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ラ・ヴェルナ山を後にした私達はフィレンツェへと向かいました。深夜のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂実は私の中ではこの旅でフィレンツェ街中での運転が一番の懸念事項でした。実際想像していた以上に大変でして、とにかく道幅が狭い、狭い!!細い道を無理矢理3車線にしていたり、路肩には縦列駐車の車が無数に並んでいます。接触事故をしないかどうかいつもヒヤヒヤしていました。フィレンツェの人って縦列駐車が滅茶苦茶うまいのです。前後にほんの僅かな隙間しか空けないで一体どうやって停めてるんだろうって思い
アッシジから北へ車を走らせて約1時間半、曲がりくねった山道をずーっと上り続けてようやく辿り着ける聖地、ラ・ヴェルナ山。フランチェスコはここをオルランド伯から譲り受け、弟子たちとともに移り住みました。フランチェスコが40日間の断食の後、世界で初めて聖痕(スティグマ)を受けた場所というのが、まさにここです。フランチェスコたちが籠った当時はおそらく何もない岩山だったに違いありませんが、今ではここに教会や修道院が建てられ、聖地として巡礼者たちを迎えいれています。入口にあるフランチェ
フランチェスコの足取りで重要なサンダミアーノ教会、そして本日ご紹介するポルツィウンコラとリヴォトルト。それらがあるのはアッシジの下町です。丘の上の城壁に守られた旧市街と比べて新しい街と言うことになるのですが、鉄道が敷かれた現在、アッシジ駅はこの下町のポルツィウンコラと呼ばれていた場所に作られました。「ポルツィウンコラ」とは「小さな耕地」という意味で、フランチェスコが生きていた当時は森があったそうです。アッシジ駅の近くにあるのがサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂。巨大な教会です。入口↓
サン・ダミアーノ教会へと続く小道にある聖フランチェスコ像後ろに座って一緒に瞑想したくなるような背中です。。フランチェスコは司教の前での父との対決のエピソード後、裕福な生活を捨て清貧の生活を貫いた敬虔なカトリック信者となりました。古い城壁に守られた旧アッシジ市街の恵まれた暮らしを捨て、当時森と平原と田園しかなかったであろうこうした下町で、打ち捨てられた古い教会を修復しながら乞食のような生活を始めたわけです。フランチェスコが最初に修復を始めたのが、このサン・ダミアーノ教会でした。サ
聖フランチェスコ(1181-1226)はイエスと同じように馬小屋で生まれました。母親のピカは長い陣痛に苦しんでいたそうですが、見知らぬ巡礼者が訪れて「その子は馬小屋でなければ生まれません」と告げたそうです。ピカはそれに従いました。その馬小屋は今は教会(というより小さな礼拝堂)として使われ、「ピッコリ―ノ教会」という名前がつけられています。アッシジの中央にあるコムーネ広場からほんの一歩入ったところですが、とてもわかりにくい場所にあります。ピッコリ―ノ教会(聖フランチェスコの生まれた場所
実に6日にもわたって聖リタについてお伝えして参りましたが、実際に私達がカッシアとロッカポレナに滞在したのはほんの一日でした。たくさんの写真をご紹介いたしましたけれど、聖リタをお祀りする建物や彫像、ブロンズ像などは比較的新しいことにお気づきになりましたでしょうか。例えば、ロッカポレナの教会や修道院、祈りの岩山のチャペル、奇跡の庭のブロンズ像…みんな20世紀に入ってからの建築だったり制作だったりするわけです。それはリタが生きた年代こそ古い(1381-1457)のですが、列福(1626)、列聖(
引き続き聖リタの生まれた町、ロッカポレナを探索します。リタは生まれてからずっとこの小さな町ロッカポレナで36年間も暮らしました。その間に彼女が宗教的な教育を受けたと言われる教会が当時のまま残っていました。聖モンタノ教会(中へは入れませんでした)聖モンタノ教会の別棟リタはロッカポレナでの36年間、ここでさまざまなミサやその他各種のお祝い事などをここで行ったと言われています。後に死別する夫パウロ・マンチーニ(PaoloMancini)との結婚式、そしてお葬式。2人の子供達にも
