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高井でございます。令和4年1月6日、弊社クリエーションアカデミーは本日スタート致します。関東は雪が舞い、この冬一番の寒気となりました。お陰様で身も心も引き締まり、スタッフ一同、元気に今年の第1歩を踏み出すことが出来ました。どうか旧年に変わらず、ご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。新年早々オミクロン株の感染者増加や小笠原諸島の地震、北朝鮮のミサイル発射と、まぁ騒々しい幕開けで有りました。不安に駆られている方も少なくないと思いますが、「一に辛抱二に辛抱」と
高井でございます。2021年も、あと数日を残すのみとなりました。若い人には大きな可能性と長い時間が在ります。それは何にも優る宝物です。私はと言えば初老と言われる年になっても、未だ生まれてきた意味が解りません。残された時間を使い、納得できる人生を完結させる為に頑張る所存です。もっと時間を大切にすればよかった、そんな無念が過ぎりますが、一見無駄遣いに思える時間が今の私を造ってくれたと思うと、全てが必要な体験・経験だったと思います。あの
高井でございます。人間の心臓の鼓動は、80年で約3000万回打つそうです。もちろん意識の関与無く、ひたすら生きる為の生体の行為です。動物・植物・微生物、生きとし生けるもの全て、形は違えど様々な神秘を与えられ生かされています。生命の神秘には「定め」という法則も含まれております。今日この一日を無事に過ごせる有り難さが喜びと思えなければ、生命の神秘の定めはプラスに働くことは無いでしょう。幸い日本は争いのない時間を長く重ねていますが、世界には戦争・飢餓で、命の危機に苦しむ定
高井でございます。「拘り(こだわり)」は、一般的に・一つのことに強く思い入れる・執着することを言います。対人関係や社会に対して強い拘りを持つと、心が狭量となり、苦悩の種を育ててしまいます。しかし「拘り」は悪いことばかりでは有りません。物事に妥協せず、とことん追求して、発明したり、発見したり、自分を成長させる素晴らしい側面も在ります。受験や就職活動などで心が折れそうになっても「思い描く自分の未来」に拘りを強く持つことで、明るく強い心を育てることも出来ます。病に
高井でございます。危機一髪=わずかな違い(髪の毛一本ほど)で、極めて危険な状態になりそうなこと。何気なく過ごしている毎日も、気付かないだけで危機一髪の連続を生かされています。一髪の差による幸不幸が運命と密接に関連していると思うと、有り難さと恐ろしさで全身がザワザワする感覚に陥ります。やはり生命は奇跡の賜物というしかありません。危険に直面する人と、しない人の差は何処に在るのでしょうか?運命では片付けることの出来ない、深い意味が有るようです
高井でございます。月暦も一枚になり、さぞかし寒かろう淋しかろうと思わせる師走になりました。12月の呼び名は、お坊さんが忙しく駆け廻る意味の『師走』の他にも、様々異名があるようで、一部ご紹介致します。◎晩冬(ばんとう)◎春待月(はるまちつき)◎三冬月(みふゆつき)◎歳極月(としはつづき)◎窮月(きゅうげつ)◎除月(じょげつ)◎梅初月(うめはつづき)等々…たくさんありました。全部素敵ですが、しいて言えば「春待月」が心晴れやかな印象で私は好きです。
だいぶ前になりますが、薬師寺にて高田好胤師にお会いした際、「物で栄えて心で滅びる時代」と、ご法話頂きました。相反して「心などと甘いことを言っていたら金儲けは出来ない」そう考える人も多く存在しています。宇宙の変化に伴い、人知の遠く及ばない規模の天変地異が、地球のそこかしこで起きているにもかかわらず。栄えた物は破壊されるのが世の定めです。故に、この厳しい時代を生き抜く為に必要なのは、強く優しい他人を思い遣る心だけです!冒頭の高田好胤師のお言葉を、私なりに深読みして、「物(金
高井でございます。コロナは専門家も理由が解らないうちに、普通の風邪以下の患者数になりました。この世は人の力では及ばない、運否天賦というものが確かに在るのだなぁ…としみじみ思います。先日の選挙にしても、自分の努力で勝ったなどと浮付いていたら、思いもかけない事態に遭遇、なんてことになりかねません。スポーツやビジネス、日常生活においても、すべき努力の限界の先は、天賦にお任せする謙虚な姿勢は、とても大切なことではないでしょうか!水前寺清子さんの歌にもありますが、「勝った負け
高井でございます。総選挙も終わり、いよいよ世の中の変化は加速度を増す気が致します。コロナは一段落を得ましたが、さて次は如何なる試練が人類を待ち受けているのでしょうか。天災であれ人災であれ、地球に暮らす人類という生き者は、運命共同体として災難在りきは、在る意味、宿命的なものなのでしょうか。一寸先は闇という言葉が有りますが、正にその通りだと思います。それだけに今、この時を明るく、笑顔で生きることは人間ならではの最良・最高の心力です。たとえ、艱難辛苦の中を歩んでいようともです!
