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すぐ次の章がアップできると思っていたが、そうじゃなかった。その章こそ第一部の最終章で、もしかして一番重要なことを含んでるんじゃないかと思えてきた。その部分がまだまとまらないので、それまでの時間を、昨年の「もしかしたら大発見?」で繋げたい。「大発見?」は、当時ずいぶん集中して書いたのに、なぜかアップできなかったテーマだ。読み返したら、難しい内容のこともあり言葉足らずで、今では自分でさえよくわからないので、説明を足さなきゃいけない。きっと、同じようなことで悩んでる人が、いると思う。私自身あきらめ
タイトル、これまでも上下の回があったのに、数字おかしいね。そのうち直します。それにしても、2月は忙しかった。オリンピックも気づいたら始まっていて、知らない間にパラリンピックになっていた。考えてみたら、2日ほど他の月より休みが少ない。夜のお勤めで薬局に行っているが、月に何時間と決まってるので、働く日数は変わらなくても、休まないうちに3月になってしまったということだ。それに加えて、前回をアップした後頃から意味不明の頭痛が来て、休みの日は寝て過ごした。右の耳の上から後ろ側だけが痛くて、鎮痛剤もあま
この章は、途中で内容が変わっていて、どちらにも重要なポイントがあるので、テーマとして二つに分けて、上下にした。「標的」という言葉がわかりにくく、自分の中で把握し整理するのに時間がかかった。また、「明治44年3月」との記載があり、全体的に古すぎて、よけいわかりにくいので、がらりと思い切って現代にした。中でも教育勅語に触れている部分があって、「異論を唱えるものでは無く、もちろん同じ精神である」的なことをわざわざ言及しているので、忖度があって、はっきりと書けなかったのかもしれないと考えるのは、う
この章も、前は芸事に対していたので、凡人が天才のようなつもりじゃダメだよ的なイメージで書いていたが、今回はより忠実に原本のニュアンスに戻した。現代の例え以外は、わりと素直に直訳している。この章は特に、「目から鱗」だった。天才とは何か?が多少なりわかったような気がするよ。幸田露伴『努力論』より第5章「努力と天才と、好きな事」(努力の堆積)人間の行動や行為は数限りなくあるが、その中で「努力」という行為は、間違いなく高貴な部分に属する。つまり、努力できる人はエライのだ。「奮闘」という言葉が
もともと、芸事向上のヒントになれば、と思って書いていたこともあって、後回しにしたのを忘れていた。これが当時書いたさわりで、ほとんど直訳だ。「船を出して、風に遭うのは、ごく普通のことである。それが、自分の行こうとしている方向へ吹いていれば順風と呼んで喜び、逆の方向へ吹く時は逆風と呼んで、その不利を悲しむ。また順風でも逆風でもなく、横風に遭う時は、操舵の技術や船の善し悪しによって程度の差はあるが、この風だって利用することはできるので、有利不利はあまり言うべきではないし、また運不運、福無福を一概に
最近めっきり本を読まなくなった。小説もノンフィクションもエッセイも、全く興味が湧かない。本屋にはそれでも月1~2回は行って、何か出会いがないかとサーチするのだけど、目に付くのは静岡ローカルな喫茶店とかグルメとか。ここ1年で買った本は、アニメージュやニュータイプなどアニメ月刊誌やレイルマガジンなど鉄道本、『はたらく細胞図鑑』『ゆるキャン△ムック』『アニメディスクガイド』など、仕事の資料用がほとんどで、だいたい写真やイラストがメインの雑誌が多い。他は、『東海日帰りハイキング』や『近場で日帰り温泉
三が日中にアップしようと思ってたのに、直しを入れていたら今日になってしまった。でもちょうど年始にぴったりの内容なので、松の内ということで、あけましておめでとうございます。全く、私自身のことで、本当に耳が痛い。これを最初に読んで以来、少しは変われたと思うが、さて。長いので上下2回に分けた。あらためて読んでみると、原本、参考本と見比べて、本当に私自身が書いたのか?と思うばかり。誰かが私を使って伝えようとしているんだろうな。目鱗間違い無しなので、是非ご一読くださいまし。幸田露伴『努力論』より
