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高井のつぶやきみずみずしかった私の身体は、いつの間にか枯れてまいりました。葉(毛)は落ち、枝(手足)は細り、根(内臓)はあちこち傷み、容貌は枯れ木のようです。しかし、ありがたいことに心(魂)には蕾が一つ、生き生きと今や咲かんと存在しています。この蕾が、たとえ小さくても開花するまで枯れ木のまま生き続けます。倒木するのが定めで在っても、ここまで生きて来れたのは、数え切れない命のふりかえのお蔭様在ってのことです!広島・長崎の原爆は無論のこと、私が暮らす東京は東京大空襲を受け
高井のつぶやきシャボン玉とんだやねまでとんだやねまでとんでこわれてきえたシャボン玉きえたとばずにきえたうまれてすぐにこわれてきえた風風吹くなシャボン玉飛ばそ……あと僅かとなった8月にこの歌を口ずさむと、涙が自然と流れます。日本にとって8月は300万人以上が命を落とした太平洋戦争が終結し、大きな混乱期を迎えた、忘れようにも忘れられない月であります。ロシア・ウクライナ戦争を期に、多くの人が平和を声高に叫んでも、人類から争いが無くなるこ
高井のつぶやき詩人ハイネが「偉大なる精神は偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するが如く」と言っております。確かに、偉大な方や教えから磨かれた精神も有るでしょう。しかし、それはあくまで影響されたものであり、自分自身の本質ではない、むしろ真似事の似非(エセ)精神と思わざるを得ません。例えば病。医学科学の発展により、体に問題が起きると医療に駆け込み、病名をつけてもらい治療を受けます。しかし
高井のつぶやき第7波とも言われるコロナの渦中、日本列島は猛暑・豪雨に翻弄されています。経済優先で以前のような規制はなくとも、この熱波の中でもほとんどの方はマスクをしています。慣れたとはいえ、凄いことです。エアコンが無かった昔の方たちは、どんな工夫をして凌いでいたのでしょう?随分ご苦労が有ったろうと思います。そのようなご先祖の苦悩が便利な現代に繋がっているのですから、感謝の心を魂に刻むことは、人間としてとても重要なことですね。文頭に日本列島と書きましたが、この気象異常は
高井のつぶやき映画『ライムライト』「生きることは美しく素晴らしいことだ。たとえクラゲであってもね」このチャップリンのセリフから生まれた名言『クラゲにだって生き甲斐はある』クラゲが出現したのは5億年前と言われています。大きな進化はなくとも、個々短い生涯を閉じながら、営々と命を紡いでいます。人類はどうかと言えば気象やウィルス、貧富や孤独などの環境に大きく左右され、生きることの意味や生き甲斐を探して悩み苦しんでいます。比較の対象ではないのでしょうが、本来は「生きていること」自
高井でございます。私は結婚して40年を迎えます。心理学・生理学的に見た男女の特徴や違いは、随分解明されているようですが、これほど長い時間を一緒に過ごしていても、妻はとても不思議な存在です。私だけでなく妻もまた然り、でしょう。さだまさしさんの歌に『足元のぬかるみを気にする君(女性)と遠い明日しか見えない僕(男性)と』と言う詩が有りますが、感情を主として生きる女性と、理論的意味を主として生きる男性は、最も近いようで最も遠い存在のような気がします。そうであっても互いに「必
地球は太陽(恒星)の周りを回る惑星です。ではなぜ、惑う星と呼ばれるのかご存じでしょうか?惑星の軌道は一定ではない楕円を描き、まるで惑っているようだから、だそうです。それは人間の生き方に重なるものが有ります。今日の友は明日の敵、楽在れば苦在り。気象異常・コロナのような新たなウィルスやバクテリア等の存在など、感情は常に惑いつつ、晴れのち曇りのち雨のち雪と様々な気分に毎日左右され暮らしています。ただ、その惑いの幅は様々で、忍び耐え利他を大儀とする一生もあれば、狭量に生き不幸
