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2018年11月19日記事CaroleLombard様。美しく、素晴らしいコメディエンヌ。日本が敵国の戦争の時に、国の為にキャンペーンをされ、事故で早逝されたのが悲しい・・・どこかで宿題でも出た???みどり、大好きな女優さん、キャロル・ロンバード様。本日アクセス頂いた記事が、ロンバート様記事総動員?これはちょっとした異変?どこかの映像系の学校で、レポートの宿題でも出たのかなあ?だとしたら、うちは参考にならないだろうから・・・
『特急二十世紀TwentiethCentury』1934年AFSPRESENTS:NewlyRestoredTWENTIETHCENTURYTuesNov15,7:30PMStatesideattheParamount-719CongressAveBrandnewrestorationofwhatmaybethebestscrewballcomedyofalltime.CaroleLombardi...youtu.be
本日1月16日のキャロル・ロンバードの没後82周年を記念して、彼女の作品を紹介しています。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)『特急20世紀』(1934)監督・製作ハワード・ホークス撮影ジョセフ・オーガスト共演ジョン・バリモア【あらすじ】ブロードウェイの天才プロデューサー、オスカーは新作『ケンタッキーの心』にまったくの新人女優リリー・ガーランドを起用、舞台は大成功し、二人も結ばれる。だが、オスカーの病的なまでの傲慢さに嫌気をさしたリリーはハリウ
1月16日が命日・忌日の有名人・著名人1710年(宝永6年12月17日)34歳崩御(天然痘)東山天皇陛下第113代天皇霊元天皇第五皇子1914年72歳没(腎臓炎)伊東祐亨さん初代連合艦隊司令長官、第7代軍令部長1917年79歳没(?)ジョージ・デューイさんアメリカ海軍大元帥1942年満33歳没(飛行機墜落事故)キャロル・ロンバードさん女優『生きるべきか死ぬべきか』⇒『キャロル・ロンバード(1908年10月6日生~1942年1月16日没、女優)』19
本日1月16日のキャロル・ロンバードの没後82周年を記念して、彼女の作品を紹介いたします。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)■こちらはヒッチコックの唯一のコメディです。『スミス夫妻』(1941)監督アルフレッド・ヒッチコック撮影ハリー・ストラドリング共演ロバート・モンゴメリー【あらすじ】デビットとアンはごく普通の結婚生活を送っていた。しかしある日、弁護士から手続き不十分により、法的には結婚が認められていないと指摘され……。■ヒッチ
1月16日のキャロル・ロンバードの没後82周年を記念して、彼女の作品を紹介いたします。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)『処女散歩』(1935)Universal監督ウォルター・ラング撮影テッド・テツラフ共演プレストン・フォスター衣裳トラヴィス・バントン【あらすじ】ケイ・コルビーはパーク・アベニューの美女で、ビル・ワズワースとスコット・ミラーという2人の求婚者がいる。スコットはビルの勤める石油会社を買収し、ビルを日本に送り込む。そして自分
1月16日のキャロル・ロンバードの没後82周年を記念して、彼女の作品を紹介いたします。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)■キャロル・ロンバードは、ディートリッヒ、クローデット・コルベール、ミリアム・ホプキンス、ケイ・フランシス、ルイーズ・ブルックス、シルヴィア・シドニー、ドロシー・ラムーアと並ぶ、パラマウントのトップ女優です。※パラマウントは、洒脱なイメージの強い映画会社です。それは、ヨーロッパ出身のディートリッヒやクローデット・コルベールによるものかもしれま
