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アラン・ドロン。今、もう82歳になるとか………私は高校時代、彦根の市場(今は四番町スクエア)の入り口にあった昔ながらの二階建ての映画館で、たとえば土曜日の半日の授業を終えて(そうなんだ❗あの時代は土曜日の半日、学校の授業はあった‼)高校の制服のまま学生カバンを膝の上に置いて、アラン・ドロンの映画を見ていた🎵アラン・ドロンの「高校教師」という映画を観たことを鮮明に記憶しているし、離婚したナタリー・ドロンと共演した「もう一度愛して」という確かそん
ジョゼ・ジョヴァンニ監督カラー9月の終わりはNHK・BSのおかげで『太陽がいっぱい』『冒険者たち』『地下室のメロディー』『太陽はひとりぼっち』と、ドロン様三昧この『暗黒街のふたり』は封切り当時、映画館で観ましたがそれよりずっと後になって母とテレビで観た印象が濃い。それは「アラン・ドロンが可哀想過ぎる」と私よりは泣き虫じゃない母がぽろぽろ涙をこぼしていた所為かも知れない今思うと他に何かあったのかも知れないな・・なんてそれにしてもいい男、美男子ぶりを再確認
映画音楽って、一度聴いたら頭から離れなくなるし、そのシーンといっしょに記憶されるから、不思議。アラン・ドロンの特集で『アラン・ドロンラストメッセージ』という、インタビュー番組を観た。とても興味深く。どことなく、カラヤンとも風格が似てるような・・・。フランス映画は好きでたまに観に行ったりもするのだが、もちろん彼の映画を、リアルタイムで観たことはない。それでも当時、日本でちょっと前のヨン様くらいか、それ以上人気があったということや、映画もいくつか観て知っていた。
『太陽がいっぱい』ついつい最後まで観てしまった。いやいや、やはり魅力的🎵1960年、監督ルネ・クレマン音楽ニーノ・ロータ私が初めて観たのはテレビ放映で小学生だった。"さびしそうだけどなんか美しい人"と子ども心に刻んでいた。幼稚園から習っていた音楽教室はその後エレクトーンにかわり楽譜になっていたような気がする。家族で『美しい曲🎵』といってた。今でも忘れられない1曲忘れられない映画忘れられない俳優さん好きなものはいつまでも変わらず好きだ〈画像お借りしましたm(_
忍者ブームに乗じて佐賀県で第2回国際忍者学会が開催!日刊SPA!アイアムアヒーロー」の漫画家・花沢健吾の新連載も忍者!忍者ブームの到来....そのきっかけとなったのが天草・島原の乱であった。佐賀藩軍の大将を務めた...『戦乱と民衆』=磯田道史、呉座勇一ほか著毎日新聞明治から昭和の敗戦まで、大日本帝国は大きな戦争を繰り返し、多くの庶民が巻き込まれ、あるいは積極的に関わった。このため、そうした当事者による証言や...作曲家の小田裕一郎さん死去「青い珊瑚礁」「風は秋色」
以前から気になってたお店に行ってみたこの日は、ジム友さんと行ってきたの~今回は、「美味小屋蛮」さんに行って来ました人気の一品、アランドロンカレーご飯の上に、真ん丸いハンバーグがのってて、中にとろ~りとチーズが出てくるお茶とセットにすると、お得ですよ~アランドロン……と言えば、あのフランス俳優のアラン・ドロンさんが思い浮かぶアラン・ドロンさんと関係があるのか不明誰かに聞いてみようあのアラン・ドロンさんは、素敵ですね~高校生だったかな「太陽がいっぱい」を観ましたとっ
子どもの頃、アラン・ドロンはハンサムと同義語でした。私の中では今でもそうですけども。「太陽がいっぱい」(1960年)のドロンは美しかった。"AlainDelon-IascenefromoneofhisFrenchMovies."PhotobyBJAliassource:AlainDelon-IascenefromoneofhisFrenchMovies.ExploreNostalgia-domas'photosonFl