リタが亡くなった500年前と、おそらくほとんど変わらない町、ロッカポレナ。リタの生まれた家がほとんど当時のまま残っていました。石と土でできたごく普通の民家です。早速入ってみましょう!家財道具もが当時のまま↓炊事場↓一番奥の部屋は…↓InquestacameranacqueSantaRitaと書いてあります。cameraという字を見て一瞬この中は撮影禁止なのかなと怯んだのですが、「camer
カッシアでは修道女たちの手作りのお土産物を買って、教会にも寄付金を納めて参りました。その足ですぐに聖リタの生地、ロッカポレナへ車を走らせます。途中、交差点上に巨大な聖リタの像がありました!!(先を急いでいたため、写真撮影はせず。これは拾い画です↓)この巨大聖リタ像はカッシアとロッカポレナを繋ぐ道の交差点の中央に立っています。(イタリアの交差点はほとんどこういったラウンドアバウトと呼ばれる環状交差点になっていて、中央部分はこうした丸いスペースになっています。)左後方に見える町がカッシ
聖リタ教会を見学していると、奥から英語に堪能で親切な修道士の方が出てきてくださって、教会の隣の聖リタの修道院を案内してくれることになりました!聖リタの修道院は聖リタ教会の正面に向かって左側にあります。教会前の通りに沿ってずっと長く続く建物です。修道院入り口修道院の中へは2枚もの大きな扉を開けて入らなければなりませんでした。昔は外界との繋がりを一切断って修行していたようで、外から生活用品などを差し入れるための回転扉なども見せていただきました。当時の様子がそうした設備
山を越え谷を越え、ようやく到着したカッシア。ホテルで朝起きて軽く朝食をとったあとに散策いたしました。カッシアは坂に沿って作られた美しい町ですグーグルマップでまずは位置関係をご覧ください。写真右下に写っているのが我々の泊ったホテル。そのすぐ上のサンフランチェスコ広場を通って聖リタ教会を目指します。サン・フランチェスコ広場から見たサン・フランチェスコ教会町の入り口付近の広場(写真右下)には聖フランチェスコの名前が付けられており、その広場を見下ろすようにサン・フラン
イタリアでの運転事情については予めネットで情報を集めておきました。私は国外で運転をするのが初めてで知らなかったのですが、警察でちょっとした手続きをするだけで簡単に国際運転免許を発行してもらえるのですね。イタリアではZ.T.L.という進入禁止ゾーンがあるということ、駐車場の使い方。それからもちろん左ハンドル右側通行(つまり日本と逆)周りを気にせずにそれぞれ好き勝手な運転をするイタリア人の気質のこと…そしてほとんどの車がマニュアル車なのだそうです。グーグルマップでルートを決め、ス
森先生のお客様お二人がイタリアに旅行を計画中とのことで、ひょんなことから森先生が同行させていただけることになりました。そして「じゃあついでに今和泉もつれてってやるか…」と言うことになり、急遽私もイタリア旅行に同行させていただくことになったのです。で、なぜか…森先生もお客様お二人もものすごくお忙しいので、私が一(いち)から日程を組まさせていただくこととなりました(笑)えー!私の好きなように日程組んでいいの??…と言うことで、出発前の数カ月はウキウキルンルン
完全予約制でのシステムでございます。おひとり、おひとり、向き合いながらその時その時に…メッセージをお伝えしています。言葉はパワー✨気づきは魂の成長✨言葉はフォースでは[力]は発揮できません。魂の心底喜ぶ言葉でパワー✨を充電したい。たくさんのパワー✨を感じ合えたら最高ですね。カーザのスピリットヒーリングチームは…今、必要なヒーリングを✨進化系バランスカット✂️をしている最中に感じても感じなくても確実に流して下さいます。体感は人それぞれ…。ほんとうにありがたいことです。エネル
この石は一言で言うと、「愛と創造性の石」ということができるかと思います。サーペンティンの名前の由来はその模様にあります。その滑らかな表皮が蛇の表皮に似ていることに由来しています。しかしながら、それは見た目だけであって、一般的に言われているように、これがクンダリーニエネルギーの上昇を促すものであるという考え方は間違っています。クンダリーニエネルギーというものも蛇に象徴されて、仙骨の下に眠っているエネルギーといわれています。それがこのサーペンティンによって活性化されるという言説が世間でまか
