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詳しいことは忘れたが、高校の『倫理・社会』の授業で『キルケゴール』を分担調査した。いま感じることなんだが、キルケゴールのネイティブランゲージは『デンマーク語』だ。ドイツ語・フランス語由来の思惟・思索ではなく『北欧由来のテイスト』が魅力だったんだろう。著作の日本語訳を中央公論社の『世界の思想』のキルケゴールの巻を主に読み『和辻哲郎の著作』を『副読本』とした。高校時代の『牧歌的思い出』だ。当時『実存主義』がもてはやされていた。今に至る社会の展開のターニングポイントだったとも感じている。二十
1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、DieEuroCity-Zuege-Teil1-1987-1993:EuropaeischeZuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとしま
こんばんは!@Ricoです。本日8月15日は、たくさんの方々がなにかしらの想いを胸に祈りの時間を過ごしたかと思います。。。以前にも「祈り」についてちろっと書いたような気がするけどこういうタイミングだからこその大事なメッセージを🙏祈りは神を変えず、祈るものを変える。※ここで言う「神を変えない」とは「神の行動を変えない」という意味セーレン・キルケゴール(19世紀デンマークの哲学者、宗教思想家1813~1855)セーレン・キェルケゴールの名言セーレン・キェルケゴー
わあああああああああああああわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ色んな語彙が英語と日本語とで頭の中に入ってきて、今朝はキルケゴールしか頭から出てこない—黒澤うに👶3y🆕+認知症介護(リコード法)(@UniKurosawa)July25,2023でもキルケゴールがわからない。調べてみたら「死に至る病とは絶望のことである」って言った人みたい。脳内からの啓示なのか。よし、
甥っ子たちが来た、夕飯を食べて帰って行った。ミッキーさんのかき氷機でかき氷を作って食べた。今日もドラムを1時間ほど練習した。楽しかった。世界の名著シリーズの、キルケゴールの死に至る病の最初のほうを読んだ。
私は今、まさに『絶望』しています。自分という存在における自己が、ただここにあるという実在としたものに成り下がり、本質とした私は消えてなくなり、社会や周りから隔離されたように、虚実のものへと成り下がろうと、心が働きかけているのです。はい。というわけで、キルケゴールの『死に至る病』を久しぶりに読みました。何と言いますか、私は今、というより、小学生の頃から自己に対する絶望があり、それを払拭するために、奉仕活動や自己統制に対する心理学などを学び、精神病理学へ行き着きながら、今に至るわけですが、その実、
賢者の名言池田書店キルケゴール/哲学者
今朝の朝日新聞の一面の記事にショックを受けた人は多いと思う。大学…………今の日本の大学は、とにかくとにかくお金がかかりすぎる‼️これはもう絶対的な真実だ‼️子どもが2人、3人と大学に行くようになったお家はホントにホントに猛烈に大変だ。[私など、1人きりの子どもなのに余裕はない。(笑)]今、政府は少子化対策にいろいろと取り組み始めているようだが、大学教育の現状にまで手を伸ばすのはいつのことになるのだろう?……………………お金の問題から離れるが………
自分自身を愛することを忘れるな。キルケゴール自分を大切に、自分に愛情を注ぎましょうよ!!