それにしても、久しぶりにたまたま着けたテレビで、古い知人と会えるとは、天に発破をかけられたかな?さて、『努力論』前回の「着手の処」の補足として、私の実体験を書いてみる。自分でも不思議と思ってるので、不思議まんだらにした。。。。。。それまでずっと、私は本物のおバカだった。大学を卒業してバカとは言いにくいが、そういう学力系ではなく(いや、勉強はキライで、学力も無かったが)、「生きる」ということに、とんでもなく無頓着だったんだ。食事は、お腹が空くから食べるんだと思っていたし、肉体が食べ物から
先日、久しぶりにテレビを見たら、知ってる名前と、なんとなく覚えのある面影が映って驚いた。松本亜樹子さん、不妊治療支援団体「NPO法人Fine」理事長として、国の支援方針が固まったというのを受けて、コメントしていた。若い頃、よく司会やレポーター、ナレコンなどの仕事でご一緒した。私が起業してからは、出演者としてご協力をいただいた。私生活でもいろいろ相談に乗ってもらえる美しく頼もしい、少し先輩だったと思う。今も美しさは変わらず、より知的に素敵に活躍されている。当時も少しだけ、不妊治療のお話
『ONEPIECE』が1000回記念で、ワノ国編が見放題になったので一気見した。有料でもそろそろ見ようと思ってたので、ラッキーこの上ない。あらためて、『ONEPIECE』1000回おめでとうございます!ルフィたちとの再会は、何も変わること無くただただ懐かしかった。1000回は見ている側の記録でもあるから、見始めた頃のことなども思い出したんだ。オープニングが「ウイアー」だったから、もちろん一緒に歌った。本心では、ずっとこの曲だったらいいのにな~と思う。さて、『努力論』だが、次をすぐア
なんとなくブログの続きにストップがかかってる感じなので、ミキサーからの勧めもあり、数年前に書いた『努力論』の超超超訳とでもいうべき「『努力論』より」を載せることにした。これは私が、上智大学の教授であられた故渡部昇一さん編述の『人生、報われる生き方(三笠書房)』という本に出会ったことから始まった。三軒茶屋のブックオフで、適当に選んだ10冊ほどの中に含まれていた1冊で、しばらく読まないで積んであったのだが、何気なく開いてみると、幸田露伴の『努力論』を現代語に訳したというか、渡辺さんのまえがきによ
ここ数日、創造的なこと、文章を考えるとか構成するとかできず、じっと座ってもいられず部屋をウロウロしてしまう感じが続いて、こういう時は何か来るので動かされるままにしていたら、お報せが来た。急に、スピリチュアルという文字が頭に浮かんで、スマホで「スピリチュアル」と検索したら、瀬戸内寂聴さんの訃報だった。なんで?少しでも、気にかけてくださってたのかな。2018年5月、瀬尾まなほさんの『おちゃめに100歳!寂聴さん』という本のあとがきを、私が読んだものを寂聴さんにも聞いていただいたと思うのだけど
26才で最初の会社を作った時から、繰り返し考えることがある。「私が男だったら、どうだったろう」この記事をアップしようと思ったら、ちょうどNHKスペシャルで、ジェンダーについてやってた。ちょくちょく考える局面があったということは、受け入れ飲み込むべきか、半旗を掲げるべきか、自分の中では迷っていたんだろう。最初の会社は、女だから、ずいぶん得をしていた。まだまだ20代の女社長が珍しかった時代。男社会だからこそ、仕事も多くもらえたんだろうし、多少の不備も大目に見てもらえたと思う。さて今は、どう
KiKELスタンプラリーの、初期の見本です。アニメのスタンプラリーをやろうと思った頃に、東京メトロで実際に展開されていた台紙をいただいてきました。「声優の声が聞けるスタンプラリー」の、体験用サンプルです。QRコードから実際に音声が再生できます。が、、KiKEKスタンプラリー台紙イメージ©堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会©KUNIGATA私が喋っているので、しかもまだ作品を未見だったので、全くキャラが違うけど、悪しからずお許しください。さらにまだ、この世代の声
問題は、私が東京(正確には横浜市)在住で、父を会社の代表にしているということだった。問い①なぜ、自分を代表にしないのか?②前の会社を存続させればいいのではないか?③親の財産が目当てではないか?返答①父に仕事の仕方を教わりたかったのと、父にもう一度、仕事の場に立って欲しかった。父自慢ではないが、父は当時地元企業だったホンダに中学卒業と同時に入社し、それなりに活躍したキャリアを持つ。グローバル企業がどんなやり方をしているのか、私は就職したことがないので、組織的な運営について、少しでも