高井のつぶやき異常気象の文字が、テレビ・新聞・ネットで毎日のように見かけられます。人間始め、地球上の生物にとっては生死に関わる異常現象では在りますが、宇宙的にみたら日常茶飯事なのでしょうね。星の消滅・星の誕生・何万という隕石が飛び交う宇宙空間といった、人間の科学など及びもつかない出来事だらけの大宇宙。その中で地球は守られているといって良いほど、今のところ存在を許されています。とは言え、地震・火山・大山火事・新生ウィルスの脅威など、地球を住まいとしている私達にとっては不
高井でございます。「徳」をお持ちの方は、周りを安らかで穏やかな気持ちにさせて下さいます。たくさんの苦しみ悲しみに身を於いても、人を恨まず耐えに耐え、赦しに赦し、愛一筋に生き抜いて、乗り越えてきた結果なのでしょう。唯々頭が下がります。中にはご苦労や人助けに人生を賭けた「ご先祖様の徳」を引き継いでいる方もおられるでしょうが、それもまた「徳」あるが故。さて、徳を持たない私は如何すれば良いのか?以前は拗ねたりヤケになって、人様に迷惑をお掛けしたことも多
高井でございます。昭和47年、20代だった私はラジオ番組「誰かとどこかで」をよく聴いていました。それは今は亡き永六輔さんが、視聴者の投稿したはがきを紹介する番組でした。後に、応募されたはがきの中から抜粋して本が発刊され、私の拙い文も載せて頂きました。本のタイトルは「七円の唄」現在、はがきの値段は63円ですが、当時はわずか7円だったのです。『ガッタンゴットン電車の中は満員なのに空っぽみたいおしあいへしあいしてるのにすき間がいっぱいあるみたいみなさんおしゃべりしま
高でございます。地球の人口は約80億人。その中には善人も悪人も、馬鹿正直もチョイ悪もいるでしょう。対して人間の細胞数は60兆説や37兆説、どちらの説でもその数は膨大ですから、悪い細胞も相当数持っていながら、我々は日々暮らしていると思われます。にもかかわらず地球上最強の生き物として人類が生き抜いているのは、目覚ましい科学の進歩と、我々一人一人が持つ免疫細胞と呼ばれる守護善細胞が、大活躍をしてくれているからでしょう。医療も経済によって大きく変化してきました。しかし、患者の心に
高井でございます。人生の道には迷いが付きものです。とは言え、私など迷い道だけを歩いてきた気がします。しかし何十年を生かされ、やっと気付きました。迷い道だと思った道こそ、私に与えられた運命の道なのではないかと…暗闇の迷い道が、どれだけ私を霊的にも成長させ、人の痛みを身を以て知ることが出来たことか!一瞬の思い上がりが真逆(まさか)の荒れた坂道を歩かされ、成功しても次は失敗が待ち受け、その失敗が積み重なった先に陽が射すことも解らせて頂きました。如何に苦しくとも、歩ま
高井でございます。未来は、まだ来ぬものと、過去は、過ぎ去り還らぬものとして、乖離したもののようですが、年を重ね、様々な経験から今の私は、随分思考が変わって参りました。未来と過去は、「1」の根幹、言い方を変えれば、未来在りて過去在り、過去在りて未来在り、乖離どころか一体化された同時間の存在だと思うようになりました。知り合いには、また難しいこと言い始まった(--;)と、溜息の空気に包まれそうです。でも、今日が明日の過去だとしたら、未来こそ過去を産み、過去こそが未来
高井でございます。思うようにいかない、差別される、馬鹿にされる、納得できない命令を受ける、大切な人を亡くす等々、悔しい思いは何度も経験しました。同様にどんなに望んでも叶わず、諦めることも多々ありました。世界では信じられないような不合理で残酷な、いわゆる倫理観など欠片もない出来事が、今この瞬間も行われています。被害者になっても加害者であっても、輪廻の運命と言ってしまえば、それまでのことなのですが・・・私の師は、いつでも愛のある『方便』を使って
高井でございます。動物は母体とへその緒だけで結ばれ、真っ裸で生まれてきます。記憶はなくとも、あなたも。そして私も。「死ぬ時にパンツ一丁履いていたら勝ちやないか!」と言っていたのは明石家さんまさんです。年を重ねて出逢う人より別れる人が多くなりましたが、「死」という概念が私にはなく、人生は魂を以て「何処かより生まれ、何処かへ還る」と思っています。1985年、520人もの犠牲者を出した日本航空123便墜落事故。明石家さんまさんは搭乗予定でしたが、収録が早く終わり123便を