高井でございます。私の会社は、箱庭療法用具を20年以上造って参りました。現在は専門的な「療法」という言葉にとらわれず、もっと身近な「遊び」のひとつとして認められつつあります。「箱庭」は無意識に潜む喜怒哀楽を解放させる、知識も技能も要らない用具です。また、誰にも言えない心の奥底を表現し、見守り人に認めてもらうことで、心に活力をもたらす不思議な力も持っています。現代人の多くは、意識下に押し込められた様々な苦悩を抱えて生きています。人と人の繋がりはますます希薄になり、息苦しさを
高井でございます。10月も中半を過ぎても夏日のような気温になったり、秋の長雨の優雅さとはほど遠く、台風や低気圧の影響からか、とんでもない集中豪雨に曝されたりしています。そして今週は秋を通り越して、初冬のような寒さ。まるで地球全体が、気候の大変化を起こしているようです。自然界の変容は、被害から逃げる以外防ぎようは有りませんが、魂(心)は一人一人の意志で、いかようにもすることが出来ます。「前略…我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を造って置いてくれたことを…」かのアインシュ
高井でございます。ねたむ心そねむ心いやな心小さい心この心人の心われが王にわれが神にならんとする心人を下に見人をわれが為に利する心欲の心この心人の心私の人生の中で、このような心が、どれだけ人を苦しめ、自分を苦しめてきたことか…これでは、駄目だ!と思い、様々良き心に成ろうと頑張ってみても私の肉体を戦場として、悪玉と善玉の二つが終始戦い続けて、まるで二重人格のようにいや多重人格ように思うようにはなりません。悪玉が優勢の時は、心は沈
信ぜよ愛せよ赦し合えよ!試みよ考えよ悟れよ!大胆に無邪気に謙遜にあるがままに在れなるがままに成れ行くところ道なり念うところ世界なり道は一つ世界は一つ真理に二つ無けれども人は絶対の神の心無ければこれ即ち差別界我の道我の世界を他人(ひと)に強いるなかれ他人(ひと)の道他人(ひと)に強いらるるほど苦しきは無し過ぎたるは夢の如し来たるは霧のあなたのごとし往因を知らず来果を思わずただ今の心をころころところがるまま
辞典で引くと「あきらめる」「断念すること」の意味と出て来ます。しかし漢字で「諦」となると、意味が変わります。「諦」とは「つまびらかにする」とか、仏教的には「真理」或いは「悟り」、国語的には断念するの意も在りますが、根底には放り投げるあきらめとは違う「あきらかにして思い切る!」といった、深い人間の意志が在ります。今の世は諦めねばならないことが多い時代では在りますが、ふて腐れたり、ヤケになる諦めではなく、自らの意思を以て、今は耐え忍び時を待とう!といった、前向きで明るい諦
高井でございます。私は昔から「偶然は無い、全ては未知なる必然なのだ」と、思っておりました。年を重ね、この思いは私の心中で確信になりました。未知なる必然とは、目には観えない不思議な働きのことで、私の輪廻に於ける罪と深く関係しているのだと、様々な縁(えにし)を通じて知りました。高い次元からのエネルギーの潮流により、自業自得の昇華という愛の力を、偶然などと思い流してはあまりにも無惨であると思っております。嫌なことも苦しいことも悲しいことも、必然たる
高井でございます。先日、気象災害が50年で5倍になっているとのニュースを目にしました。ニューヨークのような都会でも豪雨災害で50人もの命が失われました。これからは気象に限らず、様々な災害に人類は襲われるでしょう!コロナは今まで無かったウィルスではありますが、かつてのスペイン風邪の死者数から比べれば極端だとしても、インフルエンザなどでも、大勢の罹患者、死者が出ています。いわゆる新しい風邪に過ぎないのですが、何故か誰かが、メディアを使い人類に不安感を撒き散らしているように