静岡県には仕事が無いという。それで若者が県外で就職してしまうそうだ。東京経済オンラインの山田稔さんの記事にそうあった。(前回のページにリンク)静岡は世界屈指の自動車メーカーが創業した地である。静岡は世界屈指の楽器メーカーが創業した地である。世界初のテレビ受像機は静岡で生まれた。世界有数のお茶飲料メーカーは静岡で創業した。模型の代名詞とも言えるロゴを持つ模型メーカーは静岡で生まれた。ツナ缶を一躍メジャーにした食品加工会社は静岡で始まった。それでも、静岡には仕事が無いという。なんでだろ
私としては、いずれ浜松で企業体コミュニティを作るという野望を抱き、浜松の実家を本社に父を代表に、合同会社クニガタを設立した。あくまで実務は東京で行うつもりだったのだけど、なんでか今、私は浜松にいる。まあ、そういう思し召しなんでしょね。これまで関東を離れることなんて考えもしなかった私が、というか関東でしかできない仕事だと思っていたからだけど、前にブログで書いた通り、全くの自然的にこういう流れになった。長津田には12年いた。その前の桜新町が10年で、田園都市線沿線に22年。その前の洗足、田園
断捨離して無くなった生活必需品を少しずつ調達した。調理器具も無いので、まずお湯が沸かせるように電気ポットを買った。お店を見たら、知らない家電メーカーがたくさんあって、驚いた。考えてみれば、私は店頭でちゃんと選んだことがない。大物家電は仕事関係のおつきあい。その時に日立の仕事をしていれば日立、東芝なら東芝製という感じ。優待してもらえるわけもないが、世間話に「洗濯機、新しくしたんですよ~」とか万一にも言ってしまう可能性があるので、せめてお仕事をさせていただいてる間はクライアントの商品を
2021年もあと3ヶ月を切ってしまった。昨年11月に浜松に引っ越して11ヶ月。いろいろあったような無かったような、早かったような充実していたような。『ONEPIECE』後、『ナルト』見て『ボルト』は途中、『コナン』もオンエアに追いつき・・・なんてしてたらあっという間に日が過ぎてしまった。ブログを再開しようと読み返したら、引っ越したこと何も書いていなかった。1周年を前に、振り返ってみよう。昨年6月に収束を呼びかけたけど全然賛同が得られなくて、8月に新事業『KiKELキケル』で日本政策金融公
意図してなかったが、2である。♯836から14話毎1232円の有料内有料で4パックあるので(2021/04/26現在)、ゆっくり見ようと思ったが、つい♯891「ワノ国編」入国手前まで、いっきしてしまった。何しろ、話がなかなか進まないのと、回想だらけだったので。見放題ならまあいいんだけど、4つめなど1232円を払って1パックほぼ回想(涙)以降♯892から1話110円で78話くらいあるので、いったん終了。ちょと興ざめしてしまったのが大きい。オンエアでは必要な振り返りでも、有料なりの工夫があると
849話まで、いっきに見た。ほとんど飛ばさず早送りせずで約1ヶ月。1日25本は見ている計算になる。半分仕事で、義務感もあって、一日中流して見たい場面だけしっかり見る感じ。ながらで音だけ聞いていて、ここは、ということも多く、巻き戻し(というのか?)を何度もした。主題歌『ウイーアー』と『ビリーブ』は朝でも夜中でも毎回一緒に歌った。(他はキャスト確認だけですみません)『ウイーアー』は今回覚えたのだけど、『ビリーブ』は本放送の頃カラオケでよく歌ってた。(野沢先生がDr.クレハで出演されてた頃)途
格安案件のナレーション募集があると、ナレーター声優界隈で噂になっているので、少し書いてみる。案件は、日本語10分、宅録・編集して納品で、1本5百~1千円、募集サイトに出ているらしい。ナレーターの私の感覚は、1本5万~10万。実際は、2万でもやらせていただくし、逆に10万では、その中からスタジオを頼む。スタジオなら、マイクワークによって微妙なコントロールができる。ナレーションは耳で喋るから、歌と似ている。聞こえないで歌うと音痴になるよね。1万でもいいんだけど、新人の仕事を奪うのはいけないの