10月6日のキャロル・ロンバードの没後82周年を記念して、彼女の作品を紹介いたします。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)■キャロル・ロンバード/CaroleLombard1908年10月6日インディアナ州フォートウェイン生まれ。7歳の時に両親が離婚し母と共にロサンジェルスへ移住。そこでアラン・ドワン監督と近所付き合いが始まり、1921年映画デビュー。その後、高校と演劇学校に通い、1925年、FOXのカメラ・テストに合格。自動車事故で左頬に傷を作ってしま
ホリデーシーズンということで、Amazonプライムビデオで無料で視聴可能な作品を紹介しています。■こちらは、熱狂的なファンが多いコメディの至高の傑作です。好きな映画ベストを、仮に3本に絞ったときでも、必ずこの1本は入れたいと思っています。Amazon.co.jp:生きるべきか死ぬべきか(字幕版)を観る|PrimeVideo第二次大戦直前のワルシャワが舞台。自らの劇場で「ハムレット」で主役を演じるトゥラ夫妻は、悪化するポーランド情勢を救ためにナチスのスパイ相手に大芝居をうつ
『スミス夫妻』1941年MrandMrsSmithtrailer1941Originaltrailerofthe1941Hitchcockclassicyoutu.be三年間結婚生活を送ってきたスミス夫妻だったが、ある日、その結婚が法的には無効と知ることになる。川を挟んでの行政区が変わり、別の郡に新たに申請し直さねば事実婚が続くとなる。夫は、恋人時代に戻ったようで新鮮と思いその事実を先に知ったが妻には内緒にしている。しかし、別ルートから事実を知った妻は、夫がプロ
キャロル・ロンバードさんキャロル・ロンバード(CaroleLombard)本名:ジェーン・アリス・ピーターズ(JaneAlicePeters)1908年10月6日生まれ、1942年1月16日、満33歳没。アメリカ合衆国インディアナ州出身の女優。1930年代、40年代にコメディ映画で活躍し、"スクリューボール・コメディの女王"と呼ばれた。夫:ウィリアム・パウエル(俳優)(1931年~1933年)クラーク・ゲイブル(俳優)(1939年~1942年)ロサンゼ
2014年12月30記事ルビッチ監督天国寒い日が続いて、むち打ちがずど~んと痛いみどり、へろ~となって、うたた寝をすれば、訳が分からない夢を見たり。そんな本日、「頭に一番に浮かんだ映画を記事にしちゃいましょう」と思って、一番に頭に浮かんだのが、この映画でした。1943年、ErnstLubitsch(エルンスト・ルビッチ)監督の、初のカラー作品、『HeavenCanWait(天国は待ってくれる)』!ああ、明るい気持ちが待っていてくれる!?先に
2015年6月8日記事2021年5月30日再掲ゲーブル様、ハリウッド黄金期の大スターにして、どこか、当時のダンディ男優の方々と、一味違うムードをお持ちの方。こちらまで笑顔になるような、陽気さかな。そして、ふと覗く「素」?も素敵。でも、本当に、ロンバート様とご一緒の時は、いつも、これ以上ないほど、お幸せそうでらっしゃいましたね・・・戦後、日本を恨みも、馬鹿にもせずに、笑顔で来日して下さったこと、嬉しいです。胸騒ぎのまなざし
『BlitheSpirit』デヴィッド・リーン監督作品、ノエル・カワード原作戯曲、イギリスレックス・ハリソン様、コンスタンス・カミングス様、ケイ・ハモンド様、ジョイス・ケアリー様、マーガレット・ラザフォード様他おシャレでウィットに富むカラー・ゴースト映画の元祖巨匠、↑え!?そうなの!?デヴィッド・リーンの傑作コメディ。(タワーレコードオンラインより引用)↑作品『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『ドクトル・ジバ
「生きるべきか死ぬべきか」(1942)ナチス・ドイツへの憤りを笑いで表現したコメディをU-NEXTで観ました。監督はエルンスト・ルビッチ。予告編はコチラ。1939年のポーランド・ワルシャワ。とある人気劇団がナチスドイツを茶化した風刺劇「ゲシュタポ」の稽古中ですが、迫り来るナチスドイツの心証を損ねないようにと政府の意向で公演中止が言い渡されます。演目は「ハムレット」に変更。ハムレット役のヨーゼフ(ジャック・ベニー)とオフェーリア役のマリア(キャロル・ロンバート)は夫婦の関係。
