と言ってもこの曲はプロレスでお馴染みアメリカのレスラーであるドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクの兄弟タッグザ・ファンクスの入場曲亡き父そして弟がプロレス大好きやったんでこの曲は自然と耳に入って来た1977年にリリースされたクリエイション3枚目のアルバム
1971年12月7日、アントニオ猪木さんの日本プロレス除名に揺れ動く中、札幌中島体育センターでタイトルマッチが行われました。おぉ、タイトルマッチの調印式かな。右からテリー、マードック、ドリー。1人挟んで馬場さん、猪木さん、吉村道明さんだね。行われたタイトルマッチは、インターナショナルタッグ選手権60分3本勝負ジャイアント馬場アントニオ猪木(チャンピオンチーム)vsドリーファンクジュニアテリーファンク(挑戦者チーム)前年にも行われたカードで、その時は2-0で馬場さん、猪木さ
☆今日は、テリ―ファンクの誕生日です。実は、プロレスラ―になることが、夢でした。これは、ガチな話です。だけど、ザファンクスvsブチャ―▪シ―ク戦を見て、ブチャ―の凶器攻撃に心が折れてしまいました。テリ―ファンクをレジェンドにしたのは、兄ドリ―ファンクJr.が、NWA世界ベビー級のタイトルマッチ戦を当日に、体調不良でキャンセルし、代役にテリ―ファンクを指名して、テリ―ファンクが勝ち、史上初の兄弟制覇をした試合でなくて、ブチャ―▪シ―ク戦だと思います。競馬場へ行こう‼️《ケロッピ-☆ミ》
・今日の文章は馬場さん以外、敬称略です。・今日はプロレスネタです。T:釣りPプロレスP:プラモデル1983年テリー・ファンク最初の(笑)引退全日本プロレス/スーパーパワー・シリーズ・・と缶コーヒーのオマケのハンセン。川田が第1試合だったのか・・・覚えてなかったーーー越中がまだ生粋の全日選手だった頃。三沢はタイガーになる前。TPPすっかり縁遠くなってしまった趣味。例えば、アラフィフであれば・・・---問題---(1)間奏中や歌
この日はこちら昼時はいつも駐車場満車の人気店!調べたら、約二年ぶりの訪問のようでした。昼少し前でしたので、カウンターにまだ空きがありました!メニューだす。ここには、好物のこれがあります!半チャンラーメン!やはりこのタッグは最高!ザ・ファンクスのよう!兄のドリー。。。ぢゃなくてラーメン!シンプルな外観歯応えチャーシューもgood!あっさり系でタマランチ会長!かたや弟のテリー。。。ぢゃなくてチャーハン!結構パラパラしてます。うん!美味いね!卓上仕切りは今や必
こんにちは。アーティストメンタルコーチのシャンクス山内です。物心ついた時から、私は祖父の影響でプロレスを見ていました。昭和40年代のプロレス界には伝説のルー・テーズやカール・ゴッチは別格としても「吸血鬼」フレッド・ブラッシー「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ「人間風車」ビル・ロビンソンなど個性派のレスラーが世界で活躍していました。迎え撃つ日本はもちろん馬場と猪木が中心でした。昭和のプロレスは本当
今年も年末の風物詩、世界最強タッグ決定リーグ戦が開幕となった。参加総勢12チーム。譜久村聖・生田衣梨奈組、石田亜佑美・小田さくら組、上國料萌衣・笠原桃奈組、金澤朋子・高木紗友希組らいつもの顔触れに加え、竹内朱莉・橋迫鈴組の義兄弟(孫)タッグや牧野真莉愛・佐々木莉佳子組の越境タッグが話題を集めた。――開幕戦でいきなり事件は起きた。岡村美波・清野桃々姫組v.s.岡村ほまれ・山﨑愛生組の爽やかな激闘の余韻が残る第5試合、新沼希空・浅倉樹々組v.s.小野瑞歩・小野田紗栞組の
こんにちわ。”密の無い猫カフェ”保護猫カフェひとやすみ、今日も21時までのマッタリ営業です。癒しの空間で涼みに来て下さいね。日曜日にやって来たチビチビくん2匹の名前を決めました。最初に謝っておきますが、すみませんまたオヤジが付けましたので、”何それ~”なんていわないでくださいね。それでは発表します。黒猫くんがドリーくん。ドリーといえば・・・わかった方は私ととても気が合う方です。キジトラくんはテリーくんです。先日のブログでもお伝えしましたが2匹
1981年に全日本プロレスで復活したインターナショナルヘビー級王者の決定トーナメントが行われました。おぉ、そうそうたるメンバーだぁ決勝はドリーファンクジュニアとブルーザーブロディの対戦でしたが…ブロディの負傷欠場でチャンピオンはドリーに決定しました。そして初防衛戦の相手をトーナメント出場者からくじ引きで決めることになりました。ブッチャーはくじ引きでハズレ…この後、ブッチャーは新日本プロレスに移籍になるのですが、この時すでに移籍は決まっていたのでしょう。くじ引きの結果、対戦相手は…なん
ドリーさんといえば"ミスター全日本"ともいえる存在。そのため、同番組を放送するテレビ朝日、すなわち新日本マットには一度しか上がったことがなく、今回もドリーさんの試合は1試合だけという変則バージョンとなった。それでも、同じ時代に生きた名レスラーの試合をドリーさんが語るという今回ならではの企画も、オールド・ファンにとっては実に興味深いところ。新日本と全日本という二大メジャー団体のスーパースターたちに繋がりはあったのか!?それぞれどんな感情を抱いていたのか!?ここでしか聞けない興味深い話を
おっさんずランチ#11ランチに向かう車中で運転している早すすりの仁一がおもむろにドリカムの曲をかけた。下品な早すすりとドリカムは対極にあると思っていたから意外だった。ドリカムを聴いて対極にいるはずの早すすりの仁一が、「ドリーって凄かったよな~」と、遠くを見つめるような眼差しで語り始めた。そういえば、早すすりの年代はドリカムドンピシャ世代だ。
スカパー!でプロ野球中継をザッピングしていたら、G+で。1970年、50年前のBI砲!至高の昭和プロレス名勝負列伝シリーズのBI砲編での1コマ。至高の昭和プロレス名勝負列伝~力道山・BI砲伝説の貴重映像一挙公開~日テレジータス日テレがお届けするCSスポーツチャンネル|CS放送日テレジータス日テレがお届けするCSスポーツチャンネル「日テレジータス」公式サイトです。www.ntv.co.jp1970年@東京体育館ジャイアント馬場/アントニオ猪木、日本プロレス奇跡の
「うちのiPhone11はすぐに熱くなって夏は厄介だわ〜」中でなにをやってるんだ?と、心配になるくらい熱くなります。危険領域に達したら強制終了になるんでしょうが、今のところアラートは出てません。★この先、お爺ちゃんの昔話が長々と続くので、最後の桜の写真まで飛ばしちゃって大丈夫です★さて、またしても懐かしビデオから。▼ドラマ「プロハンター」の主題歌。(1981年日本テレビ)私は曲しか知らなかったんですが、ドラマも面白そうです。
1日遅れてしまったが昨日はテリー・ファンクの誕生日だったのだ。派手に引退ツアーをしたのにカムバックした事でとやかく言う人が居る。好きだったからこそだろう。まあ判る気もする。けど50過ぎてムーンサルトにトライしたレスラーなんてテリーぐらいだよ。ワタシャ素直にリスペクトする。何よりプロレスが好きなのだ❗それでいいじゃないか👍