82歳になったアラン・ドロン。でも、昔のままの顔に少しシワが入っただけて、まだまだ男前のままである。「太陽がいっぱい」の主演で、一躍時の人となり、様々な作品に出演。「さらば友よ」では、チャールズ・ブロンソンと共演。フランス人でありながら、ハリウッド作品にもたくさん出演。フランス映画とハリウッド映画、両方で大活躍している。「レッドサン」では、三船敏郎さんとも共演し、日本にも来日。たくさんのファンに出迎えられた。甘いマスクで、あまりセリフがなくても仕草で魅了させ、少
明日、22日の午後10時30分から、NHK・BS1で放映される、「アラン・ドロン〜ラスト・メッセージ」という特番がある。アラン・ドロン僕はもう50年近く映画を観ているけれど、間違いなく、世界中で最も女性に愛された、史上最高の本当の2枚目俳優だ。僕個人にとっても、人生に影響を受けた有名人の一人。僕は、こう見えて、フランス語と英語を話すけど、フランス語を習得しようと思ったのは、「アラン・ドロンが話すことを通訳、字幕なしで分かるようになりたい」だ。1935年11月8
今日覚えた使えるイタリア語「野村雅夫のCinebar」より『若者のすべて』Roccoeisuoifratelliこの映画についてルキーノ・ヴィスコンティ監督「若者のすべて」(1960年)アラン・ドロンが三男ロッコを演じた。Questaèlavita.Lecosebellesiottengonoquandononservonopiù.それが人生ってものよ。素敵なものはもう要らなくなった頃に手に入るの。lecosebelle
人生には、ターニングポイントになる日がある。オレにとっては、その日がまさにそうだった。その日の出来事は、昨日のことのように鮮明に覚えている。その日さえなければ、オレの人生はまったく違ったものになっていた筈だ----。いつもは夕方練習に行くのだが、その日は、夜、人と会う約束があったので、昼過ぎにロサンゼルスのダウンタウンにある、メインストリートジムに行った。いつも通り練習を始めようと、トレーニングウエアに着替え、鏡の前でウォーミングアップを始めると、リングサイドにカメラを構えた大
去年訪れたミラノ写真の整理をしながらまとめてみます。須賀敦子さんの『ミラノ霧の風景』を読んで以来ずっと憧れていた街ドゥオーモの壮麗さは圧巻!床のタイル可愛い✨ここッ!ヴィスコンティの『若者のすべて』でアラン・ドロンが恋人と別れるシーンが撮影されたドゥオーモの屋上観る度に心が締めつけられる。3時間近い長篇だけどその価値あり✨
ハリウッド映画であれ、ヨーロッパの映画であれ、日本の映画であれ、旧い映画を観ていると必ずと言っていいほど煙草を吸うシーンが出てきます。もちろん探偵ものの映画で「つまり。その時、煙草を吸っていたあなたが犯人なのだ」という場合は別として、煙草は、そして煙草を吸うシーンはストーリー展開上、必ずしもなくてはならない訳ではありません。だけど、間違いなく多くの映画で主人公が煙草を吸うシーンがあり、その映画を観終わり、何年か経って、ストーリーのことはよく覚えていなくても、煙草を吸うシーンだけが印象
「冷めぬ金農フィーバー、パンケーキに早朝行列関連書籍の売れ行き好調」地元地方紙の見出しである。旦那様は、報道写真集「金足農感動の軌跡」税込み千円の増刷される再販売を心待ちにしている。金農パンケーキをまだ食べていない私に、早朝コンビニに出向き手に入れ買った貴重な一袋をくれた友達。醤油入りの生地で蜜つけリンゴを包んだ甘じょっぱいパンケーキ2個入り。甘すぎも無くさっぱりな後味、とても美味しかった。自宅の中で通