高井でございます。パラリンピックも無事に閉幕となりました。私には、数々の感動と教訓、そして生きる意味と勇気を与えてくれました。選手達はもちろん、同じような境遇を懸命に生きている方々に、魂心より感謝と敬意を表します!さて、季節は一気に秋模様となり、あれほどの酷暑も、木枯らし一号が吹く頃には記憶も薄れてしまうのでしょうね。でも、これも神様が人間に与えた功徳なのだと思います。恨みや切なさも時と共に薄れ、忘れていくことで、明るく人生が切り替わる術となります。自分の人
高井でございます。何と気が付いたら、もう9月になりました。地球の自転が、気が付かない内に速くなっていると感じているのは、私だけでしょうか?地球の温暖化の原因ばかりではなく、宇宙的規模で変化の時が来ているのかも知れません💦今、自転軸は23.4度と言われておりますが、少しずつずれていると言う科学誌も在ります。在る書籍によると、もし地軸の傾きが30度を超えると、人間は半数以上が精神異常をきたす★と記されております。最近の、特に若者の鬱病の増え方を見ていると、とても気になりま
高井でございます。コロナ患者増す中、先々週は豪雨災害で被害を受けまだ立ち直れない方もいらっしゃる最中ですが、パラリンピックが、昨日開催されました。私は、競技そのものより、様々なご事情で身体が不自由な方が、様々な苦しみを乗り越えて、パラリンピックに出場したことに、心から敬意と尊敬の念を禁じ得ません。又、パラリンピックには参加できなかったが、めげずに明日に向けて自分の競技に打ち込んでいる姿が見えるように感じ取れます。と同時に、この方々を真心を以て、支えているご家族、スタッフの人達の
小さくは人の心、大きくは宇宙。愛し合って憎しみ合って別れる者有れば、自死する者有り。幸あらば裏に不幸有り。地球も然り。燃え盛る球体が氷に覆われ、生きものとして植物が芽ばえて、やがて恐竜が闊歩する時代が何億年か続きましたが、それも変化し、今は人間という生き者が支配している。20数年前、木星にレビー水星が衝突し、地球に宇宙空間の得体の知れない様々な物が降り注ぎました。地球環境の変化に伴いそれらが活性し始めれば、人間に影響を及ぼし、気付かぬ間に脳が変化していくことでしょう。コロナ
高井でございます。色々有りましたが8日、オリンピック聖火が消えました。コロナの緊急事態が続く中で開催したオリンピックの是非は、やがて歴史が決めることでしょう。責任を取ることの無い者が、この段階で他人を批判することは絶対に避けたいものです。何故なら、壁にボールをぶつけるように、後々、更に強い負の力となって我が身に返ってくるからです!自分の霊的感覚を磨き、ひたすら利他の心で、自らの正しいと思う道を、寡黙に歩みたい、私はそう思っています。さて、私の会社も明日12日から
高井でございます。コロナと闘いつつ、オリンピックも後数日となりました。無観客試合も多く、一見地味なようにも思いますが、クーベルタン男爵の願い(血を流す戦争をスポーツという平和な競技に)は、適えられていると思いたいです。勝った!負けた!にこだわらず、正々堂々と勝負をして、終われば互いに笑顔で健闘を称え合う。そんな姿を、感動を、未来を担う子供達に与えたいものです。金銭だけを目的とした悪銭経済や、醜い政争に現を抜かしている大人が世界を動かす時代になってしまったら、人類の未来
高井でございます。私は、おそらくコロナ禍で東京オリンピックは延期か、中止になる公算が大きいだろうと思っていました。しかし直前に様々なトラブルを抱えながらも、先週23日に開幕されました。開幕の是非を問う資格は私には有りませんので、ともかくオリンピック史上かくも困難な状況の中で開幕にこぎ着けるのには、どれだけ多くの関係者のご苦労、苦しみ、葛藤が有ったのだろうと思うと、今は唯々無事に閉会式を迎えますようにと、祈らずにはいられません!一般市民は勿論、関係者・参加アスリートの方々が
