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最近、アメーバブログでは、小林洋一さんの『世界人類が平和でありますように』をとり上げる人が多い。やはり、例のロシアのウクライナ侵攻を、多くの人が多大な関心を持ってその成り行きを注視していて、改めて小林洋一さんのこの歌が注目されているのだろう。小林洋一さんは、これまでに何度かこのブログでも紹介したことのあるシンガーソングライターで、たしか千葉県柏市で不定期にワンマンライヴを行っていた。やはりこのアメーバで自身のブログをお持ちで、まだ「いいね!」機能が無くて「ペタ」機能があったころ、時折私
「GrandFunkRailroad/GreatestHits」・2006年・ベスト01We'reAnAmericanBand02TimeMachine03WalkLikeAMan04SomeKindOfWonderful05Shinin'On06Heartbreaker07Rock&RollSoul08TheLoco-Motion09Footstompin'Music10MeanMistre
るそんべえです。私のバンド活動は、大学に入ってからと言っても過言ではないです。中学時代は、文化祭で1度切りの披露。とはいえ、披露出来るレベルでの演奏ではありませんでした。高校時代は、メンバー探しに苦労し、結局、3年間でバンド結成には至りませんでした。ということで、最初に作ったバンド、ブラックドールが、私の最初のバンドみたいなものです。そして、何より私のオリジナル中心でしたので、本当の意味で私の音楽活動は、大学に入ってからが私のバンド生活の始まりでした。で、すべてオリジナルをやっ
グランド・ファンク・レイルロード「10GREATSONGS」(2011年)というベスト盤になる。グランド・ファンクは、重厚な音であるとばかり思っていたら、結構メロディーも良いことに気づく。1970年代、当時は爆発的人気だったようで、その後、今においては余り広くは聴かれなくなっている?例えばストーンズよりかは、今はだいぶ人気の差がつけられている気がする。当時は、ストーンズと張り合うくらいかそれ以上だったらしいことを、聞いたことがある。ロシアに対しての批判や非難が物凄い。ロシアが全
2年ほど前に手持ちの東芝・オデオン・シングル盤を紹介して以来久々登場することにしたバンドはTheAnimalsですオデオン盤で残るLPは後回しにして東芝以外のシングル&EP盤から紹介しますデッカに移籍したため日本でもキングレコードからに発売に変わりました今回は66年のヒット曲からアニマルズで♪孤独の叫び(UK12位・US34位)とB面の♪アウトキャストをお楽しみくださいA面曲は後にグランド・ファンク・レイルロー
るそんべえです。私がコード進行を意識し出したのは、曲を作り始めたころです。本当に最初のころは、10個くらいしか、コードを弾けなかったので、それを組み合わせて作っていました。なので、キーなどというのも、あまり気にしていませんでした。そのうち、ブルースの典型的なコード進行が分かってきました。AAAADDAAEDAEというパターンを中心に、多少いじったりして考えてみたりもしました。そして、いろいろ知るうちに、鉄板のコード進行があるなということを感じるようになり
ビルボードのNo.1ソングを時系列にご紹介しております。本日は、70年代のUSを代表するハードロック・バンド、グランド・ファンクの2枚目の全米No.1です。1974年5月4日から2週連続の首位でした。曲はジェリー・ゴッフィン&キャロル・キングの作で、62年にリトル・エヴァが歌って全米No.1を獲得しています。(no1s-0115)これをグランド・ファンクが彼らの8枚目のスタジオ・アルバム、"Shinin'On"にてカヴァーしたものでした。プロデューサーのトッド・ラ
2週間にわたってお送りしてきました、15周年を記念してのこの15年の振り返り。ラスト1年8か月までやって参りました。今回が最終回、2020年~今月までを振り返ります。遂に20年代に入って参りました。その20年代は、いきなり新型コロナウィルスに襲われました。外タレの公演も完全にストップしてしまい、ミュージシャン達も自宅で演奏した映像をネットに乗せるという、以前では信じられない世界が到来しました。日本では、3月過ぎてから本格的に感染が拡大しましたので、2月までは、2件ほど、ライヴ
梅雨明け直前の最悪の日となった1971年7月17日.後楽園球場で開催された『KyodoTokyoロックカーニバル#6』のヘッド・ライナーとして出演し,雷鳴轟く暴風豪雨の中でのパフォーマンスが,今や伝説と化しているグランド・ファンク・レイルロード(GrandFunkRailroad:GFR).そんなグランド・ファンク・レイルロード(GrandFunkRailroad:GFR)の当日(7月17日)の初登場曰く付きラジオ放送音源と,翌7月18日大阪球場のオーディエ