【故藤井外輿先生、ドイツ語教授】当時、医学部は2年間教養課程がありました。先輩からは、「語学は楽勝」と聞いていましたので、語学は、バイトやサボりで、代返を頼んでやり過ごしていました。6割の出席確保のため、星取り表を付けていたのですが、手違いで再試験に引っ掛かってしまったのです。私は、ドイツ語よりもフランス語の方が好きで、授業をサボっては、歌舞伎町の映画館で、よくフランス映画を見ていました。ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、
第二次世界快川の末期、パリを占領していたドイツ軍が連合軍の勢いに押され、遂にはパリ撤退を余儀なくされましたが、その際、現地ドイツ軍に対し、ドイツ・ヒトラー総統は「パリ爆破命令」を下します。しかし、現地指揮官は自らの判断で、その暴挙の実行にはいたらず、パリを無傷のままで残し、現地軍撤退を決断しました。それを知ったヒトラーは、現地指揮官に向かって執拗に問いただします。~パリは燃えているか?~これが本作のタイトルになっています。本作が製作された数年前には、同じく第二次世界大戦
このデュエットしか知らなかったので、アラン・ドロンとダリダはつきあっていたのだと思っていましたが、映画によるとデマという扱いでした。毎日4時間かかっていたというメイクアップ風景。本当につけ鼻をしてる。。。映画では本当にナチュラルな仕上がり。メイクってすごい。ピーターのトークショー。彼女(?)の話は本当に面白い!綺麗でかっこいい!「私が死んでも孤独死って書くなよ!」ってwユーモアがありますよね。ダリダの特集番組。貴重な幼少期の写真も!1954年~19
秋に仕事関連の資格試験があるので、テキストを読むのも4巡目です。今度は各章の最後にあるミニテストに挑戦してから本文を読むことにします。同じ職場の人達は二週間から1か月ぐらいの勉強で受かったと言っているので、そんな難しい試験でもないはずなのですが、いまいち自信がないので、かなり早めに準備を始めています。最後に受けた本格的な試験は2013年の仏検2級ですが、もう5年も経つのかと思うと愕然としますこの5年間何やってたんだろ~と思うほど進歩がないような気がします。仕事
ある新聞の夕刊に1960年代のある映画を上映しますという、小さな広告がのっていました。映画名は「あの胸にもう一度」。原題は「Thegirlonamotorcycle」、イギリス、フランスの合作映画です。ちなみにもう上映は終っています。原作はフランス人作家による「LaMotocyclette(ラ・モトシクレ)」で、白水書房から刊行されていた新書では「オートバイ」という日本語タイトルが付けられていました。結婚したての若い魅力的なヒロインが、遠くハイデルベルグに住む不倫相手の大学教授のも
結婚したばかりのレベッカは平穏で退屈な暮らしを嫌い、大学教授ダニエルと不倫関係を続けていた。黒革のジャンプスーツに裸体を包んで大型バイクにまたがり、ダニエルのいるハイデルベルクへと向かうレベッカだったが……。
ジャケットに映っているのがアラン・ドロンだとは気づきませんでした。アラン・ドロンといえば私の世代には世界の美男子の象徴でした。さすがにこの写真のドロンは美しいです。ザ・スミスのジャケットはどれもカッコいいですが、これは格別です。前作発表後、ツアーを成功させたザ・スミスですが、マネジメントのごたごたがあったり、ベースのアンディー・ルークが薬物問題で一時バンドを追放されたりと、いつものモリッシーの舌禍に加えて、ややこしいことがたくさんありました。しかし、そんな中でも先行シングルとして「心に
イタリアの名匠ミケランジェロ・アントニオーニが都会に生きる男女のはかない恋愛感情と虚無感を描き、「情事」「夜」に続く「愛の不毛」3部作の最終章となった恋愛ドラマ。明確な理由のないまま婚約者と別れ、退屈な日々を過ごしていた女性ビットリア。ある日、投資家の母が通う証券取引所で知り合った株式仲買人の青年ピエロと急接近し、新たな恋をはじめようとするが……。ピエロ役をアラン・ドロン、ビットリア役をモニカ・ビッティがそれぞれ演じた。1962年・第15回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。2018年、フラン
