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やっと形式的な民主化が成った、ミャンマーでロヒンギャ弾圧が深刻に。ロヒンギャとは元々ミャンマー・ラカイン州に済む人々程度の意味しかなかったよう。欧米の植民地時代になんとなくバングラデシュから移住したイスラム教徒のことなので民族ではないので、現在も『族』とはつかないよう。しかし、軍事政権時代に『仏敵』と、軍部が弾圧した問題が今日に至っているよう。これに対し、ロヒンギャ側も武装集団化し、今回は大規模衝突により難民がバングラデシュに大量流出しているよう。国連・グテーレス事務総長
アウン・サン・スー・チー国家顧問率いるミャンマー与党・国民民主連盟(NLD)の若手指導者の発言をめぐり、国軍が「侮辱」と猛反発、政権に処分を要求し、波紋が広がっている。問題の発言をしたのはヤンゴン地域首相のピョー・ミン・テイン氏(48)。次世代を担うNLDのホープの一人と目されているが、地元メディアによると、9日に最大都市ヤンゴンで開かれた会合で「軍は文民統制下にあるべきだ」「国軍総司令官の地位は(各省庁の)局長と同じレベル」などと述べたとされる。国軍は11日に抗議声明を出し、
世界を見渡せばいろんな名前がありますね。名前というのはあまり注目はされないですが、その文化を表現する上ではかなり重要な意味合いがあると言えます。西洋文化圏などでいえば、フランス語、英語、オランダ語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語などなど言語は様々にあり、それによって読み方が異なってくることはありますが、その名前が何を指すのかというのを見てみれば、割と大衆的な名前というのが見えてきます。代表的な英国人の名前ジョンは、国が変われば、ヨハンですし、これらはヨハネの福音書で有名なヨハネから
東南アジアのミャンマーにつきまして。長らく軍事政権下にあったものの、著名なアウン・サン・スー・チー氏率いる民主化運動が実り、2015年に文民政権が誕生した。明るい話題に思われた。いや基本的には明るい話題だったでしょう。しかし、そのミャンマーで「自称・テロとの戦い」とでも言いますか。イスラム系少数民族に対する迫害が起きていて、軍がその先頭に立つことで人気を回復しているという。悪名高き軍がミャンマーで復活Myanmar'sNewWaronMuslims2016年11月29日(火)10
韓国が揺れている。朴大統領が40年来の知人女性に、公文書を見せたり演説の草案について相談していたという話に端を発し、この女性が実は韓国政界の「影のドン」だったのではないかという妙な疑惑まで浮上、さらに彼女が大統領府に関係する二つの財団の資金を私的に流用していたのではないかという嫌疑まで取り沙汰され、ヨーロッパから帰国したこの知人はもの凄い報道陣に翻弄され、その映像が日本のニュースでも流されていた。かの国の検察が逮捕状を請求したというから、真相はまだわからないながら余程の騒ぎなのだろう。
今日から11月。今年もあと2か月しかないなんて、信じられないですね…!そんな今日も様々な動きがありました。豊洲市場問題に関して歴代市場長ら8人に責任があるとする発表、東京五輪会場問題で見直し案として5施設を提示、韓国の崔氏逮捕を受けて検察の建物に重機が突入、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏来日、吉田沙保里選手の至学館大学副学長就任、松本薫選手の一般男性との結婚、欅坂46が「衣装がナチスの軍服に似ている」騒動で謝罪…などなど。そして私もバタバタした一日でした。遊びたい時に限って忙し
印ロが防衛協力拡大軍用ヘリ共同生産など2016/10/1523:44(2016/10/161:21更新)インド中国【ゴア(インド南部)=黒沼勇史】インド訪問中のロシアのプーチン大統領とインドのモディ首相は15日、印南部ゴアで会談し、防衛協力の拡大で合意した。ロシアが技術を持つ軍用ヘリコプターの共同生産や、インドによるロシア製地対空ミサイルの購入を決めた。インドはロシアからの武器調達が多かったが、近年は米欧からの購入を増やしていた。ロシアとの関係を再確認することで、
7日、米政府はミャンマーに1997以来、課していた経済制裁を全面的に解除すると発表です。オバマ大統領は議会にあてた書簡で、アウン・サン・スー・チー国家顧問が事実上率いる新政権発足などを高く評価しました。これにより、米との商品取引禁止になっている企業・個人などを財務省の制裁対象リストから除外することに。制裁解除によりミャンマー特産品のルビー・ヒスイなどがアメリカへの輸出解禁となります。しかし、ミャンマーは依然として、議会の4分の1が軍部に割り当てられ、少数民族弾圧も続いてい
一通りの観光を終えて、ミャンマーでの最後の晩餐となりました。晩餐会(?)が繰り広げられたコチラの建物ですが、アウン=サン将軍(スー=チー女史の父親)が、一時期政務に使っていた建物をそのままレストランに改装したのだそうです。その頃の将軍が使っていた執務室や机が今も残されています。*******************************というわけで観光は終わりました。今までミャンマーの歴史についてお話しする機会がありませんでしたので、少しだけ記事にしておきたいと思い
出雲国(5)強大なる海の民を制す産経ニュース昭和59年から60年にかけて、銅剣358本と銅鐸6個、銅矛16本が整然と並んだ状態で見つかった荒神谷遺跡は、建部の郷にある。平成8年には隣接する神原..アニの考古遺跡世界遺産オンラインガイド2016年トルコ・イスタンブルで開催された第40回世界遺産委員会において、トルコが推薦していた「アニの考古遺跡」が世界文化遺産として新規登録されました。池の復元、動きだす紫波町・遺跡「日の輪月の輪形」岩手日報紫波町宮手の町指定史跡・陣ケ岡
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が、17日からスターリニスト中国を公式訪問している。21日まで滞在する予定。スー・チー氏は、3月末の新政権発足後、ASEAN諸国を除くと、最初の外国訪問国をスターリニスト中国に選んだ。軍政下、抑圧されたスー・チー氏を支えた欧米民主主義国かつて軍政時代、スー・チー氏は長期間、自宅軟禁されていた。それを、欧米諸国が軍政に圧力をかけ続けたから、さすがに軍政はスー・チー氏を投獄まではできなかった。その残虐な軍政を、経済的、軍事的にずっと支持してき