高井でございます。呑気と見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする夏目漱石ウクライナの人々には言うまでも無く、ロシアの兵士達にも、もしかしたら・・・いや願わくばプーチン氏にも、心の底に悲しい音が鳴り響いている。そう思いたいですね。人が生きるということは、この心の音を響かせて、運命を友とするか敵とするか日々迷いながら、決断しながら
高井でございます。「ひもじさと寒さと恋と比べれば恥ずかしながらひもじさが先」この程度のひもじさならば、落語や狂歌で笑い話にできます。「ひもじさに人の情けを知るも在り人の冷たさ涙するも在り」こうなると、このひもじさに胸が締め付けられます。「ひもじい」とは、お腹が空いている状態のことですが、「心のひもじさ」となると、全く別の意味を表します。・心が満たされず失望や失意、不遇な状態になり辛い心境・頼るものがなく、孤独で心が空白な状態など、命の空虚さの有り様に
高井でございます。北へ向かって行った桜前線。今日もたくさんの人々に笑顔を与えてくれているのでしょう。毎年のことですが桜の盛りの今頃は、暖気と寒気と強い雨風に見舞われ、まるで人生そのものです。桜の花は毎年咲きますが、去年の桜と今年の桜は、姿形は同じでも同じ桜花ではありません。散った花弁は長い時間をかけて幹・土壌の新たな新芽の肥やしとなって、桜心のみを紡いでくれています。日本の国花である桜の中でも「ソメイヨシノ(染井吉野)」は、日本に咲く桜の約80%を占めるほど、身近かつ有名
高井でございます。戦地ウクライナ。一人の女性が泣きながらインタビューに答えています。「この戦争で子供をひとり亡くしました。でも生き延びた子供達(兄弟)に恨みを残したくない。それが新たな争いを引き起こすから…戦いが終結したら赦し合って笑顔で暮らしたい」子供を失った原因の、戦争・兵士・相手国を赦す理由。「恨みを残したくないから」「新たな争いを引き起こしたくないから」この母親の悲しみ・願い・子供への深い愛情が伝わり、胸が痛みます。日本は過去を教訓に、長く平和な時代を過ご
生きて生きて、生き抜いて下さった我が恩師が、いみじくも「桜の日」に還って逝かれました。享年86才。縁ある方々の苦しみを愚痴一つ言わず身に引き受けて、静かに息を引き取られました。「決して泣くな!笑って見送れ」生前の約束でしたので、涙は心で飲み込みました。様々な学びと実践を教えてくださいました。徳の無い私でしたのに、諦めること無く寛厳自在に接し、愛して下さった方でありました。感謝の気持ちを「仰げば尊し」の詩に変え、ご冥福を祈ります。仰げば尊し我が師の
高井でございます。ロシア・ウクライナ間の欲得争いを見ると、人間が人間たる条件とはいったい何なのだろうと考えてしまいます。私は常々ブログにも書き、信じている答えがありますが、それが間違いなかったと確信した出来事がありました。今月始めの夜、何の前触れもなく、いきなり血圧が下がり気絶してしまいました。妻が慌てて救急車を呼んだのですが、受け入れ可能な病院が決まりません。救急車の中で一旦意識が戻り、朦朧とする中見聞きしたのは、救急隊の方が必死に病院を探す姿と
高井でございます。お会いしたことも無い貴方に、このような文を書いても届くわけもないことは百も承知です。が、どうしても口を塞いでいることが出来ません。世界の大部分の人々が貴方を悪魔の化身のように思っていることは、ご存じでしょう。しかし貴方にしてみれば、我々の方こそ間違っている、そうお考えなのでしょうね。ヒットラー然り、ムッソリーニ然り、権力を持った者は拝金主義経済界に於いても、似たような道を歩いてしまうものなのでしょうか。為に、どれだけの尊い命が悲嘆の内に失われてしまったこと