死に至る病とは「絶望」のことである。医学的な疾病のことではない。絶望すると「死」ぬということだが、この「死」も医学的な意味での死ではない。1.著者はどんな人?※実存主義についてはまたいずれ父のキリスト教上の罪〜デキさせちゃった婚自身の婚約破棄により絶望していた(?)2.絶望は誰しもが持っている絶望は可能性として全ての人間のうちに潜んでいる。→それが何かの表紙に表出する。つまり、絶望はまったく普遍的なものである。なお、動物は絶望しない。絶望できるのは人間のみ↓そ
「しばらくふたりで黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか」(キルケゴール)「ひと言も話さずに、1泊2日の旅ができたら親友」と思い、学生の頃、友だちに試したことがあった。さすがに無言というわけにはいかなかったが、彼とは今も気軽に会って相談できる。沈黙はやすらぎの代名詞かな
「日本におけるキリスト教⑥運命と摂理」今日、前橋市では気温が34℃を記録しました。将来的に気温はますます上がることを予測する人は多いです。そして、個人的には天皇陛下の影響によって、日本における「普遍的な神の愛と神のあわれみのキリスト教」が異常なくらいに国民に親しまれるようになると推測しています。もし、明治天皇から代々の天皇陛下が心の中ではイエス・キリストを信じていることが事実であり、公になされるとすれば「皇室神道のままのキリスト教」ということしか出来ないと思います。*
ゼーレン・キルケゴール(1813〜1855)と聖書「思想家キルケゴール」今日は、少し難しくなりますが、19世紀のキリスト教思想家であるゼーレン・キルケゴールについて一緒に考えたいと思います。彼はデンマークのコペンハーゲンに生まれ、42歳の生涯を生き、日本の知識人にも甚大な影響を及ぼしました。彼は人間の絶望や苦しみを神との関係において鮮やかに描き出しており、彼の著作を読むと、人生に対する決断を迫られる厳粛な思いに導かれ、背筋がピンとする経験をします。ここでは、キルケゴールの生涯の特徴を
高校時代に哲学を勉強して何になるのと思いませんでしたか。それとか、何で哲学者はやたら難しい言葉で、どうでも良さそうなことをこねくり回すのかなど……。『原理講論』「総序」でも、「我々にあまりにも多くの精神的な重荷を負わせ」「種々様々の懐疑と、数多くの課題とを提起した」と書かれています。人間が歩んできたいま一つの過程は、結果的な現象世界を超越して、原因的な本質世界において、人生の根本問題を解決しようとする道であった。この道を歩んできたこれまでの哲学や宗教が多大の貢献をなしたことは事実である。し
僕の大好きな哲学者の一人にキルケゴールという人がいます。彼が書いた本のタイトル「死に至る病」暗いですね。今の自分にぴったりですね。でも、死に至る病といっても本当の病気のことではありません。キルケゴールはあることが死に至る病に匹敵すると考えました。それは、絶望です。絶望。希望がないと言い換えてもいいかもしれません。つまり、キルケゴールは、絶望は死に至る病と一緒と考えていたんですね。それくらい重大なことなんだと。人生に絶望した人間は死んでいるのと一緒であると。僕はこのことが
人生の目的は、自己実現である。[ブルース・リー(香港の武術家・アクションスター)]人生の目的は、いかに自己実現をして充実した人生を送るか。その(自己)実現の手段が会社であり仕事なんです。[木村政雄(プロデューサー)]種類のいかんを問わず、自己の特技を、何ものにも妨(さまた)げられずに発揮できることこそ究極の幸福である。[ショーペンハウアー(哲学者)]よくある悲しさとは、自分らしく生きることを選ばずに生きていくことだ。けれど、最も悲しいことは、自分ではなく他人の生き方を選んでしまうこと
ヘーゲル・キルケゴール弁証法テーゼ(生活主観)→アンチテーゼ(認めたくない客観、アンサイクロペディアみたいな)→ジンテーゼ(新主観)→実存(今・ここ、ありのまま)
自己現実とは?マスメディア・雑誌・新聞からの情報ではなく自分がどうなのかということである。ノルウェーの森とかわかりやすい。漫画キルケゴール死に至る病でも自分の現実を探求するとある。一番最初村上龍の限りなく透明に近いブルーを読んでしびれたけど、解説がよかった。そこから哲学道が始まった。