こんにちは!ご訪問いただき、有難うございます。帝国ホテルアーケードで日々奮闘中、レディースショップ「一フジ」社長の宮本です。現在の帝国ホテルの先代、旧本館(ライト館)は1923(大正12)年に開業しました。「東洋の真珠」とも言われた、美しいホテルだったのですね。9月1日の落成記念披露宴の準備中に、関東大震災が起こりましたがライト館は倒壊することなく、その威容を誇っていたとか。そして時が経ち1954(昭和29)年、ニューヨークヤンキースのスター選手で
『ダリダあまい囁き』公式サイト54歳の若さで亡くなったフランスを代表する女性歌手ダリダの半生を、そのヒット曲を綴りながら描いた『ダリダあまい囁き』。エジプト出身のイタリア移民の家系に生まれた彼女はミス・エジプトに輝いた後、1956年に歌手デビューしていますが、生年は1933年ということですから、我らが(?)若尾文子さんと同年。1987年に没しており、すでに没後30年を過ぎています。1958年生まれで1970年代のカルチャーにこだわりのある私ですが、ダリダの名前は知っていても、その
からみついたロープ、この運命から逃れられない。「太陽がいっぱい」ルネ・クレマン監督1960年122分(画像お借りしました)2018年5月4日(金曜日)「大きなスクリーンであの青い瞳の輝きを見れたことが本当に嬉しい!」と、娘が午前十時の映画祭から帰ってきました。思いがけない訪問をうけたアラン・ドロンの顔緊張で目の下がピクピクッと震えている!このシーンに鳥肌が立ったそうです。TV画面では気づかなかった微妙な表情が劇場のスクリーンに映し出されて「わぁ~こんなシーンあったっ
プレミアムプライス版黒いチューリップ《数量限定版》[DVD]1,643円Amazon1789年、フランス革命前夜。スペインに近いルーション地方では、"黒いチューリップ"と呼ばれる神出鬼没の快盗が暗躍していました。貴族ばかりを狙うため、庶民から崇められていた"黒いチューリップ"の正体は、自身も貴族であるギヨーム。警官と争った際に顔に傷を負ってしまい、もはや自分の正体を隠しとおせないと悟ったギヨームは、自分と瓜二つの双子の弟、ジュリアンに身代わりを頼むのですが...。アレクサ
こうのすシネマ午前十時の映画祭より今年も“午前十時の映画祭”が地元のシネコンで開催されました。「タイタニック」と「シェーン」はパス。「太陽がいっぱい」が第9回の初鑑賞となりました。「太陽がいっぱい」は最初の“午前十時の映画祭”以来のスクリーンでの鑑賞となります。製作:フランスイタリア監督:ルネ・クレマン脚本:ポール・ジェコフルネ・クレマン原作:パトリシア・ハイスミス撮影:アンリ・ドカエ美術:ポール・ベルトラン音楽:ニーノ・ロータ出演:アラン・ドロン
久しぶりにダリダという名前とその歌声を思い出した。彼女の波瀾の一生を描いた『ダリダ~あまい囁き~』(5月19日より公開)のお蔭だ。彼女は、伝統的なシャンソンが今日的なフレンチ・ポップスに衣替えした当時の旗手で、日本でも人気が高かった。1933年、エジプト・カイロ生まれ、イタリア系。51年、「バンビーノ」がフランスで大ヒットする。映画のサブタイトルになっている「あまい囁き」(「パローレ・パローレ」)は、アラン・ドロンとの共演が話題を呼び、改めて世界中に彼女の名を知らしめた。73年のことだ
都会の生活に疲れ、若さと美貌を取り戻そうとブルターニュの海岸沿いの療養場を訪れるエレーヌ。院長デヴィレの診療で活気を取り戻すが……::映画チラシ:JPFLYEREアラン・ドロン[ショック療法]アニー・ジラルド共演B5版...2,160円楽天