高井でございます。金子みすゞさんの詩に「みんな違って、みんな良い」との一節が在ります。とても良い言葉だと思います。しかし現実社会では、意見や価値観が違うことを不愉快に思ったり、服従させたり、攻撃することの何と多いことでしょう。今、世界では60カ国において紛争が起きています。互いの欲望と都合による争いで、尊い命が奪われるのは余りに悲しすぎます。人間は一面においてどんなに優れていようと、それ以外何も知らない愚か者なのに…全ての人間が自分は間違いだらけで、至るには程遠いと思う
高井でございます。忍ぶれど色にでにけりわが恋はものや思うと人の問うまで(隠していた私の恋心が顔色に出てしまい恋の悩みでもあるのかと人に尋ねられてしまったよ)有名な恋の和歌です。このような恋心であれば、然もありなんと笑うことが出来ます。しかし同じ「忍」で有っても、天皇陛下が玉音放送で「忍び難きを忍び…」との放送を聴き、戦争が終わり忍生活も終わったのだと思ったのに、戦後の「忍」は形を変え、社会の表から裏で密かに広まり、理解のされない艱難辛苦の「忍」の世の中に成っ
高井でございます。「努力すればなんでも叶う」「努力は必ず報われる」「努力は人を裏切らない」多くの教育者が口にしますが、人生の真実は見えてるのか・・と思ってしまいます。冬季オリンピック。フィギュアスケートの羽生結弦さんは、転倒しても最後まで「羽生結弦にしかできない演技」で観る者を感動させてくれました。前日の練習で捻挫した足に、痛み止めを打って本番を滑りきったことも、世界初の4回転半に挑戦したことも、彼らしさを感じます。金メダルを取るべく、日々血の滲む努力を為さったでしょ
高井でございます。私は夢を見ます。そして内容を良く覚えています。とりとめの無い夢、起きた時に動悸が止まらない夢、予言のような夢。長く感じる夢でも、実際はほんの一瞬のことらしいですね。人生も壮大な時の流れの中では、一瞬の宇宙の光のようなものです。胡蝶の夢の如く、夢が現実か、現実が夢か…しかし、かようなことはどうでも良いこと。夢であれ現実であれ、共に己であることに変わりは無いのですから。生きとし生けるものは、絶えることなく変化を遂げています。しかしその本質は変わらないの
高井でございます。NHKドラマ「青天を衝く」は、渋沢栄一氏の半生でありました。彼が資本主義の父で有ることは否定できないことではありますが、功罪相持つ資本主義時代を生かされた私は、何とも複雑な思いで観させて頂きました。無論ドラマですから、視聴率を意識して作らねば成らないことは承知しております。それでも三井の番頭の「我々は開けては成らない扉を開けたのではないだろうか」このセリフに演出家の良心を感じ、少し救われた気がしました。しかしながら終盤、徳川慶喜役の草薙さんに「快なり」と言
高井でございます。オミクロン感染者が何万人を超えた、といった陽性者数の発表ばかりで、発病者の詳細は知らされず、不安感は募る一方です。国民に油断させない配慮なのでしょうが、不安ストレスは人の持つ大切な免疫力を下げるばかりで良いことは何も有りません。(感染者イコール発病者では無いので)国民にこの困難な時代に於いて新しい生き方の方向性を示し、コロナ禍を乗り越える為の希望や勇気を与えるメッセージは、残念ながら報道機関は勿論、政治家からも医療者からも伝わっては参りません。そんな
高井でございます。新年の挨拶の便りが友人より送られて参りました。その文面に記されていたある詩を綴らせて頂きます。「鳥は飛ばねばならぬ人は生きねばならぬ怒濤の海を飛びゆく鳥のように混沌の世を生きねばならぬ鳥は本能的に暗黒を突破すれば光明の島に着くことを知っているそのように人も一寸先は闇ではなく光であることを知らねばならぬ」
高井でございます。先週の大雪で、お正月気分はすっかり抜け、日常感覚に戻りました。もっとも太陽は時速7万㎞で天の川銀河を移動しているそうですから、その周りを自転しながら動いている地球は、新年を迎えてから今日まで、いったいどれだけ動いたのか、想像を超えるものが有ります。生者必滅然り、会者定離然り、喜怒哀楽も、全ては流動流転する定めの中で一瞬にして消えては生まれ、生まれては消えていくものなのですね。今が如何なる状況であれ必ず変わるものならば、どの様な時でも笑える術、明朗で