今年56才になる。112才まで生きるとすれば半分だけど、定年が60才の会社ならあと4年ていう地点。テレ朝モーニングショーでデビューした20才から四半世紀、ほぼこの業界にいる。定年は無いからごく普通のこととして、今年新しい事業をスタートさせようとしているけど、定年がある世界から見ると、「第二の人生」的に映っているかもしれない。どうあれ、今、人生が変わる時期に来ている。私は「6~5」というサイクルだそうで、26才会社を作って現役から遠ざかり、36才声優スクールに入ってカムバックし、46才制作を考
さて、アーツカウンシル東京のTTF助成も、不採用でした。これダメなら、もう「人のために」は、やらない。・・・と決めていた。んだけど、つい先日、NHKで在日外国人の問題についての番組やってて、たまたま見てしまったりなんかして、その数日前にも、やはりNHKで、在日外国人の孤独死のドキュメンタリーに遭遇して、やっぱり、やれってことなんだろうな、って思う・・・『多言語対応-キケルで言語のバリアフリー-』元来、スタジオも私たちナレーターも、キケルの音声作って仕事ができればいいので、リ
みんなの夢AWARD、残れませんでした。でも、ファイナリストの企画と自分のと比べて、「そういうことか」ってわかったように思う。私の企画は、目に見える商品で、商売ができる。多言語収録には初期費用がかかるけど、そしてそれが欲しくて今回応募したのだけど、日本語のみなら、今すぐやれる。けど、ファイナリストの企画は、商売として稼ぐのが難しい、でも、絶対に必要とされている事業ばかり。だから私は、今回知り合った、そんな企画を持つ彼らを助けられるように、「稼ぐ商売」をしよう、と誓った。こ
年賀状を送らせていただいた方にもあらためて、2020年、よろしくお願いします。1月も半分が過ぎました。24分の1、あっという間ですね。年賀状音声、聞いていただき、ありがとうございました。スマホ機材によって、音が良くない場合があったようです。失礼しました。テストも兼ねていたので、ご了承ください。尚、今回読ませていただいた文章が、著作権の関係で、HIUでお世話になった方や、DMでやりとりがあった方に、個人的に送らせてもらいました。突然送られて、ご迷惑に感じられた方もいたかと思います
今年(2019)の4月、音声コードプロジェクトの試行錯誤が始まってから、すでに2年近くが経とうとしていた。もういつでも世に出せるつもりだったけど、きっかけが全くつかめない。特に、アプリ開発の方が全く動いてこない。お金も得られない。クラウドファンディングを考えたけど、お金を集められてるプロジェクトはどれも立派なホームページが準備されていて、今さら集める必要あるの?というほど、すでに立派。それでまずは、立派なホームページの準備からってことだけど、うちのスタジオのホームページもデモ用も、全
先日、大塚の串駒さんで、日本酒の蔵人を囲む会「佐久の花」の回に参加させてもらった。台風19号で、近くの用水路が溢れて浸水したけど、なんとか被害は免れたということで、本当によかった。千曲川の方は、あと少し、というところで、なんとか持ちこたえてくれたんだそうな。じゃんけん会で勝って、賞品をいただいた。だいぶ、運が上がってきたかな。佐久の花ダム熟成純米大吟醸金紋錦さてさて。お気づきの方もいらっしゃると思う。予選では『KAGRA』だったのが、シンガポールでは、『KiKEL
2019/10/12、堀江貴文さん主催のイベント『ホリエモン祭inシンガポール』というのがあって、その中の「ビジネスピッチ×メイクマネー」に参加した。応募条件は、企画書とプレゼン映像3分。文末に、予選に応募した時の映像をあげておくね。プレゼンを3分にまとめるのが難関だったけど、内容が整理できて、自分でも気づいてなかった本筋がしぼれて、これはありがたかった。感触では、企画内容より、プレゼン力。本番でも3分でプレゼンしないといけないので、それがちゃんとできるか、ということだったと思
5月以来のご無沙汰です。ずっと新企画でつめていて、グルグルのギチギチになってました~それを、10月12日、シンガポールで発表して、いよいよ本格始動です。企画の紹介はあらためまして、まずは30年ぶりに訪れたシンガポールについて。30年前、3ヶ月のイギリス語学研修へ、シンガポールエアで行って、帰りにヨーロッパをまわってパリ発にしたら、シンガポールに一泊する羽目に。ホテルを空港の紹介所で探してもらった時、オーチャード(街の名前です)以外の選択肢は無し。当時は確かMRTが開通したばか