7月の大雨思い出すのは…GRANDFUNKRAILROAD「Heartbreaker」ちょうど半世紀前1971年7月17日後楽園球場グランド・ファンク・レイルロード伝説となった豪雨の中の来日公演前座の麻生レミを含め何度もこの日のライブ取り上げてきたけれど先日出勤時の豪雨渋滞する車の中でこの曲思い出してた♪ハートブレイカー彼女を連れていけないハートブレイカーオレを打ち倒す…リアルタイムでは知らなかったライブ後に本で見て知った叩き
ビルボードのNo.1ソングを時系列にご紹介しております。今回はアメリカを代表するハードロック・バンドの登場です。ミシガン育ちのグランド・ファンク、初の全米No.1。1973年9月29日、1週のみのトップでした。69年にグランド・ファンク・レイルロードとしてデビューし、その強烈なサウンドで、一躍人気バンドになりました。アルバムのセールスは好調だったものの、シングル・ヒットには恵まれない時期が続きました。72年のアルバム"Phoenix"から名義をグランド・ファンクと短縮
るそんべえです。グランド・ファンクの6枚目のアルバム「不死鳥」。このアルバムを境に、バンド名をグランド・ファンク・レイルロードから、グランド・ファンクに改名しています。そして、今まで、マーク・ファーナー、ドン・ブリューワー、メル・サッチャーのトリオで頑張っていましたが、サポート・メンバーとして、クレイグ・フロストが参加しています。サポート・メンバーといっていも、全曲演奏しています。そのため、今までのイメージとかなり違ってきているというのが、私の印象です。このアルバム、中学時代の私
GRANDFUNKHITS/GRANDFUNKRAILROADSide-A1.Rock'NRollSoul(MarkFarner)-3:282.We'reanAmericanBand(DonBrewer)-3:233.WalkLikeaMan(MarkFarner/DonBrewer)-3:224.BadTime(MarkFarner)#-2:545.SomeKindofWonderful(JohnElliso
昨日、福岡市内にある中古レコード店「ボーダーライン」行きました。多分十数年ぶりに行ったんじゃないかなぁ・・・会社からはわりと近い場所にあるんですが、行くとなるとそれなりに時間作ってゆっくり見たいですから結局足が遠のいてしまっていました。このお店はとにかくアナログが多くストックされていてアナログ・ファンとしてはいるだけで楽しめる場所なんです。CDも充実していて、お値段もかなり安い設定なのが嬉しいんですよね。昨日は時間もなかったのでアナログをざっと見ただけでしたが、驚いたのがグラ
恒例の洋楽タイトル特集です。今月はタイトルの原題に「Don't、Can't」が入った曲です。リクエストの詳細は最初の記事を参照してください。https://ameblo.jp/oldies-everyday/entry-12617531251.htmlリクエストの受付は終了していますので、コメント欄は閉じています。justinさんの大好きな曲アラン・パーソンズ・プロジェクト-ドント・アンサー・ミーアランとエリック・ウルフソンの作品1984年アルバム『AmmoniaAve
ドン・ブリューワー(DonBrewer/DonaldGeorgeBrewer/1948年9月3日~)は、米国のドラマー、ヴォーカリスト、作曲家。アメリカのロックバンド「グランド・ファンク・レイルロード」のオリジナル・メンバー。1948年9月3日、ドナルド・ジョージ・ブリューワー(以下ドン)はミシガン州フリントで、クララ・アイリーン(旧ウォーターマン)と、ドナルドA.ブリューワーとの間に生まれた。スワーツクリーク高校卒業。ドンは12歳のときに最初のバンド「レッドデビル
グランド・ファンク・レイルロード「SUPERBEST」(1994年)というベスト盤。響く重低音。ぼんっぼんっ、としたベース音。そこからロックの王道、といった印象が、グランド・ファンク・レイルロードには強く結び付けられるのであろうか。私は全然知らないのだが、とにかく何十年も前の、この当時は人気が物凄かったらしい。昨日は…、少しは気晴らしになるのではないかと思い、ああいう内容を書いてしまったら、それが自分の気晴らしになるどころか、段々と本当に腹が立ってきた。ふつふつとした怒り。いかん。そ
久し振りにグランド・ファンク・レイルロードを紹介します71年7月17日後楽園球場での雷鳴鳴り響く豪雨の中の伝説のライヴは行っていませんが69年当時から彼等を聴いていたので忘れられない出来事の一つでした彼等のライヴ・バージョンを始めて聴いたのがこの盤ですグランド・ファンク・レイルロードの♪アー・ユー・レディを聴いてください。