どうも。本当の危機管理とは被害者にならないだけでなく、加害者にもならないように努めることです。だから自分がコロナ感染しないだけでなく、他人をコロナ感染させないためにマスク着用するのです。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『生きるべきか死ぬべきか』です。ナチス占領下のワルシャワから脱出する俳優一座の姿を描く(映画.comより引用)。1942年製作のアメリカ映画で、1989年日本公開作品。監督はエルンスト・ルビッチで、出演はキャロル・ロンバード、ジャック・ベニー、ライオネル・
今日は、キャロル・ロンバードの没後80周年です。(1908年10月6日生誕–1942年1月16日死没)キャロル・ロンバードは、グラマラスという言葉が最初に使われた女優です。1939年に絶頂期を迎えていたクラーク・ゲイブルと再婚。ゲイブルは彼女にベタ惚れだったと言います。1942年、国債公募キャンペーンのために訪れたインディアナポリスからの帰路の途中、母やゲイブルのマネージャーなどと乗った飛行機がラスベガス近郊の山に激突し、帰らぬ人となってしまった。享年33歳。ゲイブルはそのあ
キャロル・ロンバードさんの昔の写真調べてみると・・・キャロル・ロンバード(1908年10月6日–1942年1月16日)は、アメリカ合衆国インディアナ州出身の女優である。1930年代、40年代にコメディ映画で活躍し、"スクリューボール・コメディの女王"と呼ばれた。こんなオーラ半端ない方がコメディの女王とは・・・さすがはアメリカ合衆国ですね(驚)何時もの様にカラー化しました。どんなコメディーやったんやろ???
★ナチス・ヒトラーとユダヤ人シャイロックが対決したら・・?天才ルビッチ監督がヒトラー存命中に作り上げたコメディの世界史的傑作!ビリー・ワイルダー監督の師匠であり、コメディの天才であるルビッチ監督の最高傑作が、初ブルーレイ化します。8月発売らしい。今まで発売されてた版は、日本語字幕が酷かったみたいなので、レビューで様子見して良かったら買いですね。生きるべきか死ぬべきか2Kデジタル修復版[Blu-ray]3,784円Amazon【生きるべきか死ぬべきか】ToBeOrN
シネマヴェーラ渋谷アルフレッド・ヒッチコック監督特集よりリッチ・アンド・ストレンジ製作年:1931年製作:イギリス監督:アルフレッド・ヒッチコック脚本:アルマ・レヴィルヴァル・ヴァレンタイン原作:デイル・コリンズ撮影:ジャック・E・コックス音楽:アドルフ・ハリス出演:ヘンリー・ケンドールジョーン・バリーベティ・アマンパーシー・マーモントエルシー・ランドルフロンドンで庶民生活を送っているフレッド(ヘンリー・ケンドール)とエミリー(ジョーン・バリー)夫妻
心躍らせ、魅了されハワード・ホークス監督作品。(アメリカ)91分キャロル・ロンバード様、ジョン・バリモア様、ウォルター・コノリー様、ロスコー・カンズ様他ハワード・ホークス監督のスクリューボール・コメディ映画、記念すべき一作目。そして、その美貌を買われながら、知的にして、元気すぎるキャラで、パンツスタイルが大好き↓こういう格好をさせるのは大変だったそうな。珍しいキャサリン・ヘップバーン様系女優さん?ヘップバーン様も、ホークス監督「赤ちゃん教
1942年、プレストン・スタージェス監督。原題は、"ThePalmBeachStory"。出演は、クローデット・コルベール、ジョエル・マクリー、メアリー・アスター、ルディ・ヴァリー他。プレストン・スタージェスは脚本も書いている。プレストン・スタージェスはスクリューボール・コメディを作るために、この世に生まれてきた男である。スクリューボールというジャンル全盛の最後の時期ーーそれはハリウッド映画黄金時代の最後の時期と重なるーーにあたる1940年代前半にハリウッド映画の作り手のあいだに際立った
1942年、エルンスト・ルビッチ監督。原題は、”ToBeorNotToBe"。現在では、少なくともまともな映画ファンならば、ルビッチの、ロンバードの、ジャック・ベニーの大傑作だと考えるのだが、当時はナチスの脅威がひしひしと迫る中で、ナチスをこのように茶化すことがまったく理解できなかった。この完璧な作品を見てさえ、笑えないのならば、笑える映画などこの世にはないと思うのだが、それでも笑えなかった時代というのは本当に怖いと思う。この映画、最低でも1年に1回以上のペースで見ているような気が