いつもカーサエンチダージへの写真提出サービスをご愛顧頂き、誠にありがとうございます。今年の2月を最後にカーサへのハーブの供給がストップしておりましたが、奇しくもエンチダージを統括する存在である聖イグナチオ・デ・ロヨラの祝祭日(聖名祝日)である日本時間のつい昨日(2019年7月31日)、ようやく再開したとの情報が入って参りました。思えば27日まで我々も現地にいたわけで…あと4日滞在を伸ばしていればこの感動的な瞬間に立ち会うことができたのに…現地の皆さんと喜びを分かち合うことができ
🐦出店者情報③髪職人のお家🐦髪職人のお家でのクリスタルベッドのご説明です。ブラジルカーザでも体験して来ました。※カーザのエンチダージとは高次の存在達です。実際にエネルギーワークが起こります。ご説明は長文になりますがご理解頂ければ幸いでございます。宜しくお願い申し上げます────────────────────────────────────────クリスタルベッドについて◆◆ヒーリングはどのように行われるのですか?最初にお体のお具合やその日の体調をお伺いします。受け
エンチダージプレナイトも発売再開となりましたことですし、これまで未公開でした後日談を含めまして、カーサの娘に認定された女性(仮称:リサ子さん)の生霊について再びお話したいと思います。当法人を立ち上げるにあたって、数多くの試練が待ち受けていました。中でも生身の人間からの生霊、サイキックアタックの存在には驚きました。試練の始まりはこの方からの生霊でした。法人設立後、最初のツアーが2017年3月末、私は帰国せずにその次のゴールデンウィークのツアーにかけてカーサで滞在いたしました
ただ単にクリスタルショップを開店すればいいのではない、カーサクリスタルの販売代理店ということはすなわちCASA(カーサ)を日本に紹介することでもあるのです。知らず知らずのうちにとてもなく大きな役割を担ってしまった私。だんだんそのことに自覚が沸いて参りました。と、同時に「私でいいのか…?」そういう思いも沸いて参りました。故・ルミさんとのことがあって以来、私は強烈にスピ嫌いだったわけです。その私ががこうしていつの間にかスピを仕事にしてしまうなんて。この仕事、本当に私でいいのでしょうか??
「今和泉さん、すごいニュースです!」森さんが汗をかきながら私の部屋に飛び込んできました。「今スタッフ経由で言われたのだけれど、ジョアンさんが私をカーサクリスタルの正規販売代理店にしたいって!今和泉さん、一緒にやってみます??」驚いたのは無理もありません。私は帰国後にアバジャーニアやクリスタリーナ、それからカーサで買ったクリスタルをまたオークションに出そうと思っていました。オークションのお客さんに喜んでいただくこと、それをとても楽しみにしていたのです。そのために商
カーサツアー第二週の水曜日。私はもう一度セッションラインに並び、「ジョンオブゴッド」に会ってみたくなりました。前の日にお願い事を考えて森さんに翻訳をお願いします。「今度はちゃんとお願い事を聞いてくれるかなあ…」祈りながら、前回と同じようにメインホールでセカンドタイムラインが呼ばれるのを待ちました。いよいよセカンドタイムラインです。2回目とはいえ、やはり緊張します!そしてようやく私の番になりました。今度はちゃんと通訳の方が私のお願い事を読み上げてくれ
カーサクリスタル®︎はほとんどこのクリスタリーナという町から採れたクリスタルだと言われています。私がカーサで飲んでいた「祝福された水」もこの町の湧き水なのだそうです。クリスタルの鉱脈に湧く水…想像しただけで美味しいですよね!クリスタリーナへ行くには、カーサからだと一度首都ブラジリアまで出る必要があります。そこからミナスジェライス州へ向かって高速道路をひた走ります。運転手さんが初めてだったこともあって、朝早く出発したにも関わらず到着は14時ごろでした。クリスタリーナが近くなると、道路の