アルバム「EPluribusFunk」(71年11月)からのサード・シングルは72年4月にリリースされていますが全米73位のヒットに止まりましたジャケト裏面が汚れのため読みにくいので・・・グランド・ファンク・レイルロードの♪アップセッターを聴いてください。
76年8月にリリースされたバンドのラスト・アルバム「熱い激突」からのファースト・シングルでプロデュースはフランク・ザッパでした(76年・全米45位)グランド・ファンク・レイルロードの♪キャン・ユー・ドゥー・イットを聴いてください。
今回もアルバム「驚異の暴走列車」(76年1月)収録曲から76年2月にリリースされた♪サリー(全米69位)を紹介しますタイトルとなった「サリー」はその当時マーク・ファーナーの恋人だった女優・歌手のサリー・ケラーマンで彼女のためにファーナーが作曲しています軽快なギターとハーモニカが印象的な曲でしたグランド・ファンク・レイルロードで♪サリーを楽しんでください。
76年1月にリリースされた10枚目のスタジオ・アルバム「驚異の暴走列車」収録曲でアルバムと同時にシングル・リリースされ全米53位のヒットとなりましたグランド・ファンク・レイルロードの♪テイク・ミーを聴いてください。
アルバム「ハード・ロック野郎」(74年12月)からのセカンド・シングルで75年3月にリリースされ全米4位のヒットを記録しましたがこれが最後のTOP10入りシングルになっていますこのアルバムリリース後初のワールド・ツアーに出て75年5月二度目の来日公演を行いましたグランド・ファンク・レイルロードの♪バッド・タイムを聴いてください。
74年12月リリース・アルバム「ハード・ロック野郎」からのファースト・シングルでしたオリジナルはソウル・ブラザーズ・シックス(67年5月・全米91位)だそうですが知らないグループでしたむしろ94年にヒューイ・ルイスとニュースがカバーしておりそちらは聴いていました(全米44位AC7位)グランド・ファンク・レイルロードの♪オー・ワンダフル(全米3位)をMusicVideoと合わせて楽しんでください。
We'reanAmericanBand/GrandFunk今日はアメリカの独立記念日だそうで、なんとなくこのアルバムにしました。グランド・ファンク・レイルロードはアメリカのハードロック・バンドで、ハードロックというスタイルがまだ確立していなかった60年代末にそのスタイルを取り入れていたので日本ではニュー・ロックなんて言われていたようです。彼らを知ったきっかけは、自分がレッド・ツェッペリンにのめり込んでいた高校生の頃に「ツェッペリンを食ってしまった前座バンドがいた」とか、雷雨の中
彼等最大のヒット曲が生まれたアルバム「シャイニン・オン」(74年3月)からのセカンド・シングルでした前作♪ロコモーションはヒット曲のカバーでしたがこの曲はブリューワーとファー・マーの作曲余談ですがアルバムには赤と青のセロファンを貼った3Dメガネが付いていてそれを掛けてアルバムを見るとメンバーが浮き出て見えるようにジャケットが特殊印刷されてましたそれではアルバム・タイトルになった♪シャイニン・オン(74年・全米11位)を聴いてください。
昨日グランド・ファンク・レイルロードでリトル・エヴァの「ロコ・モーション」カバーを紹介しましたが今日はオーストラリア出身(90年英国移住)の美人シンガーカイリー・ミノーグの♪ロコモーション(88年US3位・UK1位・日本1位)を紹介しますこの曲は彼女のデビュー・シングルで母国では87年に7週に亘り1位のヒットをしていましたちなみに日本では88年に「愛が止まらない」がカバーされた(Wink)こともあり可愛いアイドルとして独自
バンド一番のヒット曲となったのがこの♪ロコモーション(74年・全米1位)でしたご存知のようにオリジナルはリトル・エヴァの全米No.1ヒット(62年)でジェリー・ゴフィン&キャロル・キングの作品多くのカバーがありますが紹介のグランド・ファンクとカイリーミノーグ(88年英・米1位)のバージョンがよく知られているでしょう懐かしい当時のLive映像と音の良いRemaster音源と合わせて楽しんでください。
7枚目のアルバム「アメリカン・バンド」(We'reanAmericanBand)(73年7月)からのセカンド・シングルとして同年10月にリリースされ全米19位のヒットを記録していますドン・ブリューワーとマーク・ファーナの作詞・作曲でこの曲もボーカルはドン・ブリューワーアルバムの曲解説と歌詞で紹介しますグランド・ファンク・レイルロードの♪ウォーク・ライク・ア・マンを聴いてください。
73年7月にリリースされた7枚目のアルバム「アメリカン・バンド」(We'reanAmericanBand)からアルバムに先行してリリースされた大ヒット・シングルが今回紹介するこの曲ですアルバムはプロデューサーにトッド・ラングレンを迎え前作「不死鳥」でキーボディストとしてゲスト参加していたクレイグ・フロストが正式にメンバー加入音作りもタイトでシンプルに変化しましたそしてもう一つの変化はこの曲をドン・ブリュ