キャロル・ロンバードがマック・セネット喜劇に「水着美人」として出演している作品がYouTubeにあるのでそれを紹介する。ただし、このころのマック・セネット喜劇はすでに全盛期を過ぎており、多くの優れたスタッフが辞めた後で、作品の質としては残念ながらたいしたことはない。最初の、Run,Girl,Run(1928)は、公開が1928年1月15日であり、ロンバードは、1908年10月6日生まれなので、彼女はこの作品のときは、まだ19歳である。Run,Girl,Run(Part1,
1934年、ウェズリー・ラグレス監督。原題は、”Bolero"。この映画は、もうすでに紹介したんだが、この前は一部しか見なかったので、もう一度全部見直した。トラヴィス・バントンのYouTubeみてたら、この映画のキャロル・ロンバードが出ていたので、全部見たくなったのである。この映画のキャロル・ロンバードは、本当にすばらしい。豪華そのものである。ボレロを踊り終わった後、胸の病気だったジョージ・ラフトが亡くなってしまうというお話もいい。確かに『鶴八鶴次郎』のように、「世界映画史の十本に入れた
1939年、ジョン・クロムウェル監督。原題は、”MadeforEachOther"。主演は、キャロル・ロンバードとジェームズ・スチュワート。原題の"MadeforEachOther"は、「お互いのために(神によって)造られた」という綺麗な英語である。ジョン・クロムウェル監督のこの劇場未公開の作品は楽しみだった。前半は、ちょっと脚本の構成が悪くて失敗していると思うが、それでも随所にいいショットがある。また、この映画が公開して1ヶ月後にはクラーク・ゲーブルと結婚することになるキャロ
1937年、小津安二郎監督。キャロル・ロンバードより生まれは7年遅いが、ロンバードより2歳若い31歳で他界してしまった桑野通子のモダンガール振りがなければ、この映画の魅力はないだろう。キャロル・ロンバードに触れるのならば、桑野通子に触れなければ片手落ちと思って見返したまでである。蓮實重彦の『伯爵夫人』に出てくる「地球儀」には少なくとも二つのものが引用されていることがわかる。一つは、「地球儀」が十九世紀末のものであるということから、正岡子規の『墨汁一滴』の冒頭の二十世紀を迎えたばかりの新年が病
とりあえず、彼の経歴である。ディズニー・アニメができるずっと前の話である。米国においてアニメ映画はもともと、子供向けの娯楽として誕生したのではなかった。初期のアニメは非常に前衛的な作品も多く、またエロティックなものも多かった。産業としてのアニメ映画に注目したのは、そこに新聞以上の可能性があると気付いた漫画家、特に風刺漫画家たちであった。イタリア移民の子供であるラ・カーヴァも、当初は新聞に風刺漫画を書いていたという。カナダのモントリオールで生まれたラウル・バレも画家であり漫画家であった。バレは1
1934年、ハワード・ホークス監督。原題は、”TwentiethCentury"。この作品は、キャロル・ロンバードと、ジョン・バリモアの二人が主演したスクリュー・ボール・コメディであるが、公開は1934年5月3日である。同じ、コロンビアで作られた、フランク・キャプラのスクリュー・ボール・コメディである『或る夜の出来事』の公開は、1934年2月22日でである。つまり、この二つの作品の公開時期は2ヶ月ちょっとしか差がないのである。コロンビアは、このころは、まだ弱小映画会社に過
1936年、グレゴリー・ラ・カーヴァ監督。原題は、”MyManGodfrey"。主演は、キャロル・ロンバード、ウィリアム・パウエル。最初の写真は、映画とは関係ないが、キャロル・ロンバードが犬と写っている写真である。この映画の邦題の中の「襤褸」という漢字、「ぼろ」では変換できるが、「つづれ」でも、「らんり」でも変換できない。DVDは出ていないと書いたが、「ハリウッド・スクリューボール・コメディ傑作選」というDVDボックスに「アイリーンとゴドフリー」というタイトルで存在するようだが、単品売り