2016年12月31日の夜、カーサでは年越しパーティーがありました。森さんはこれに参加したかったのですね!見慣れた場所も、全然いつもと違う雰囲気です。準備はゆっくりのんびりと進められ、参加者のみなさんも三々五々集まってこられました。見えにくいですけれど、フルーツが山盛りです!これはメインホールの後ろにある空間。歌や踊りで盛り上がります。ジョアンさん登場で会場はさらに盛り上がります!!カウントダウンが終わり、2017年の幕開けは花火とともに!!2017年はす
※先ほどの記事は森先生の大反対により削除となってしまいました…(T^T)「カーサツアーに参加して⑪-森貴浩のニャンたるかー」は欠番となっております。。ダメでしょ、ダメダメ!!今日は…アバジャーニアでは会話の内容もみんなエンチダージに筒抜け…というお話です。ある時、ポウザウダで食卓を囲みながら結婚の話になりました。私はかつて離婚を経験したという話と、もう結婚はしたくないんだという話をしたと思います。「どうしてもう結婚しないの?今付き合ってる人はいないの?」という
カーサで毎日滝へ通いながら、私はあることに気がつきました。行き帰りの道中必ず「雷」が鳴るのです。ブラジルはサバンナ気候。このときは12月ですから、日本では夏にあたる「雨期」です。いつ雷が鳴ってもおかしくはない季節なのですが、不思議なことに雲ひとつない青空でも、私が滝へ行くとどこからともなくゴロゴロと聞こえてくるのです。アバジャーニアで起こること、それは全てエンチダージからのメッセージだと言います。「これは私の怒りを指摘されているの??」森さんは少し間をおいて「そ
ピレノポリスという町のサンタマリアという滝滝壺の深さは20メートルを超えるそうです!!森さんはツアーの出発数日前にリキャリブレーションを受けたばかりでしたので、ヒーリングエネルギーを受けることを禁止されていた期間だったのだそうです。今思えば「なぜそんなときにカーサツアー開催したの??勿体無いなあ…」と疑問だらけなのですが、とにかく森さんはカレントルームでの瞑想もしないし、滝へ行っても自分は決して入ろうとはしないのでした。それにつられて私もほとんどカレントでの瞑想はしませんでした
SOPAとは「スープ」の意味です午前のセッションを終えた直後は、カーサの敷地の一番奥にある「スープキッチン」でスープをいただきます。昨日私たちが野菜の皮をむいたのはこのスープを作るためでした。スープはほとんど味がなく、ドロドロに煮込んだ野菜とパスタでできた簡単なものです。皿を受け取る時にそばにあるフランスパンの切れ端を一緒にいただきます。配膳の場所このスープにはエンチダージによってエネルギーが処方されています。このスープをいただくことは、お願い事に対してエンチダージからの治療の
いよいよ水曜日。初セッションの日。私は朝早く起きて部屋でヨガをやって目を覚ましました。時差ボケで昨日の夜は早くに眠ってしまい、朝の3時や4時半には目が覚めてしまうのです。ツアーメンバーは私のほかに車椅子のご病気の方、それからその人を介護するために付き添いで来られたお父様。しかもこの親子は初めてのカーサ滞在ではないため、必然的に森さんは私の専属ガイド状態でした。カーサで「セッションを受ける」とは、ずばり、「ジョアンさんに面会すること」を言います。しかしセッションではジョアンさ
ゴイアス州アバジャーニアに到着したのは現地時間月曜日の深夜のことでした。それぞれ2週間滞在する部屋を決めて、その日はさっさと就寝しました。そして翌日…清々しい朝。ポウザウダ周辺では野ニワトリ達が朝の雄叫びをあげていました。私たちの泊まったポウザウダ(現在は残念なことに営業許可取り消しとなっております)火曜日の朝はスープボランティアといって、水曜日以降の午前のセッション後に参加者全員に配られるスープのための具材の準備をします。このスープにはエンチダージのエ
オークションで旅立っていったコレクションリチウムクォーツ、ラリマー、シトリン、ブルーコーラル、グリーントルマリン、インディゴトルマリンオークションを始めたとはいえ、収入はそれほどあてにしていませんでした。高額な商品も出品していたのですが、それはほとんど話題作り、検索ワード対策、ブースのディスプレイ用…と割り切っていました。予想通り、最初は1万円以下の安価な商品しか売れませんでした。売れるのは小さなタンブルやビーズばかり(笑)それでもお客様が小さな石に夢を託され、想像力を