高井でございます。人として、男として生まれ育ち、随分と長い時間が過ぎ去りました。いったい今まで何人の人と出会ったことでしょう!肌の色の違い、目の色の違い、何より環境文化の違いが、一時的なことなら、解り合えたこともありましたが、人と人が芯から全てを解り合うことは、何と難しいことだとしみじみ感じております。しかし、例え理解されなくとも、人には人の、そうで成らなくては成らない運命的理由が在るのだ!と人間を理解する努力は惜しみなくし続けようと思います。ましてや、男性と女性は、
高井でございます。大正時代の歌謡曲にゴンドラの唄が有りました。「命短し恋せよ乙女赤き唇あせぬ間に熱き血潮の醒めぬ間に明日(あす)の月日はないものを…」ずいぶん古い唄ですが、今でも知っている方も多く素敵な詩だと思います。高齢者と呼ばれる年の私が、恋だの、赤い唇など、ましてや男の私が愛唱するのは気恥ずかしく思いますが、今の私には詩を変え下記のように時折心で口ずさみます。「命短し愛せよ人を熱き命の終えぬ間に明日(あす)の月日
高井でございます。AIを中心に科学は、ずいぶん進化してきました。しかしながら、科学はまだまだ決して万能では有りません。言葉は有っても科学では説けないものがたくさん有ります。例えば宇宙、宗教、運命、心、魂、霊、予知、素粒子の成り立ち等、数え切れない程です。それだけに、それらのものは、個人の感性、感覚に委ねられています。自分の考えと違う意見すら受け容れつつ、新たな発想に行き着くことも楽しいことですね。「科学に絶対は無い」と科学者自身が言っているくらいですから。ここから
高井でございます。七月三十一日は年齢は不肖私の有難く、うれしい誕生日です。実は、私は、40代の頃、50才までの寿命は無いだろうと、訳も無く思っていました。実際、その10年間は、転んで足や手を何度も折ったり、野球のボールを目に当てて失明寸前になったり、糖尿病で入院したり、会社は不渡りを出したり、その他もろもろ、良くもまぁここまで、生き延びさせて頂いたと、思わずにいられません。きっと、どこかのどなか様(神様とか天界とか)が「ふりかえ(縁ある方が苦しみを代受けする)の妙」を以
高井でございます。この様な詩に出会いました。「花」作:川崎洋花の名だけは知っていて花そのものは知らないそんな花があります愛という字はよく知っているのですがそして愛そのものも知っているつもりだけど降るような花の下を行くといったい何を知っているのかと急に思いますこの詩を読んで、私は猛烈に恥ずかしくなりました💦学校で学び、本を読み、テレビを観、新聞で知り多くの
高井でございます。私は、在る尊い方との出会いから、人生の意味を真剣に考えるようになりました。この尊い恩人との出会いの運命により、漠然と生きて来た自分の人生に起きたことを、例え己の病気や人間関係の苦しみも、「ふりかえ」(あらゆることには、人智を越えた救いの真理が在る)という教えに導いて頂き、そのことを信じざるを無い体験をさせて頂きました。「ふりかえ」とは今までの倫理には無かったことなので、一言で理論的な説明は難しいですが、自分の人生に起きたことは、辛い
高井でございます。私達が生きている地球は、天の川銀河に属しています。ふとしたことから、銀河っていったい幾つ有るのだろうと思い、調べたら何と!5000億を超えて何兆になるのかも計り知れないそうです(;゚д゚)高等生物と自分達人間を思っていましたが、数え切れない星団の中に、人間など及びも付かない超高等な能力を有した存在を、私だけかも知れませんが、絶対に否定できません!慈悲深い人間が、他の生きものを大切にしているように、超高等な存在者は宇宙の片隅に生存している人類を「愛