キルケゴール論神(良心)に背いた人間は自分を見失い絶望する。まず自分自身から逃げずに自分を受容することが必要だと唱えた。その後あれか、これか選択し、最後に宗教もしくは真理的実存に到達する。ヤスパース論限界状況に直面した人間は挫折し、絶望する。その後超越者との出会いを通じて、自己本質へ回帰する。それから超越者を感じたもの同士の交わりを通じて現実存在(自己と他者は別)となりそれをありのまま受容できる。
「人生になくてはならないものー希望」「希望」は、アンカー(錨)私たちの人生になくてはならないものが希望です。「希望」という言葉で思い出すのは、ギリシャ神話の「パンドラの箱」です。「パンドラ」(ギリシャ語で「すべての贈り物」の意味)の箱が明けられると、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪といったありとあらゆる災いが飛び出してきたが、「希望」(エルピス)だけが、残っていたというものです。実はこの神話には二つの解釈があります。一つは、「希望」は、それが出てくると人々に必ず失望を与え、幻想を振りまくので、災い
新しい文鳥さんは本当に元気です。前の子とは個性が全く違います前の子は赤ちゃんの時は甘えんぼで臆病でずっと手の中に居たけれど、この子はピョンピョンしてます(笑)あと帰宅したらネットで買ったお洋服が届いてました😊やっぱりミニの気分です。明日のメンタルクリニックに着ていこう(笑)幸せって、ただ生きているとか息をしているとか、月が綺麗だとかそんなことだったはずなのに、この社会に居るとそんなこと忘れてしまう。ただ生きているだけでは許されない現代人。法と秩序の代わりに、生命を
「名前」から持って生まれた素質・本質を知ることで頑張ることなくありのままでもっと輝いちゃう✨そんな主婦やママを増やしたい!とブログを書いているゆたかです♪名前がカラダをあわらしているって話じゃなくてってわかってるって!?笑名前にはそのものの本当の姿が表れているそれがとても分かりやすくってビックリした話があるので読んでいただけると嬉しいです昔からよく使われる言葉名は体をあらわすですが
罪とは消極的なものではなく、積極的なものだ。byキルケゴール
こんにちは。書き言葉は一人で静かなので、書き言葉が良い、と私は考えます。新約聖書が良い、と私は考えます。話し言葉はうるさいですし、言った言わないになってしまいます。私事で恐縮ですが、私は、絵本→漫画→本・新聞→新約聖書、と育ってきました。キルケゴールのように、神の前に一人立つ、キリスト教の新約聖書が良い、と私は考えます。それでは、また。
ふと、Facebookを見ていた時に上がってきた記事が、こちら↓↓↓100回以上刷られてきた「百刷本」案内。文庫の2大巨頭、新潮と岩波|ブルータス|BRUTUS.jp名著を知るなら、売り上げ部数よりも刷数を見るのが近道?長年読み継がれてきたということはそれだけ何度も増刷を重ねているということ。「百読本」ならぬ100回以上刷られてきた、「百刷本」案内。brutus.jpこれを見るとね、やはり名著は読み継がれていくものだし、読み継がれるに耐えうるのがまた、名著たる所以なのだな
キルケゴールが心理学者なのか哲学者なのか、というのは読者の受け止め方次第のところがあるでしょうが、最初に読んだ時から気になっていた箇所は、「あれかこれか」の始めの方の一節、とある精神分析家らしき人物についてのアイロニカルとも取れる一節が単純にそうともいえないように読めるところでした。若い頃に精神科病棟建設の理想を語っていた人物が後々自らがそこに入ってゆくこととなった、という逸話のところですが、これは精神科医療という制度の仕組みからいうと、そのまんま、としかいえないところがある一節だという点が引っ
内面悪についてニーチェはルサンチマン(弱者の屈折した復讐の感情)、キルケゴールは自らの良心を呵責するものと内面悪を否定した。しかしこっちの方が深みがある。武田信玄の山本勘助への名言そなたの恨みが深ければ深い程その心が美しいことの証である。そう思わぬか?しかし恨みではこの武田は討てんぞ。山本勘助。失望の中にこそ誠の大望は生じる。そう思わぬか?大望がなければ恨みを晴らしたところで何になる?
キルケゴールが、信仰を中心にしていたなんて。実存を、信仰の下に確立した。当然、その展開として、信仰を除外した実存哲学が始まる。神は死んだ。へと当然の流れと考える。後継と言われるヴィトゲンシュタインも、信仰を中心に据えている。当然、信仰となれば、学問としての普遍妥当性、汎用性が問われてしかるべきだ。キリスト教が生まれる前に既に哲学が存在していたことからも、その必然性は明らかだ。そこのところは一切語っていない。そんなものだ。次。「沈黙の春」